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第三章
三. 狙われたアイドル(五)
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通勤ラッシュを抜けて都内のホテルに着いたとき、時刻は八時をとうに過ぎていた。ここは梢が報道陣から身を隠している場所だ。格の高いホテルなので、宿泊客のことを漏らすような従業員はいないし、有名人を見つけたと言って騒ぐような客層でもないだろう。海外からの宿泊客も多いので、梢の顔を知っている人の割合も、他のホテルよりは低そうだ。
駐車場に車をあずけ、ワタルは指示された二階のレストランに行った。朝食をとる宿泊客でテーブルが八割ほど埋まっている。適度な込み具合だ。梢の姿を捜して店内を見まわすと、隅にあるふたり用のテーブルに姿を見つけた。梢はワタルに気がつき、右手を上げて合図した。
目立ちたくなかったワタルは、プライベート専用の黒縁メガネをかけ、なるべくラフで芸能人らしくない格好をしてきた。仕事以外で出かけるときと同じものだ。オーバー・ザ・レインボウのワタルだと気づかれることはめったにない。だがこの瞬間もワイドショー番組で頻繁に顔が出ている。完璧にごまかせる自信はなかった。
「ワタルさん、本当にごめんなさい」
梢はテーブルに顔が当たりそうになるくらいに深く頭を下げた。膝の上においた手がかすかに震えている。あれだけのハードスケジュール中で数々の嫌がらせにあったときでも、ここまで憔悴した顔を見せたことはなかった。
「梢ちゃんが謝るようなことじゃないよ。それよりこの場所は安心できる?」
「ええ、森下さんのおかげで、レポーターに気づかれずに移動できたの」
わずかな時間でも落ち着けるならば、梢の気持ちも休まるに違いない。
「でも、ふたりきりで会っているところを撮られていたなんて。ストーカーにずっと見られてるみたいで、気味が悪いの」
梢は記事のコピーをワタルに見せた。今朝のテレビでも報道されていたように、出会って間もないころ、レコーディング・スタジオの駐車場で話しているところが撮られている。勉強を教えるのが目的で梢の自宅を訪ねているところや、一緒に食事をした店の中、そしてワタルのマンションに来たときに、見送りに出たところの写真もあった。
出会ったころの写真はトリミングされたもので、実際はふたりきりのものではない。あのときは森下も一緒だった。仕掛人の悪意が見える。
どこでだれに見られているかわからない。今この瞬間も見知らぬ人物の視線が注がれているのだろうか。ワタルはそれとなくあたりを見回す。
レストランの中には多くの客がいるが、談笑したり、朝食を食べていたりで、特に怪しい人物は見かけられない。でも一般人を装い、その裏で会話を録音したり、隠しカメラで写たりしている人物がいるかもしれない。そんなふうに考えた途端、ワタルの背筋に冷たいものが走った。
だが梢には味方もたくさんいる。疑心暗鬼になって、存在しない幽霊に怯えては、相手の思う壺だ。
「心配しなくても、森下さんは梢ちゃんのことを一番に考えて、手をつくしてくれてるよ」
「それが彼女の仕事だもの。あたしのことを思って行動してるってわけじゃないの」
梢は腕組みをし、苛立たしげに森下のことを悪く言う。
「誰にも見つからずここに来られたのも、森下さんが機転を利かせて素早く動いてくれたからだ。おれのところにも、すぐに連絡をくれた。信頼できる人なのに、どうして?」
ワタルは穏やかに説得する。だが梢は鼻をフンと鳴らし、唇を噛んだままそっぽを向いた。互いに励ましあって嫌がらせを乗り切ってきたのに、どういうわけかその絆が壊れている。今の梢は完全に孤立して、誰のことも信用していない。
「あの人も、結局は芸能界の人なの。あたしのこと、単なる商品としか考えてないのよ」
