下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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 身を清めるため、私たちは湯殿に来ていた。寝台を離れる際も、清玖は私を抱き上げて離さず、私たちの距離は近いままだった。そして、手桶で湯をすくい私の体を流していく。

 湯の温かさと、触れてくる清玖の手の優しさで、体が解れる。幸せな心地でぼうっとしていたら、清玖によって私は湯殿の壁に手をつくような姿勢にさせられた。臀部を突きだすような体勢で、少し恥ずかしい。

 そんな羞恥を抱いた矢先、濡れた清玖の指が私の後孔に入ってくる。まだ柔らかいそこは、すんなりと清玖を受け入れた。

「……また、するのか?」
「いや、もうしないよ。これ以上は吉乃が体を痛める」
「痛めてもいい」
「そういうことを言って俺を困らせるのが得意だな、吉乃は」

 困る、と口では言ったのに清玖はとても楽しそうだった。指を中に入れては抜き、また入れる。その繰り返しで挿入される指に、私の腰はむずむずとした。

「……何をしてるんだ?」
「俺が出したものが中に残ってるから、それを出してるんだ」
「それは、出さなくてはいけないのか? ……清玖がくれたものを、あまり手放したくない」
「吉乃……、そう言う発言は控えてくれ。熱が抑えられなくなる」

 私の懇願を聞いて、清玖は苦悶の声をあげる。正直な気持ちを伝えただけなのだが、また私は知らず知らずのうちに清玖を煽ってしまっていたようだ。清玖の指先が、私の中に入っては中のものを掻き出していった。

「……随分と手際がいいな。慣れているのか?」
「いや、慣れているというほどでも……」

 清玖が男も女も経験があることは知っているし、分かっていたつもりだった。だが、その現実を目の当たりにするとやはりどうにも面白くない。これからは、私がその逆の立場になっていくというのに、それを棚上げして私は気分を害していた。

「怒ったのか?」
「……別に、怒ってはいない。ただ不愉快なだけだ」
「もう何年も前の話だ。ここ数年は、男は抱いてないし、女だって戦いの後の昂揚を収める為というだけだ。こんな風に情を交わすのは、後にも先にも吉乃だけだよ」

 そう言って、背後から私の首筋に顔を埋めて、私の体に口付けを落とす。そんなことをされたからって私の機嫌は直らない。と言いたいのに、嬉しくて堪らず頬が緩んでしまう。

「その言葉、絶対だな?」
「勿論。誓うよ」
「……私も、こんな風に情を寄せるのは清玖だけだ」
「分かってる」
「本当に、本当に。何があっても、私の心は清玖だけのものだ」

 私は堪らなくなって、体を反転させ清玖の体に抱き着いた。縋るように抱き着く。逞しい体は硬くて、そして温かかった。

「大丈夫、分かってる。……何があっても、吉乃の心は俺のものだ」

 しっかりと、両腕で抱きしめてくれる清玖の体。軟弱に見える白い私の肌とは異なり、清玖は程よく日に焼け健康的に見えた。大丈夫、と耳元で繰り返す清玖の声に、心が落ち着いていく。

「これからは、戦のあとでも他の者に触れないで欲しい……、私が清玖の熱を収めたい」
「……分かった。でも、戦いのあとは自分でも驚くほどに獰猛になっていて、あまり優しくはしてやれないと思う」
「それでもいい。どれだけ酷くされようとも、清玖が他の者を抱くことを考えれば、酷くされる方が良い」

 獰猛な清玖とは、どのようなものだろう。酷くされるというのは、どんな感じなのだろう。考えただけで、腹の中が疼く。そんなことを考えていたら、清玖に抱きかかえられ、湯船に降ろされた。あたたかい湯に体が包まれ、二人で入って丁度良い大きさの湯船に浸かり肩を並べる。

