40 / 64
第3話
3-3
しおりを挟む
痺れた肌の感覚で、見えずとも二輪目の花痣が刻まれたのだとわかる。
紗琰は軽く頷くと、希月のほうへ振り返った。
「ありがとう。これであなたと私には浅からぬ縁ができた。これからは、なんでも頼ってほしい」
紅梅瞳がいぶかしげに揺れる。
まるでこちらを警戒する猫のようだと思いつつ、紗琰は努めてやわらかな口調で続けた。
「国を出てから、ここまでずっと疲れただろう。刻限がきたら私は出ていくから、気にせずゆっくり休みなさい。そうだ、共寝が嫌だというなら羅漢牀で寝るが、どうする?」
「……初夜に帝君を羅漢牀へ追いやったと知られたら、僕が兄に怒られます」
「なら、窮屈だろうが隣で寝かせてくれ」
希月は是とも否とも言わず衾褥に横たわると、紗琰に背を向けてしまった。その姿に静かに笑み含んで、紗琰も褥に身を預ける。目を閉じれば、会うたびに嫌悪をにじませていた前世の希月が眼裏に甦った。
父皇とおのれの死を回避するのはもちろん、嫣寧と希月、それに雨嫻との関係もやり直さなくてはならない。前世で蔑ろにしてしまった分だけ、彼らを大切にしたかった。
(……それに、瓊祥)
叔父とともに紗琰を陥れた従弟は、天陽種であるにもかかわらず、ずっと鳳花のふりをさせられていたと言っていた。帝位を奪うためには鳳花でなければならないため、瓊祥が生まれた時から後々のために叔父が仕組んでいたのだろう。
やさしい叔父が、その時分にはもう父皇を殺そうと企てていたのかと思うと、ぞっとする。
「っ……」
先日は玲玉に命じて、太医院にいた蕭陽朔を見つけさせた。見習い医官である陽朔は、どうも兄弟子である包太医とはそりが合わないらしい。それとなく様子を窺ってきた玲玉によれば、彼らは診察の仕方や薬材の調合法などで常に揉めており、その度に見習いの陽朔が周囲から嘲られているという。
玲玉曰く、太医院の医官は、親王の主治医から太上皇の主治医へと抜擢された包太医へおもねる者ばかりであると。さらに聞けば、彼らの長を務める太医令汪氏も、包太医を強く諫めることはないという。
(そういえば、太医令が自分よりも相応しいと言って包太医を推挙したのも、このくらいの時期だったか……)
帝君の主治医は、太医院の長の役目と決まっている。しかし、汪太医令は自分よりも優秀だからと、包太医に変えるよう進言してきたのだ。
父皇の御代で太医令だった周太医は、譲位とともにその座を退いた。かわって、紗琰の践祚とともに新たな太医令の座についたのは、幼い頃からの主治医であった汪太医である。彼に信頼を寄せていた紗琰は、いくら優秀だと言われても、おのれの主治医を変更しようとは思わなかった。
ために、ずっとその進言を退けていたのだが、父皇が崩御したことで考えを変えねばならなくなった。
(……あの時は、包氏が父上の治療に全身全霊をかけていてくれたと信じていた。崩御してしまったとしても、考え得る手立てはすべて行ったうえでの力不足で、父上の死の責任があやつにあるなどと疑いもしなかった)
一部の臣下からは、父皇を救えなかった責を問うべきだという声が当然あがった。
さりながら、紗琰は包太医の責を追及するどころか、父皇の回復のため懸命に手を尽くしてくれたことを感謝し、その献身への褒美としておのれの主治医とするよう命じたのだ。
今思えば、汪太医令が何度も包太医のことを称賛していたのは、紗琰に包太医が優れた医官であるという印象を植えつけるためだったのだろう。国にとって捨てがたい人材であると思わせ、崩御の際には、父皇のために手を尽くした賢臣を失うべきではないという意識が働くよう刷り込んでいたのだ。
(東廠に汪氏のことも調査させねばならないな。監視をつけて、それから……)
これから起きるであろうことを防ぐために、なにをすればよいのか。考えても考えても足りない気がして、見落としがないかと記憶をさぐる。
思案に没頭していた紗琰は、淡い闇の向こうで希月がこちらを見つめていることなど、気づきもしなかった。
紗琰は軽く頷くと、希月のほうへ振り返った。
「ありがとう。これであなたと私には浅からぬ縁ができた。これからは、なんでも頼ってほしい」
紅梅瞳がいぶかしげに揺れる。
まるでこちらを警戒する猫のようだと思いつつ、紗琰は努めてやわらかな口調で続けた。
「国を出てから、ここまでずっと疲れただろう。刻限がきたら私は出ていくから、気にせずゆっくり休みなさい。そうだ、共寝が嫌だというなら羅漢牀で寝るが、どうする?」
「……初夜に帝君を羅漢牀へ追いやったと知られたら、僕が兄に怒られます」