「ちがうよ。森下さんは、本当に梢ちゃんの……」
「ワタルさんはどうして森下さんをそんなふうにかばうの?」
梢はワタルを睨むように見つめた。
「かばってないさ。おれは事実だけを話しているよ」
「自分でそう思っているだけじゃないの?」
「そんなことはないけど……」
梢はワタルに愚痴を言うために呼び出したのか。まず森下との絆を回復させる。梢の気持ちを落ち着かせるのはそのあとだ。
口元に手を当ててワタルは考える。
「ワタルさん、この機会だから本当のこと、話して」
「本当の……こと?」
梢は真顔で微動だにせずワタルを見つめた。責めるようなまなざしに目を逸らせない。
「ワタルさんって、あたしに隠れて森下さんとつきあってるんでしょ」
「……ええっ?」
自分でも驚くくらいの大声が出て、ワタルは慌てて手のひらで自分の口元を覆う。幸いそれに気づいた人はいなかったようで、誰もこちらをふりむかなかった。予想もしていなかった尋問に、ワタルの思考が停止する。
「ちょ、ちょっと待って。おれと森下さんがなんだって?」
「だから、だから彼女、あんなこと言ったのよ……」
威勢の良かった声が徐々に弱々しくなり、梢はうつむいたまま黙り込んだ。今にも泣きだすのではないかと、ワタルは不安になる。どんな状況であれ、女性の涙は苦手だ。
だがなんと言えばいい? 否定したところで信じてくれそうにない。納得させるためには、沙樹の存在を話さなくてはならないのか。
「森下さん、今朝あたしに『北島さんとプライベートで会うのをやめなさい』って言ったの。それで解ったのよ。森下さんはワタルさんの恋人なんだって。そしたらいろいろと思い当たることが出てきたの」
バイタリティーもあり、大人顔負けの仕事をこなすといっても、梢はまだまだ子供だ。発想があまりにも短絡すぎる。
「ワタルさんがあたしに親切にしてくれたのも、森下さんの気をひくためだったのね。いつのまにか親しくなって、楽しそうに話してたし。悔しいけどお似合いだなって何度思ったことか。あの人は今度のことを幸いに、あたしとワタルさんが会わなくなるように仕向けてるのよ」
「違うよ。頼むからそんな子供みたいな想像をしないでくれ」
「子供みたいじゃなくて、本当のことでしょ」
こんなことが梢を憔悴させている原因だったとは。梢は自分のおかれている状況が把握できていない。
駐車場に車をあずけ、ワタルは指示された二階のレストランに行った。朝食をとる宿泊客でテーブルが八割ほど埋まっている。適度な込み具合だ。梢の姿を捜して店内を見まわすと、隅にあるふたり用のテーブルに姿を見つけた。梢はワタルに気がつき、右手を上げて合図した。
目立ちたくなかったワタルは、プライベート専用の黒縁メガネをかけ、なるべくラフで芸能人らしくない格好をしてきた。仕事以外で出かけるときと同じものだ。オーバー・ザ・レインボウのワタルだと気づかれることはめったにない。だがこの瞬間もワイドショー番組で頻繁に顔が出ている。完璧にごまかせる自信はなかった。
「ワタルさん、本当にごめんなさい」
梢はテーブルに顔が当たりそうになるくらいに深く頭を下げた。膝の上においた手がかすかに震えている。あれだけのハードスケジュール中で数々の嫌がらせにあったときでも、ここまで憔悴した顔を見せたことはなかった。
「梢ちゃんが謝るようなことじゃないよ。それよりこの場所は安心できる?」
「ええ、森下さんのおかげで、レポーターに気づかれずに移動できたの」
わずかな時間でも落ち着けるならば、梢の気持ちも休まるに違いない。
「でも、ふたりきりで会っているところを撮られていたなんて。ストーカーにずっと見られてるみたいで、気味が悪いの」
梢は記事のコピーをワタルに見せた。今朝のテレビでも報道されていたように、出会って間もないころ、レコーディング・スタジオの駐車場で話しているところが撮られている。勉強を教えるのが目的で梢の自宅を訪ねているところや、一緒に食事をした店の中、そしてワタルのマンションに来たときに、見送りに出たところの写真もあった。
