鳳花春閨伝―死に戻りの皇帝は四人の妃に愛される―

鮎川アキ

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第3話

3-10

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***

 取り留めのない会話を紡ぎ、ひとしきりくつろいだのちに紗琰は去っていった。
 帝君の輿を龍輦りゅうれんと呼ぶ。錦で彩られた龍輦がある程度遠ざかったのを見計らい、希月は万福礼を解いた。
 女人が履く花盆底鞋かぼんていあいにはまだ慣れないため、太監の手を借り殿舎へ戻る。茶を淹れ直すよう命じ、希月は羅漢牀へ再び腰を下ろした。
 新しい茶壷きゅうすを運んできた太監と入れ違いに、女官が紗琰の使っていた茶杯を片づけていく。それを一瞥し、控えていた侍従たちにも下がるよう告げると、傍近くに残した太監を見やった。
「金狗が誰を探っているのだと思う?」
「さすがにそこまでは」
 茶葉の香りがふんわりと漂う。蓋碗がいわんを差し出してきた太監――孫星辰ソンシンチェンは、扉が閉まっているのを確認して首を横に振った。星辰は峯珠から伴ってきた侍従のうちの一人であり、希月の主席宦官でもある。
「金狗を出すほどの事案であれば、主上が把握しておられるはず。出立前にそのような話はありませんでしたから、おそらく最近のことなのでしょうが」
「紗琰様の口ぶりからして、相手は朝廷の大物かそれに準ずる人物で、捕まえて鞫訊とりしらべをするには証拠が揃っていないのだろう。最近罪があることが発覚して、まだ公にはなっていない。泳がせている状態なのかもしれないし、兄上に相談しても、紗琰様が誰を捕えようとしているのか調べがつくのに時間がかかるだろうな」
「彩爛の騒動ですからね。主上にご報告して、こちらにひそませている者たちから情報を得るにしても、金狗の動きを探るのは至難の業でしょう」
「……暗衛をお貸しするわけにもいかないし」
 紗琰は希月が暗衛を統括していたからこそ、先程のような問いを投げかけてきたのだ。とはいえ、金狗が彩爛帝君の爪牙耳目であるように、暗衛が仕えるのもまた峯珠帝君たる異母兄であって希月ではない。暗衛主という立場はいわば名誉職であり、それだけ今上から信を得ているという証でしかないのだ。実質的な権限はすべて皇帝にあり、暗衛主は下された命を東廠督主へ伝えるだけにすぎない。
 暗衛主が設けられるのは、当代の帝君がおのれが最も信頼している人物を広く知らしめたい時であり、御代によっては置かれないこともあった。
 尤も、そのような内情を他国の紗琰が知るはずもない。名ばかりの職と思わずに、督主からひと通り間諜の使い方を学んでおいてよかったと、希月は内心で独りごちた。
「殿下が貸すと言って、こちらの帝君が快く借り受けたとしたら、それはそれで不用心がすぎますよ」
「確かにそうだ」
 星辰が柔和な面に微苦笑をにじませる。
 希月は軽く頷いて、熱いお茶をゆっくりと味わった。
「彩爛帝君のお役に立ちたいのでしたら、主上にご相談するのはよいかと存じますよ。金狗の動向を窺うのは難しいとしても、彩爛の内情に詳しい者がなにか知っているやもしれません」
「そうだな、……兄上には聞くだけ聞いてみてくれ。もしかしたら、紗琰様のお力になれることが見つかるかもしれない」
 彩爛へ嫁ぐにあたり、希月には兄帝から婚礼祝いとして複数名の暗衛が与えられていた。彼らは同行させた侍従の中にまぎれており、必要あらば京師にひそむ同胞や峯珠と連絡を取ってくれる。名実ともに希月をついの主とする者たちだから、紗琰に手を貸せと命じることも可能ではある。
 星辰が笑み含んで肩をすくめた。
「殿下はまことに健気でいらっしゃる。それなのにどうして、帝君の御前ではあんなに愛想のない態度を取ってしまわれるのでしょうねえ」
「……」
「帝君だって、殿下をお気に召しておられるご様子。今のように殊勝なお姿をご覧になれば、もっとご寵愛も深まりそうなものですのに」
 希月はむっとして黙り込む。
 蓋碗の蓋を意味もなくもてあそび、星辰から視線をそらした。
「番となったのに、肌を重ねるのは情が募ってからだなんて。すでに殿下の情は募りに募っておりますのに、それを正直に仰らないどころか、情はないと言い張られるとは。まったくご自身に酷なことをなさる。身から出た錆とはこのことでしょう」
「……うるさいな。仕方ないだろう」
 歯噛みするようにうなれば、星辰は困ったふうに肩をすくめた。
 先代峯珠帝君の第七子として生を受けた希月は、異母兄弟たちの中でも一、二を争う美貌の持ち主である。その氷肌玉骨ひょうきぎょっこつの美しさは民から白梅花神と讃えられるほどで、今上となった長兄ほどではないにしろ、結ばれたいと願う者は多かった。
「峯珠では人あたりのよい好青年として名高かった殿下が、彩爛ではどうしたことか冷淡におなりで。帝君付きの太監が殿下のことをなんと言っていると思います、白無常ですよ?」
「わかってるよ」
 希月とて、おのれが紗琰の周囲からどんなふうに見られているか自覚している。
 顔をしかめて星辰をにらむと、希月をよく知る太監は仕方なさそうに苦笑を漏らした。
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