世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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政治派閥ってやーね

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 アシャドル王国の政治の中心と言えば、当然王都の北側中央にある城がそうだと誰もが答えるだろう。
 実際、官僚の多くも城に詰めているので、そこで国が動いていると言っても過言ではない。

 ただし、城と言うのは王の住む場所でもあるため、セキュリティ上の観点から行政機能の一部は城外にも存在している。
 日本で言う所の市役所の支部のようなものだ。

 宰相や大臣クラスの裁決を必要とせず、緊急性もないレベルの案件に関しては、この城外の役所で処理される。
 一般からの陳情などもまず最初にこの役所に集められるため、民意が最初にくぐる門としても知られている。
 行政上の手続きなどもここで行えることもあって、日中はいろんな人で賑わう場所でもあった。

 そんな役所にある、文官の中でも上位の人間に与えられる執務室で、俺とパーラは妙齢の女性に抱きつかれて身動きが取れなくなっていた。

「セインさん、苦しいよ。そろそろ離して」

 実際はそれほど強い拘束ではないのだが、照れくささからそう呼びかけるパーラの声に、セインもようやく俺達からその身を離した。

「あぁ、ごめんなさいね。手紙で知らされていたけど、こうして目の前に現れるとやっぱりね」

 流石に部屋に入っていきなり抱き着いたことを謝ってくるが、それだけ感極まっての行動だと思うと非難する気にはなれない。

 早朝、宿にやってきたセインの使いに連れられて、役所の一室のドアを開けた途端にタックル気味で抱き着かれて今ここ、という状況だ。
 どうやら昨日俺の手紙が届いてから、この役所での面会を計画していたようで、一応夜中に呼び出さない配慮だけはあったようだが、それにしても寝起きでそのまま連れてこられたのには参った。

 とはいえ、行方不明者として処理はしたものの、ほぼ死んだと思っていただけに俺達の無事を知ったセインの気持ちを考えると、よく一晩堪えたものだと感心してもいいぐらいだ。
 短い付き合いながら、セインの情け深さはよく分かっているからな。

「ともかく、二人とも無事で何よりよ。あの後どうなったのか、教えてもらえるかしら?」

 勧められたソファに座り、出された茶を啜りながらセインの求めに応じてここまでの旅についてを騙って聞かせる。
 無窮の座で神と交流したことは言わず、別の大陸に飛ばされてからどうにかここまで戻って来たという程度の濁した話でだ。

 一通り話し終えると、セインは難しい顔をして溜息を吐く。

「巨人の核晶に過剰な魔力を流したことで破壊したってのは、現地で巨人の死因を調べた魔術協会の報告書とも矛盾はないわね。その核晶の崩壊によって発生した謎の現象によって、別の大陸に転移した、と。…あなた達が嘘を言うとは思わないけど、にわかには信じられないわよ」

「気持ちはわかりますよ。俺達だって、この身に降りかからなければ与太話の類だと笑い飛ばしてたでしょうから」

 嘘は言っていないが全てを話してもおらず、真相としては光の精霊やら天界やらも絡んだもっと胡散臭い話になるのだが、セインの精神衛生上、全て話すまでもない。
 こうして事実を並べただけでもかなり荒唐無稽な話なのは確かで、話したこちらの頭の中を疑われないのは、それなりに信頼されている証拠だ。

「転移に関しては、過去にそういう事例があったとは聞くわね。遺跡の機構の暴走で、居合わせた人間の体のが別の場所に瞬間的に移動したとか」

 そんな事例があるとは。
 魔術が普通にある世界なら無いこともないだろうが、それにしても怖い話だ。
 よくネタにされる『いしのなかにいる』状態に似たケースで、人の体の一部分のみが転移の対象になって、体から切り離されたといったところか。

「魔力によって引き起こされた災害と考えれば、本当に二人とも、よく無事だったわね」

「今の話を聞いたら、心底そう思いなおしましたよ」

 実際は光の精霊が俺達を天界へと移動させたので、セインの言うような事例とは少し違うが、光の精霊の暴走という観点で見ると、そうかけ離れてもいない。
 そして、今の肉体も新しく作り直してもらったものである以上、無事にこうしていることの奇跡を改めて思い知った。

