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第一章
二. 見つからない足跡と果てしない不安(一)
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デスクで昼食のサンドイッチを食べていたとき、沙樹のスマートフォンが振動した。
やっとワタルから連絡がはいった。
沙樹は平然を装いつつも内心ドキドキしながら画面を確認した。
ところが予想に反して待ち受け画面にはTTと表示されている。電話の主はオーバー・ザ・レインボウのボーカル、得能哲哉だ。
『えらくがっかりした声だな。彼氏からかと思った?』
「そうよ。すっごく期待してたんだから」
『またまた冗談を。西田さんに恋人がいるなんて聞いたことないぜ』
当然だが哲哉もワタルと沙樹のことを知らない。
「で、どうしたの?」
『明日の番組収録後に、時間とれるかい?』
「夕方六時からね。あとの仕事はないよ」
沙樹は手帳で予定を確認する。明日の仕事はその収録で終わりだ。
『助かった。これでなんとかなるかもしれない』
「何かあったの?」
『ワタルの件は知ってるだろ。西田さんにも訊きたいことがあるんだ』
突然恋人の名前が出て、「得能くんと会う」と予定を書き込んでいた手が止まった。
バンド仲間の哲哉なら沙樹の知らない情報を持っているかもしれない。
「あたしじゃ役に立たないよ」
『そんなことないさ。頼りにしてるぜ。じゃあ、明日よろしく』
哲哉はそう言い残すと、電話を切った。
当然のように、その日ワタルからは連絡が一切入らないまま一日が終わった。
☆ ☆ ☆
翌日の夕方は、オーバー・ザ・レインボウのメンバーによるラジオ番組『虹の彼方に』の収録があった。ワタルの話題こそ出なかったものの、現場にはビリビリとした空気が漂っていた。芸能レポーターが局の駐車場で待っていたとマネージャーがぼやいているのを聞き、沙樹は息苦しさと申し訳なさを感じながら仕事に臨んだ。
だがDJを務める哲哉と弘樹はそんな雰囲気を微塵も感じさせず、笑いを誘いながら楽しいトークを広げている。トークの内容はワタルの話題をうまく避けているがリスナーはあまり気づかないだろう。彼らが見せるプロの姿が頼もしい。
ワタルが消したのも、プロとして必要な行動なのだろうか。
番組収録後、三人は行きつけのカフェでおちあった。窓際のテーブルに座り一息ついた後で、弘樹が肩を落としたまま口を開いた。
「ワタルだけど、あの報道以来姿を消して連絡がとれないんだ」
事務所やマネージャーにも行き先を告げていないらしい。唯一の会話は第一報の直後に、社長の世良に電話してきたときのものだ。のちに日下部を通じて、一か月後のアルバム作成の打ち合わせまでには帰る、というメッセージが伝えられた。日下部はレコード会社のスカウトマンで、メンバーのみならず沙樹も共通の友人だ。
清水弘樹が言いにくそうに会話を始めた。
「沙樹ちゃんはワタルから何か聞いてないかい?」
「あたしも仕事が忙しくて会う暇もなかったの。浅倉さんのことだって今度の報道で初めて知ったのよ」
沙樹はチョコレートケーキを口に放り込む。そうでもしていないと、自分たちの関係を告白してしまいそうだった。
「そうか」
哲哉が腕組みしたままうなずく。
ほんの数秒、妙な緊張の漂う無言状態が続いた。沙樹の前で哲哉が弘樹を肘でつつき始めた。弘樹は眉をひそめて哲哉を見返す。それを何度か繰り返し、またふたりは黙り込んだ。
「何か言いにくいことでもあるの?」
会話のきっかけをつかめない哲哉たちに沙樹が助け舟を出すと、弘樹は安堵の表情を見せ、椅子に座り直して姿勢を正した。つられて沙樹の背筋も伸びる。
「実は今までの話は前座で、これからが本題なんだよ」
弘樹は周りを確認し、身を乗り出して声を潜めた。
「ここだけの話、ワタルには彼女がいるみたいなんだ。浅倉梢とは別にね」
「ええっ?」
我ながら白々しいとあきれつつも、沙樹は驚く演技をした。
「沙樹ちゃんは恋愛のことで、ワタルから相談されたことがないかい?」
「いるかもしれない彼女のことで?」
同じように身を乗り出して小声で訊き返すと、弘樹はうなずいた。
忙しい中でわざわざ時間を作ったふたりに、ワタルとの関係を隠し通してよいのだろうか。機を逃したままここまできたとはいえ、学生時代から気心の知れた友人にすら話せないのが心苦しい。
「意外とさ、相手は西田さんだったりして」
哲哉が何気なくポツリとつぶやく。ケーキを口に運ぶ沙樹の動きが止まった。動作だけでなく心臓まで止まったかと思った。沙樹は口を半開きにしたまま、戦々恐々として哲哉を上目遣いで見る。
「なあんてな。いくらなんでも、そんなに都合よく話は進まねえよ」
組んだ腕をほどき、哲哉はテーブルに頬杖を着いた。
「で、その彼女をみつけてどうするつもりなの?」
「彼女ならワタルの居場所を知ってるような気がしてね。ていうより、その人のところにいるかもしれないだろ」
