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◆ 第二章 異邦への旅路
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寝台に入り、まどろんでいた。だが、眠気はなかなか下りてこない。心が高揚しているせいだと、なんとなく分かっていた。丁度、寝台の中に潜り込んできた清玖を見る。
「……清玖」
「うん?」
小さな声で呼びかければ、清玖は優しく耳を傾けてくれる。寝台の中で顔を寄せあって、囁き合う。清玖と体を重ねることも好きだが、こうして熱を交えることなくそっと身を寄せることも私は好んでいた。
「櫻蓮が言っていたこと……、すごく嬉しかった」
「良かったな」
「私の存在が、誰かの支えになっていたなんて、考えたこともなかった」
「それは聞き捨てならないな。俺はずっと吉乃を心の支えにしてきたんだが?」
「そうだね。でも、それは何というか……分かっていたから。私が清玖を支えにするのと同じように、私も清玖を支えているんだという自負が、少なからずあった」
私が清玖に支えられているように、私も清玖を微力ながら支えているという自負があった。私たちは夫婦なのだから、支え合うことは当然なのだ。
「でも、見ず知らずの者たちに……そんな風に思われていたなんて、知らなかったから……驚いたし、嬉しかったんだ」
櫻蓮の目は、真実を述べていた。私を喜ばせるためではない。心の底から思うことを、一心に語って聞かせてくれたのだ。胸の中に、再び嬉しさが湧いてくる。枕の上に乗せていた頭を動かし、清玖の胸に押し付けた。
「叔父上に伝えたら、同じように喜んでくれるだろうか。それとも、民草にどう思われていようと構わない、と鼻で笑われるだろうか」
「……先代様であれば、その可能性もあるな」
「でもきっと叔父上も、誇らしく感じると思う」
清玖は小さく笑った。私も笑う。憎まれ口を叩くかもしれないが、それでも叔父上は私と同じ気持ちになってくれるはずだ。叔父上だって、長年、姫宮の務めに苦しんできた。苦難に苛まれたそのお心が、少しは慰められることだろう。
「叔父上はお元気だろうか」
「吉乃は、先代様が好きなんだな」
「……好きというか、なんというか。放っておけない人だと思う。清玖にとっては、あの人に与えられた嫌な記憶の方が強いかもしれないが」
姫宮となるための手ほどき。それに清玖が巻き込まれた時には私も強い怒りを感じたし、叔父上に対して憎しみも抱いた。だが、それらを乗り越えた今では、叔父上を大切に思う心がこの胸の中にあるのだ。
「……父上が崩御されて、それでも後を追うことなく懸命に生きておられる叔父上を、私は憎むことが出来ない」
逆の立場だったらどうだろう、と考えることがある。最愛の清玖が亡くなって、私だけが生きながらえていたら。考えただけで涙が出そうになる。けれど、そんな未来が絶対に訪れないなどという確約は無いのだ。
清玖の後を追いたいと思うだろう。たとえ、他の兄弟たちが私を止めようと、慰めようと、私は天上での清玖との再会を夢見て、自ら命を絶ってしまうことだろう。
けれど、叔父上は生きている。最愛の人を失ってもなお、健気にこの世に留まっている。他の御兄弟のためなのだとは思うが、それでも、寂しさに耐え続けることを選んだ叔父上を私は尊敬していた。
「……兄上たちや、弟たちは元気かな」
「きっとお健やかだよ」
「うん、そうだな」
兄弟たちには優秀な侍従がついていて、彼らが兄弟たちの健康を守ってくれているはずだ。私の心配など不要なほどに、侍従や近衛たちはよくやってくれている。きっと皆元気で、楽しく暮らしていることだろう。
「……兄上たちが、尊ばれるのは……分かるんだ」
少しずつ眠気がやってくる。それでも私の口は何かを語りたいようで、開いて言葉を続けた。ぼうっとした頭が吐き出すまとまりのない言葉を、清玖はしっかりと聞き届けてくれている。
