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第1話
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しおりを挟む気性の荒い馬は他に何頭もいるが、昂呀は特に手に負えない。御馬監の内監らは、寵姫翠玲の愛馬だからと暫くは奮闘していたものの、誰も彼もが蹴られたり噛まれたりしてどうにもならなくなったらしい。世話すらままならないと泣きつかれた翠玲は、連日のように百駿園に顔を出すようになった。
仁瑶も花純の世話の他、新たに献上された仔馬の馴致を行っているため、必然的に翠玲と会う頻度が増える。
何度か言葉を交わすにつけ、仁瑶が利己心で近づいたわけではないと翠玲も気づいたのだろう。当初よりも身がまえる素振りが少なくなった。
馬同士も仲良くなったのか、花純がいれば昂呀は機嫌良さそうにしている。
「殿下はご結婚なさらないのですか」
朝靄けぶる早朝。柵の向こうで青草を食べている二頭を眺めていた翠玲が、不意に問うてきた。
「我が国の太子は、殿下のお気に召しませんか」
翠玲の従兄でもある琅寧王太子は、数年前から仁瑶に求婚し続けている。翠玲が此度煌蘭国へ献上されたのも、帝君の機嫌を取っておけば仁瑶の降嫁を願いやすいという王太子の思惑あってのことだろうと予想していたが、どうやら当たっていたようだ。
(……永宵に進言してはぐらかされでもしたのか)
仁瑶は翠玲に笑みを返した。
「琅寧の後宮に入る気はありません」
「では、すでによいお相手がいらっしゃるのでしょうか。殿下ほどのかたであれば、縁談も引く手数多でしょう?」
大国である煌蘭と縁を結びたい国は多い。
永宵のもとへ国内外から王侯貴族の子息子女が嫁いでいるのと同様、皇兄であり下邪種の仁瑶に対しても、冠礼前から縁談が複数申し込まれていた。
さりとて、仁瑶はそれらをすべて断っている。
「そういう相手もおりません。今は弟の補佐で手一杯なので、縁談はどなたからもお受けしていないのです」
首を横に振って答えれば、翠玲は蛾眉をひそめた。
皇族や王族に生まれた下邪種は、二十歳までには必ず嫁ぐ。他国の王や有力な家門の子を産み、国益に貢献するのが役目であるからだ。
二十五という年齢まで独り身でいる仁瑶は、下邪のなかではひどく異質だった。
「ですが、帝君の御為にも、ずっとおひとりでいらっしゃるべきではありません。颯憐太子は文武にも長けておりますし、草原のどの国の天陽種にも劣らぬ美丈夫です。琅寧の民として、おふたりが結ばれてくださればとても喜ばしく思います」
翠玲も、仁瑶が下邪種としての義務を果たしていないように感じるのだろう。こちらを気遣うようでいて、声音は硬さを帯びている。
仁瑶は微笑った。
「颯憐太子には何人も奥方がいるでしょう。今更私が嫁がずとも、問題はありません」
「……殿下」
「翠玲様の前で申しあげるのもどうかと思いますが、私は寵愛をめぐって諍い合うのが嫌いなのです。こちらに争う気がなくとも、後宮に入れば誰かしらから疎まれ、陥れられるのが必定。都合よく利用されることもあるでしょう。なにより、後宮では情が命取りになります。国のためとはいえ政略を優先し、真心を交わしあうこともできない相手に嫁ぐなど、私は御免です」
「しかし、それが我々下邪種の義務ではありませんか。それに政略が絡むとはいえ、颯憐太子は殿下のことを心から想っておいでです。正妻の座も、殿下のために空けているのですよ」
反駁する翠玲に、仁瑶は眉宇を下げる。
「帝位につく者の情など、この世で最も信用に値しないものですよ。深い情があるのは一時だけ。興味が失せるか容色が衰えるか、あるいは利用価値がなくなったら見向きもされなくなるのです。心を預けてよい相手ではありません」
翠玲は面食らった顔をしていた。異母弟が皇帝位についているというのに、なんという言い草かと思ったのかもしれない。
「……殿下は、伉儷をお探しなのですか」
翠玲が声を低めて問うてくる。
天陽種と下邪種の番のうち、特に天意によって結ばれたものを伉儷という。宗室に生まれながら、ただひとりに愛されたいという仁瑶に、翠玲は呆れたのだろう。
そんなことは下邪種の役目を放棄する理由にはならないとばかりに、顔をしかめて仁瑶を見る。
責めるような眼差しを受け流し、仁瑶は寄りかかっていた柵から離れた。そろそろ朝餉の時刻だ。
「私はいい加減な男なので、颯憐太子の正妻には相応しくないのです。もし琅寧に文を出すことがあれば、そうお書きください」
揖礼した仁瑶に、翠玲はなにも言わずに礼を返す。
きっと失望されたのだろう。以降、翠玲は顔を合わせても、形式的な挨拶しか口にしなくなってしまった。
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