出会ったころの写真はトリミングされたもので、実際はふたりきりのものではない。あのときは森下も一緒だった。仕掛人の悪意が見える。
どこでだれに見られているかわからない。今この瞬間も見知らぬ人物の視線が注がれているのだろうか。ワタルはそれとなくあたりを見回す。
レストランの中には多くの客がいるが、談笑したり、朝食を食べていたりで、特に怪しい人物は見かけられない。でも一般人を装い、その裏で会話を録音したり、隠しカメラで写たりしている人物がいるかもしれない。そんなふうに考えた途端、ワタルの背筋に冷たいものが走った。
だが梢には味方もたくさんいる。疑心暗鬼になって、存在しない幽霊に怯えては、相手の思う壺だ。
「心配しなくても、森下さんは梢ちゃんのことを一番に考えて、手をつくしてくれてるよ」
「それが彼女の仕事だもの。あたしのことを思って行動してるってわけじゃないの」
梢は腕組みをし、苛立たしげに森下のことを悪く言う。
「誰にも見つからずここに来られたのも、森下さんが機転を利かせて素早く動いてくれたからだ。おれのところにも、すぐに連絡をくれた。信頼できる人なのに、どうして?」
ワタルは穏やかに説得する。だが梢は鼻をフンと鳴らし、唇を噛んだままそっぽを向いた。互いに励ましあって嫌がらせを乗り切ってきたのに、どういうわけかその絆が壊れている。今の梢は完全に孤立して、誰のことも信用していない。
「あの人も、結局は芸能界の人なの。あたしのこと、単なる商品としか考えてないのよ」
「ちがうよ。森下さんは、本当に梢ちゃんの……」
「ワタルさんはどうして森下さんをそんなふうにかばうの?」
梢はワタルを睨むように見つめた。
「かばってないさ。おれは事実だけを話しているよ」
「自分でそう思っているだけじゃないの?」
「そんなことはないけど……」
梢はワタルに愚痴を言うために呼び出したのか。まず森下との絆を回復させる。梢の気持ちを落ち着かせるのはそのあとだ。
口元に手を当ててワタルは考える。
「ワタルさん、この機会だから本当のこと、話して」
「本当の……こと?」
梢は真顔で微動だにせずワタルを見つめた。責めるようなまなざしに目を逸らせない。
「ワタルさんって、あたしに隠れて森下さんとつきあってるんでしょ」
「……ええっ?」
自分でも驚くくらいの大声が出て、ワタルは慌てて手のひらで自分の口元を覆う。幸いそれに気づいた人はいなかったようで、誰もこちらをふりむかなかった。予想もしていなかった尋問に、ワタルの思考が停止する。
「ちょ、ちょっと待って。おれと森下さんがなんだって?」
「だから、だから彼女、あんなこと言ったのよ……」
威勢の良かった声が徐々に弱々しくなり、梢はうつむいたまま黙り込んだ。今にも泣きだすのではないかと、ワタルは不安になる。どんな状況であれ、女性の涙は苦手だ。
だがなんと言えばいい? 否定したところで信じてくれそうにない。納得させるためには、沙樹の存在を話さなくてはならないのか。
「森下さん、今朝あたしに『北島さんとプライベートで会うのをやめなさい』って言ったの。それで解ったのよ。森下さんはワタルさんの恋人なんだって。そしたらいろいろと思い当たることが出てきたの」
バイタリティーもあり、大人顔負けの仕事をこなすといっても、梢はまだまだ子供だ。発想があまりにも短絡すぎる。
「ワタルさんがあたしに親切にしてくれたのも、森下さんの気をひくためだったのね。いつのまにか親しくなって、楽しそうに話してたし。悔しいけどお似合いだなって何度思ったことか。あの人は今度のことを幸いに、あたしとワタルさんが会わなくなるように仕向けてるのよ」
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