「それにしても、イアソー山からいきなり別の大陸へ行って、それから地道にここまで来たとなると、大変だったでしょう?聞くところによれば、海を渡るのにもかなりの手間がかかるらしいじゃない?」

「まぁ俺達は色んな人の協力もあって、多少旅程は短縮できましたよ。それでも長い旅でしたが」

 何の伝手もない土地で大陸を渡る船に乗る事すら困難で、しかも海路の途中で沈む可能性も低くない旅だ。
 普通なら、向こうの大陸で三年以上の時間をかけてコネを築き、ギャンブルに近い形で海を渡るという危険な方法しか選べなかっただろう。

 だが幸いにして俺達は多くの出会いに恵まれ、ドラゴンという圧倒的な強者によって安全で短い航海で海を渡ることができた。
 改めて考えると、かなり運がよかったとも言える。

 …いや、相応に苦労もしたし、運がいいというだけの話でもないかもしれない。
 いいか悪いかで決めるにはかなり難しいな。
 まぁ出会いとはそういうものだと思えば、悪くはなかったという結論になるか。

「あ、そうだ。私ら、セインさんにお礼言わなくちゃね」

「お礼って、なんの?」

 パーラが口にしたお礼という言葉に、首を傾げるセイン。

「ほら、私らのことを行方不明ってことにしてくれたでしょ?死亡って認定してもいいのに、そうしなかったおかげで、こっちの大陸のギルドですぐに身元が証明出来て助かったんだから」

 死人と見做された者がギルドに現れても、一応身元の証明は出来なくはない。
 だがその手間は決して些細なものではなく、それに比べれば行方不明者の帰還の方が手続きは楽になる。
 そういう意味では、俺達の身元も財産も守ってくれたのはセインだと言ってもいい。

「あぁ、そのこと。別にお礼なんていいわよ。そもそもそうするように進言したのは、ミルリッグ卿とイーリスさんの二人だもの。私はそれに乗っただけ」

「それでも私らが生きてるって信じてたんでしょ?だったらお礼言わないと」

「そうは言ってもね、イアソー山じゃ死人も行方不明者も多かったのよ。あなた達二人をどう扱うかも、どっちにしろ手間は変わらなかったわ」

 確かにあの当時、イアソー山で巨人討伐の指揮を執っていたセインにとっては、たかが冒険者二人の死亡か行方不明かの判定など些末事に過ぎなかったはずだ。
 戦闘後の処理もやることは多かっただろうし、それこそ大量に発生していた死亡者の中に俺達の情報が埋もれていたとしてもおかしい話ではない。

 イーリス達の進言があったにしろ、俺とパーラを行方不明者として最終的に処理するのを決めたのはセインなので、俺達の感謝の気持ちは決して小さくはない。

「俺達がすぐに冒険者ギルドで生存を証明できたのはセインさんのおかげなのは確かですよ。そのことについては礼を言わせてください」

「…わかったわ、じゃあお礼の言葉は受け取っておきましょう。でもその上で、あなた達が無事に戻ったことの方が立派だと私は思っていると分かって頂戴」

 一応俺達からのお礼の言葉は受け取ってもらえたが、あえてそこに一言を添えてきたのは、セインのけじめのようなものだろう。
 状況が不明瞭だったとはいえ、俺達の生存を信じ切れなかったことの後ろめたさもあるようだ。

 あの時のことを考えればセインの判断は正しいものだ。
 しかし、彼女の性格的には当人を前にすると悔いずにはいられないのかもしれない。
 こういう律義な所はセインの美徳ともいえるが、後に引きずるといいことはないので、程よいところで切り替えたほうがいい。

