【完結】あなたの幻(イリュージョン)を追いかけて

須賀マサキ(まー)

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第二章

六. 心乱されて(二)

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「そうか。なるほどね」
 とうなずき、ハヤトはドアを開けたまま中に入った。
「すまない、席を外してくれないか」
「なんでだよ? せっかく北島さんが……来てくれたっていうのに」
 ショウが不平を言うと、ハヤトは露骨にきつい視線で見返した。ヒデとマサルも同じように追い出されることに不満を感じていたが、ハヤトの目つきは有無を言わせぬ迫力がある。
「いいから、席を、外して、く、れ」
 平坦な口調ではあったが、そこに含まれる一大決心のようなものを感じ、ショウは名残惜しそうにワタルを見てから控え室を出た。あとのふたりもしぶしぶ続くものの、不満そうに部屋を覗いている。ハヤトは仲間たちをキッとにらんで追い出したあとで沙樹を招き入れると、勢いよくドアを閉めた。
 そんなハヤトの態度を目の前にしてなお、ワタルは動じることなく吸い殻の火を灰皿で消す。ハヤトがいてもいなくてもどうでもいいような態度だ。
 対するハヤトはピンの抜かれた手榴弾てりゅうだんのごとく、今にも爆発しそうだ。空気がピリピリと張り詰める。緊張の中、沙樹はドアのそばに立ち、身じろぎひとつできないで、ふたりを見るしかできない。
「来てたのか。今日の出演に変わったって話した覚えはないのにな」
「それくらい調べれば簡単にわかるさ」
「わざわざ控え室まで来るんだったら、ライブが始まる前に顔を出すのが礼儀だろ」
「野暮用があったものでね」
「ふんっ。どうせ浅倉さんと電話でいちゃついてたってとこじゃないのか?」
 ハヤトはワタルを怒らせようとして、挑戦的なセリフをたたきつける。ワタルは挑発に乗ることなく、静かに二本目のタバコを取り出して火をつけた。
「あの子は関係ない。それ以上話す義務はないね」
 ふうと煙を吐くワタルを、ハヤトはにらみつける。何か言い返そうとするが言葉が出ない。ハヤトは身を翻し、ロッカーから荷物を取り出して沙樹のそばに立った。
「あんなやつ無視して、さっさと帰ろう」
 沙樹はこのままワタルと離れていいのか解らず、ハヤトの言葉に素直に従えない。
「ハヤトはミーティングで今日の反省会をするんだろ。だから沙樹はおれが送る」
 ハヤトはワタルが「沙樹」と呼び捨てしたことに気づき、軽く息を呑む。
「か、勝手なこと言うなよ。ぼくらがライブしている間に、沙樹さんに何したんだ」
「何もしてないよ。少しだけライブを見て控え室に来たら、たまたま沙樹がいただけさ」
「じゃあ、なぜ泣いてたんだよ!」
 ハヤトの口調が荒々しくなっていく。だがワタルは顔色ひとつ変えず、静かにタバコをふかしている。
 沙樹はこのようなワタルを何度か見たことがあった。
 バンド内でめ事が起きたとき、感情を一切交えず落ち着いて意見をまとめていく。今のワタルは北島ワタル個人ではなく、オーバー・ザ・レインボウのリーダーであるワタルそのものだ。
 バンドとは一切関係がないのに、どうして素顔を見せないのだろう。
 バンドリーダーの仮面はいらない。こんなときにまで、気持ちを抑えないでほしい。
「なんとか言えよ!」
「ハヤトには関係ない」
「何も語らずってわけか。ならいいよ。沙樹さん、行こう」
「でも、反省会があるんじゃ……」
「気にしなくていいよ。どうせあんな有名人がいたら、みんな浮き足立って反省会にならないからね」
 ハヤトは沙樹の肩を抱いて歩き出そうとする。ワタルはタバコを消し、遮るようにふたりの前に立った。
「どけよっ。邪魔するってんなら、納得いく理由を話せよ」
 ワタルがハヤトを見下ろす。視線がぶつかった。
「話す必要はないだろう」
「あるさ! 沙樹さんはぼくの、大切な……」
 ハヤトが言葉を止め、沙樹を切なげな眼で見つめた。沙樹は息を飲み、ハヤトを見返す。
 抑え切れない感情と、ひとつの言葉を無理矢理飲み込むように視線を落とし、ハヤトは、小さく、つぶやくように言った。
「大切な……友達なんだ」

 ――友達。

 沙樹の胸に小さな痛みが走った。肩にまわされた手がためらいがちに下ろされたとき、沙樹は拠り所をなくしたような不安におそわれた。
「沙樹」
 ついておいで、とワタルが手で合図する。
「沙樹さん、そんなヤツについてくことないよ!」
 ハヤトは一度沙樹を放したのに、また行くなと言って手を取ろうとする。
 沙樹は自分の態度を決めかねた。ハヤトの「友達」という言葉には正直なところ失望した。かといって今のワタルについて行ったところで、別れ話をされるだけだ。
 ワタルがハヤトと沙樹の前に立ちふさがる。いくら考えてもこの場で結論は出せない。
 そのときだ。ワタルが少し表情を緩めて沙樹を見た。そしてハヤトに向かい