「紫蘭兄上は、王としての務めを立派に果たされているし……、優秀な為政者でいらっしゃる。……柊弥兄上だって、有能な人であることは間違いないし、副王として紫蘭兄上を支えておられる。……兄上方は尊ばれて当然で、尊崇の念を向けられるのも当たり前なんだ。……でも、私は?」
物心ついた時から、ずっと思っていた。どうして皆、髪の色や瞳の色ばかり褒めるのだろう。私が兄上たちのように賢くもなく、剣技にも優れていないから、褒めるところがないのだろうか。どうして私の色ばかりが、褒められるのだろう。そんな不愉快さを孕んだ疑問が、私の中にはずっとあったのだ。
「黒髪黒目というだけで、畏敬の念を向けられるのは……嫌なんだ。……それは私の価値じゃない。私が頑張って得たものじゃない。……そんなもので、私を尊ばないで欲しい」
「皆、黒髪黒目というだけで吉乃を尊んでいるわけじゃないよ」
「……清玖のように、私の本質を見てくれる人もいる。でも、多くの人は外見しか見ていない。それが、……嫌だったんだ」
私が黒髪黒目でなければ、私は無価値だったのだろうか。そんな考えに陥ってしまうことが、今までの人生の中でしばしばあった。そしてその考えは、私から気力を奪い、何をしたって人々は私の色にしか興味が無いんだという諦念に繋がったのだ。
「だからこそ、櫻蓮の言葉が嬉しかった」
櫻蓮は、色を褒めたりはしなかった。勿論、礼儀のように軽く称賛はしてくれたけれど、盛んに褒めちぎるようなことはなかったのだ。彼女は、私の行いを見ていた。姫宮として務める私の姿を。
「苦しんで、悩んで、私が姫宮を務めていることを、褒めてくれた。同じような立場の彼女に言ってもらえたことが、本当に嬉しかったんだ」
姫宮という存在が、この苦界に生きる遊女たちを支えている。そんな言葉に私は支えられた。一人ではないのだと、そう思えたのだ。私は国のため、彼女たちは家族や家のために、己の身を差し出している。私たちが抱く苦悩と艱難は、同一のものだった。
「吉乃が嬉しそうで、俺も嬉しいよ」
清玖の指が私の顎をすくい、上を向かせる。静かに唇が重ねられた。舌先同士が触れ合って、軽く啄み合う。優しい口付けに、頭の中がさらにふわふわとしていった。
「……するの?」
「今夜はしないよ。ゆっくり休んでくれ」
してもいいのに。小さくそう言うと、清玖は一度微笑んで私の額に口付けを落とした。そして、頭を撫でられる。とても気持ちがいい。だんだんと目が開いていられなくなる。私は夢の中へ、船出を始めた。
「おやすみ、清玖」
船が完全に出てしまう前に、私は就寝の挨拶を口にする。なんとかそれを言い終えて、一度深くため息を吐き捨てた瞬間に、私は意識を手放した。最後の瞬間、おやすみ、と清玖が言った声が鼓膜を震わせた。温かい声だった。
夢の中で、私は大きな魚を釣っていたような気がする。清玖と一緒に一本の竿を持って、泉の中の大魚を狙っていたのだ。食いついた魚を釣り上げるときには、淡月や葉桜も一緒になって竿を握ってくれていた。釣り上げた大魚は、私の身の丈よりも大きくて、それを皆で食したのだ。
美味しかったなぁ、と思いながら目を覚まして、それが夢だったと気付く。日光を遮る紗の間を掻い潜り、ほのかに差し込む日差し。それと清玖の視線が私に降り注いでいる。私の顔にかかった髪を指で退けながら、清玖が微笑んでいた。
「何か食べる夢でも見てたのか? ずっと口が、もぐもぐ動いてた」
「……魚を。食べてたんだ。……すごく美味しくて」
「余程、魚料理が気に入ったんだな」
「そう……なのかな」
獣の肉を口にすることは殆ど無いが、それでも魚は数日に一回程度食べていた。食べ慣れていないから、美味しく感じたのではないのだ。皆で釣り大会をして、そこで釣り上げた魚を美味しく調理されたから、格別に美味しく感じた。その全てが楽しかったのだ。
私と清玖のその会話を侍従たちが聞いていたのか、朝食には普段であれば並ぶことのない魚料理が一品添えられていた。白身魚の身に甘い餡がかけられていて、小さく刻まれた柚の皮がちょこんと乗っている。美味しくて、嬉しくて、私は食事中、ずっと頬が緩んでいた。
