BLAZE

鈴木まる

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姫の願い

さすらい人と姫

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 音もなく着地をしたディルは素早く当たりを見回した。人の気配はない。ここは城の東棟のすぐ近くの塀を越えたところだ。王族の居室は西棟に集中しているから、警備はどちらかといえば薄い。

油断せずできる限り物陰を選んで音を立てずに移動した。何度か見張りを見かけた。見張りは廊下、階段の一から二階、といったように範囲を区切って一人または二人が置かれていた。

よく見ていれば行動パターンが見えて、すきをついて通り過ぎることができた。ばあさまの占いでは、東棟の三階に植物園があるということだった。その中の真ん中あたり、ハート型の葉で白い六枚の花びらの花を付けた植物が目的の月雫草だ。

植物園らしい温室の入り口まで辿り着くことができた。入り口に鍵はかかっていない。そっと入り込み目的の薬草を探した。

(あった!)

月明かりを浴びてキラキラと輝く、月雫草が温室中央にあった。これを持ち帰れば姉もみんなも助かる。

「誰かいるの!?」

背後で声がした。バッとふり向くと…そこにいたのはザーナ姫だった。式典か何かで一度顔を見たことがある。

なぜ真夜中の温室に…いや、それよりどうする?逃げるか、気絶させて強引に月雫草を持ち去るか。ディルが迷っている間に姫は近付いてきた。

「あなたは…もしかして、旅芸人の方?」

ディルはびっくりして思考が一瞬止まった。なぜわかる?顔を布で覆っているのに…。

「そうなのですね?以前拝見したことがありますの。その時私感動いたしまして…父に私も曲芸をやりたいとわがままを申したことを覚えてますわ。」

姫はどんどん近付いてくる。怖くないのだろうか。

「あなたは、何をしにここへ?」

姫の問いかけにディルは正直に打ち明けた。姫の柔らかな雰囲気に逃げたり危害を与えたりする気をそがれてしまった。

「だから、どうしても月雫草が欲しかった。…俺は捕まっても仕方ないが、鳶の塊のみんなは見逃してほしい。」

ディルは顔布を取り、頭を下げた。

「顔を上げて下さい。そのような事情でしたら、喜んでその薬草は差し上げますわ。」

ディルは目を丸くしてザーナ姫を見た。そんな、世間知らず過ぎる。

「ただし、条件がありますの。」

ああ、そうだよな、とディルは半ば諦めたように納得した。死刑になるのか、終身刑か…鳶の塊の王都への出入り禁止か…。少しいたずらっぽく笑って姫は続けた。

「私に外の世界のことをお話しくださいませ。そうしたら、その薬草は好きなだけお持ちいただいて結構です。」

ディルは力が抜けてしまった。そんなことでいいのか。

「あの、もちろんこのことは口外なさらないでくださいね。私の兄が聞きつけたら、きっと許しませんもの。」

姫は慌てて付け足した。当たり前だ。こちらは命がかかっている。口外するわけがない。

「あんた、俺のことが怖くないのか?」

先程からずっと疑問に思っていた。見たところ近くに衛兵もいないし、姫自身が戦えるようには見えない。

「ええ。人の気を読むのが得意なんですの。あなたからは、優しくて、必死な思いしか伝わってきません。」

巫女の力か。にっこりと微笑むザーナ姫に敵わないな、とディルは思った。ディルは王都以外の街の様子をいくつか話して聞かせた。ザーナ姫は「本で読んだ通りですわね!」とか「そんな不思議な光景があるのですね!」とか楽しそうに相槌を打って話を聞いた。

空がそろそろ白んでくる頃になって、ディルは話をようやくやめた。

「まだまだ聞きたいですけれど…あなたが捕まってしまってはお仲間も困りますものね。もちろん私も。」

月雫草を園芸鋏で丁寧に切り取り麻紐で束ねて、姫はディルに手渡した。

「とても楽しい時間でした。私は時々城の姫巫女であることに嫌気が差してしまって、こっそり皆が寝静まった夜に一人でここに来るんです。今日はこんなプレゼントがあって、本当に嬉しかったですわ。あなたのお仲間が無事病から回復するのを祈ってます。」

姫は少し残念そうだ。ディルも、後ろ髪を引かれる思いだった。

「また王都に来たら…来るよ。これだけじゃ、その薬草には見合わない。」

言ってしまってから、何を言ってるんだと心の中で自分で突っ込んだ。こんな危険をまた侵すというのか。姫も驚いた顔をしている。

「それは…嬉しいですが、もう充分です。ここまで来るのもあなたには命がけですから。さあ、もう行ってください。」

姫に促されてディルは温室をあとにした。顔布をまた巻きつけ、見張りに見つからないよう慎重に脱出した。

 ディルの持ち帰った薬草により鳶の塊は、病から救われた。ディルは鳶の塊のみんなから非常に感謝された。

しかし、時折何だか寂しそうな、夢を見ているような、なんとも言えないぼーっとした顔をすることがあった。それに気付いたのはベルだけだった。

「ねえ、あなた何か変よ。あの城に侵入してからかしら。」
「何かって…俺はいつも通りだよ。」
「何か隠してるでしょ?言いなさい!」
「うっ…や、やめ…。」

ベルが関節技をきめてきたので、たまらずディルは白状した。姫に見つかったこと、交換条件で外の世界の話をしたこと。また会いにいくと言ってしまったことは黙っていた。

「ふうん。姫様っていうのは心が広いのね。私達の恩人になるわね。」

 それからまた色々な地域を回って、再度王都にやってきた。ここ数年、鳶の塊は王都を中心に動き回っているので、やってくる回数は他の塊より多かった。

真夜中になり、ディルはまた同じルートで城へ侵入した。以前よりも警備が薄い気がした。温室へ向かいながら、また会えるかもしれないと高鳴る気持ちとなんて馬鹿なことをしているんだと自分を蔑む気持ちがせめぎ合っていた。

