【完結】あなたの幻(イリュージョン)を追いかけて

須賀マサキ(まー)

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第二章

三. ライブハウス(二)

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「ハヤトがジャズなんて珍しいわね」
 突然声をかけられて顔を上げると、長い髪をツインテールにし、クリっとした瞳が印象的な女性が立っていた。
「麻衣、来てたんだ」
「うん。実は近藤先輩に『バンドに入らないか』って誘われたの。それでライブを見に来たら、ハヤトが歌い始めて驚いちゃった。バンドでボーカルしているから歌が上手いのは知ってたけど、ロックだけじゃなくジャズも歌えるのね。ほんと、器用なんだから」
 麻衣と呼ばれた女性がテーブルの空いた席に座ろうとすると、ハヤトはすばやくたちあがり、彼女のために椅子を引いた。ありがとう、という声にハヤトは顔を赤くした。
「麻衣がバンドに入るって? 近藤先輩、本当なの?」
「そうだよ。吹奏楽部でずっとサックスを吹いてたって聞いたからね。この前演奏を聴かせてもらったら、予想以上に上手かったんでスカウトしたのさ」
「麻衣が入るって話を聞いたら心が揺れるじゃないか。ああ、でもうちのバンドメンバーを裏切ってジャズバンドに入るなんてできないし。ぼくはどうしたいいんだ?」
 ハヤトがおどけて頭を抱え込むと、二人は声を出して笑う。
「あたしと近藤先輩を取るか、今の仲間を取るか、じっくり考えてね」
 麻衣がそう言いながらハヤトの肩を軽く二、三度叩くと、ハヤトはまんざらでもなさそうに照れ笑いをした。
 ハヤトと地元の仲間との気のおけない会話が続く。沙樹は中に入りたくともきっかけすらつかめない。
 居心地の悪さを感じているときだった。麻衣の伸ばした手がグラスを倒し、中のカクテルがテーブルを伝って麻衣の服を濡らした。
「麻衣、ちょっと待ってて」
 ハヤトはすかさずテーブルのナプキンを麻衣に渡し、席を立って店の奥に駆け込んだ。厨房から借りて来たと思われるタオルを手にして戻り、麻衣の服を丁寧に拭う。
 その間沙樹にできたことといえば、濡れたテーブルをナプキンで拭き取るくらいだった。
「このワンピース、お気に入りなんだろ? 染みにならないといいね」
「大丈夫よ。ハヤトがすぐに拭いてくれたんだもん。ありがとう」
 年末のクラス会でゆっくりと話しましょうね、と言い残して麻衣はテーブルを離れた。
 キリッとした少女は爽やかな笑みを残し、ハヤトはその後ろ姿に軽く手をふった。
 沙樹にだけ特別よくしてくれるのではない。ハヤトは相手がだれでも親身になる。
 
 ――そう、だれにでも。

 沙樹の心に冬の冷たい風が吹き込み、胸の奥に鈍い痛みが走った。
「……えっ?」
「ん? 沙樹さん、何か言った?」
「う、ううん、なんでもない」
 まさかそんなこと、あるはずがない。でも――。
 心の底で何かがざわめいた。
 早くワタルに会いたい。自分の気持ちに自信がなくなる。浅倉梢がワタルの心をつかんでいるとしても、沙樹の心は揺るがないはずなのに。
 ハヤトの飾らない態度、お節介なくらいの親切は、疲れた沙樹に懐かしいものを運んできて、心のドアをノックする。
 拒めないのは意志の弱さか。迷う心の隙間ゆえなのか。
 戸惑う気持ちを胸に抱き、沙樹は空っぽになったグラスの縁を指でなぞった。

