【完結】あなたの幻(イリュージョン)を追いかけて

須賀マサキ(まー)

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第二章

六. 心乱されて(三)

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 ハヤトはひとり残された駐車場でたたずんでいた。腹立ちまぎれに目の前の小石を蹴ると、狙ったようにブロック塀に当たる。だが怒りは一向に治らない。
「っくしょう、兄さんめ。ちょっとくらい売れてるからって、いい気になってさ。ったくなんだよ、あの偉そうな態度は」
 不意に冷たい夜風が駐車場を吹き抜けた。
「ハ……、ハックション!」
 晩秋の夜ともなると気温もぐっと下がる。ステージ衣装のTシャツ一枚には寒さがこたえた。ライブでかいた汗のせいで余計に体の芯まで凍る。ハヤトは自分の肩を抱き、震えながら通用口の扉を開けた。
 仲間たちに今の出来事を説明しないで済ませる方法を考えながら、控え室まで歩く。しかしいくら考えても誤魔化ごまかし切れない。なにも語らずというわけにはいかないだろう。
 そう思うと、このあとのミーティングがうっとうしくてたまらなくなってきた。このまま荷物を持って帰宅したい気持ちを無理やり抑える。
 首にかけたタオルを肩に背負い、ハヤトはしぶしぶ控え室に戻った。扉を開けたとたん、仲間の視線が集中する。ハヤトは好奇な目にたじろぐことなく荒々しく椅子に座り、腕と足を組んだ。
 室内を満たす空気は気まずく、ハヤトの全身にまとわりつく。
 聞きたいことがたくさんあると顔に書いているくせに、みんな口をつぐんだままで不躾ぶしつけな視線をハヤトに絡ませてくる。いつもならマサルがテキパキと手順良くミーティングを進めるのに、今日はいつまでたっても始めようとしない。ワタルはもちろん、沙樹やバンドメンバーの態度までもがハヤトをイライラさせる。
「な、なあハヤト、北島さんは?」
 口火を切ってショウが控えめに尋ねた。
「兄さんがなんだって?」
 開口一番に兄の名を出されたハヤトは、全身に怒りのオーラをまとわせてショウを睨みつける。
「そ、そういえば沙樹さんからの伝言が、おまえのロッカーにとめてあったぜ」
 ショウは一瞬にして青ざめ、沙樹の残したメッセージをハヤトの前においた。そこには、急用ができたので今から帰るむねが書かれていた。詳細は不明だが、兄が絡んでいることだけは間違いない。
「まさか読んだりしてないよな」
 ハヤトは強い口調とナイフのように鋭い視線でショウを攻撃した。封筒に入っていたならまだしも、メモは裸の状態で止められていた。読むなという方が無理な要求だ。自分がこんなイチャモンをつけるくらい怒っているのを実感する。
「今夜のハヤトって荒れてんな。あいつにこんな面があったとはねえ」
 ショウは小声でマサルに話しかけた。
「荒れてて悪かったなっ!」
 ハヤトの大声で控え室の空気が震える。ショウは肩をすぼめ、黙ってうつむいた。
「そ、そろそろ始めるか」
 マサルのかけ声で、ようやくミーティングがスタートする。だが何も発言する気になれないハヤトは、腕組みしたまま壁をにらみつけていた。初めのうちはライブの反省点が出されていたが、上っ面の話に終始している。他のことに気を取られているのは一目瞭然だ。ハヤトは、さっさと終われよと心の中で毒づく。だがミーティングは終わるどころか、いつの間にか話題がワタルと沙樹に移ってしまった。
「北島さんと沙樹さんって、どういう関係なんだろ」
 マサルが首を傾げながらつぶやいた。
「ラジオ局で顔をあわせる程度の仕事仲間に決まってんだろ。だって北島さんには、浅倉梢っていう恋人がいるんだぜ」
 頬杖をついたショウが自信たっぷりに答えた。
「そのわりには修羅場っぽくなかったか?」
「マサルの言う通りだな。こんなところで仕事仲間が会うなんて偶然が起きるとも思えない。何か意図的なものを感じる」
 マサルの疑問に、ヒデが自分なりの考えを話す。
 好きに想像してろ、という心境のハヤトは、会話に加わらない代わりに止めもしない。
 当事者のつもりだったが、結局のところ何も知らないのはメンバーと同じだ。だからあえて黙っていた。
 しかしその堪忍袋は、発言を求められたことで尾が切れる。
「ハヤト、何か知ってんだろ」
「黙ってないで説明しろよ」
 メンバーが口々にハヤトを質問攻めにする。知らぬ存ぜぬを通すつもりでいたが、面白おかしく推測され、野次馬根性でそれが正しいのか問い詰めてくる仲間たちの態度に、ハヤトの頭の中で「ぷちっ」という音がした。
「うるさいな! 兄さんのことだぞ。詳しいことなんて知るわけないじゃないか!」
 ハヤトはどなりながら急に荒々しく席を立つ。椅子が倒れたが気に留めない。乱暴にロッカーを開けて荷物をまとめると、控え室の扉を開けた。
「おい、ミーティングはどうするんだ?」
 マサルがリーダーらしく引き止める。
「何がミーティングだ。黙って聞いてれば、さっきから兄さんと沙樹さんの話題ばかり並べて。これ以上つきあってらんないよっ」
 ハヤトは廊下を背にして立ち、切れ味のいい剃刀のような目つきで仲間を睨んだ。いつもは愉快なムードメーカーがひとたび怒りを爆発させると、怖さと迫力が尋常ではないことを三人は学んだ。
「それからな。兄さんと沙樹さんのことは、絶対に・・・だれにも・・・・、話すなよ。ひとりでも喋ったら、その瞬間からぼくはバンドを抜ける。解ったな」
 ワタルと沙樹の件で、仲間が噂や週刊誌ネタの発信源になったとしたら、ここではやっていけない。中学時代からの大好きな仲間だが、裏切り行為に手を貸すようであれば、今までのようには信頼できなくなる。ロック畑の中田やジャズバンドの近藤先輩も、以前から何度もスカウトしてくれている。残念だがそちらを選ぶしかない。音楽を続ける場所は他にもある。
 
