【完結】あなたの幻(イリュージョン)を追いかけて

須賀マサキ(まー)

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第二章

四. 冷たい雨(一)

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 夕方、沙樹はハヤトに案内されて、ホテルの最上階にあるバーにでかけた。小さな街が見渡せるこの場所はそれだけでも魅力的だが、ジャズやポップスの生演奏もあり、週末ということもあって店内のシートはすべて埋まっている。
 ハヤトは夜景がよく見渡せるように、窓際のテーブルを予約していた。
 沙樹は目を閉じてメロディーに耳を傾けた。先日ハヤトが歌っていたジャズのスタンダードナンバーだ。
「きれいなメロディの曲だね」
 ハヤトがうなずく。沙樹の持つグラスの氷が溶けて心地よい音をたてた。
「ライブハウスをまわったけど、どうだった?」
「どうって?」
「いいアーティストがいるかってあれだよ」
「企業秘密」
 沙樹は人差し指を唇に当て、目の前のグラスを手に取った。
「教えてくれないの? 沙樹さんのいじわる」
 ハヤトは唇を尖らせ、グラスを手にした。
「もしかしてソフトドリンク?」
「来週の予定だったけど、急遽きゅうきょ二週続けて演奏することになったんだ。実をいうと一度前の日に飲みすぎて、ライブで声の調子が戻らなかったことがあってね。だから前日は飲まないことにしてるんだ。ベストコンディションでのぞまないと、来てくれる人に失礼でしょ」
 そうなんだ、とうなずいて、沙樹は窓の外に広がる夜景を見下ろした。都会で見慣れたものと比べると灯火も少なく、閑散としている。光を追うと夜景が遠くで途切れていた。
「あの辺りは海だよ。灯台はあっても家がないから暗くなるんだ」
 ハヤトは灯りのない辺りを指さす。
「こうして見ると本当に小さな街だね。いくら人気があっても、所詮しょせんは狭い中での自己満足に過ぎないんだな……」
 左手で頬杖をつき、ハヤトは灯りの消えたあたりを見ている。
「そう思うなら都会に出て実力を試したくはない?」
「簡単にいうんだね。関東に住んでる人と違って、ぼくらは行くだけでも大変なんだよ」
 交通費だって莫迦にならないし、大学サボるわけにはいかないし、卒業した後でも住むとなったら家も探さないといけないし、とハヤトはぼやく。
「バイトだけで生活するって大変なんだから。夢を追いかけるのはそんなに甘いことじゃないんだ。余程の覚悟がないとできないよ」
 東京に住んでいる沙樹は、上京するだけで大仕事だと考えたことはなかった。
「そうだ。卒業したら東京に行くから、その時は沙樹さんの部屋に転がり込んでもいい? 執事になって家事一切やるから。どう?」
「ちょっと、それなに? ワンルームに一緒に住むってこと? それって同棲って意味だよ。ったく冗談じゃない」
 沙樹は自分でも赤面しているのが解った。この手のジョークには昔から免疫がない。
「ごめんなさいっ。本気にするとは思わなかったんだよ」
 ハヤトは両手をあわせて頭を下げる。火照った頬を冷やそうと、沙樹はおしぼりを当てた。
 ちょうどそのとき、ふたりの座るテーブルにチョコレートの入ったカクテルグラスがおかれた。見上げると、年配のマスターが優しいまなざしでハヤトを見ている。
「お嬢さんにサービス。ハヤトが女性を連れてきたらおごるって約束だったんですよ。その日から一年、フラれてばかりのこいつに、やっと彼女ができたかと思うと感無量です。ハヤトは一見お調子者だけど、根はいいやつですよ。雇い主の私が保証します」
「ち、違うって。沙樹さんに、生演奏のあるところに行きたいって頼まれたから連れてきたんで、彼女って訳では……」
 ハヤトは手で顔を扇ぎながら、慌てて否定する。
「今になってなんだい。そんなに照れなくてもいいんだよ」