   ☆   ☆   ☆

 翌日以降も、沙樹はハヤトに連れられて、ライブハウスに出かけた。
 ハヤトは顔が広く、どこの店でもオーナーや従業員、バンドメンバーと親しくしている。ジャズバンドの仲間たちとの件で、沙樹が疎外感を覚えたことに気がついたのか、その後は積極的に会話に入れる。そんな些細な心遣いがうれしく、そしてなぜだか懐かしい。
 まわったライブハウスには、ワタルのサインはなかった。残っているのは二軒、ピアノの生演奏をしている小さな店と、初日に訪れた一軒だ。あのときに見ておけばよかったと沙樹は後悔するがしかたない。はやる気持ちの中でハヤトに聞いてみることを何度も考えたが、迂闊なことをして芸能レポーターにまちがわれる危険を犯したくはなかった。
 本当にこの街で正しかったのだろうか。もちろん哲哉の思い違いで、まったく関係のない土地に来てしまった可能性もある。
 残りのライブハウスで見つけられなかったら、潔くこの地を去ろう。ワタルの手がかりがない以上ここにいる意味はない。
 帰ることを考えたとたん、沙樹の胸にかすかな痛みが走った。これは何を意味するのだろう。会えなかった失望? それとも――。
 ――あたし、どうしちゃったの?
 自分の気持ちが解らない。こんなことは初めてだ。
 
 ワタルと浅倉梢の件は、報道される以上の情報は誰からも届かない。テレビや雑誌の報道は日を追うごとに加熱する。次々と出てくるツーショット写真や関係者という人物からの証言が、熱愛報道がデマでないことを物語っているようだ。
 そんなとき、沙樹は自分の耳を疑う報道をテレビで見た。その日いつものように朝食を済ませ、そのまま食堂でいやいやながらワイドショーを見ていた。
 穏やかな気持ちでいられないと解っていても、ワタルの報道を無視し続けられない。浅倉梢の笑顔が勝利宣言に見えそうな気持ちを抑えながら、何事もないそぶりでテレビを見たときだ。
『実は未確認情報ですが、北島さんには最近までおつきあいしていた方がいたようなんです。お相手は一般の方で……』
 沙樹は、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
「ま、まさかそれ、あた……?」
 思わず声に出しかけて、沙樹は言葉を途中で飲み込んだ。幸いにしてそばには誰もいない。沙樹は目をこすって、もう一度テレビを見た。
 ワタルの相手については、一般人ということもあって詳しいことは何も語られなかった。OLというだけでは、それが沙樹のことか判断できない。
 自分の存在がバレたのか。あるいは勝手な憶測の元に作られた人物なのか。ミスXの素性はワイドショーだけでは何も解らない。
 親しいバンドメンバーにさえ気づかれなかったのに、それが芸能レポーターに知られるはずなどない。沙樹はそうやって自分に何度も言い聞かせ、動揺を抑えようと足掻あがく。
 画面から流れてくる空気は、昨日までのちょっとした祝福ムードから一転して批判するものに変わっていた。
 まるでスキャンダルだ。浅倉梢の売りである清純な高校生という看板を、「略奪愛」という衝撃的な言葉で引きずりおろそうというマイナスの力が見える。
 レポーターたちの憶測も、浅倉梢とワタルの交際は真剣だという人もいれば、単なる友達だとみている人もいる。
 すれ違いの果てに出てきた熱愛報道は、ワタルをよく知るはずの沙樹やバンドメンバーですら真実が見えない。それだけに不安と焦りが日を増すごとに強くなる。
 沙樹は浅倉梢の気持ちが知りたかった。最近は梢のほうがワタルと過ごす時間が長い。それはワタルの気持ちが沙樹から梢に変わった結果だとしても、とがめられるものなのか? 自分に落ち度はなかったのかと沙樹はずっと考えてきた。
 ワタルが自分を好きでいると知ったとき、梢はどんな態度を取るだろう。
 梢が決定的な発言をする前に、どうしてもワタルに会いたかった。追い込まれて身動きが取れなくなる前に、自分の意志で次の行動を決めたい。
 見えない力にふりまわされた挙句の決断、それだけはごめんだ。

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