「なら、窮屈だろうが隣で寝かせてくれ」
希月は是とも否とも言わず衾褥に横たわると、紗琰に背を向けてしまった。その姿に静かに笑み含んで、紗琰も褥に身を預ける。目を閉じれば、会うたびに嫌悪をにじませていた前世の希月が眼裏に甦った。
父皇とおのれの死を回避するのはもちろん、嫣寧と希月、それに雨嫻との関係もやり直さなくてはならない。前世で蔑ろにしてしまった分だけ、彼らを大切にしたかった。
(……それに、瓊祥)
叔父とともに紗琰を陥れた従弟は、天陽種であるにもかかわらず、ずっと鳳花のふりをさせられていたと言っていた。帝位を奪うためには鳳花でなければならないため、瓊祥が生まれた時から後々のために叔父が仕組んでいたのだろう。
やさしい叔父が、その時分にはもう父皇を殺そうと企てていたのかと思うと、ぞっとする。
「っ……」
先日は玲玉に命じて、太医院にいた蕭陽朔を見つけさせた。見習い医官である陽朔は、どうも兄弟子である包太医とはそりが合わないらしい。それとなく様子を窺ってきた玲玉によれば、彼らは診察の仕方や薬材の調合法などで常に揉めており、その度に見習いの陽朔が周囲から嘲られているという。
玲玉曰く、太医院の医官は、親王の主治医から太上皇の主治医へと抜擢された包太医へおもねる者ばかりであると。さらに聞けば、彼らの長を務める太医令汪氏も、包太医を強く諫めることはないという。
(そういえば、太医令が自分よりも相応しいと言って包太医を推挙したのも、このくらいの時期だったか……)
帝君の主治医は、太医院の長の役目と決まっている。しかし、汪太医令は自分よりも優秀だからと、包太医に変えるよう進言してきたのだ。
父皇の御代で太医令だった周太医は、譲位とともにその座を退いた。かわって、紗琰の践祚とともに新たな太医令の座についたのは、幼い頃からの主治医であった汪太医である。彼に信頼を寄せていた紗琰は、いくら優秀だと言われても、おのれの主治医を変更しようとは思わなかった。
ために、ずっとその進言を退けていたのだが、父皇が崩御したことで考えを変えねばならなくなった。
(……あの時は、包氏が父上の治療に全身全霊をかけていてくれたと信じていた。崩御してしまったとしても、考え得る手立てはすべて行ったうえでの力不足で、父上の死の責任があやつにあるなどと疑いもしなかった)
一部の臣下からは、父皇を救えなかった責を問うべきだという声が当然あがった。
さりながら、紗琰は包太医の責を追及するどころか、父皇の回復のため懸命に手を尽くしてくれたことを感謝し、その献身への褒美としておのれの主治医とするよう命じたのだ。
今思えば、汪太医令が何度も包太医のことを称賛していたのは、紗琰に包太医が優れた医官であるという印象を植えつけるためだったのだろう。国にとって捨てがたい人材であると思わせ、崩御の際には、父皇のために手を尽くした賢臣を失うべきではないという意識が働くよう刷り込んでいたのだ。
(東廠に汪氏のことも調査させねばならないな。監視をつけて、それから……)
これから起きるであろうことを防ぐために、なにをすればよいのか。考えても考えても足りない気がして、見落としがないかと記憶をさぐる。
思案に没頭していた紗琰は、淡い闇の向こうで希月がこちらを見つめていることなど、気づきもしなかった。
22
あなたにおすすめの小説
魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由
スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの二人は、スキルを得た事で魔王討伐に旅立つ勇者と彼の帰還を待つだけのただの親友となる。
勇者と親友の無自覚両片想いのじれったい恋愛の物語。
遊び人殿下に嫌われている僕は、幼馴染が羨ましい。
月湖
BL
「心配だから一緒に行く!」
幼馴染の侯爵子息アディニーが遊び人と噂のある大公殿下の家に呼ばれたと知った僕はそう言ったのだが、悪い噂のある一方でとても優秀で方々に伝手を持つ彼の方の下に侍れれば将来は安泰だとも言われている大公の屋敷に初めて行くのに、招待されていない者を連れて行くのは心象が悪いとド正論で断られてしまう。
「あのね、デュオニーソスは連れて行けないの」
何度目かの呼び出しの時、アディニーは僕にそう言った。
「殿下は、今はデュオニーソスに会いたくないって」
そんな・・・昔はあんなに優しかったのに・・・。
僕、殿下に嫌われちゃったの?
