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3、保険のこと

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しっかり保険を用意しておこうの回です。
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 賑わう通りから逸れて、少しずつ人のいない裏道へ入る。鞄に詰めていたお古のマントを引っ張り出して羽織る。フードまでちゃんと被って、お綺麗な身なりが多少なったところで、足を速めて市民街を抜けた。

 レンドル公爵家の領地は貧しい土地ではない。だが、それでも貧富の差は存在し、明日のパンさえ危うい人たちが存在している。……前世を知っている身からすれば正直もうちょっと領地運営のしようがあるだろと思わないでもない。コンラッド様が運営に関われるようになったら進言してみるつもりだ。

 さて、そんな人たちのいる貧民街へ赴いて何をするかと言えば、端的に味方作りである。実は物語としての筋書きの中で、コンラッド様たちが貧民街にて1年を過ごした、という描写があるのだ。流行り病で両親を無くし、親類に騙されて幽閉され、ようやく逃げ出したかと思えば貧民街のゴロツキに囚われるという……改めて聞くと酷い設定だ。小説自体は全年齢向けだったからさすがに描写されなかったが、口に出すのも憚られるような扱いを受けていたのは想像に難くない。

 だってあの御面相だ。乳母子の贔屓目で見ても今まさにめちゃくちゃかわいい天使たちだ。これから大きくなって、ますます美しさに磨きがかかるのは当然だろう。私が悪い奴なら絶対に嗜好の輩に高く売る。あるいは自分で愛でる。間違いない。

 …………閑話休題。

 そんなわけで、私はせっせと人脈作りに勤しんでいる。回避のための策も仕掛けてはいるが、いざそういう状況になってしまった時の備えというわけだ。10割私情だが関係ない。私が出すのはパンと安い日用品で、彼らに貰うのは信頼と情報だもの。ほら、公正な取引。

「あっ! クロードさま! こんにちは!」

「やあ、ミミ。元気だったかい?」

「うん!」

 路地裏で遊んでいた、サイズの合わないワンピースを着た小さな少女が、私に気付いてぱっと笑顔になる。たぶん、ご飯をくれるお兄さん、くらいに認識されてるんじゃなかろうか。

「トルクたち、今いる?」

「うん。今日はね、黒いねずみがいるから遠くに行けないんだって」

「そっか。お邪魔するよ。パンも持ってきたから、みんなでお食べ」

「わぁい! クロードさま大好き!」

 きゃっきゃと私の周りで跳ねてはしゃぐ少女と一緒に、さらに奥へ進む。さすがにこの年で貧民街全体を掌握するだとか、顔役を手懐けるだとかは無理があるので、私が懇意にしているのは同じくらいの年頃の孤児たちだ。

「トルクー! クロードさま来たよー!」

 廃屋と廃材と瓦礫で作られた彼らの拠点は、なかなかに立派だ。集める根気と組み上げる知識含めて、私では造れる気がしない。一見板で塞がれた入り口を屈んで通り抜け、数人がたむろしている室内拠点内へお邪魔する。

「クロード様! 久しぶりです。1週間ぶりか」

 ぱっとこちらを見て笑うのが、彼らのリーダー。濃い茶髪に強い黒の瞳が印象的な少年が、トルクと呼ばれる孤児のまとめ役だ。
 ミミと一緒に手洗いうがいを済ませて、それから要件へ。……疫病の件で無理やり習慣化させたからね、私がまず実践しないと。

「そうだね、久しぶり。はいこれ、余り物のパン。あと中古の革靴、安かったから誰か使って」

「いつもありがとうございます」

 バスケットを手渡す。トルクは中身を確認して私へ頭を下げてくれる。それから、後ろの子へ渡されたバスケットはみんなに群がられながら食卓の真ん中に据えられていた。

「何か変わったことあった?」

「あー……いつもどおりかな……? あんたが色々教えてくれるから今週も誰も死んでない。……です。ここ1週間だと、やべー奴らがなんか忙しそうにしてるから、みんな家の近くでおとなしくしてる」

 情報はあるかと尋ねれば、ふらりと目が泳いで何かあっただろうかと思案顔になる。後ろから他の子も話をしてくれるが、トルクの言うこと以上に事件はなさそうだ。誰も死んでいない。喜ばしいことだ。流行り病を警戒して清潔さの重要性を説き、毎回浄化の魔術をこれでもかと掛けていくかいがある。

「やべー奴ら?」

「何回か教えたことあんだろ、黒いねずみ」

「あぁ、騎士団の」

「そうそう。他の大人にも声掛けてるみたいでさ。みんなそわそわしてる。あんたなんか知らねぇ? です、か」

 『黒いねずみ』。俗称として『裏騎士』などと呼ばれている奴らは、おおよそ騎士とは程遠い犯罪者共らしい。公に出来ない貴族の仕事を請け負っているなんて噂があることから誰かが呼び出したと聞いている。……それが本当ならいよいよこの国の貴族はやばい奴らしかいないことになるが。落ち目とはいえ公爵家の領地だぞここは。

 さすがにこれと分かる形で見かけたことはないけれど、貧民街に住む人たちにとっては恐ろしい存在だろう。警戒しておいて損はない。コンラッド様が12歳になったということは、事態が動くのもそろそろなはずだ。

「何かあるとは聞いてないね。ただ、私の主人の関係で敵が動いてるのかもしれない。また何かあったら教えて」

「分かりました。ちゃんと見ておく。クロード様も、気を付けてください」

「ありがとう。無理はしないように」

 余談だが、彼らにーー特にトルクたち年長者にーー敬語を仕込んだのは私である。まだまだ不完全にも程があるけれど、毎回私には使おうと努力してくれている。貧民街で強制されて覚える『奴隷言語』よりは、ちゃんとした敬語の方が印象が良いはずだ。私は、トルクたちをただ使い捨てにしたいわけではないのだから。

「他には何かある? あ、そうだ魔石の魔力足りてるかな? 消毒するついでに補填しとくよ」

「良いのか? ありがとうございます。あんたに料理って教えてもらってから、減りが早くて」

 とりあえず生ものは全部洗って熱して食べろと教えたのは随分前のことだ。この子たち、土付いてても平気で口に入れてたからな。しかも誰が何したかも分からん道端の野草を。慌てて青空教室を開いて料理洗浄熱消毒の費用対効果を説いたのは苦い思い出だ。……今世の基準でもなかなかだぞ。前世基準なら卒倒ものである。

「……なあ、ほんとに良くして貰ってるけどよ。その……見返りとか、良いんですか。いつも飯とか仕事探すついでに見回るだけだし」

 トルクが少し心配そうに尋ねてきた。そう思うのも無理はない。私がトルクたち孤児に頼んでいるのは、貧民街の見回りと報告。それから、私がここに来ていることを公言しないこと。ついでに、もしもここへコンラッド様たちを連れてくることになった場合は匿ってくれるようにもお願いしている。彼らからすればなぜそれが必要なのかはよく分かっていないだろう。私は正体を明かしていないし、普通ならこんなは考えない。普通の貴族なら。

「良いんだよ。私は君たちのためじゃなくて、私の主人のためにやっているからね。これだけ良くしてあげていれば、いざってとき断り辛いだろう?」

 まあ、私は普通ではないので。引き継ぎニューゲームが叶った男なので、保険は掛けられるだけかけておいて損ないと思っている。変に『君たちのためだよ』とか言っても怪しいので、4年前トルクに会った時から『主人のいざという時の備えです』を貫いている。逆に信用はできるはずだ。私の行動理由は主人たちの、ついでに私の幸せと安全ただ一択である。味方は優遇するが、それ以外は知らん。

「そりゃそうですけど……魔石って高いんだろ。補填するのも……使い捨てじゃない魔石とか、ココじゃ見ないです」

 魔石の特性上、手に入れるには生き物を殺すか死体を漁る必要がある。犬や猫の持つ使い切りサイズならともかく、繰り返し使える魔石ともなれば大型の獣か魔獣を狙わなければならない。故に、高価だ。彼が言いたいのはそういうことだろう。……野良の死骸から取り出す方法を教えたから、どこかに売りに行ったかな。それで金額を知ったんだろう。

「良いんだって、私のためにやってるんだ。でも大人たちには見せないようにね。取られると困る」

「はい……」

 トルクはどうにも釈然としない顔をしている。この集団の中だとこの子が1番賢いんじゃないかな。1番年上だし。私たちの周りを付いて来てはしゃぐ小さい子なんかは純粋に懐いてくれてるように見える。拠点内にくまなく浄化の魔術をかけて回る私の真似をしている子もいるから、余裕があるなら魔力の有無を調べて生活魔法を教えても良いかもしれない。

「……それじゃあ、もう1個仕事を頼もうかな」

「えっ」

 私的には充分釣り合った報酬なのだけれど、彼にはそう見えないのかもしれない。だったらお願いを追加しても良かろうと、私は彼に笑いかける。

「このあたりで、人が住めそうな塔を探してほしいんだ。高くて煉瓦造りのやつ。それっぽいのなら何でも構わないけど、魔力が無いと入れない造りのやつなら最高だね」

「……それ、も、あんたらのためになるのか?」

「うん」

 コンラッド様たちが幽閉される場所だからね、そこ。小説だと誰も昇降機の使い方を知らず、外に出られなかったのだ。結果強引な脱出方法を選んで、ジョン坊ちゃんのトラウマになっている。事前にどういうものか分かっていれば対策出来るし、外にも出られるかもしれない。詳しく描写されたわけではないから見つかるかどうか分からないけれど、手は打っておくに限る。あんなかわいい幼児を怖い目になんて合わせたくないし。

「分かった! 1週間で貧民街の建物全部調べてやる! あんたには世話になってるんだ」

 お願いの意味は分からないけれど、やる気は出してくれたようだ。喜ばしい。彼がやるなら他の孤児たちも従うだろう。

「無理はしないようにね」

「おう!」

「……返事」

「あっ、はい!」

 私以外に使う機会もないんだろうけどさ。ぐっと拳を握って答えたトルクにそっと訂正を促して、怒ってないよと笑っておく。周りの子たちも賛同してくれていた。こうなるよう仕組んで振る舞ったところはあるけれど……やっぱり慕ってもらえると嬉しいね。正当な機会があればコンラッド様たちへも紹介してあげたいくらいだ。

「今度来る時はお勉強の時間も取ろうね。今日は急ぐから戻るよ」

「送って行きましょうか」

「お願いしようかな」

「はい!」

 彼らは子供だが、だからこそ危険のない道を良く知っている。嬉しそうなトルクを含む数名に連れられて、私は彼らの家を後にした。


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Tips レンドル公爵領

ブロンデル皇国の北東に位置する公爵家の領地。海はないが比較的温暖で、国境に面している重要拠点である。特産品は鉱石と工芸品、果樹など。貿易で人の出入りがあり、通常時は騎士団の警備もあって治安の良い賑わいを見せている。ただし、貧民街と呼ばれる区画があることからも分かるが、貧富の差は激しい。
疫病が流行ってからは国境を越えての行き来は少なくなっている。また、交易都市にも関わらず、何故か他と比べて疫病による死者数は少ないようだ。
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