「本当のことなのに信じてくれないの? あんまり従業員をからかってると、バイト辞めるよ」
「おや、それは困ったな。今週休まれてるだけでも痛いというのに」
「ごめんなさい。来週はきますから」
 両手を合わせて謝るハヤトにマスターは苦笑いを浮かべると、そそくさとカウンターに戻った。
「ここでバイトしているの?」
「イエスっ。裏方で食器洗ったり食べ物の盛りつけしたりして、コマネズミのように働いてます」
 グラスの中にはハート形のチョコレートが入っていた。沙樹はウィスキーの水割りを一口飲み、グラスをテーブルにおくと、氷がカラカラと音をたてピアノと響きあった。
 車のヘッドライトが街中を行き交う。
 夜景を見つめながら、沙樹はワタルがステージで演奏している姿を思い浮かべた。
 この街明かり中にワタルはいるだろうか。ここに来たのは、正しい選択だったのか。
 ワイドショーが伝えていた、ワタルがつきあっていた一般女性とは、自分のことなの? もしそうなら、バンドメンバーにすら知られていない事実をどうやって突き止めたのだろう。
 ――あたしはとんでもない独り相撲をとっているのかもしれない。とうに見限られていたのに、そんなことにすら気づけない愚か者ピエロ……。
 頭の中で疑問が浮かび、消えていく。
 そのとき沙樹の考えを遮るようにハヤトが「ふう」とため息をつき、テーブルにうつぶせた。
「どうしたの?」
「ねえ沙樹さん、何かつらいことでもあった?」
 ハヤトは足元の夜景をじっと眺めている。
「自分では気づいてないかもしれないけど、沙樹さんはいつも切ない表情してるよ。冗談いってるときや、笑ってるときさえもね」
 沙樹はウインドウに映る自分の顔を見た。哀しみの色を瞳ににじませた女性がこちらを見ている。
「ライブハウスで最初に見かけたときから、ずっと気になってたんだ。だから声をかけてみた。けど初対面の相手にこんなこと聞けなくて」
 ピアノの音が響く。
「なぜ今になってそんなこと訊くの? 質問できるくらいには親しくなれたってことなの?」
 ハヤトは気だるそうに起き上がり、ゆっくりと首を横にふった。
「――そうじゃなくて……」
 ハヤトは言葉を止め、グラスについた水滴を指でなぞる。
「窓ガラスに映る自分が、沙樹さんと同じ目をしてるって今気づいた。だから――」
 街の灯りが揺れる。沙樹は窓ガラスを通してハヤトと視線を合わせた。何か言いたげな瞳が沙樹の心をかき乱す。不意にハヤトは目をそらした。
「いや、なんでもない。ごめん、忘れてよ。こんなこと言うなんて、素面しらふなのに雰囲気に飲まれちゃったよ。今のぼくは変だね」
 ハヤトは前髪をかき上げ、ぎこちない笑顔を浮かべた。
 伝えたい何かがあるのに、沙樹は言葉にできない。
「何も言わなくてもいいよ。忘れて」
「……だれにも何も告げすにいなくなった人がいるの。苦楽を共にしてきた大切な仲間に、一言も残さずに消えてしまった。あたしも仲間も、突然のことにどうしていいか解らなくてね」
 沙樹は遠くに広がる暗い海を見つめた。時折灯台の灯りが水面を照らす。真っ暗な闇の中、一筋の光を頼りにここまできた。
「続けなくていいよ」
「だからあたし、だめでもいいから、捜さずにはいられなかった。自己満足でもいい、ただじっと待ってることに耐えられなくて」
「もういいって」
 一度口にすると言葉があふれそうになる。誰にもいえないかずかずの秘密。捨てられた女の悪あがき。ワタルの気持ちを考えない自己満足の行動。浅倉梢へのささやかな意地と抵抗。そしてマスコミが嗅ぎつけつつある自分のこと……。すべて話して楽になりたかった。
 ひとりで抱えるにはつらすぎる想い、そして心の奥に芽生えつつある新たな想い。ひとつ残らず吐き出してしまえば、胸に広がる鈍い痛みは消えるの?
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