実は粘着系殿下×健気系貴族子息のファンタジーBLです。
イケメンダブルセンターとアンチ>ファンな平凡な俺
スノウマン(ユッキー)
BL
アイドルグループ【オーバーウェルミング】は圧倒的な歌唱力の深山影月、圧倒的なパフォーマンス力の漣陽太、そして圧倒的な平凡力な俺間桐真緒の3人で結成されている。
大人気の二人と違いアンチしかいない俺だが、メンバーからもファンからも愛される日が果たしてくるのか!?
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
最愛の番になる話
屑籠
BL
坂牧というアルファの名家に生まれたベータの咲也。
色々あって、坂牧の家から逃げ出そうとしたら、運命の番に捕まった話。
誤字脱字とうとう、あるとは思いますが脳内補完でお願いします。
久しぶりに書いてます。長い。
完結させるぞって意気込んで、書いた所まで。
断罪回避のために親友と仮婚約したはずが、想像以上に執着されていた。
鷲井戸リミカ
BL
ある日アーサーは、自分がネット小説の世界に転生していることに気が付いた。前世の記憶によれば親友のフェルディナンドは、悪役令息という役割らしい。最終的に婚約者から婚約破棄され、断罪後は国外追放されてしまうのだとか。
大事な親友が不幸になるのを見過ごすわけにはいかない。とにかく物語の主人公たちから距離をとらせようと、アーサーはフェルディナンドを自分の婚約者にしてしまった。
とりあえず仮婚約という形にしておいて、学園を卒業したら婚約を解消してしまえばいい。そう考えていたはずがアーサーのとある発言をきっかけに、フェルディナンドの執着が明らかになり……。
ハッピーエンドです。
こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡
なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。
あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。
♡♡♡
恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!
薄紅の檻、月下の契り
雪兎
BL
あらすじ
大正十年、華やかな文明開化の影で、いまだ旧き因習が色濃く残る帝都。
没落しかけた名家に生まれた“Ω(オメガ)”の青年・白鷺伊織は、家を救うため政略的な「番(つがい)」として差し出される運命にあった。
しかし縁談の相手は、冷酷無慈悲と噂される若き実業家であり“α(アルファ)”の当主・九条鷹司。
鉄道・銀行事業で財を成した九条家は、華族でもありながら成り上がりと蔑まれる存在。
一方の伊織は、旧華族の矜持を胸に秘めながらも、Ωであるがゆえに家族から疎まれてきた。
冷ややかな契約婚として始まった同居生活。
だが、伊織は次第に知ることになる。
鷹司がΩを所有物としてではなく、一人の人間として尊重しようとしていることを。
発情期を巡る制度、番契約を強制する家制度、そして帝都に広がる新思想。
伝統と自由のはざまで揺れながら、二人は「選ばされた番」から「自ら選ぶ伴侶」へと変わっていく——。
月明かりの下、交わされるのは支配ではなく、誓い。
大正浪漫薫る帝都で紡がれる、運命を超える愛の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる