下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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「至らぬ侍従で、己の無力を恥じ入るばかりでございます」

 平伏する私に宮様が顔を上げるよう、声をかける。私はそのお言葉に従って、ゆっくりとおもてをあげた。宮様は美しく微笑んでいらっしゃった。優しい眼差しを私に向ける。

「そんなことはない。淡月程出来た侍従を私は知らない。お前が私の侍従長で良かった」
「……身に余るお言葉です、宮様」

 褒美のような言葉であった。だが、どんな賞賛も今は私の心に届かない。閨では誰も守ってくれない、という宮様のお言葉は私の胸を深く貫いたのだ。

 こんな辛酸を舐めるのはいつぶりだろうか。私は驕っていたのかもしれない。侍従長としての月日が長くなるにつれ、自惚れを抱き始めていたのだろう。それを白日の下に晒され、項垂れている。どこまでも情けない話だった。

 このままではいけない、と気持ちを切り替える。他の侍従たちと、宮様の食事の用意を整え、それを見届けた。そして、宮様の着替えを手伝う。黒珠宮を出て、外を散策すると言った宮様の言葉に合わせ、外行きの装束を用意し、纏って頂いた。

 部屋着ならいざしらず、こういった形式ばった格好はさすがに我々がお手伝いせねば着れないような代物だ。私ともう一人の侍従、二人がかりで宮様のお召し物を整えていく。

「今日は蛍星のところへ行こうと思う」
「七の宮様のとこへと申されますと……右殿へ、ということでしょうか?」
「あぁ。前触れを出さないでもらいたい。出してしまえば、彼らの本当の姿を見ることが叶わなくなる」
「……御心のままに」

 前触れを許されないというのは、この話題が出た時から覚悟していた。前触れも人払いもしたくはない。世界の素顔が、宮様は見てみたいのだろう。今更私も否やは申し上げなかった。

「七の宮様にお会いになる以外にも理由があるのでは?」

 外の世界に触れたいというのなら、何も右殿でなくとも良いのだ。二人の兄上様方のいらっしゃる黒烈殿だって、宮様の目的は果たされるはず。それなのに、右殿へ行くという。その意思の先にあの男の存在を感じた。

「意地が悪いな。分かっていて問うか」
「はい」
「全く、困ったものだ。……葉桜から事情を聞いているならば、清玖に友になって欲しいと願ったのは知っているな」
「……何故あの男なのですか。身元もはっきり分かっていないというのに」
「だが、花紋は見えなかった」
「花紋を持たぬのでは?」
「右軍の中将補なのにか?」

 この国には、他国のように家の名を冠するという文化が存在しない。名乗るのは己の名のみ。そもそも、一族に対して付けられている家名というものが無いのだ。そのかわり、己がどのような血筋の出であるかを示すものがあった。それが花紋。

 家にはそれぞれ、花をあしらった紋がある。その紋を体の一部に刺青として彫るのが、この国の出自を表す方法だった。紋が何の花であるかで、ある程度の身分が知れるが、最も重要なのが刺青の位置だった。

 尊い身である者ほど、刺青は服の上からでは見えない場所に彫られている。市井の者であれば、殆どが首筋や手首など、一見出来る場所に紋があった。

 この国で最も尊い血脈の御方である宮様は、左胸に紋がある。これは、他の宮様方も同じだ。対して私は、左太腿に紋があった。侍従の家系は下半身、特に脚部に紋があることが多い。

 紋は、特殊な技術で彫られ、その技術は各家ごとに異なっている。そのため、真似て彫ったところで完璧に同じになることは不可能となり、出自を偽ることは出来なかった。国の機関には、その紋を判別し、出自を管理する部署もある。

 一見した場所に紋がない者は尊いが、紋を持たない者は最も身分が低い。そういった事情から、紋が見えない清玖がある程度の身分だろうとする宮様に対して、私は逆に、身分の低い者なのでは、と申したのだ。

 だが、清玖には右軍中将補という地位がある。流石に、どれほどの実力があったとしても、紋無しがその地位の武官になれることは不可能だった。平穏で豊かなこの国に、そもそも紋無しなど殆ど存在しない。他国から流れ着いた流浪の者くらいだ。

「宮様が友を望まれるなら、我らが相応しい人物を見つけ出して参りましたのに……」
「そういうことをしたくなかった。……自分で選んでみたかったんだ」

 服装も、身に付けるものも、口に入れるものも。何ひとつご自身では選べない宮様。選んでみたかった、という言葉はとても重たく響く。自分のことを自分で選んで生きていく。そんな当たり前のことが、宮様には許されていないのだ。

「それに、蛍星が楽しそうで……羨ましかった」

 この世の賞賛を欲しいままにするこの方が、羨ましい、とは。宮様は、地位も美貌も賛美も、何もかもを手に入れているようで、その実、何ひとつ手に入れてはいないのだ。物悲しい気持ちになる。

