鳳花春閨伝―死に戻りの皇帝は四人の妃に愛される―

鮎川アキ

文字の大きさ
20 / 64
第2話

2-3

しおりを挟む

 命を守ってやることも、死に目に会うこともできなかった。もしかしたら、これは泥梨ないりへ落ちる前に赦された夢なのかもしれない。そう思うと同時に、じんわりと熱くなった胸の奥で、鼓動が響いているのを感じてはっとする。
 ――こと黄泉路に至って、心臓が動くなどあり得るだろうか。
「……っ」
 紗琰は息を呑み、咄嗟に首もとをさすった。瓊祥の手で首を絞められた感覚はまだありありと残っているのに、喉もとでは確かに血管が脈打っている。
 黄泉の国ではないのだとしたら、今自分はどこにいるのか。
 恐怖とも期待ともつかない感情がこみあげてきて、紗琰はおそるおそるあたりを見廻した。
 花酒の匂いが満ちる殿内。衝立を隔てた向こうでは、にこやかに杯を交わす顕官けんかんらの姿がある。柱や梁には紅絹もみの花飾りと双喜字の紋様が飾られており、開け放たれた廂の外では、穏やかな楽の音に戯れるかのように桃の花が枝を揺らし、月影にあえかな花びらが舞っていた。
 さらに視線を落とせば、紗琰が身に纏っているのは深紅の婚礼衣裳であり、金銀の糸で縫い取られた百花と龍の紋様を捉えた瞬間、息を呑む。
(嫣寧との太婚たいこんの夜に戻ったのか……?)
 大々的な祝宴をひらいての婚礼。曖昧に浮かぶ記憶の断片をどうにか手繰り寄せれば、かつての情景が脳裏に甦った。
(そうだ、あの時も酔ってしまって。それで玲玉からもらった酸梅湯を飲んで、嫣寧の閨へ行ったんだったか……)
 今の状況は、まさに過去の出来事そのもの。
 紗琰は息をつめて、もう一度自分の脈を確認した。肌の下には確かに血潮の熱があり、鼓動を刻んでいる。
 さりながら、死んで過去へ生き返るなど聞いたこともない。
 なぜ、と眉を寄せかけて、腰に下げていた玉佩が目についた。精緻な細工で木蓮の花が彫られた玉佩が、燭火を浴びてあえかにきらめいている。
 紗琰のくちびるから、声にならない声が漏れた。
 前世、紗琰がこの玉佩を身につけることはほとんどなく、普段は自室の小棚に大切にしまっていた。当然、太婚の場に持ち出した覚えもない。
 けれど、木蓮の玉佩は、紗琰の身を飾ることこそおのれの使命だと言わんばかりの顔をして、しっかりと帯に結ばれている。
 ふと、忘川河ぼうせんがの深淵に引きずり込まれたことを思い出した。渦巻く濁流から紗琰を守ってくれたのは、他でもないこの玉佩である。
(嫣寧の魂が、やり直す機会をくれたのだろうか……)
 やわらかな光とともに、嫣寧が自分を呼ぶ声を聞いた気がする。
 溺れた紗琰を、一度ならず二度までも救ってくれたのだと思うと、すぐにでも嫣寧の待つ紅閨こうけいへ向かいたい衝動に駆られた。
 だが、過去へ戻ってきたのなら、紗琰にはやらねばならないことがある。
 こみあげてくる情動をぐっと押し殺し、紗琰は玲玉の手を借りて立ちあがった。
「父上のところへ行く」
 紗琰が太婚を挙げた時、父皇は病を理由に太上皇の位へ退いていたとはいえ、病状はそれほどひどくなかった。それから徐々に悪化し、ちょうど一年後に崩御したのだ。
 ――紗琰は、おのれが死ぬ間際の喧騒を覚えている。瓊祥のもとへ駆け込んできた宦官は、ホウ太医が父皇の毒殺について洗いざらい証言したと言っていた。
 包太医は、叔父である孝賢王の主治医だった。それがなぜ父皇の主治医となったかといえば、もともと役目を負っていたシュウ太医が高齢を理由に暇を乞うたためだ。包太医は彼の一番弟子であり、孝賢王の推薦もあったため、父皇も役目を引き継ぐことを認めたのである。
(暇乞いから暫くして、周太医は亡くなったはず。もしかすると、その死にも関与していたのかもしれない)
 労無くして太上皇付きとなった包太医は、孝賢王の命を受けて、父皇の薬湯に遅効性の毒でも仕込んでいたのだろう。あるいは薬餌やくじと称して、食べ合わせの悪いものでも与え続けたか。
 とにかく、前世のように父皇を死なせるわけにはいかない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由

スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの二人は、スキルを得た事で魔王討伐に旅立つ勇者と彼の帰還を待つだけのただの親友となる。 勇者と親友の無自覚両片想いのじれったい恋愛の物語。

遊び人殿下に嫌われている僕は、幼馴染が羨ましい。

月湖
BL
「心配だから一緒に行く!」 幼馴染の侯爵子息アディニーが遊び人と噂のある大公殿下の家に呼ばれたと知った僕はそう言ったのだが、悪い噂のある一方でとても優秀で方々に伝手を持つ彼の方の下に侍れれば将来は安泰だとも言われている大公の屋敷に初めて行くのに、招待されていない者を連れて行くのは心象が悪いとド正論で断られてしまう。 「あのね、デュオニーソスは連れて行けないの」 何度目かの呼び出しの時、アディニーは僕にそう言った。 「殿下は、今はデュオニーソスに会いたくないって」 そんな・・・昔はあんなに優しかったのに・・・。 僕、殿下に嫌われちゃったの? 実は粘着系殿下×健気系貴族子息のファンタジーBLです。

イケメンダブルセンターとアンチ>ファンな平凡な俺

スノウマン(ユッキー)
BL
アイドルグループ【オーバーウェルミング】は圧倒的な歌唱力の深山影月、圧倒的なパフォーマンス力の漣陽太、そして圧倒的な平凡力な俺間桐真緒の3人で結成されている。  大人気の二人と違いアンチしかいない俺だが、メンバーからもファンからも愛される日が果たしてくるのか!?

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

最愛の番になる話

屑籠
BL
 坂牧というアルファの名家に生まれたベータの咲也。  色々あって、坂牧の家から逃げ出そうとしたら、運命の番に捕まった話。 誤字脱字とうとう、あるとは思いますが脳内補完でお願いします。 久しぶりに書いてます。長い。 完結させるぞって意気込んで、書いた所まで。

断罪回避のために親友と仮婚約したはずが、想像以上に執着されていた。

鷲井戸リミカ
BL
ある日アーサーは、自分がネット小説の世界に転生していることに気が付いた。前世の記憶によれば親友のフェルディナンドは、悪役令息という役割らしい。最終的に婚約者から婚約破棄され、断罪後は国外追放されてしまうのだとか。 大事な親友が不幸になるのを見過ごすわけにはいかない。とにかく物語の主人公たちから距離をとらせようと、アーサーはフェルディナンドを自分の婚約者にしてしまった。 とりあえず仮婚約という形にしておいて、学園を卒業したら婚約を解消してしまえばいい。そう考えていたはずがアーサーのとある発言をきっかけに、フェルディナンドの執着が明らかになり……。 ハッピーエンドです。

こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡

なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。 あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。 ♡♡♡ 恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!

薄紅の檻、月下の契り

雪兎
BL
あらすじ 大正十年、華やかな文明開化の影で、いまだ旧き因習が色濃く残る帝都。 没落しかけた名家に生まれた“Ω(オメガ)”の青年・白鷺伊織は、家を救うため政略的な「番(つがい)」として差し出される運命にあった。 しかし縁談の相手は、冷酷無慈悲と噂される若き実業家であり“α(アルファ)”の当主・九条鷹司。 鉄道・銀行事業で財を成した九条家は、華族でもありながら成り上がりと蔑まれる存在。 一方の伊織は、旧華族の矜持を胸に秘めながらも、Ωであるがゆえに家族から疎まれてきた。 冷ややかな契約婚として始まった同居生活。 だが、伊織は次第に知ることになる。 鷹司がΩを所有物としてではなく、一人の人間として尊重しようとしていることを。 発情期を巡る制度、番契約を強制する家制度、そして帝都に広がる新思想。 伝統と自由のはざまで揺れながら、二人は「選ばされた番」から「自ら選ぶ伴侶」へと変わっていく——。 月明かりの下、交わされるのは支配ではなく、誓い。 大正浪漫薫る帝都で紡がれる、運命を超える愛の物語。

処理中です...