 丁度イーリスの名前も出てきたところだし、そっちの話題に変えるとしよう。

「ところでそのイーリスさんですけど、今もあの人はイアソー山に?」

「そうらしいわね。私にはもう巨人関係での詳しい報告は上がってこないけど、あっち関連での知り合いがたまに情報はくれるから―」

「ちょっと待ってください。セインさんに巨人関係の報告が上がってこないって、どういうことですか?あの時巨人討伐を指揮したのはセインさんでしょう?」

 なんともないようにセインは言ったが、俺はそれを聞き逃すことができなかった。
 イアソー山で巨人と対峙し、少ない兵力で立ち向かえていたのはセインの尽力が大きい。
 それがまるで、戦いが終わると共に巨人周りのあれこれから排除されたようではないか。

「んー…まぁそう思うのも仕方ないけど、こればっかりはね。そのあたりはあんまり面白い話じゃないんだけど、聞く?」

「差し支えなければ」

「そう、わかったわ。あなた達だから教えるけど、これ、あんまり他に言いふらさないでよ?外聞の悪い話も含んでるんだから」

 そう言い含めつつ語られたセインの話は、確かに気分がいいとは言えない話だった。




 イアソー山での巨人討伐の後、しばらくは現地で戦後処理をしていたセインだったが、ある時突然王都への帰還命令が下る。
 後任に一切の権限を引き継いで、急ぎ巨人との戦いの報告を直接せよという今更な命令に首を傾げつつ、官僚であるセインは従わない選択肢などありえず、素直に王都へと戻って来た。

 この時点で奇妙な違和感を覚えていたセインだったが、その後はアシャドルの上層部へ形ばかりの報告会があっただけで、次に与えられたのは巨人とは一切関わりのない今の仕事だったという。

 普通に考えれば、最前線で巨人と戦ったセインが、その後も現地で巨人の死骸を差配するのが筋なのだが、実際はイアソー山の安全が確認された時点で王都への帰還命令が出された。
 明らかに何かの力が働いたとしか思えない状況に、自分の伝手をフルに使って探ってみれば、やはりセインが王都に戻されたのはある派閥の画策によるものと分かった。

「私が属してる派閥、と言っていいのかしら?ともかく、それをよく思わない派閥ってのがまたいるのよ。その連中は、私が巨人の死骸を使って政治的な発言力を手にして、自分達を排除するって思いこんだみたいなの。だから、とにかく私をイアソー山から引き離して、力を削ごうとしたようなんだけど…笑っちゃうわよね。巨人の死骸を使って政治的にどうこうしようなんて、端からこっちにはその気なんてなかったのに」

 困ったように小さく溜息を零しながら肩をすくめるセインは、その顛末が心底くだらないと思っているようだ。
 本人は真面目にイアソー山での戦後処理に勤しんでいたというのに、別派閥の先制攻撃的に半ば無理やりにイアソー山から引き揚げさせられたのだから、それも面白くないのだろう。

 今のアシャドルは、巨人の死骸を使って魔道具研究を進めようという機運が、国全体を動かしているようなものだ。
 そこに一噛みできれば将来的に政治での発言力も増すこともできるし、なにより分かりやすい手柄として今後の栄達にもつながるとあれば、俗物的な政治屋なら何をおいても自分達の権益に引き込もうとするに違いない。

 このあたり、世界は違えど日本の政治家とも変わらないな。
 世の中には悪い政治家がいるんじゃなく、悪い奴が政治家になるというだけの話だ。

「その派閥の誰かが欲張ってくれたおかげで、今の私は巨人に関することからは遠ざけられてるというわけなのよ」

「ひどい話だね、それ。セインさんはあんなに頑張ってたのにさ!後から手柄を横取りするなんて、人として最低だよ」

 ここまでの話を聞いてパーラが鼻息を荒くするが、それを見てセインはなんともいえない笑みを浮かべる。

「国に属していればこういうのはよくある話よ。ただ、私がいなくなった後のイアソー山は大変みたいだけど」

「大変って、なんかあったの?」

「マクイルーパという国は知ってるわね?アシャドル王国は巨人との戦いであの国にも援軍を求めていたんだけど、来たのが戦いが終わった後でね。せっかく来たのに『何の成果も得られませんでした』じゃ国には戻れないから、巨人の死骸の権利を主張して現地で今も揉めてるのよ」

