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第2話
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幼い頃から仕えてくれている華桜と燕児は、なにをする気力も失せてしまった翠玲を心配していた。だからといって、彼らに不調の理由を打ち明けるわけにもいかない。どこからか話が漏れ、仁瑶に迷惑がられるかもしれないと思うと、翠玲は膨れあがった気持ちをいっそう抑え込むしかなかった。
ある時、倦んだ日々を過ごしていた翠玲のもとに、永宵から久々の遣いがやって来た。昼餉の席に参加するようにと伝えられ、その場には仁瑶も同席するという。
近づくべきではないと心に決めたはずなのに、仁瑶に会えると思えば、胸の奥が湧きたった。翠玲は喜びで緩みそうになる口もとを袖で押し隠し、勘違いしてはいけない、と内心でくり返す。
仁瑶は単に、琅寧との友好のために永宵と翠玲の仲を改善しようとしているだけだろう。ならばその気遣いに反せぬようにと、翠玲は甜湯を用意した。そうして、仁瑶にしおたれた姿を見せるわけにはいかないと、常よりも念入りに装いを凝らす。
冷静にと思っても、知らず心は浮きたっていたのだろう。女官が翠玲を陥れようとしていたことに、気づきもしなかった。
昼餉の席で窮地に立った翠玲の脳裏を真っ先にかすめたのは、仁瑶に失望されたのではないかという恐怖だった。
永宵から詰問される間、仁瑶は口をひらかなかった。それはつまり、翠玲を見限ったということではないのだろうか。冷や汗が頬を伝い、燕児に支えられながら殿舎に戻ったあとも、心臓が嫌な音をたて続けていた。
罪がなくとも、帝君のご宸襟ひとつで有罪にされるのが宮中である。
翠玲が皇帝殺しを謀ったと見做されれば、父王にも琅寧の民にも影響が出る。
けれど、それよりなにより、仁瑶の反応が気がかりだった。妃嬪たちに疎まれても、永宵から疑われても、仁瑶にだけは軽侮の眼差しを向けられたくない。自分の中で、どうしてこんなにも仁瑶の存在が大きくなってしまったのか、翠玲自身不思議でならなかった。
禁足を言い渡された翠玲を、周囲は遠巻きにした。後見である皇貴太妃も、此度は翠玲を庇うことができなかった。
後宮でのおのれの立場が悪くなっていくことは、宝珠宮に閉じ込められていても感じられた。定期的に届けられる日用品や絹などは粗悪なものばかりになり、食材にも腐ったものや黴の生えたものがまじる。
失寵どころか、帝君の怒りを買った翠玲に気を配る者など、誰ひとりいなかった。――誰ひとり、いないはずだったのだ。
(仁瑶様……)
固く閉ざされた門の中に手を差し伸べてくれたのは、他ならぬ仁瑶だった。
仁瑶は翠玲の待遇を憂い、日々の消耗品や絹、新鮮な食材に薬材などを届けてくれた。
翠玲を見つめる瞳に軽侮の色はなく、むしろこちらを気遣うようなやわらかなものがにじんでいた。
随喜にふるえる一方で、翠玲は心配になる。禁足中の妃嬪に物を贈れば、皇宮内での仁瑶の立場が悪くなるのではないだろうか。
そう尋ねれば、仁瑶は微笑ってなんとでも弁明できるからと答えた。そうして、側仕えの太監を示し、不足があればいつでも申しつけてくれとも。
『殿下がなにをお望みなのかはわかりかねますが、今のわたしではお役にたてないかと』
思いもよらない事態に混乱して、翠玲はまた不躾なことを口走ってしまった。はっとして絹団扇で顔を隠したけれど、仁瑶は怒るでもなく、穏やかに笑み含んだ。
『私の望みは、寧嬪がお健やかに過ごされることですから』
社交辞令だったとしても、そんなふうに言ってもらえて嬉しかった。翠玲に罪がないと、仁瑶は信じてくれているのだとわかって、泣きそうになった。
その日以来、仁瑶は頻繁に宝珠宮を訪れてくれた。忙しい時には紅春を寄こし、不自由がないよう、なにくれとなく世話を焼いてくれる。