「櫻蓮、世話になった」
食事を終え、身支度を整え、出発の準備に勤しむ侍従たちを見ながら、淡月が差し出してくれる花茶を飲んでいた。そして、全ての支度が終わり、再び小舟へと移る。見送りは、櫻蓮とその侍従たちがしてくれた。
「とんでもございません。このような粗末な場所でしかお迎えすることが出来ず、恥じ入るばかりでございます」
「そんなことはない。ここから見える夜景は、とても美しかった。きっと、天瀬のどこであっても、あの光景を見ることは叶わない。鳳水でなければ見れない風景を、特等席で見せてもらった。櫻蓮、ありがとう」
跪いていた櫻蓮たちは、私の言葉を聞くと、深く額づいた。思ったままに言葉を述べただけなのだが、どうやらいたく感動してくれたようだ。
「勿体ないお言葉です、宮様」
櫻蓮の声は、僅かに震えていた。美しく、聡明なこの県令を私は尊敬する。この女性を県令に推した兄上たちの慧眼にも敬服した。
本当に、美しい夜景だったのだ。闇の色に合わせて、水は黒々と輝き、そんな水の上に浮いているかのように遊郭が立ち並ぶ。鬼灯色の提灯がいたるところで温かい光をもたらして、それが水面にも映り込んでいた。
女たちのたおやかな声と、小舟を進める水先案内人たちの逞しい掛け声。遊女たちに手招かれ、ふわふわと引き寄せられる男たち。その景色が愛おしく思えた。心無い者には売女だと罵られるであろう遊女たちが力強く生きる姿に、私は励まされたのだ。
「宮様にご多幸が訪れますこと、祈念いたしております」
櫻蓮がおもてを上げて私を見た。芯の通った、強い意思を持つ双眸だった。鳳水という街はきっと、彼女のような人でなければ治められなかっただろう。これからもずっと、彼女がこの街の遊女たちを守ってくれると、信じることが出来た。
「櫻蓮と鳳水、そして紺玄にも、黒闢天の祝福があらんことを」
私が艱難を乗り越えて姫宮という座についたこと。それを理解し、支えと思ってくれる櫻蓮と出会えて私は嬉しかった。こんな喜びが、鳳水で得られるとは思っていなかった。行く先々で得るものがある。これからの道行でもきっと、私は何かを得るのだろう。
櫻蓮に見送られながら、私たちは県令の屋敷をあとにした。
「……清玖」
「うん?」
小さな声で呼びかければ、清玖は優しく耳を傾けてくれる。寝台の中で顔を寄せあって、囁き合う。清玖と体を重ねることも好きだが、こうして熱を交えることなくそっと身を寄せることも私は好んでいた。
「櫻蓮が言っていたこと……、すごく嬉しかった」
「良かったな」
「私の存在が、誰かの支えになっていたなんて、考えたこともなかった」
「それは聞き捨てならないな。俺はずっと吉乃を心の支えにしてきたんだが?」
「そうだね。でも、それは何というか……分かっていたから。私が清玖を支えにするのと同じように、私も清玖を支えているんだという自負が、少なからずあった」
私が清玖に支えられているように、私も清玖を微力ながら支えているという自負があった。私たちは夫婦なのだから、支え合うことは当然なのだ。
「でも、見ず知らずの者たちに……そんな風に思われていたなんて、知らなかったから……驚いたし、嬉しかったんだ」
櫻蓮の目は、真実を述べていた。私を喜ばせるためではない。心の底から思うことを、一心に語って聞かせてくれたのだ。胸の中に、再び嬉しさが湧いてくる。枕の上に乗せていた頭を動かし、清玖の胸に押し付けた。
「叔父上に伝えたら、同じように喜んでくれるだろうか。それとも、民草にどう思われていようと構わない、と鼻で笑われるだろうか」
「……先代様であれば、その可能性もあるな」
「でもきっと叔父上も、誇らしく感じると思う」
清玖は小さく笑った。私も笑う。憎まれ口を叩くかもしれないが、それでも叔父上は私と同じ気持ちになってくれるはずだ。叔父上だって、長年、姫宮の務めに苦しんできた。苦難に苛まれたそのお心が、少しは慰められることだろう。
「叔父上はお元気だろうか」
「吉乃は、先代様が好きなんだな」