「あれですか。ソーマルガでも少し話を聞きましたよ」

 実際は大地の精霊から聞いた話なのだが、ソーマルガでも似たような噂話はあった。
 わざわざ他国にまで来てごねる様は見苦しいと、呆れる声もよく聞かれた。

「やっぱりソーマルガでも噂にはなってたのね。まぁ丁度ミルリッグ卿が帰る時にマクイルーパが騒いでたし当然か」

 援軍としてソーマルガ号でやってきた兵士達の数は、最終的に二千人を超えるかなりの大所帯だった。
 巨人による犠牲者が出て帰国者の数が幾らか減ったとしても、それだけの数の人の口に戸は立てられない。
 アルベルト達がソーマルガに帰るタイミングでマクイルーパがごねたのを見せられては、故郷への凱旋を思い描いていた兵士達にとっては一層見苦しく映ったのだろう。

「それと、ミルリッグ卿の後釜でソーマルガから来た役人も、あまり上等な人間とは言えないのよね。私も面通しはしたけど、こっちを下に見て接してくるのが嫌な感じよ。私の後任を任された誰かは、今頃マクイルーパとソーマルガにつっつかれて随分と胃を痛めてるでしょうよ」

 流石にセインとしてもバリバリに働いていた現場から一方的に異動させられたことに何も思わないわけがなく、さっきまでの達観していた雰囲気から一変して、今度は底意地の悪そうな笑みを浮かべている。
 巨人の死骸で楽に利益を得ようなどと企んだどこかの政治屋も、他所の国が干渉している面倒くさい今の事態にはきっと頭を抱えていることだろう。
 それを想像すると、セインの留飲も多少は下がるのかもしれない。

「ソーマルガとマクイルーパが騒いでいる横で、アシャドルは魔術協会が主導して新技術の開発を現地で行ってるわけですか。向こうの開発環境はどうなってることやら…」

「決していいとは言えないと思うわ。でも、新しい発見はそれなりにあるみたいね。最近聞こえてきたのだと、大量の魔力を蓄えられる結晶が見つかったそうよ。これは多分、さっき二人が言ってた巨人の核となっていた結晶体のことでしょうね」

 大量の魔力を蓄える物質となれば、心当たりがあるとしたら精霊核晶か。
 あれは光の精霊という、莫大な魔力の塊を封じ込めることもできてしまっていた脅威の物質だ。
 太古の文明が作り上げたものだけに模倣は難しいとは思うが、上手く量産できれば魔道具のエネルギー源に革命が起こりそうなポテンシャルはある。

 今アシャドル王国が血眼になって開発を推し進めている飛空艇にどう生かせるかは、開発者達の今後の成果次第といったところか。

「うぇ、あれに手を出してんの?なんかあっちに行く気無くなりそう」

 精霊核晶に直接触って酷い目にあったことを思い出したようで、苦い表情を浮かべるパーラ。
 俺達が無窮の座に飛ばされたのは光の精霊がしでかしたところが大きいため、ただの抜け殻となった精霊核晶それ自体にはあまり危険はないとしても、あまり関わりたくないという気持ちはよく分かる。

「流石にもうあの時みたいなことにはならんだろうが、俺もあんまりいい思い出のあるもんでもないしな」

「二人とも、そんなに怖がらなくても大丈夫よ。一応危険はないって話は聞いてるんだから。それよりあなた達、イアソー山に行くみたいだけど、どんな用事で行くつもり?」

「あれ、手紙に書いてませんでしたか?バイクの修理ですよ。ほら、俺達のバイクを作ってくれたクレイルズさんって魔道具職人が今あっちにいるんで、帰ってくるのを待つよりもこっちから行く方が早いと思ったんです」

「それと、イーリスさんにも会いに。私らのことを探しててくれたんだから、無事を知らせなくちゃね」

 俺達が死亡したとは早くに処理されなかったのは、アルベルトとイーリスの進言も勿論だが、彼女が捜索を続けてくれていたことも大きい。
 それがなければ、ギルドの方では死亡認定が早々に下っていた可能性もあったのだ。

