下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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「宮様、ひとまず船を降りましょう」

 私は薫芙からの提案を受け入れて、ゆっくり立ち上がろうとした。けれど、腹に力を込めると、どうにも蹴られた箇所が疼いて痛む。顔を顰めれば、薫芙が心配そうにこちらを見ていた。

「立てますか?」
「……俺が、抱えていく」

 自分だって意識が朦朧としているくらいなのに、そんなことを口にして立ち上がろうとする清玖。私は慌てて、彼の肩を押さえ込み、立ち上がれないようにした。

「清玖、私は大丈夫だ。時間がかかるかもしれないが、自分で行けるよ」
「怪我をしている吉乃を、歩かせたくない」
「怪我の度合いで言えば、清玖の方が深刻だ」

 私たちは平行線を辿るかのように、相容れなかった。けれど、清玖の瞳はもはや虚ろで意識を保っているのがやっとであるように見える。互いを気遣うような言葉をいくつか交わし合い、私たちは硬直状態に入ってしまった。そこに、第三の手が差し伸べられる。

「なら、俺が抱えて行こう」

 言葉の直後、ひょいと私の体が抱き上げられた。横抱きにされて、恥ずかしいという感情が胸に強く湧いたのだが、それよりも燃え盛る焔のような髪と赤い瞳に魅入られてしまう。

「ラオセン、お前……っ!」

 赤髪の男はラオセンという名であるらしかった。男の名を、清玖が激しい口調で呼びつける。抱きかかえた私を見下ろしながら、ラオセンは僅かに微笑んだ。片側の耳元を流れる髪を三つ編みにして垂らしている。随分と体格が良く、筋肉質であることが、抱き上げられて分かったことだった。

「お初にお目にかかる、黒の巫女」
「黒の巫女……?」
「我々は貴方のことをそう呼ぶ。俺は華蛇族のラオセンだ」
「華蛇って……え? それは……どういう、ことなんだ?」

 華蛇というのは、今、清玖たちが戦っている相手ではなかっただろうか。何故、そんな人物がここにいて、私を抱き上げているのだろう。どちらかといえば、華蛇は琳の味方なのではないのか。戸惑いながら、どうすることも出来ずに抱き上げられているままの私に、薫芙が慌てて言葉をかけた。

「混乱させてしまって申し訳ありません、宮様。色々と事情がありまして、今現在は華蛇と協力状態にあるのです」
「そう……なのか」

 一体何が起こってそうなったのか、全く想像もつかないが、それで事態が落ち着いているのであれば構わない。

 だが、今まで敵であった者がここにいて、清玖や薫芙は気にならないのだろうか。否、気にしているのだろう。その証拠に、清玖のラオセンを見る目はとても鋭い。あまり彼らの緊張状態を刺激しないようにしようと、私は務め、気軽な雰囲気でラオセンに話しかける。

「私を軽々と持ち上げるなんて、とても力持ちだな」
「巫女など軽い軽い。あと十人は持ち上げられる」

 そう言いながら、大きな声で笑うラオセン。どうやら、豪胆で愉快な男らしかった。その楽しげな光景に、私もついつい口元が緩む。

「吉乃、俺のこの怪我はそいつの一撃によるものなんだ」

 私が微笑んだ直後、清玖が衝撃的な発言をする。清玖の腹につけられた大怪我は、このラオセンがつけたものだと言ったのだ。笑みは瞬間に消え失せて、私は眉をひそめた。

 戦いをしていたのだから怪我は仕方ないものであるとも思うが、やはり、大切な人が傷つけられている以上、私も穏やかではいられない。

「……なんということを」

 驚きの余り息が詰まる。胸が苦しくなり、それを抑えるために私は胸の前で己の手を握り締めた。清玖にこんな傷をつけた男に抱きかかえられているのかと思うと、怒りにも似た強い感情に頭と体を支配される。この腕から逃れようともがくが、びくともしない。力の無い私ではラオセンから距離を置くことすらできなかった。

「戦場でのことをいちいち持ち出すんじゃねーよ、器の小ささが知れるぞ、清玖」
「おい待て……! 勝手に吉乃を連れて行くな!」
「お前はさっさと降りて、ちゃんと治療受けろよな」

 ラオセンは私を抱えたまま歩き出した。思わず清玖に向かって手を伸ばすが、それでもラオセンが足を止めることは無かった。清玖から遠ざかっていく。ただそれだけのことで、こんなにも心が不安になる。
 
「あの男が特別なんだな」

 そんな問いが投げかけられ、私はどう答えればいいのか分からなくなる。ラオセンの瞳はまっすぐ私に向いていて、その強い瞳から逃れるために私は俯いた。そして、一度だけ頷く。

「そんな奴を痛めつけて悪かったとは思うが、戦場でのことだ。許してくれ」

 戦場でのこと。そんなことを言われてしまったら、戦場に出たことの無い私はどんな反論も出来なくなる。押し黙った私は、あっという間に土の上に降ろされて地面を踏みしめながら立っていた。揺れていない。もうここは海ではないんだと思うと、一層の安堵が生まれる。

「兄上!」

 聞こえた声に、体が強く反応した。声のした方へ体を向ける。そこには、愛する弟が駆け寄ってくる姿があった。

「蛍星!」

 私も弟の名を強く口にする。駆け寄ってくる弟を、両手を広げて待ち受ける。そして、勢いよく抱き着いて来た弟をしっかりと抱きしめた。その衝撃が体に響いて痛みを発したが、それ以上に喜びが込み上げてくる。何より、蛍星の方が私よりも怪我を負っているように見えて、私程度の怪我で痛いなどと言っていられなかった。

