泪声

幻中六花

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人を好きになるのに、理由なんていらない。

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 たいていの人とは、この場で一期一会を過ごすだけなので名前など聞かない。『お兄さん』『お姉さん』で呼び合う。
 
 ──けれど、この男は違った。

 その日、明音が歌い終えるまでその場を離れなかったため、真夜中ではあったが冷え切った身体を温めようと、一緒にご飯を食べに行くことになった。
 これは、俗に言う『ナンパ』というものに入るのだろうか。

 この辺は人通りも多くて明るいので、ご飯くらいなら大丈夫だろうと思った明音は、その誘いに乗り、近くにあった中華屋さんに入る。
 身体の芯から冷えていた明音は、中華屋さんのおばちゃんに出された卵スープで骨から溶けていった。
「はーーぁ、あったかい」

 それにしてもこの男。どうしてこんなに人懐っこいのだろう。まるで犬のように、明音にもおばちゃんにも尻尾を振って愛想を振りまく。
 明音はそれとは正反対で、ストリートライブをやっている時以外はかなりの人見知りだった。だから、明音が話題を作らなくても尻尾を振って話を振りまくこの男と一緒にいることが、なんだか不思議とストレスに感じなかったのである。

 ──人を好きになるのに、理由なんていらない。

 どこかで誰かが言っていた。いや、みんな歌っている。
 明音は初めて、その言葉を目の当たりにした。

「名前、なんていうの?」
 男が明音に問う。
「明るい音と書いて、明音あかね。そっちは?」
「海の音と書いて、海音かいと

 2文字目に同じ漢字が入っているだけで運命を感じてしまうくらいに、明音は恋の霧から出られなくなってしまっていた。

「今、同じ漢字が入ってるから運命かも! とか思っちゃった?」
 からかうように海音が言うので、明音は少し反抗した。
「思ってないし!」

「じゃあご飯食べたらそのままサヨナラする? それともこれからドライブでも行く?」
 選択肢を与えてくれたのは、海音の優しさなのだろう。
「ドライブ行ってもいいけど?」
「素直じゃねーな(笑)」

 結局2人はご飯を食べた後、海音の車でドライブに行った。
 すでに0時を回っているが、明音も大人だ。実家暮らしだが門限などは特になかった。
 そんなに遅くなるなんて思わなかったし、小一時間で終わるだろうと思っていた明音だが、そう思った張本人が『まだ一緒にいたい』と思うようになり、初対面ドライブは朝まで続いた。

「海音って、彼女いないの?」
 わざわざその辺で出会った明音をご飯やドライブに誘うくらいだから、彼女はいないんだろうなと思いつつ、一応明音は確認した。
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