下賜される王子

シオ

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◆ 第二章 異邦への旅路

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「良い品が買えて良かった」

 満面の笑みを浮かべて硝子工芸店を出る吉乃。結局は、蘭の模様が施された硝子製の杯を二つ買ったのだ。二人の兄上方へということだった。初めての買い物に興奮している吉乃は、工芸店の店主が商品を包む様をじっと見つめており、店主はやりにくそうにしていた。

 街中を自由に歩き回る吉乃の姿に違和感を覚える。ここが清玄であったなら、今頃、黒の姫宮の出現に民衆が驚き、大騒動になっていたことだろう。皮肉なことではあるが、異国の地にいる方が、吉乃は自由を謳歌できるのだ。

「兄上たちは、喜んで下さるだろうか」
「吉乃が贈るものならなんでも、陛下方は大喜びだよ」

 俺と繋がる手を揺らしながら、吉乃が進む。楽しそうな吉乃の表情を見て、俺の中に多幸感が湧いて出てきた。

「早く渡したいなぁ」
「あと数回夜を超えたらもう清玄だ。黒珠宮が恋しいか?」
「……恋しい。ふるさとを思う気持ちって、こんなにも切ないものだったんだな」

 恋しいと言いながらも、悲しいおもてではなかった。切なさを味わって楽しんでいるようにも見える。黒珠宮から出たことが無いという深窓の王子。そんな吉乃がオルドローズの地に立っているということに、感慨深いものを抱く。

「吉乃、次は何がいい?」

 初めての買い物を終えて、浮足立つ吉乃の目的地を明確にするため、ユーリイ殿下が問いかける。兄上方への土産は買ったので、次は弟君たちの分だ。四人分の土産を買う頃には、日が沈み切っているかもしれない。

「そうだな……、書物とか。そういうもの買える場所はあるだろうか」
「本屋ってことだね。勿論あるよ」

 こっちについてきて、とユーリイ殿下が先頭を歩く。殿下は首都での生活が合わないようで、首都から遠い辺境の都市セーレンの離宮で過ごしているそうだ。その生活を満喫しつつ天瀬との外交を担当しているのだと聞いたことがある。

「書物ということは、四の宮様へ?」
「うん。黎泉には、それしか浮かばなくて。安直かな」
「いや、きっとお喜び下さるさ」

 吉乃と同い年の弟君であらせられる四の宮様。兄弟随一の本の虫で、書庫に籠っている姿ばかりが印象に残っている。そんな四の宮様への土産を探すため、俺たちはユーリイ殿下が勧める本屋へとやって来た。

「どんな本が良い?」
「……どんな、そうだな。……どんなものが良いんだろう」

 到着した本屋は、真新しい煉瓦造りの店が並ぶ街道においては異色を放つ木造建築だった。その様は随分と歴史を感じさせる。光が差し込まず薄暗い構造になっており、いくつもの蝋燭が店内を照らしていた。多くの本が本棚の中に並んでおり、どこを見ても本の背表紙がこちらを見ている。

 どんなものが良いのか、とユーリイ殿下に問われても、吉乃はなかなか答えを返せなかった。吉乃は自分で決めたり選んだりすることが苦手なのだ。それもそうだろう。幼少の頃より、自分で選ぶことを許されなかったのだ。

 食べ物も、着るものも、住む場所も、何もかも定められていた。願いを口にする前に、何もかもが整然と決まっていたのだ。それが分かるからこそ、誰も吉乃を焦らせたりしない。じっくりと悩んで、悩みながら己で決めて欲しいからだ。

「……えっと。オルドの言葉が分からなくても、楽しめる本だといいな。弟は、いくつも言語を知っているけれど、私は知らないから。……弟と一緒に楽しめる本がいい」

 恥ずかしそうにもじもじとしながらも、吉乃はそう述べた。いくつかの言語を習得し、異国の書すら容易く読んでしまう四の宮様であれば、オルドの言葉で綴られた本も読めるのかもしれない。だが吉乃は、自分が分かるものを四の宮様に贈りたかったのだ。そして、二人でその本を眺めたかったのだろう。

