皇兄は艶花に酔う

鮎川アキ

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第8話

8-12

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 季節が本格的な夏へと移ろった頃、翠玲は皇宮へ呼ばれた。急いで参内すれば、紅春から永宵のもとへ、仁瑶の体調が芳しくないという報告が届いたという。
『兄上に発情期が来てしまったようだ』
 永宵の言葉に、翠玲は色を失った。
 ――万が一、どこの誰ともわからぬ天陽に仁瑶のうなじを咬まれてしまったら。
 紅春が傍にいても防ぎきれるとは限らない。
 焦りをにじませた翠玲に、永宵は溜息まじりに寧安へ向かうよう続けた。
 言われるまでもなくそうするつもりだ。
 翠玲はその日のうちに王府を出、数日かかる道のりを急いた心地で進んだ。途中、馬の疲労を鑑みて休息日も挟んだため、寧安へ着くまでに一週間ほどかかってしまった。その後紅春と連絡を取り、寧安刺史の屋敷へ向かったのは八つ時を少し過ぎた時分だった。
 祥媛しょうえん王妃として黄氏と簡単に挨拶を交わし、紅春の案内を受け仁瑶のいる後罩房はなれへと足早に向かう。
 頬をかすめた風が、木蓮の匂いを纏っている気さえしていた。そうして、本能に追い立てられるように目の前の扉に手を伸ばしたところで、脇から「お待ちください」と声がかかった。
『そこは殿下のお房室ですわ。仕える者以外、どなたも入ることはできません』
 首を動かせば、若い令嬢が翠玲を咎めるように見ていた。
 可愛らしい容貌に、少しばかり気の強そうな瞳。微笑えば愛嬌がこぼれるのだろうくちびる。まろい頬がほんのりと朱に染まっているのは、化粧ではなく扉の外まで漏れてくる甘い匂いにあてられたせいだろう。
 番のいない天陽種なら、否、たとえ番がいたとしても、天色天香と謳われる仁瑶の肌香を嗅いで我慢ができるはずがない。この女も、今は扉の外にいるからこそどうにか理性を保っていられるのだと思うと同時に、本能を押し殺してまで仁瑶を守ろうとする仕草に妬心がこみあげてきた。
 傍にいた紅春が「雪花殿、このかたは」と言いかけたのを遮り、低い声で告げる。
『わたしは仁瑶様の妻だ、おまえに指図される謂れはない』
 威嚇するように睨めば、目の前の女は怯んで後ずさりした。なにか言おうとした女にかまわず、翠玲は房室へ足を踏み入れる。後ろ手で扉を閉めてしまえば、外の喧騒など気にもならなくなった。
 房室に入った途端、湧きあがっていた怒りは底をつき、翠玲は美しい組子の落地罩の前でたたらを踏む。
 甘い匂いがいっそう濃さを増し、まるで花園にいるかのようだ。
 翠玲は今にも暴れそうになる本能をねじ伏せ、落地罩の奥へ向かった。
 室内は静寂に包まれていたものの、耳を澄ませばかすかに苦しげな呼吸音がする。休んでいる仁瑶を驚かせぬよう慎重に牀榻へ近寄ろうとして、翠玲は不意に足をとめた。
 牀榻にいる仁瑶が、入ってきた者を確認するようにこちらを見ていたのだ。
 ぼんやりと瞬きする双眸は熱で濡れており、しどけなく垂れた香色こういろの髪がいかにも情慾をそそらせる。
 さりとて、それら以上に翠玲の心を掻き乱したのは、仁瑶がうずくまっている衣の山だった。
「仁瑶様」
 声をかけても、仁瑶が身がまえる素振りはない。
 翠玲は胸中に喜びがあふれるまま、ほんのりとくちびるをほころばせた。
 仁瑶がくるまっていたのは、先だって翠玲が届けさせた寝衣だ。牀榻の上に花びらのように敷き詰められたそれらを見つめていると、仁瑶が慌てたふうに身を起こした。
 巣をつくっていたのかと尋ねれば、仁瑶の頬はみるみるうちに朱に染まっていく。その変化さえ愛らしくて、翠玲は面映ゆい心地になった。
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