BLAZE

鈴木まる

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潜入

初めて

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 ラズが重たいまぶたを押し上げるようにして目を開けると、ミックが蟹のガラと交戦しているのが見えた。驚いたことに自分の剣を使っている。窮地に追い込まれて恐怖を克服したのだろうか。

蟹のパンチで吹っ飛ぶミックに「逃げろ!」と叫んだが声にならなかった。このままでは、ミックが死んでしまう。死んでしまう…もう、あの幼い子供のような屈託のない笑顔や、真っ直ぐ覗き込むように向けてくる優しい瞳を見ることができなくなる。

そう思った瞬間、とてつもなく大きな感情が胸の内に湧いた。怒りとも悲しみとも言えない、強く祈るような気持ちだ。今まで感じたことのない思いをどう処理すれば良いのかわからなかったが、確かなのはとにかくミックを失いたくないということだった。

しかし、体が動かない。骨も内蔵もダメージを受けている。背中の傷からは血を流しすぎた。せめて、左手首の数珠をはずせれば…。

ラズがどうにか左腕を動かそうと力を込めた瞬間「舞鶴!!」とミックの叫び声が聞こえ、蟹を切り裂く音が響いた。

しばらくして、蟹がひっくり返った。ミックは、蟹の向こう側に立っている。なんと、たった一人であの巨大なガラを倒してしまった。しかも何年も振るうことのなかった剣で。ジークが「俺より強くなる。」と自慢気に評していただけのことはある。

蟹が消え去ったことでミックの姿をよく見ることができた。酷い姿だ。ボロボロで頭から血を流している。しかし、生きている。ラズは大きな安堵を覚えた。失わずにすんだ。

ただ、様子がおかしかった。ラズに近づこうとして踏み出し、そのままよろけてしゃがみこんだかと思うと頭を抱えて苦しみだした。何かブツブツ言っている。かろうじて聞き取れた言葉は「…私だ。」だった。その呟きを最後にミックは倒れてしまった。

何がミックを苦しませたのかはわからないが、一刻も早く医者に見せなくては。ミックは自分と違って、傷はすぐ塞がらないし、血を流しすぎれば後遺症を残す可能性がある。ラズは渾身の力で左腕を持ち上げた。重たく、自分の腕ではないようだった。どうにか顔の前まで手首を持ってきて、数珠を口で加え手首から外した。


 「わお!やっぱりあいつ仲間にしたいね。」

ミックとラズが蟹のガラと交戦していたところから数十メートル離れた木の上で、理望が興奮して言った。緋色のドラゴンが手にミックを抱えて森から飛び立っていく様子を、楽しげに眺めていた。 

「なんと、まさか变化までしてそれがドラゴンだとは…貴重な戦力になりそうですな。」

団蔵も遠ざかるドラゴンを見つめている。

「今回は多くの収穫がありましたね。最初、あの蟹が逃げ出して近衛兵にでくわしてしまった時は、ひやひやしましたが。思惑通り、あなたの半身の心は壊れました。」

環はニヤリと笑って理望を見た。理望はまだ遠ざかるドラゴンを見ている。

「楽しみだよ。私がすべてを手に入れたら、アイツはどんな顔するかなぁ。」

無邪気な子供のような笑顔だが、目の奥にどす黒く邪悪な心が隠れているのを環と団
蔵は見て取ることができた。それでこそ、闇の民を率いるのに相応しい。




 ウィンストールは織物が盛んな街だ。この街では伝統的に家紋の代わりにチェック模様が用いられていた。今では、家紋という枠を越えて、デザインとしてストールやジャケットなど様々なものに用いられている。ウィンストールチェックと呼ばれ、王都でも密かなブームを巻き起こしていた。

そんなウィンストールの街の外にドラゴンが飛んでいたと噂が立ったのが二日前。ラズが街の門を一歩越えたところで、気を失ったミックを抱えたまま倒れたのも二日前。親切な街の人達が二人のひどい怪我を見て、病院まで運んだ。この予感が当たらなければいいと思いつつ、二人が病院に担ぎ込まれることを感じていたベルが、二人の居場所を突き止めた。

ラズは全身酷い打撲で、背中の傷は何針も縫った。ミックも全身打撲。左肩の骨折。二人共どうやってここまでたどり着いたのかわからないくらいの大怪我だった。

 ラズが目を覚ました時、たまたまベル、ディル、シュートの三人は揃って病室にいた。三人とも何かしらウィンストールチェックの衣類を身に着けており、ラズは自分達が死物狂いで向かっている間にこいつらショッピングを楽しんでいたのか…と軽く殺意が湧いた。

「お、目が覚めた!ラズ、気分はどう?」

ウィンストールチェックのストールを胸の前に三角形ができるように小粋に巻いたディルが、ラズのベッド際に近寄った。ウィンストールチェックのキャスケットを被ったシュートが水差しでラズに水を飲ませようとしたが、ラズはそれを奪うようにして取り、自分で口の中に水を注いだ。

「貴様、室内では帽子を取れ。浮かれるな。」
「まあまあ、ラズにもちゃんと買ってあるから。ウィンストールチェックの手袋!」

ラズの苛々の理由をおかしな方向に捉えたシュートに、更に苛々した。

「ミックは?」

苛々しすぎて一番最初に聞くべきことを、言いそびれていた。ミックはラズ以上のとても酷い怪我だった。

「一命は取り留めたわ。でも、まだ目は覚まさない。ずっと、うなされてるみたいなのよ。」

ウィンストールチェックのストールを首から垂らすようにしてかけているベルが、ラズの体調を気遣いつつも、ここにたどり着くまでに一体何が起こったのか尋ねた。ラズは森の中での出来事を三人に話して聞かせた。

「連戦だったのか。それは流石の君もミックもきついね。」

ディルは顔をしかめた。

「ガラの蟹と戦ったあと、ミックは様子がおかしかった。怪我のせいだけではなさそうだ。恐らく、ジークの…父親の事件が関係している。」

ラズは言うべきか迷ったが、ミックのためには必要だと判断し、ミックが剣を使えなくなったきっかけについて話した。ラズの回復を喜びつつも、ミックについては三人とも不安が拭えなかった。

「剣を使ったことで、その事件のことをきっと思い出したんだよな。実の親が目の前で死んだんだ。相当なトラウマだぜ…。その衝撃を脳が受け止めきれなかったんじゃねぇかな。」

シュートの説明はラズの考えと同じだった。しかし、最後にミックが呟いた「…私だ。」が引っかかっていた。何か絶望的な事実を見つけてしまったかのような、悲しく暗い響きだった。

 シュートに厳しく止められていたが(「絶対に、絶対に寝てろよ!じゃないとウィンストールチェックの手袋やんねぇからな!」)、三人が宿へと帰った後、ラズはミックの病室を訪れた。

ミックは眉間にしわを寄せ、苦しそうな表情で眠っている。時折口元が僅かに動く。ベルの言っていた通り、酷くうなされているようだった。

ミックの笑顔が見たい…唐突にそう思ってしまった自分に驚いた。この旅では、自分の感情についていけないことが度々ある。人のことが気になるのも、心配になるのも、ましてや元気な姿を望んでしまうのも、初めてだった。
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