たとえそれが琅寧への配慮だったとしても、翠玲は最早気にならなかった。
一番信じてほしかったひとが、翠玲の無実を信じてくれている。翠玲のことを気遣ってくれている。
胸裡にくすぶっていた不安は、嘘のようになくなっていた。
ある時、倦んだ日々を過ごしていた翠玲のもとに、永宵から久々の遣いがやって来た。昼餉の席に参加するようにと伝えられ、その場には仁瑶も同席するという。
近づくべきではないと心に決めたはずなのに、仁瑶に会えると思えば、胸の奥が湧きたった。翠玲は喜びで緩みそうになる口もとを袖で押し隠し、勘違いしてはいけない、と内心でくり返す。
仁瑶は単に、琅寧との友好のために永宵と翠玲の仲を改善しようとしているだけだろう。ならばその気遣いに反せぬようにと、翠玲は甜湯を用意した。そうして、仁瑶にしおたれた姿を見せるわけにはいかないと、常よりも念入りに装いを凝らす。
冷静にと思っても、知らず心は浮きたっていたのだろう。女官が翠玲を陥れようとしていたことに、気づきもしなかった。
昼餉の席で窮地に立った翠玲の脳裏を真っ先にかすめたのは、仁瑶に失望されたのではないかという恐怖だった。
永宵から詰問される間、仁瑶は口をひらかなかった。それはつまり、翠玲を見限ったということではないのだろうか。冷や汗が頬を伝い、燕児に支えられながら殿舎に戻ったあとも、心臓が嫌な音をたて続けていた。
罪がなくとも、帝君のご宸襟ひとつで有罪にされるのが宮中である。
翠玲が皇帝殺しを謀ったと見做されれば、父王にも琅寧の民にも影響が出る。
けれど、それよりなにより、仁瑶の反応が気がかりだった。妃嬪たちに疎まれても、永宵から疑われても、仁瑶にだけは軽侮の眼差しを向けられたくない。自分の中で、どうしてこんなにも仁瑶の存在が大きくなってしまったのか、翠玲自身不思議でならなかった。
禁足を言い渡された翠玲を、周囲は遠巻きにした。後見である皇貴太妃も、此度は翠玲を庇うことができなかった。
後宮でのおのれの立場が悪くなっていくことは、宝珠宮に閉じ込められていても感じられた。定期的に届けられる日用品や絹などは粗悪なものばかりになり、食材にも腐ったものや黴の生えたものがまじる。
失寵どころか、帝君の怒りを買った翠玲に気を配る者など、誰ひとりいなかった。――誰ひとり、いないはずだったのだ。
(仁瑶様……)
固く閉ざされた門の中に手を差し伸べてくれたのは、他ならぬ仁瑶だった。
仁瑶は翠玲の待遇を憂い、日々の消耗品や絹、新鮮な食材に薬材などを届けてくれた。
翠玲を見つめる瞳に軽侮の色はなく、むしろこちらを気遣うようなやわらかなものがにじんでいた。
随喜にふるえる一方で、翠玲は心配になる。禁足中の妃嬪に物を贈れば、皇宮内での仁瑶の立場が悪くなるのではないだろうか。
そう尋ねれば、仁瑶は微笑ってなんとでも弁明できるからと答えた。そうして、側仕えの太監を示し、不足があればいつでも申しつけてくれとも。
『殿下がなにをお望みなのかはわかりかねますが、今のわたしではお役にたてないかと』
思いもよらない事態に混乱して、翠玲はまた不躾なことを口走ってしまった。はっとして絹団扇で顔を隠したけれど、仁瑶は怒るでもなく、穏やかに笑み含んだ。
『私の望みは、寧嬪がお健やかに過ごされることですから』
社交辞令だったとしても、そんなふうに言ってもらえて嬉しかった。翠玲に罪がないと、仁瑶は信じてくれているのだとわかって、泣きそうになった。
その日以来、仁瑶は頻繁に宝珠宮を訪れてくれた。忙しい時には紅春を寄こし、不自由がないよう、なにくれとなく世話を焼いてくれる。
たとえそれが琅寧への配慮だったとしても、翠玲は最早気にならなかった。
一番信じてほしかったひとが、翠玲の無実を信じてくれている。翠玲のことを気遣ってくれている。
胸裡にくすぶっていた不安は、嘘のようになくなっていた。
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