皇兄は艶花に酔う

鮎川アキ

文字の大きさ
16 / 132
第2話

2-8

しおりを挟む

「ッぁ、やめ……ぇっ」
 番のいない下邪はうなじを皮革で隠す。万が一外で発情期を迎えてしまった際などに、天陽種に咬まれないようにするためだ。
 反射的にうなじを庇おうとした仁瑶を制して、翠玲が覆い被さってくる。
 官能にかすれた声音が、すぐ近くで響いた。
「わたしのものになって」
 熱い吐息が首筋を撫で、ぞわりと肌膚が粟立つ。声を出す間もなく、うなじに鈍い痛みが走った。膚を咬まれたのだと悟ると同時に、心臓が嫌な音をたてる。
 ――永宵と間違われている。
 そう思った途端、仁瑶の中でなにかがはじけた。
「ッ――!」
 腕を掴んでいた翠玲の手を振りほどき、熱に浮かされている躰を突き飛ばす。そうして衣の前を掻き合わせ、牀榻から飛び降りた。
 帷帳を跳ねあげ、まろぶように臥室を出る。背後で翠玲のうめく声が聞こえ、控えていた華桜と燕児から驚いた顔を向けられたたけれど、かまう余裕などない。
 足を踏み出すごとに涙がこぼれた。
 胸が痛くて、わけがわからないまま走り続けた。人目を避けるようにして紅牆の路をどう通ったか、涙で歪んだ視界がまともに風景を捉えた時には、百駿園ひゃくしゅんえんの馬場までやって来ていた。
 柵の前でようやく足をとめた仁瑶に、青草を食んでいた花純ファジュンが気づいて駆け寄ってくる。
 仁瑶は気が抜けたようにその場にくずおれた。
 まるで息の仕方を忘れてしまったかのように苦しい。
 翠玲は朦朧としていた。そんな状態の時に額にくちづけなどすれば、永宵と間違われるのは当然だろう。立場をわきまえず、度を越した仁瑶が悪い。
 頭ではそうわかっていても、胸が痛くて仕方なかった。
 嗚咽を押し殺し、咬まれたうなじに触れれば、指先があかく染まる。
 下邪が天陽種のうなじを咬んだとしても、番の印を刻みつけることはできない。それなのに、こんなにも強く、血がにじむほど歯をたてるなんて、翠玲の永宵に対する情の深さはどれほどのものか。
「……っ」
 仁瑶はくちびるを噛んだ。
 脳裏では、わたしのものになって、という翠玲の言葉がくり返し響いている。
 慾を出したばかりに、翠玲の心がけして仁瑶の手には入らないことを思い知らされてしまった。
 うなじの肌膚を灼くような鈍い痛みは、莫迦な真似をした報いだろう。
 花純が柵から顔を出し、どうしたのかと案じるように仁瑶のほうへ鼻を押しつけてくる。
 胸がひどく冷えて、たまらなく悲しい。
 暗涙あんるいむせぶ仁瑶は、探しに来た紅春に見つかるまで、青草の上にうつ伏していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

さかなのみるゆめ

ruki
BL
発情期時の事故で子供を産むことが出来なくなったオメガの佐奈はその時のアルファの相手、智明と一緒に暮らすことになった。常に優しくて穏やかな智明のことを好きになってしまった佐奈は、その時初めて智明が自分を好きではないことに気づく。佐奈の身体を傷つけてしまった責任を取るために一緒にいる智明の優しさに佐奈はいつしか苦しみを覚えていく。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

白金の花嫁は将軍の希望の花

葉咲透織
BL
義妹の身代わりでボルカノ王国に嫁ぐことになったレイナール。女好きのボルカノ王は、男である彼を受け入れず、そのまま若き将軍・ジョシュアに下げ渡す。彼の屋敷で過ごすうちに、ジョシュアに惹かれていくレイナールには、ある秘密があった。 ※個人ブログにも投稿済みです。

アルファ王子に嫌われるための十の方法

小池 月
BL
攻め:アローラ国王太子アルファ「カロール」 受け:田舎伯爵家次男オメガ「リン・ジャルル」  アローラ国の田舎伯爵家次男リン・ジャルルは二十歳の男性オメガ。リンは幼馴染の恋人セレスがいる。セレスは隣領地の田舎子爵家次男で男性オメガ。恋人と言ってもオメガ同士でありデートするだけのプラトニックな関係。それでも互いに大切に思える関係であり、将来は二人で結婚するつもりでいた。  田舎だけれど何不自由なく幸せな生活を送っていたリンだが、突然、アローラ国王太子からの求婚状が届く。貴族の立場上、リンから断ることが出来ずに顔も知らないアルファ王子に嫁がなくてはならなくなる。リンは『アルファ王子に嫌われて王子側から婚約解消してもらえば、伯爵家に出戻ってセレスと幸せな結婚ができる!』と考え、セレスと共にアルファに嫌われるための作戦を必死で練り上げる。  セレスと涙の別れをし、王城で「アルファ王子に嫌われる作戦」を実行すべく奮闘するリンだがーー。 王太子α×伯爵家ΩのオメガバースBL ☆すれ違い・両想い・権力争いからの冤罪・絶望と愛・オメガの友情を描いたファンタジーBL☆ 性描写の入る話には※をつけます。 11月23日に完結いたしました!! 完結後のショート「セレスの結婚式」を載せていきたいと思っております。また、その後のお話として「番となる」と「リンが妃殿下になる」ストーリーを考えています。ぜひぜひ気長にお待ちいただけると嬉しいです!

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

藤吉めぐみ
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

処理中です...