 吉乃の要望を受けて、それをオルドの言葉に訳し、書店の店主にユーリイ殿下が問う。大柄で、もじゃもじゃとした白髪と、それに繋がる白髭を生やした店主が歩き出し、大きな一冊の本を持って帰ってきた。それをユーリイ殿下に手渡し、殿下から吉乃に向けられる。

「この店主が、地図はどうかって」

 吉乃が持つには重たい本を俺が受け取り、机の上に本を置いた。その本の表紙を吉乃が開く。随分と分厚い本で、どの頁をめくっても地図が載っていた。俺たち武官が戦略のために用いるような、地形と勾配が記された面白みのない地図ではない。その土地たちが分かりやすいように、特産物や名産品、固有の衣装などが描かれている。

「……地図、か」
「そう。オルドローズの西の果てから、セーレンがある東端までの地図。その周辺国のことも書いてあるし、絵も多い。へぇ、リオライネンまで載ってるのか。随分と最新版の地図だな」
「りお……、なんといったんだ?」
「リオライネン。最近興った小国だよ」
「そんな国があるのか」
「天瀬から見たら、遠い遠い西の先。大陸の果てにある国だ」
「……最近出来た国なら、黎泉も知らないかもしれない。私が教えてあげられるかも」

 多くを教えられず無知に育ってしまった吉乃と、何でも自分で調べて学ぶ四の宮様。二人はあまりにも両極端だった。外への興味や関心を奪うため、吉乃は王であった父に多くの自由を奪われた。そんな吉乃を憐れに思って、多くを学び、吉乃に教えようとしたのが四の宮様なのだそうだ。

 自分に多くの知識を授けてくれた弟に、弟がまだ知らないことを伝える。そんなことを想像したのだろうか、吉乃は嬉しそうに微笑んでいた。

「ユーリ、もう一度教えて。リオ、ラ……、なんと言った?」
「リオライネンだよ」
「リオ、ライネン」

 口に馴染ませるために、何度か呟く吉乃。四の宮様に、黎泉はリオライネンという国を知っているか、とでも問うのだろうか。そんな光景を想像するだけで、微笑ましくなる。俺は、吉乃が他の御兄弟方と楽しく過ごされている姿を見るのが好きだった。

「清玖、知ってた? そんな国があるなんて」

 少しばかりぼうっとしていた俺に、吉乃が問いかけてくる。吉乃と四の宮様のやりとりを妄想なんてしている場合ではなかった。俺は慌てて、意識を目の前に立つ吉乃に向けた。

「いや、知らなかったな。俺たちが気にするのは、琳やオルド、南方諸国のあたりのみだ。その先の国なんて、全く知らない」
「清玖でも知らない国があるんだな」
「俺なんて、全然知らないよ」

 吉乃よりも俺が年上なせいか、吉乃は俺のことを博識で、立派な大人だと思っているふしがある。だが所詮俺は、子供のころから剣ばかり振り回していた人間なのだ。武官になるため、少々の勉強はしたが、必要最低限の知識しかない。遠い国のことなど、門外漢だった。

「これにする。黎泉には、この本を贈りたい。……淡月、どうだろうか」
「宜しいかと思います」
「金額的には?」
「問題ありませんよ」

 天瀬との国境に近いセーレンでは、天瀬の通貨が利用出来る。侍従長殿が懐から出した巾着には、金貨が数枚入れられており、見慣れたそのお金が分厚い地図の本を買い上げた。金額などいちいち気にしなくてもよい身分でありながら、高額ではないだろうかと怯える倹約家の吉乃には好感しか抱けない。