 肩を落とす仲間を置き去りにしてライブハウスを出たハヤトは、ふたたび駐車場に戻った。ドアを荒々しく開け、車に荷物を投げ込む。
「なんだよ、兄さんも沙樹さんも。ふたりして秘密なんか作って」
 熱愛報道が始まった翌日、ワタルは突然帰ってきた。テレビや週刊誌で話題になっているから、身を隠す場所にここを選んだのは、聞くまでもなく理解できた。めでたい話題だと思っていたハヤトは、浅倉梢とのことでワタルを質問ぜめにした。だがワタルは熱愛報道について一切語らない。浅倉梢とお近づきになれるチャンスだと期待していたハヤトだったが、そんな単純ではないことをようやく悟った。
 ワタルは帰ってからほとんど外出しないし、ハヤトがいくら誘ってもギターすら弾かない。部屋に音楽が流れることはなく、引きこもりに近い状態でずっと本を読んでいるだけだ。
 今日のライブにしても、遅れてきた理由が特にあるとは思えない。急に思い立って顔を出してみた程度のことだろう。外部との連絡を完全に絶っているワタルに、野暮用があるはずもない。
 何をするわけでもなく日がな一日過ごし、自分の一部だったはずの音楽すら聴こうとしない。もちろん曲を作っているわけでもなく、ギターにも一切触れない。ワタルはプロデビューするまで毎年のように夏休みに帰っていたが、抜け殻のような姿を見たことはない。
 精神的にかなり疲れているのは、傍目でもよく解る。
 そんなとき沙樹がやってきた。彼女の雰囲気に業界人の匂いを感じたハヤトは、ワタルを捜しにきたレポーターだと思い込み、絶対に近づけてはならないと考えた。ステージが終わってすぐに話しかけたのは、沙樹をワタルに近づけないように監視するためだった。
 だが話しかけてすぐ、沙樹が芸能レポーターというのは誤解だと解った。早とちりを反省したハヤトは、罪滅ぼしのつもりで沙樹をサポートした。
 だがそれも束の間のことだ。
 沙樹の悲しげで切ない瞳に、観光を口実にした傷心旅行だと悟った。
 人の心はままならない。何かの拍子に見せる切ない瞳に惹かれ、自分も同じ目で沙樹を見ていた。それがわかったのは昨夜――自分のバイトするバーに行ったときだ。恋に落ちるのに、時間は必要ない。今にして思えば、罪滅ぼしというのは口実で、沙樹と一緒に過ごしたいという気持ちが気づかないうちに生まれていたのかもしれない。
 そんなハヤトの気持ちを知ってか知らずか、沙樹は冷たい雨の中を彷徨さまようという無謀なことをした。
 思いつめた沙樹を放っておけなかった。
 だがぎりぎりのところで沙樹の本心に触れた。傷心旅行の沙樹は、ハヤトを通して去っていった恋人の影を見ていた。だからあのとき、胸を貸す以上のことはできなかった。
 すべて錯覚だと解っていても、気持ちは抑えられない。別れた恋人の代わりでもいい。いつかは自分を見てくれるだろう。それまで待てばいい。
 なのに気持ちが抑えられず、ライブの直前にキスしてしまった。沙樹以上にハヤトが驚いた。
「ふたりとも、どうしてぼくに打ち明けてくれないんだよ」
 ワタルのため、あるいは沙樹のためにしたつもりが、すべて裏目に出た。
 沙樹がワタルの恋人だということ。そして捜しにきたことを話してくれたら、すぐにでも会わせられた。ワタルも「浅倉梢のことはただのうわさだ。沙樹という恋人がいる」と詳しく語ってくれていたなら……。
 ひとりだけ蚊帳かやの外に置かれていたせいで、噛み合うはずの歯車が外れてしまった。
「……まるでピエロだ」
 ハヤトは沙樹のことが気掛かりだった。一見自分の意思で選ばせたようで、実質無理やり連れて行かれたようなものだ。
 あの場でどちらかを選ぶなど、無理な要求だ。
「沙樹さん、大丈夫かな。いくら憔悴しょうすいしてるとはいえ兄さんはあれでタヌキだから、何を考えてるのか見当もつかないや。沙樹さんのことを恋人だなんて言ったけど本当かな。浅倉梢の交際宣言もあるっていうのに」
 沙樹を引っ張るためにその場しのぎのうそをついた可能性もある。報道の真偽をワタルは一言も口にしていないのだ。
 ふたりの行先は解らない。さりとていつまでも駐車場に留まっていても仕方がない。
「とにかく一度帰ろう。それから作戦を立てても遅くない……といいんだけど」
ハヤトがイグニッションキーを回すと、車のエンジンがかかると同時にカーステレオの電源が入り、オーバー・ザ・レインボウの曲が流れ始めた。まの悪いことに、ワタルがリードボーカルを務めた曲だ。
「クソッ。なんてタイミングだよっ! 余計なところで出てきやがって! 兄さんのばかやろーっ!」
 オーバー・ザ・レインボウのアルバムを取り出し、海外のハードロックバンドに入れ替えて、ハヤトは車をスタートさせた。
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