下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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 当初、右軍参謀本部は、この戦いがこれほどまでに長期化するとは思っていなかった。十日以内に片がつくだろうと考え、それを越えても二十日以内には終息を迎えていると踏んでいた。

 それが更に、十日、加えて十日と延びていくと、何故此度の華蛇はこんなにも執拗なのかと天瀬の兵たちも苛立ちを覚え始める。

「……一刻も早く終わらせないと、本当に華蛇が滅ぶぞ」

 宿場町へ来てから、酒をちびちびと飲んでいた薫芙がそんな言葉を漏らした。俺と薫芙が入った居酒屋には、天瀬軍の関係者が多く、戦いの鬱憤を晴らすためか皆大いに飲み、騒いでいる。

 だが、それとは対照的に薫芙は俯き、陰鬱な顔をしていた。店内の喧騒を嫌って、外に出て居酒屋前に置かれた椅子に腰かけていた。

「子供まで戦争に駆り出して何がしたいっていうんだよ。……天瀬は常に、絶対防衛圏を守り切っている。一度として危機はない。だが、華蛇は違う。毎日毎日戦士が死んで、どんどん幼い子まで戦士に仕立てられてる。……本当に、自滅したいだけの戦なのか?」
「あまり考えすぎるな、薫芙」
「考えずにいられるかよ! お前だって、小さな子供を手に掛けただろ!? ……それに対する後悔はねぇのかよ」
「後悔を植え付けて、剣先を鈍らせることこそが華蛇の策かもしれん」
「下衆すぎる」

 俺は、そういった所を上手く割り切っていると思う。だが、優しすぎる薫芙にはそれが出来ない。全てを背負って、苦しんでいるのだ。

「俺たちが出した報告書だって、参謀本部は一定の理解を示したけど、本格的な対応は取ってない」
「本部も、日々の戦いの対応で手一杯なんだろう」
「だからって……根本をなんとかしなきゃ、終わんねぇぞこの戦」

 傍目から見ても、薫芙はだいぶ参っていた。早く戦場から退けさせてやりたいが、状況がそれを許さない。負けは無いとはいえ、俺たちの痛手も大きい。兵に負傷者や死傷者が増える一方なのだ。

 武官たちが、一騎当千以上の働きをせねば、防衛圏の死守に支障が出てくる。優秀な武官である薫芙は、戦場から外せない。

「……絶対に奴らの狙いは単なる侵略じゃない。他に何がある。他に、奴らが欲しがるものは」

 ぶつぶつと呟く薫芙を見て、少しだけ憐れに思えた。休息として与えられた時間でも色々なことを考えてしまう。不器用なのだろう。休息の時間と、任務の時間を分けられないのだ。

 ふいに、大きな笑い声がした。見れば、同じように外で飲んでいる者たちの豪快な笑い声だった。喧騒を嫌って外に出てきた薫芙のために、出来れば静かに楽しんでもらいたいが、酒の入っている者に静寂を求めるのは難しい。

 大声の主たちは、天瀬の商人の出で立ちをしていた。ここは、華蛇の領域を越えてオルド、そして琳とも国境を接する地域だ。色々な物や、様々な人が行きかう。ここで買い付けをして、王都などで売り払うのが商人たちが見せる、ありふれた風景だった。

「そんでよ、さっきの女、舌先が割れてたんだよ」

 飛び込んできたその言葉に、俺は耳を疑った。戸惑いながらも、聞き耳を立てて大きな声を出す商人二人の会話を聞く。

「舌ぁ? なんだそりゃ」
「いやいや、気味悪いがその舌であれを舐められるのは最高に気持ちよかったんだぜ。……でも、あれって自分でちょん切って二又にするんのか?」
「それ以外ないだろうよ。生まれつきあんな蛇みたいな舌になるわけがねぇ」

 割れた舌先。それは、華蛇の典型的な特徴だった。だが、それを一般の商人たちが知るはずもない。華蛇と対峙する右軍の者か、華蛇を専門にする文官か、専門的な書を読む機会のある者といった輩しか知り得ないはずだ。

 商人である彼らが単なる、変わった舌だと思うのも仕方のないことだった。だが、それは俺たちにとっては重要な意味を持っていた。慌てて商人たちに駆け寄る。

「おい、その舌先の割れた女、体に刺青はなかったか。蛇と華があしらわれたものだ」

 女に相手をしてもらったのであろう男の肩を掴んで問いかける。男たちは、俺たちを訝しげな目で見たが、武官の装束を纏う俺たちには逆らわない方が良いと判断したのか、素直に口を開いた。

「い、いやぁ……見なかった。……あ! で、でも、胸んとこに何か大きな火傷はあったな」
「火傷……刺青を焼いたのか……?」
「その女、言葉は何を話していた? 何人に見えた」

 薫芙も、前のめりになって男に問いかける。俺たちはまたしても、とんでもない真実に触れようとしているのではないだろうか。体が熱くなるのは、興奮しているからだろう。知りたくて知りたくて堪らなかったものが、眼前に提示されているような気分だった。