前回同様温室には鍵はかかっていない。そっと中に入った。誰もいない。それはそうだ。前回姫がいた事のほうがおかしいのだ。誰かに見つかる前にさっさと立ち去ろうと思った矢先、声をかけられた。

「ディルですか!?」

ザーナ姫だった。満面の笑みだ。それを見ただけで、来たかいがあったと思ってしまったディルは、自分でこれは末期だなと苦笑いした。

「やっぱり!今日さすらい人の一団が王都に来たと聞いたのです。もしかしたらと思って、こちらの塔の警備は手薄にしておきましたわ。」

そう言って、ザーナ姫は温室内のベンチに座りディルにもそうするよう指し示した。夜明け近くまで二人は語り合い、次の日も来るとディルは約束して帰った。

そうして、王都にいる間は真夜中に毎日姫のもとを訪れた。王都を離れてまた戻ってきたときにも必ず訪ねていった。姫の方でも必ずディルを待っており、土産話を楽しみにしていた。

姫との時間は本当に楽しかった。鳶の塊での生活に不満があるわけではない。しかし、姫と話している時は普段の生活では味わえないような喜びがあった。ディルは心の片隅でこんなこと続けていても仕方がないという思いを持ちつつ、やめることができなかった。 

 ある時、また王都を訪れるとお祭りのようだった。この時期には祭りはなかったはずだが…と都のあちらこちらに立っているのぼりを見ると「ザーナ姫成人の祝」と書かれていた。姫は十八歳になるのだ。

王族の誕生日は毎年祝われているが、成人する年は格別盛大にお祝いすることになっている。ディルは今晩訪ねるときに何かプレゼントとして渡そうと考えた。それと同時にもう会うのは最後にしようと覚悟を決めた。

成人した王族はお見合い等をして、結婚相手を探し出す。自分は絶対に姫の相手にはなれない。今後の姫の幸せを願うのならば、もう離れなくてはならない。

 夜中、また例の温室での密会時にディルは小さな花束を姫に渡した。

「まあ!この地域では珍しいムラサキアゲハモドキですわね。嬉しい…!」

以前話したときに、本物を見てみたいと姫が言っていたものだった。興行が終わってから、こっそり森へと探しに行ったのだ。姫は花束に顔を埋めるようにして匂いを嗅いでいる。

「ザーナ姫。」

いつになく真剣なディルの声に、姫はゆっくりと顔を上げた。すでに目に涙が溜まっている。何を言われるのかわかっているのだ。それでも、言わなくては、とディルは自分に喝を入れた。

「今日で最後にする。姫は成人した。これから更に王族としての責任を果たしていかなくちゃならない。俺は…もうここには来ない。」

姫は俯いた。ぽとりと涙が花束に落ちた。

「ええ…あなたがそう言うであろうことはわかっていました。あなたは正しい。本来は、私からお伝えすべきことなのに…。今まで命がけで何度も会いに来てくれました。それを私は止めませんでした。」

ごめんなさい、と姫は泣きながら謝罪した。ディルは謝ってほしいわけではないと姫の顔を上げさせた。

「『歴史の後半』俺の真名のヒントだ。真名をさすらい人以外に伝えることは禁止されているから、流石に直接は言えない。けど、簡単な言葉遊びだから、賢い姫にはすぐわかると思う。」

姫の涙は止まるどころかさらに溢れてくる。

「私を…さらってください!城の生活に未練はありません。常闇の鏡の封印は、兄もできるのです。私は…あなたと生きたい。」

姫はディルの胸に体を預けた。ずっと触れないようにしようと思っていたディルだが、思わず抱きしめた。か細く頼りない、華奢な体だった。しかし、温かく優しい香りがした。

ずっとこうしていられたらいいのに…とできないとわかっているがゆえに、強く願った。

暫くして、ディルはそっと姫を押して離した。

「姫、あなたが一番わかってるはずだ。そんなことはできないって。」

姫の涙の勢いは少しだけ収まってきた。

「ではせめて、私の真名をあなたと共に連れて行って下さい。あなたが私にしてくれたように。」
「それは…俺の真名とじゃ重みが違う。俺はあなたの真名を知ってももちろん誰にも言わない。でも、世の中には人を操ったり巧妙に騙したりするガラやゾルもいる。知っていることで自分の意志と関係なく漏らしてしまうかもしれない。あなたの真名が悪意あるものに知られてしまったら、この国は終わってしまうかもしれない。」

せめて真名だけでも、という姫の気持ちが痛いほどわかったが、聞くわけにはいかなかった。

「それでも、私はあなたに知っていてほしいと思うのです。私の真名は…」
「ダメだ!そんな風に軽々しく言ってはいけない!」 

ディルは慌てて姫の口を手で塞いだ。姫はそれを全力で引き剥がした。

「軽々しくはありません!私の心からの気持ちなのです。」

そんなことはわかっている。ディルの目にも涙が溢れてきた。本当はこんなやり取りをしていないで、連れ去ってしまいたい。どこかで二人で穏やかに暮らして、真名で呼び合える関係になれたらとどれ程夢見たことか。

「私の真名は…。」

ディルは耳を塞いで姫から目を背けた。

「ザーナ姫、俺は…心から姫のことを想っている。これからも、あなたの幸せを願っている!」

そう叫んで全速力で温室をあとにした。後ろから姫の呼び叫ぶ声が聞こえたが、振り向かずにそのまま城を出た。

 
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