「次はどうする?」
「……実は、双子に贈るかどうかを悩んでて」

 本が包まれている間に、俺は問いかけた。残すは、三人の弟君。どうやら吉乃はまだ、双子の宮様方へ土産を買うかどうかを、まだ決めかねているようだった。

「確かに、五の宮様と六の宮様は各地を巡っておられるから、セーレンの土産を買っていっても物珍しさはないのかもしれない。それでも、吉乃からの贈り物であれば、何だって喜ぶと思う」
「……じゃあ、二人にも買っていくことにする」

 双子の宮様である羅環様と眞早様のことを俺はよく知らない。だが、仲睦まじいあの御兄弟を思えば、きっと喜ぶはずだった。俺の言葉を受けて、吉乃は微笑みながら頷く。書店を出て、久々に太陽の下に立った。周囲を見回しながら、今度はどの店へ行こうかと吉乃が考える。

「あっ」

 控えめな声量で話すことの多い吉乃にしては、大きな声だった。何かを見つけたのか、そちらへ向かって早足で進む。吉乃の動きに合わせて、侍従や近衛が動くため、一群が蠢くようだった。そんな様を、セーレンの人々が不思議そうに眺めている。

 吉乃が向かったのは、可愛らしい雰囲気の店だった。櫛や髪飾りといった女性用の小間物などが並んでいるように思う。そんな店の陳列窓にひっついて、吉乃は硝子一枚隔てた向こう側にある商品を眺めていた。

「清玖、見て。黒猫の置物だ」
「本当だ、オルドにはこういうものもあるのか」
「え? なに? これってそんなに珍しいもの?」

 木彫りの猫が置いてあったのだ。丁度、掌に乗るような大きさのものが。俺と吉乃は珍しいと驚くが、その驚愕の理由が分からないユーリイ殿下が、疑問符を掲げながら俺たちに問う。

「天瀬では、ユーリ、黒色の置物というのは滅多に売られていないんだ。それで、当たり前のように売られていて、少し驚いてしまったんだよ」
「なるほどね、黒への畏敬がそうさせるってことなのかな」

 生き物である黒猫は許されるが、人の手で作られた黒色の置物は恐れ多いと忌避される。人々が黒闢天を深く信奉するがゆえだった。天瀬では見ることのできない黒猫の置物に、吉乃は釘付けになっている。

「黄原で出会った黒猫を思い出す。……これを、蛍星に買って行こうかな」

 港町で出会った黒猫のことが相当心に残っているらしい。本当は飼ってみたいのだろうに、自由を奪うことを恐れてその願いを口に出せない。吉乃は、どこまでも優しい心を持っていた。

「吉乃の分も買ったらどうだ?」
「え?」
「あの黒猫を恋しく思ってるんだろう? その代わりにはならないかもしれないが、思い出の品として」
「でも……、自分に土産って可笑しくないか?」
「別に可笑しくないよ。思い出に買っていくことくらいある。でも、気になるなら、俺が買おうか」

 金額がいくらなのかは分からないけれど、買えない値段ではないだろう。俺も、武官として給金を得ている身だし、そこそこの物ならば無理なく買える。俺の言葉を聞いて、吉乃が驚いたような顔を見せた。そしてすぐに嬉しそうに微笑んで、俺の服の裾をぎゅっと握るのだ。

「……清玖に買ってもらいたい」

 こんな風に言われたら、何でも買ってあげたくなってしまう。尽きぬほどの財を持ちながら、吉乃にあらゆるものを買い与えるような愚行を為さらない国王陛下の克己心を讃えるべきなのか、滅多に何も欲しがらない吉乃の性格を有難く思うべきなのか、俺には分からなかった。

 結局、蛍星への土産は吉乃の代理として淡月が買い、吉乃への土産は俺が買った。他の荷物は全て侍従に預けたが、俺が吉乃へ買った黒猫の置物だけは吉乃が持って歩くと言ったので、侍従長殿はその言葉に従った。嬉しそうに黒猫を握り締めて歩く吉乃は、言葉に出来ないほどに可愛らしかった。


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