「何人かはよく分かんねぇよ……オルドではないと思うが、言葉は……片言の天瀬語とちょっとマシな琳語だ」
「そいつはどこの娼館にいる」
「あっちの、牡丹の絵が描かれた看板の店だ」
「行くぞ、薫芙」

 指差された方へ二人して走り出す。飲んでいた酒など一瞬で吹き飛ぶような熱が、俺たちの中には芽生えていた。そんな体を携えて、居酒屋と娼館が乱立する通りを駆け抜ける。

「どう思う」

 走りながら、静かに薫芙に問いかける。お互いに、昂ぶる気持ちを必死になって抑え込んでいた。

「華蛇を抜けた者か、もしくは」
「華蛇の諜報員」

 俺も薫芙も、その可能性が高いと感じている。あらゆるものが激しく行きかうこの国境沿いの街に、華蛇は静かに忍び込み情報を得て、それを一族に伝えていた。そんな存在がいるなどと、天瀬では誰も考えていなかった。何せ、華蛇とは意思の疎通が出来ないのだ。

 だが、それが演技なのだとしたら。

 天瀬の言葉を理解し、操る事が出来るが、何も分からないというふりであったなら。拷問されて口を割ってしまう前に、自死するように徹底的に教え込まれているのだとしたら。それは、とても恐ろしいことだった。

「ここに舌先の割れた女はいるか」

 男の言った、牡丹の絵が描かれた娼館にたどり着く。丁度今、客を見送っていたのであろう男に声をかけた。店主か番頭かは知らないが、この館で女たちの差配をしているのはこの男だろう。

「え? あ、あぁ……いるっていうか、いたっていうか……あの子は出稼ぎでね、さっき務めを終えて村に帰ったよ」
「帰っただと!?」
「どっちに行った!?」
「あ、あっち、だったかな」

 そうして指差された方角は、人に満ちていて、たった一人の女を見つけるのには困難だった。しかも、俺たちはその女の顔を知らない。知っているのは、舌が二又であるということだけ。

「……無理だ。もう追えない」
「くそっ!」

 あと少しだったのに、届かなかった。悪態をつく薫芙と一緒に、何かを殴りつけたい気持ちに襲われる。その衝動をぐっと堪え、男に問いを投げかけた。

「その女、どれだけの期間ここにいたんだ」
「そうだなぁ、だいたい二月か三月ってとこだったかな。なんでも、兄弟が病らしくてなぁ。薬代だけ稼ぎたいっていって、短かったがよく働いてくれたよ」
「……華蛇が活発に動き始めた時期に合致してる」

 薫芙が俺の耳元でそう囁いた。女の影が、どんどんと濃厚になっていく。本当に、諜報員がいたのか。あの未開ともいえる異民族たちが、そのような高度な真似をしていたとは。俺の問いかけは続く。

「女の髪の色は赤だったか?」
「んー……どうだろうねぇ。いつも髪染めをしていたから、地毛の色まではよく分かんないな。なにせ、みんな黒髪が好きだろう? 女は殆どが黒に染めるよ」
「では、その女を定期的に買いに来る男はいなかったか」
「定期的……定期的……、あ、いた。いたよ。週に何度も来るから相当あの子を気に入ってたんだろうね」
「その男、天瀬の者か。それとも琳の者か」
「琳の人だよ。俺には天瀬の言葉を話してたけど、あの子と話すときはずっと琳の言葉だった。琳語の方が達者だったし、少なくとも生まれは琳だろう。それに顔つきがいかにも琳って感じだったな。お忍びだったんだろうけど、あれは相当な地位にいる武官さんだろうね。払いも良かったし」

 華蛇の女が、髪を染め、刺青を焼き消して街に溶け込んでいた。さらには、その女が会っていたのは、お忍びで来た琳の武官だという。

 それが全て事実であったなら。全て鵜呑みにしても良いのかとも思ったが、商人や娼館の番頭というのは、人をよく見ている。なんとなく、で感じ取ったことも本質に近いことが多いだろう。信じるに値すると、俺は判断した。

「……間違いない。華蛇は女を通じて、琳と連絡を取り合っている」

 俺は薫芙と向かい合って、己らの考えを確認し合った。薫芙が発したその言葉に、俺はゆっくりと頷く。

「それが……終わった、ということは」

 華蛇の女は、去った。二、三ヶ月という月日をここで密偵として過ごして、それを終えて去って行った。それが指し示す答えは、ただひとつだ。俺の唇は、僅かに震えながら続く言葉を発する。

「終わったんだ。彼らが密接に連絡を取り終える必要がなくなった……、準備が、整たんだ」

 一度俺の言葉に頷いて、薫芙は唇を開く。その顔はみるみるうちに青ざめていった。口を閉ざした薫芙の代わりに、俺が唇を開く。

「何か事を起こすつもりだ」


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