「兄上……! 良かった……っ、無事で本当に良かった!」

 ぎゅうぎゅうと、全力で抱きしめてくる弟の頭をぽんぽんと軽く叩いた。蛍星の声は、少し涙声になっていて、相当不安な思いにさせてしまったのだと理解する。

「蛍星もわざわざ来てくれたんだね」
「当たり前じゃないですか。僕、大活躍だったんですよ」
「そうか、それは凄い。……というか……そもそも、何故皆は私を助けに来れたんだ?」

 もっと早くに抱くべき疑問を、私は今更ながらに思い出していた。そして、私は事の顛末に関して蛍星から説明を受けた。瀕死の状態の葉桜が、死力を尽くして蛍星たちに私の拉致を伝えてくれたこと。捕えていた華蛇の首長と取引を交わしたこと。華蛇の支援を受け、富寧の船を追いかけることになったということ。それらの仔細を聞きながら、改めて、私は本当に多くの人に迷惑をかけたのだと思い知った。

「それで、兄上が乗ってる船を探せー!ってなって右往左往してる時に、双子の兄上に会ったんだよ」
「羅環と眞早に……?」
「そう。兄上たちが、天瀬では滅多にお目に掛かれない琳の高速帆船を見たって教えてくれたんだ。間違いなくそれだと思って、兄上たちに教えてもらった方角に皆突っ走って行ってね、なんとか見つけたんだけど、その時にはもう離岸しちゃってて。そんな船にどうやって乗り込むかって話し合ってたら、我慢できなくなった清玖が崖を利用して船に飛び乗った、ということなんです」
「……そうだったのか。確かに、羅環と眞早は暫く清玄近郊を中心に天瀬内をうろうろすると言っていたような」
「本当に、不幸中の幸いでしたよ」

 私には、琳と天瀬の船の違いも、高速帆船かどうかも分からないが、きっと物知りな羅環と眞早には分かるのだろう。彼らがいなければ、蛍星たちは富寧の船を発見出来ず、清玖も私を助けに来てはくれなかったはずだ。奇跡のような幸運だった。

「……それにしても、こんな形で華蛇と和睦することになるとはね」
「本当にいい迷惑です」
「けれど……彼らは自分の親を殺めて覚悟を示したのだろう?」
「まぁ……、そうですね」
「……憐れに思う。黒髪黒目の為だけに、親を殺すなど」

 蛍星はやはり、すんなりと華蛇を受け入れることは出来ないようだった。それも当然と言えば当然だろう。彼らは今の今まで敵対しあい、戦っていたのだ。蛍星は、もしかすると親しい友を華蛇に殺されたのかもしれない。そうでなくとも、剣を向け合っていた者同士が易々と手を握り、握手が交わせる訳もない。

 それなのに、華蛇は蛍星の条件を受け入れた。親を殺して、黒髪黒目の私を得ようとした。私には理解しがたく、憐憫を抱く。

「そうでもない」

 私の傍らに立っていたラオセンが、反論を口にする。私たち兄弟の目は、ラオセンへと向けられた。何度見ても見事な赤毛だ。血のようでもあり、太陽のようでもある。何色である、とはっきり形容することが難しい。そんな不思議な色合いだった。
 
「俺たちは、何百年と黒の巫女を求め続けていた。一族の悲願が叶うなら、いくつかの犠牲などどうということもない。それに、首を刎ねられたからといって、ただ死ぬだけだ」
「死ぬだけって……」
「常世から幽世へ行くだけ。少しばかり幽世で楽しく過ごせば、また常世で戦士として生まれ変わる。死ぬことは何も怖くない。黒の巫女がいないまま、生きていくことに比べれば」

 ラオセンが私に向ける目は、とても純粋で、それでいて僅かに恍惚としている。まるで、天瀬の民が黒闢天の像へ向けるような眼差しだった。

「貴方たちのいう黒の巫女は、一体どんな存在なのか、聞いても良いか?」

 ふと興味を抱いた。黒闢天信仰とは異なる黒の巫女という神秘的な存在は、一体何なのだろう。どうして、文化を異にする彼らにおいても、黒を特別視するのだろう。ラオセンは静かに語り出す。

「黒の巫女は、常世と幽世を総べる存在だ。二つの世界を優しく見守り、二つの世界の平穏を祈る。黒の巫女は古来、俺たちの土地で、俺たちと共に生きていた。それが、何者かに奪われて、俺たち華蛇は黒の巫女を失った。俺たちの傍に黒の巫女がいないせいで、華蛇の生活はどんどん苦しくなる。……だから、何としてでも傍に置きたかった。常に置くことは無理でも、俺たちの大地に足を踏み入れて欲しかった」

 だから、琳に利用されていると理解しながらも、富寧が私を手放す気が無いと知っていながらも、富寧の策に乗らずにはいられなかったと、そう告白した。

「巫女というのは普通……女性を指すものだろう?」
「それはただの役目の名に過ぎない。姫宮、って役目だって随分女っぽい名前だと思うがな」
「それは……確に」
「黒の巫女が男であっても、女であっも構わない。そもそもが、黒の巫女ってのは華蛇にとって親であり、子であり、兄弟姉妹であり、親友であり、妻であり、夫なんだ。性別なんか関係ない」

 彼らが信ずる黒の巫女について、ラオセンはとても楽しそうに語った。まるで、己の宝物を披露するかの如く。嬉々とした目で見つめられる。天瀬の民ではないものに、そのような瞳で見られることに、戸惑いを覚えた。


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