沙樹は小さく頭をふった。残念ながら哲哉の推理は外れている。
「彼女のことは聞いたことがないの。役に立てなくてごめんね」
こうしてなんの手がかりも得られないまま、三日目が終わった。
☆ ☆ ☆
やっとワタルから連絡がはいった。
沙樹は平然を装いつつも内心ドキドキしながら画面を確認した。
ところが予想に反して待ち受け画面にはTTと表示されている。電話の主はオーバー・ザ・レインボウのボーカル、得能哲哉だ。
『えらくがっかりした声だな。彼氏からかと思った?』
「そうよ。すっごく期待してたんだから」
『またまた冗談を。西田さんに恋人がいるなんて聞いたことないぜ』
当然だが哲哉もワタルと沙樹のことを知らない。
「で、どうしたの?」
『明日の番組収録後に、時間とれるかい?』
「夕方六時からね。あとの仕事はないよ」
沙樹は手帳で予定を確認する。明日の仕事はその収録で終わりだ。
『助かった。これでなんとかなるかもしれない』
「何かあったの?」
『ワタルの件は知ってるだろ。西田さんにも訊きたいことがあるんだ』
突然恋人の名前が出て、「得能くんと会う」と予定を書き込んでいた手が止まった。
バンド仲間の哲哉なら沙樹の知らない情報を持っているかもしれない。
「あたしじゃ役に立たないよ」
『そんなことないさ。頼りにしてるぜ。じゃあ、明日よろしく』
哲哉はそう言い残すと、電話を切った。
当然のように、その日ワタルからは連絡が一切入らないまま一日が終わった。
☆ ☆ ☆
翌日の夕方は、オーバー・ザ・レインボウのメンバーによるラジオ番組『虹の彼方に』の収録があった。ワタルの話題こそ出なかったものの、現場にはビリビリとした空気が漂っていた。芸能レポーターが局の駐車場で待っていたとマネージャーがぼやいているのを聞き、沙樹は息苦しさと申し訳なさを感じながら仕事に臨んだ。
だがDJを務める哲哉と弘樹はそんな雰囲気を微塵も感じさせず、笑いを誘いながら楽しいトークを広げている。トークの内容はワタルの話題をうまく避けているがリスナーはあまり気づかないだろう。彼らが見せるプロの姿が頼もしい。
ワタルが消したのも、プロとして必要な行動なのだろうか。
番組収録後、三人は行きつけのカフェでおちあった。窓際のテーブルに座り一息ついた後で、弘樹が肩を落としたまま口を開いた。
「ワタルだけど、あの報道以来姿を消して連絡がとれないんだ」
事務所やマネージャーにも行き先を告げていないらしい。唯一の会話は第一報の直後に、社長の世良に電話してきたときのものだ。のちに日下部を通じて、一か月後のアルバム作成の打ち合わせまでには帰る、というメッセージが伝えられた。日下部はレコード会社のスカウトマンで、メンバーのみならず沙樹も共通の友人だ。
清水弘樹が言いにくそうに会話を始めた。
「沙樹ちゃんはワタルから何か聞いてないかい?」
「あたしも仕事が忙しくて会う暇もなかったの。浅倉さんのことだって今度の報道で初めて知ったのよ」
沙樹はチョコレートケーキを口に放り込む。そうでもしていないと、自分たちの関係を告白してしまいそうだった。
「そうか」
哲哉が腕組みしたままうなずく。
ほんの数秒、妙な緊張の漂う無言状態が続いた。沙樹の前で哲哉が弘樹を肘でつつき始めた。弘樹は眉をひそめて哲哉を見返す。それを何度か繰り返し、またふたりは黙り込んだ。
「何か言いにくいことでもあるの?」
会話のきっかけをつかめない哲哉たちに沙樹が助け舟を出すと、弘樹は安堵の表情を見せ、椅子に座り直して姿勢を正した。つられて沙樹の背筋も伸びる。
「実は今までの話は前座で、これからが本題なんだよ」
弘樹は周りを確認し、身を乗り出して声を潜めた。
「ここだけの話、ワタルには彼女がいるみたいなんだ。浅倉梢とは別にね」
「ええっ?」
我ながら白々しいとあきれつつも、沙樹は驚く演技をした。
「沙樹ちゃんは恋愛のことで、ワタルから相談されたことがないかい?」
「いるかもしれない彼女のことで?」
同じように身を乗り出して小声で訊き返すと、弘樹はうなずいた。
忙しい中でわざわざ時間を作ったふたりに、ワタルとの関係を隠し通してよいのだろうか。機を逃したままここまできたとはいえ、学生時代から気心の知れた友人にすら話せないのが心苦しい。
「意外とさ、相手は西田さんだったりして」
哲哉が何気なくポツリとつぶやく。ケーキを口に運ぶ沙樹の動きが止まった。動作だけでなく心臓まで止まったかと思った。沙樹は口を半開きにしたまま、戦々恐々として哲哉を上目遣いで見る。
「なあんてな。いくらなんでも、そんなに都合よく話は進まねえよ」
組んだ腕をほどき、哲哉はテーブルに頬杖を着いた。
「で、その彼女をみつけてどうするつもりなの?」
「彼女ならワタルの居場所を知ってるような気がしてね。ていうより、その人のところにいるかもしれないだろ」
沙樹は小さく頭をふった。残念ながら哲哉の推理は外れている。
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