「風呂は気持ちがいいなぁ……、ここの風呂は清潔だし、金をわざわざ払って風呂に入りに来る奴の気持ちがよく分かる」
「……清玖が普段使う湯殿は、清潔ではないのか?」
「俺たちはみんなでひとつの大浴場なんだが、まぁ、常に清潔とはいえないな。みんなよく汗をかくし。それに、時間帯によっては大勢が押し寄せて窮屈なんだ」
「それなら、私の湯殿に来ればいい。毎日一緒に入ろう」
「それは……ちょっと。侍従長殿に怒られそうだ」
「淡月はそんな狭量ではないぞ」
「……吉乃の前ではな」

 どうやら私の知る淡月と、清玖の知る淡月には乖離があるらしい。清玖にも私の湯殿を使ってもらう件に関しては、清玖は頑なに拒み、結果、有耶無耶にされてしまう。

「というか……お金? お金を払って風呂に入るのか?」
「あぁ、街には湯屋があって、金を払えば大浴場にも一人風呂にも入れる。今の俺たちだって、金を払ってここにいる」
「え、お金を払って今ここにいるのか……?」
「あぁ。一般的な世界では何をするにも金がいるんだ」
「どうしよう、私はお金を持っていない」

 宿に泊まるにはお金が必要なのか。言われてみれば当然のことなのに、そのことに考えが至らなかった。金銭が必要になるのは、食べ物を買ったり、書を買ったりと、購買の時だけだと勝手に考えていた。

 こういった施設を利用するのにも、必要なものだったのか。だが、私は生まれてから一度も己で金銭を持ったことが無い。予期せぬ状況に陥って、私は慌ててしまった。そんな私の慌てようを見てか、清玖が大きな声を出して笑う。

「大丈夫だよ、前回は蛍星が払ってくれたし、今回は俺が払う」
「だが……どれくらいのお金が必要なのか全く分からないが、清玖だけに払わせるのは……」
「俺たち武官は結構な高給取りなんだ。これくらいの支払いで困窮するようなことはない」
「……そうなのか」
「俺のような国境警備の任に就く武官は大抵、金は持ってても、金の使い道があまりない。そもそも、王都に年中いるわけでもないし、所帯持ちも少ないからな。大体は、酒やら女やら刹那的なものに使うのが殆どなんだ。それを思えば、こうやって吉乃と過ごす場所の為に金を使った方が、余程建設的だろう?」

 そう言って笑う清玖が愛おしくて堪らなくて、私は並ぶ彼の肩に頭を預けた。永遠にこうしていたい。二人でのんびりと、穏やかに過ごして生きたい。それは過ぎた望みなのだろうか。願うことすら罪だろうか。

「……清玖」
「どうした?」
「今じゃなくてもいい……いつか、私たちの日々が落ち着いたら、……私の夫君ふくんになってくれないか」

 一の宮以外の王子たちの配偶者を、夫君、妻君と呼ぶ。王族としては認められず、それは形式上の名目でしかないが、その立場を与えることで、世間からは夫婦と見なされるのだ。それが天瀬王家においての婚姻だった。

「……いつまでも、一緒にいたい。清玖が戦場を退き、私が姫宮の任を次代へ継いだら、共に離宮へ行きたい」

 王族は、当代の国王、副王、姫宮と国王の子らしか黒珠宮に住めない決まりになっている。それ以外の王族たちは、自分たちが望む場所や、王城から離れた離宮にて各々のんびりと生きるのだ。

 そして、そこが王族たちの終の棲家となる。そこには王族とその侍従、近衛しか連れていけないが、夫君妻君は例外的に許されていた。そこでならば、私は清玖と生きていくことが出来るのだ。

「夫君……、そんな、考えたこともなかった」
「……私の夫君になるのは、嫌か?」
「そんなわけないだろ。ただ……、あまりにも畏れ多くて、どうしたらいいのか分からない」
「私を想ってくれるなら、夫君になって欲しい。敢えて何かをする必要はない。ただ清玖は清玖のままで、私のそばにいてくれればいい」

 清玖の体に横から抱き着いて、私はぎゅうっと彼を締め付けた。少しの隙間だって、私と彼の間には開けたくなかったのだ。

「……清玖が困るのも、分かる。でも、いつかでいいから、そうなれたら嬉しい」
「すぐに返事が出来なくて、すまない」
「いいんだ。これは私の我儘だから。……拒まないでくれただけで、満足だ」
「……今までの姫宮で、夫君を持った方はいらっしゃったんだろうか」
「古い記録はあまり残っていないけれど、今の姫宮様は事実上、陛下の王配殿下だと思う」
「王配殿下……宮様同士で婚姻なされるというやつか」
「そう。陛下には妃殿下がいらっしゃるから、正式な王配にはなれなかったんだと思うけど、きっと陛下が一の宮でなければ、姫宮様は私の父と婚姻を結んでいただろう」

 叔父上が陛下を愛したこと、陛下も叔父上を愛したこと、陛下が陛下であったこと、叔父上が姫宮であったこと。その全てが二人の関係をこじらせている。そこに妃殿下が加わって、三人の関係性は泥沼の様相を呈していた。

「人を愛するのにも難儀する……これが、天瀬王家の生き様なんだ」
「……辛いか?」
「辛くない、とは嘘でも言えないが……清玖に出会えたからまだ幸せだ。ただ、清玖を天瀬の泥沼に引きずり込んでしまったという罪悪感はある」
「引きずり込まれたなんて思ってない」
「でも、それが事実だ。全て私が悪い」
「吉乃は何も悪くない。……俺が勝手に惚れたんだ」

 抱きしめ返される。心が満たされていくのを、肌で感じた。そろそろ湯船あがろう、といって清玖が私を抱えながら立ち上がる。軽々と私を持ち上げる清玖の体躯はやはり引き締まっていて、武官なのだなぁと思い知った。

 湯殿に足を下ろし、体中を手布で拭かれる。清玖は素早く己の体を拭くと、下帯を付けて私を部屋へと連れて行った。そして宿に置かれていた真新しい襦袢を手に取って、私に羽織らせると、長椅子に座るよう促す。私の隣に清玖は腰掛け、手布で私の髪を拭いていった。

 何から何まで至れり尽くせりだ。侍従並みによくしてくれる。甲斐甲斐しいとは思っていたけれど、ここまでとは。私はされるがままになりながら、部屋から見える景色を見つめていた。ぼんやりとした淡い灯が街中に広がっている。温かい風景だった。

「夜でもこの街は明るいんだな」
「この辺りは飲み屋だったり、娼館だったり、ここみたいな連れ込み宿が集まる一帯なんだ。夜に活動的になって、朝に静まり返る」
「なるほど、だからこんなに明るいのか。地上に星々があるみたいだ」

 私の髪を拭き終えた清玖が、今度は櫛で梳いていく。頭を撫でられているような感覚が、とても心地よかった。疲れがどっと現われ、私の体はまどろみに落ちて行きそうになる。それを見越してか、清玖が私の体を抱き上げて、寝台へ下した。

「もう眠ろう。明日は人目に付かないように、早い時間にここを出る」
「あぁ、分かった」

 二人で寝台に潜り込む。清玖は下帯しかつけていないし、私は襦袢を軽く羽織っているだけ。その状態で抱きしめあうと、互いの肌の温度を強く感じた。

 その温かさが、私を眠りの世界へ誘う。清玖に抱きしめられながら、私は静かに目を閉じた。すぐそばで清玖の息遣いを感じる。私は清玖の胸に己の耳を当て、彼の鼓動を子守唄に深い眠りへ落ちて行った。

 夢を見ないほどに、深く眠った。朝日を瞼に感じて、目を開く。眩しさに耐え切れず、再び目を閉じた。小さく笑う声が聞こえて、私はもう一度目を開く。そこには、上体を起こし私の顔を見つめる清玖がいた。朝日を背に微笑む彼はやはり格好良くて、何度でも惚れてしまいそうになる。

「まだ眠たい?」
「……もう起きる」

 まどろみながらそう言うと、清玖が私の頬を撫でた。くすぐったくて、私も笑ってしまう。なんて幸せな空気なのだろう。永遠にここにいたいと、そんな愚かなことを本気で願った。

「清玖は、いつから起きてたんだ?」
「ほんの少し前だよ」
「起こしてくれたら良かったのに」
「吉乃の寝顔を見ていたかったから、起こせなかった」

 ごめん、と謝るその声がとても優しくて、私はそれ以上に何も言えなくなってしまうのだ。清玖は分かってこんな声を出すのだろうか。

「体は痛くない?」
「……体中がだるい。でも、嫌なだるさじゃない」
「そうか」
「さて、そろそろ城に戻らないとな」
「……そう、だな」

 急に現実に引き戻されたような、そんな感覚があった。名残惜しい。もっとここにいて、二人だけで時間を過ごしたい。私の一番の本音はそれだった。

 けれど、ちゃんと分かっている。外泊すればするほど、侍従たちや近衛を困らせると。清玖の職務にだって悪影響を及ぼすと。ぐっと手で寝台を押し上げ、自分の体を起こす。寝台の上に座り込んだ私は、肌蹴た襦袢を正した。

「御着換え、手伝いましょうか? 吉乃様」
「結構。着替えくらい一人で出来る」

 清玖は茶目っ気を孕んだ悪戯な口調でそんなことを言う。大袈裟な語調で、それが演技だと分かった。私はふん、と鼻を鳴らして返す。その後、二人で声を出して笑った。

 着替えを済ませ、洗顔を終え身支度を整えた。そして二人で宿を後にする。宿の主だという女性が、最後に穏やかな笑みを添えて送り出してくれた。

 朝早い時間帯で、街は静まり返っている。道端に酔っぱらった人間を何人か見たが、起きている人の往来は無かった。人目を気にすることなく、私たちは王城へと戻る。そして清玖が私を黒珠宮まで送ってくれた。

 黒珠宮を見た瞬間に、ほっとするものがあった。やはり、ここは私にとって心落ち着く場所なのだ。帰って来るべき所だった。

「朝帰りとは、なかなかやるな、吉乃」

 そんな声が聞こえて、私は声が聞こえた方を向く。私のことを吉乃と呼ぶ人物は、この黒珠宮に四人しかいない。紫蘭兄上、柊弥兄上、黎泉。そして、叔父上である姫宮様だ。

「……叔父上」

 そこに立っていたのは、叔父上だった。黒珠宮の入り口にほど近い廊下から、私たちを見ていた。柵に身を預け、乗り出すようにこちらを向いている。

 白銀の髪は陽光を受けてきらきらと輝きを放つ。いつみても、叔父上の美しさは揺るがない。そんな叔父上は、口元に笑みを浮かべて私を見ている。それなのに、どこか雰囲気が恐ろしい。私は思わず清玖の衣服を掴んだ。

「幸せな夢は見れたか?」

 幸せな夢と、そう言った。全てはいずれ醒める淡い夢だと、そう告げられているような気持になる。まやかしに過ぎないものに縋っているのだと、そう断じられている気分だった。叔父上が一歩一歩、ゆっくりと近づいてくる。私の恐怖も静かに募っていった。

「そろそろ実技の指導に入ろうか。今夜、そこの男を連れて姫宮の寝所に来い」

 姫宮の寝所とは、姫宮が己の務めを果たすときに用いる部屋だった。そこに来いという。清玖と共に。そして、実技の指導だとも。私が恐怖を感じた理由を、理解した。私が恐れ続け、逃げたいと願い続けたものが形を成して、私の前に立っているのだ。

 終わりなんて、あっけないほど容易く訪れる。そんなこと、分かっていたのに。分かっていたはずなのに。長い年月をかけて抱いた確固たる諦念を、私は幼い恋で台無しにしたのだ。


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