「……好きというか、なんというか。放っておけない人だと思う。清玖にとっては、あの人に与えられた嫌な記憶の方が強いかもしれないが」
姫宮となるための手ほどき。それに清玖が巻き込まれた時には私も強い怒りを感じたし、叔父上に対して憎しみも抱いた。だが、それらを乗り越えた今では、叔父上を大切に思う心がこの胸の中にあるのだ。
「……父上が崩御されて、それでも後を追うことなく懸命に生きておられる叔父上を、私は憎むことが出来ない」
逆の立場だったらどうだろう、と考えることがある。最愛の清玖が亡くなって、私だけが生きながらえていたら。考えただけで涙が出そうになる。けれど、そんな未来が絶対に訪れないなどという確約は無いのだ。
清玖の後を追いたいと思うだろう。たとえ、他の兄弟たちが私を止めようと、慰めようと、私は天上での清玖との再会を夢見て、自ら命を絶ってしまうことだろう。
けれど、叔父上は生きている。最愛の人を失ってもなお、健気にこの世に留まっている。他の御兄弟のためなのだとは思うが、それでも、寂しさに耐え続けることを選んだ叔父上を私は尊敬していた。
「……兄上たちや、弟たちは元気かな」
「きっとお健やかだよ」
「うん、そうだな」
兄弟たちには優秀な侍従がついていて、彼らが兄弟たちの健康を守ってくれているはずだ。私の心配など不要なほどに、侍従や近衛たちはよくやってくれている。きっと皆元気で、楽しく暮らしていることだろう。
「……兄上たちが、尊ばれるのは……分かるんだ」
少しずつ眠気がやってくる。それでも私の口は何かを語りたいようで、開いて言葉を続けた。ぼうっとした頭が吐き出すまとまりのない言葉を、清玖はしっかりと聞き届けてくれている。
「紫蘭兄上は、王としての務めを立派に果たされているし……、優秀な為政者でいらっしゃる。……柊弥兄上だって、有能な人であることは間違いないし、副王として紫蘭兄上を支えておられる。……兄上方は尊ばれて当然で、尊崇の念を向けられるのも当たり前なんだ。……でも、私は?」
物心ついた時から、ずっと思っていた。どうして皆、髪の色や瞳の色ばかり褒めるのだろう。私が兄上たちのように賢くもなく、剣技にも優れていないから、褒めるところがないのだろうか。どうして私の色ばかりが、褒められるのだろう。そんな不愉快さを孕んだ疑問が、私の中にはずっとあったのだ。
「黒髪黒目というだけで、畏敬の念を向けられるのは……嫌なんだ。……それは私の価値じゃない。私が頑張って得たものじゃない。……そんなもので、私を尊ばないで欲しい」
「皆、黒髪黒目というだけで吉乃を尊んでいるわけじゃないよ」
「……清玖のように、私の本質を見てくれる人もいる。でも、多くの人は外見しか見ていない。それが、……嫌だったんだ」
私が黒髪黒目でなければ、私は無価値だったのだろうか。そんな考えに陥ってしまうことが、今までの人生の中でしばしばあった。そしてその考えは、私から気力を奪い、何をしたって人々は私の色にしか興味が無いんだという諦念に繋がったのだ。
「だからこそ、櫻蓮の言葉が嬉しかった」
櫻蓮は、色を褒めたりはしなかった。勿論、礼儀のように軽く称賛はしてくれたけれど、盛んに褒めちぎるようなことはなかったのだ。彼女は、私の行いを見ていた。姫宮として務める私の姿を。
「苦しんで、悩んで、私が姫宮を務めていることを、褒めてくれた。同じような立場の彼女に言ってもらえたことが、本当に嬉しかったんだ」
姫宮という存在が、この苦界に生きる遊女たちを支えている。そんな言葉に私は支えられた。一人ではないのだと、そう思えたのだ。私は国のため、彼女たちは家族や家のために、己の身を差し出している。私たちが抱く苦悩と艱難は、同一のものだった。
「吉乃が嬉しそうで、俺も嬉しいよ」
清玖の指が私の顎をすくい、上を向かせる。静かに唇が重ねられた。舌先同士が触れ合って、軽く啄み合う。優しい口付けに、頭の中がさらにふわふわとしていった。
「……するの?」
「今夜はしないよ。ゆっくり休んでくれ」
