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第十三話 沙樹のトラウマ

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 あわてて哲哉がフォローする。
 ワタルを必要以上に心配させ、話を大きくしたのは、沙樹ではなくて哲哉の勝手な推理が原因だ。

(なんせ、『ファンが逆上して……』だもんな)
 それだけに沙樹ひとりを責めることはできなかった。

「けどさ、ワタルときたら、本当に真っ青な顔してあわてふためくんだぜ。仕事中に見せる冷静なリーダーさんにこんな面があったなんて意外だったよ、これが」

 吸いかけのタバコを灰皿におき、弘樹は腕を組んで背もたれに体を預け、
「それだけ沙樹ちゃんが好きなんだ」
 と、うなずきながら返事をした。

「お、おまえらなーっ!」
 ニヤニヤ顔の哲哉とひとりで納得している弘樹を、ワタルがどなる。
 沙樹は照れくさそうに両手を頬にあてて、顔を真っ赤に染めた。

「それよりさ、女の子ってゴキブリが苦手だっていうけど、西田さんは特別ひどくないか? 何か理由でも?」
「理由? まあ、あることにはあるけと……でもね、暗あい過去なのよ」
 哲哉の質問に、沙樹は人差し指で右の頬をかきながら、しゃべりはじめた。

「あれは高校三年生の夏のことだったの。
 受験勉強の傍ら、夜食のインスタント・ラーメン作ってたら……な、なんとそこに! 世にも恐ろしいビッグGが二匹も出たの」
 沙樹は急にゾッとした表情になった。

「今度は『ビッグG』かよ。ゴジラじゃあるまいし」
 名前を口にすると、呪われるとでも思っているんだろうか。
 訊くんじゃなかったと、哲哉の中で若干の後悔が生まれた。

「それまでのあたしは、Gが怖くても、退治くらいはできてたの。だからそのときも、すぐに殺虫剤をかけたのよ。
 そしたら……」
 沙樹は自分の腕で肩を抱いた。ひきつった表情が、そのときの恐怖を物語っている。

「飛びかかってきたのよ!」
「何が?」
 とワタルの冷たい声。

「Gが……あ、あたしの、顔に!」

 沙樹はその時の感触を思い出したのだろう。目をぎゅっと瞑り、両手を顔の前でバタバタさせている。

「Gの逆襲? 映画のタイトルみたいだな」
 話を聞いて、哲哉はまた力の抜ける思いがしてきた。

 殺虫剤をかけられて弱ったゴキブリが、反撃を狙ってこちらにむかって飛んでくるというのは、哲哉も体験したことがある。
 だが持ち前の運動神経で素早く身をひるがえしたおかげで、顔に飛びかかられたことはない。

「あたし、『いやーっ』って悲鳴上げてGをなぎはらったの。
 そしたらその拍子に鍋の柄に手が当たって、ひっくり返しちゃって――それがごていねいにも、床に軟着陸したG二匹の上にかかったのよ。
 あとはもう……話すのもイヤ。ご想像にお任せします」

「本当か? 話がうますぎる。なんか脚色してないか?」
 ワタルが疑わしげな視線を沙樹にむける。

「してないよ。本当に怖かったんだから」
 沙樹は唇を尖らせ、少しすねた顔で話を続ける。

「あたしは指と足をやけどしたの。
 当然、夜食はダメになったでしょ。作り直そうにも、それが最後の一個だったから、どうしようもなくて。
 その晩はおなかをすかせたまま、指と足の痛みに耐えつつ、徹夜で受験勉強したってわけ。
 それからしばらくは、Gに飛びかかられたときの感触が残ってて、死ぬかと思ったよ」

「それでゴキブリがダメにね……情けない話だ」
 ワタルが大きくため息をついて、うなだれた。

「なんてつまらないオチなんだよー」
 哲哉はあまりのばかばかしさに、ソファーの背もたれにのけぞり、天を仰いだ。
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