 そう考えると、外に出るのを楽しみにして笑顔を見せる宮様がとてもいじらしく思えた。そんなささやかな幸福を阻もうとした己がなおさら愚かしく感じられる。

 身支度を整えた宮様のもとへ、一人の侍女が訪れる。貴婦人と称されても遜色のないその女性は、この黒珠宮に出仕する侍女全てを束ねる侍女頭だった。朱華しゅかというその女性は大役ともいうべき重大な職務を担っていた。

 それが、宮様の髪結いだ。他の宮様であれば、それぞれの侍女や侍従が行うが、慣例に則り、黒の宮様の髪結いは侍女頭が行う。慣例と言っても、二百年も前の慣例。それはもはや、伝説と言っても良いだろう。

 三の宮付きの侍従でも触れる者の限られる宮様の黒いお髪に、侍女頭は触れることを許されていた。彼女が侍女頭に任じられ、初めて宮様のお髪に触れた時の歓喜に震えるおもてを今でも覚えている。

「朱華、今日は動きやすい髪型にしてくれ」
「はい、宮様。御心のままに」

 宮様が椅子に腰掛け、その背後に朱華殿が立ち、髪に触れる。見ているだけで、畏れ多い気持ちになった。尊い方の、尊い黒に触れる。敬服し、畏敬を抱きながら、朱華殿は侍女頭として宮様の髪を結うのだ。

「……本当はもっと短くしたいのだが」
「それだけは御寛恕下さいませ」
「髪はある程度長ければいいだろう。……これだけ長いと、頭が重い」

 現在、宮様の髪は腰程まで伸びている。本人は長すぎると訴えるが、誰も宮様の髪に鋏を入れたがらない。私とて、どれほど宮様に懇願されても、その黒く尊い髪を切るのには断腸の思いを抱かざるを得ない。

 我々の懇願を、お優しい宮様は受け入れて下さる。その結果、宮様の髪は整える程度に梳かれるのみとして、どんどんとその長さを増しているのだ。

「重いという理由で切ってしまうには、あまりにも勿体のうございます。……他国には、宮様の髪と金山ひとつを交換して欲しいと願う者もいると聞き及んでおります」
「私の髪に、金と同じ価値があるとは思えんが」
「そのようなことは御座いません。尊い御髪です。抜け落ちた毛の一本たりとも外へ漏れぬよう、我らがしっかり保管しております」
「……それは初耳だ」

 櫛についた髪も、ふわりと落ちる抜け毛も、全ての保管されている。一本でも外部に漏れてしまえば、不用意な諍いを招きかねない。全ての髪を管理することは不可能だろうが、それでも可能な範囲で全力を尽くすのが我々の務めだった。

「宮様、いかがでしょうか」
「三つ編みか。ああ、動きやすいしとても楽だ」
「御満足頂けまして幸甚に御座います」

 長く太い三つ編みをひとつ下げて、宮様は立ち上がる。髪を結っている紐は黒の布地に金が織り込んであり、ささやかに光を発した。宮様にとても似合い、宮様の持つ美しさを邪魔しない品の良い逸品だった。

「さて、そろそろ出掛けるか」
「宮様。今夜、御政務の後、一の宮様がお会いしたいとのことですので……」
「それまでには必ず黒珠宮に戻るよ」
「それだけでなく、夜まで体力が持つよう、あまり活発になさいませんよう」
「私にだってそれくらいの体力はある。見くびり過ぎだ」
「この淡月は、心配ゆえに忠心から申し上げているのです」
「……淡月の心配性にも困ったものだ」

 そう言いながらも宮様は楽しそうに微笑まれた。こんなに溌剌とした宮様を見るのは随分と久しぶりだった。そんな宮様を見ていると、こちらも明るい気持ちになってくる。

 最近は、ご活躍目覚ましい一の宮様、二の宮様の姿をご覧になられて暗澹としていることが多かったように思う。兄上様方が己の務めを果たしている姿を見て、姫宮としての務めをどうしても意識してしまうのだろう。

 吹っ切れた、というのとは違うのだろうが、今の宮様には鬱々とした気配が無くなっていた。宮様に訪れた変化は、姫宮様が齎したものなのだろうか。一体、姫宮様とどのようなお話しをされたのだろう。

 宮様が少しでも御心健やかにおられるのであれば、私に否やはない。私はいつだって、宮様のことを思っている。森羅万象全てを差し置いて、宮様のことを想った。

「さぁ。行くぞ、淡月」

 私が抱くこの慕情には、どんな名をつければ良いのだろう。お仕えする方に向ける敬愛か。畏れ多くも、可愛らしい弟のように思うゆえの親愛か。どんな名であろうと、それは愛だった。私は、宮様を愛しているのだ。

「はい、宮様」


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