「沙樹はおれの恋人だ」

 と告げた。ハヤトは目を大きく見開き息を飲む。
 沙樹は言葉の意味を理解できず、小さな声でワタルの言葉を繰り返した。
「私が……ワタルさんの、恋人?」
 浅倉梢がブログでワタルとの交際を宣言したばかりだ。到底信じられない。
「い、いいかげんなこと言うなよ。浅倉さんは自分で恋人だって言ってるじゃないか。彼女がウソをついてるってんのか?」
「梢ちゃんの件は最初から話すつもりはないと言ってるだろう。忘れたのか?」
 静かな口調ではあるが、反論を許さない強さがある。ハヤトはワタルの迫力の前に力負けし、一歩下がる。ワタルはなんの前触れもなく突然沙樹の手を引き、控え室の扉を開けた。
 ドアに耳を当てて中の様子を伺っていたザ・プラクティスのメンバーが、バタバタと控え室に倒れ込む。コメディのワンシーンみたいな彼らを無視してワタルは駐車場に出た。
「ワタルさん、待ってよ。あたし、ハヤトくんに断らないと」
「気にしなくていいよ。ハヤトにはおれがあとで話をつける」
 ワタルは車のキーを開けた。
「待てよっ」
 ハヤトが駐車場まで追いかけてきた。
「なんだよ。急にあらわれたと思ったら、沙樹さんをさらっていくつもりか?」
「誤解するなよ。さらっていくわけじゃない」
「おおいに誤解してやる!」
 ハヤトは納得しない。当然だろう。沙樹の真意も確認しないで半ば強引に連れ出せば、誘拐に見えてもしかたがない。
「浅倉さんって彼女がいるくせに。沙樹さんが本当に恋人か、怪しいものだよ」
 ハヤトはさっきまでの勢いをなくし、視線を落として弱々しく呟いた。
「そこまで言うなら、どうするかは沙樹に決めてもらうか」
「あたしに?」
 納得できていないのは沙樹も同じだ。ハヤト同様、昨今の報道の中で自分を恋人だと言われても、説得力のかけらもない。
「無茶言わないでよ……」
 ずっと優しくしてくれたハヤトを邪険には出来ない。
 だが目の前にいるのは、会いたくてたまらなかったワタルだ。やっと会うことができたのに、真相を聞かなくていいのか。このチャンスを逃せば、真意を知ることもないまますべてが終わる。
 冷静になって旅の目的を考えれば、ワタルについて行き、何があったかを教えてもらうべきだ。
 だが心が拒否する。アイドル歌手の影が沙樹に立ちはだかる。
 浅倉梢はワタルの腕に体をもたれかけ、勝ち誇った笑みを浮かべて沙樹を見つめている。とても勝てる相手ではない。
「沙樹さん、迷わないで。人を泣かせるようなやつに、ついてく理由なんてないよ。浅倉さんとつきあってるくせに、沙樹さんのことを『恋人だ』なんて。嘘つきか浮気者の最低人間じゃないか」
 ハヤトの言う通りだ。それに今さら真実を知ってなんになる。世の中には知らなくてもいい事実はごまんとある。
 沙樹はハヤトを選び、後ずさりした。そのとき。
「沙樹。恋人という言葉に偽りはないよ」
 ワタルのささやき声が耳に届いた。
「今……なんて?」
 振り向くとそこに、変わらないワタルがいた。
 ワタルのすぐ隣にまとわりついていた浅倉梢の影が揺れ、徐々にいろどりを失う。勝ち誇った笑みは消え、今にも泣き出しそうな大きな目が沙樹に何かを伝えようとし、やがて消えた。ワタルは沙樹に温かな眼差しを向けている。
 そこにいるのは、沙樹のよく知っているワタルその人だ。
 
「ごめんなさい、ハヤトくん」
 沙樹は後ろ髪を引かれながら、ワタルの車に乗った。
 ハヤトには申し訳ないことをした。どんな理由があったにせよ、結果的に都合よく利用したことにかわりはない。
 ふりかえると、ハヤトがこちらに向かって何か叫んでいるのが見えた。沙樹は窓を開けた。車のエンジン音にも負けないくらいの大声だ。
「兄さんのばかやろー! さっさと東京帰っちまぇっっ!」
 
 ――兄さん……。

 ふたりが兄弟だという沙樹の勘はあたっていた。だがそれが何になる?
 胸を支配する罪悪感は消えない。今になって自分の決断に迷いが出る。
「あたしハヤトくんに悪いことをしてしまった。ここにきた本当の理由をまだ話してないのに……」
「だからハヤトのことなら気にしなくていいさ。あれで意外と打たれ強いんだ。それよりも沙樹の目的は、別にあるんだろ」
「そうだけど……それよりも一緒に車に乗っているところを見られたら、また騒ぎのもとになる……」
 熱愛報道の最中だけに、たちの悪い一般人が写真を撮ってSNSに流す可能性もある。一般人とつきあっていたという報道も出ているのだから、その相手を特定しようという動きがあってもおかしくない。
「そうだな。ここは沙樹の忠告に従って人目につかないところに行くよ。これ以上、話題を提供する義理なんてないからね」
 赤信号で車が止まると、ワタルは胸ポケットから黒縁のメガネを取り出してかけた。有名人だと気づかれたくないときにいつも使うものだ。ステージと違い華やかさのないラフなファッションに加え、夜なので気づかれる可能性が低いことを祈るのみだ。
 そんな沙樹の不安をよそに、ワタルは青信号を合図に車を発進させた。

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