してもいいのに。小さくそう言うと、清玖は一度微笑んで私の額に口付けを落とした。そして、頭を撫でられる。とても気持ちがいい。だんだんと目が開いていられなくなる。私は夢の中へ、船出を始めた。
「おやすみ、清玖」
船が完全に出てしまう前に、私は就寝の挨拶を口にする。なんとかそれを言い終えて、一度深くため息を吐き捨てた瞬間に、私は意識を手放した。最後の瞬間、おやすみ、と清玖が言った声が鼓膜を震わせた。温かい声だった。
夢の中で、私は大きな魚を釣っていたような気がする。清玖と一緒に一本の竿を持って、泉の中の大魚を狙っていたのだ。食いついた魚を釣り上げるときには、淡月や葉桜も一緒になって竿を握ってくれていた。釣り上げた大魚は、私の身の丈よりも大きくて、それを皆で食したのだ。
美味しかったなぁ、と思いながら目を覚まして、それが夢だったと気付く。日光を遮る紗の間を掻い潜り、ほのかに差し込む日差し。それと清玖の視線が私に降り注いでいる。私の顔にかかった髪を指で退けながら、清玖が微笑んでいた。
「何か食べる夢でも見てたのか? ずっと口が、もぐもぐ動いてた」
「……魚を。食べてたんだ。……すごく美味しくて」
「余程、魚料理が気に入ったんだな」
「そう……なのかな」
獣の肉を口にすることは殆ど無いが、それでも魚は数日に一回程度食べていた。食べ慣れていないから、美味しく感じたのではないのだ。皆で釣り大会をして、そこで釣り上げた魚を美味しく調理されたから、格別に美味しく感じた。その全てが楽しかったのだ。
私と清玖のその会話を侍従たちが聞いていたのか、朝食には普段であれば並ぶことのない魚料理が一品添えられていた。白身魚の身に甘い餡がかけられていて、小さく刻まれた柚の皮がちょこんと乗っている。美味しくて、嬉しくて、私は食事中、ずっと頬が緩んでいた。
「櫻蓮、世話になった」
食事を終え、身支度を整え、出発の準備に勤しむ侍従たちを見ながら、淡月が差し出してくれる花茶を飲んでいた。そして、全ての支度が終わり、再び小舟へと移る。見送りは、櫻蓮とその侍従たちがしてくれた。
「とんでもございません。このような粗末な場所でしかお迎えすることが出来ず、恥じ入るばかりでございます」
「そんなことはない。ここから見える夜景は、とても美しかった。きっと、天瀬のどこであっても、あの光景を見ることは叶わない。鳳水でなければ見れない風景を、特等席で見せてもらった。櫻蓮、ありがとう」
跪いていた櫻蓮たちは、私の言葉を聞くと、深く額づいた。思ったままに言葉を述べただけなのだが、どうやらいたく感動してくれたようだ。
「勿体ないお言葉です、宮様」
櫻蓮の声は、僅かに震えていた。美しく、聡明なこの県令を私は尊敬する。この女性を県令に推した兄上たちの慧眼にも敬服した。
本当に、美しい夜景だったのだ。闇の色に合わせて、水は黒々と輝き、そんな水の上に浮いているかのように遊郭が立ち並ぶ。鬼灯色の提灯がいたるところで温かい光をもたらして、それが水面にも映り込んでいた。
女たちのたおやかな声と、小舟を進める水先案内人たちの逞しい掛け声。遊女たちに手招かれ、ふわふわと引き寄せられる男たち。その景色が愛おしく思えた。心無い者には売女だと罵られるであろう遊女たちが力強く生きる姿に、私は励まされたのだ。
「宮様にご多幸が訪れますこと、祈念いたしております」
櫻蓮がおもてを上げて私を見た。芯の通った、強い意思を持つ双眸だった。鳳水という街はきっと、彼女のような人でなければ治められなかっただろう。これからもずっと、彼女がこの街の遊女たちを守ってくれると、信じることが出来た。
「櫻蓮と鳳水、そして紺玄にも、黒闢天の祝福があらんことを」
私が艱難を乗り越えて姫宮という座についたこと。それを理解し、支えと思ってくれる櫻蓮と出会えて私は嬉しかった。こんな喜びが、鳳水で得られるとは思っていなかった。行く先々で得るものがある。これからの道行でもきっと、私は何かを得るのだろう。
櫻蓮に見送られながら、私たちは県令の屋敷をあとにした。
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