 本当ならメインの目的がお礼を兼ねてイーリスに会いに行くことだったのだが、バイクのことでクレイルズに会う必要が出来てしまったため、今では本命がどちらになったのかは明言しがたい。

「そうね、結構長いことあなた達の捜索をしてたみたいだし、無事な姿を見せてあげなさいな」

「そうですね。…流石にもう俺達のことは探してないですよね?」

「ええ、私が向こうを離れる時には、もう捜索も片手間ぐらいにはなってみたいよ。もっとも、遺体だけでもどうにか見つけたいって走り回ってはいたけど」

「まぁ一年も捜索するってのはないとは思ったけど、片手間ってどういうこと?あっちでイーリスさんって他になんかやってんの?」

 イーリスほど優秀な戦士なら、いつまでも戦いの終わった土地で行方不明者の捜索など行うのはまずないのだが、それとは別に他の何かをしているというところにパーラは食いついた。
 巨人が倒れた以上、あそこでやることなど他に何があると言うのか。

「巨人が倒れた後、あの辺りで魔物が暴れまわってるようなのよ。勿論、それ以前も魔物はいたんだけど、巨人の死骸周辺では特に増えたみたい。それでイーリスさんとかの戦える人達は周辺の安全のために、連日魔物を狩ってるらしいわ」

「魔物が増えたって、何か原因があるんですか?」

「恐らくはという程度だけど、ほら、巨人がいたのってイアソー山の中にあった迷宮遺跡の最下層でしょ?そこから山肌ごと突き破って出てきたものだから、大分あの辺りの環境に影響が出たらしいのよ」

「なるほど、山で暮らしていた魔物が、巨人の出現で追われて麓まで降りてきたか、あるいは遺跡の中にいた魔物が巨人の空けた穴から這い出てきたかといったところでしょうか」

「その両方という見方もあるわね」

 巨人の封印されてた迷宮遺跡内には、魔物もかなりの数が徘徊していた。
 特に深層部には強力な魔物もいたようで、それらが巨人によって開けられた穴から外に出てきて暴れているのなら放っておくわけにはいかない。

 強い魔物を相手にするならイーリスの力も必要になるし、巨人の死骸から技術を吸い上げたいアシャドル王国としてはその周辺だけでも安全の確保をと、彼女に働いてもらっているのだろう。

「え、それって結構大変なことになってるんじゃない?あの辺りの領主とかは何にも対策してないの?」

「対策はしたくてもできないのよ。キューラー伯爵は覚えてるかしら?少し前にあなた達をはめようとしたあの」

「忘れるわけないでしょ。あのビチグソ野郎のせいで私らは奴隷にされかけたんだから!」

 プリプリという擬音が似合うほど、怒りを露にするパーラに俺も頷きで同意する。
 あの時はセインやガイバが俺達を庇ってくれたおかげで事なきを得たが、それがなければ今頃どこぞで奴隷としてこき使われていたに違いない。
 改めてその時のことを思い出すと、また怒りがこみあげてくる。

「ビチグソ野郎はちょっと汚いわよ、パーラさん。まぁとにかく、そのキューラー伯爵があの辺りの領主である以上、イアソー山麓の治安もあの方が差配しなきゃならないんだけど、以前あなた達の罪をでっちあげたのがエイントリア伯爵の怒りを買ってね。その件で色々と手を回されて、キューラー伯爵家は領地をいくつかとりあげられたのよ。その取り上げられた領地にイアソー山の辺りが含まれていて、領軍の組織と派遣ができずに今は魔物の跋扈を許してしまってるというわけ」

 なんということだ。
 あのキューラー伯爵の若僧はどうしようもないのでいつか痛い目に合うとは思っていたが、まさかそこにルドラマが一つ噛んでいたとは。
 俺達とルドラマは家族ぐるみの付き合いもあり、それなりの利益も互いに与え合った仲だ。

 あるいはあれだけの暗愚な伯爵ともなれば、国内の政治バランス的にどこかが排除しようと動いた可能性もある。
 有能な敵よりも無能な味方を恐れるのは、どの世界も変わらないからな。

 アシャドル王国でも田舎といえる土地だったのが、今や巨人の死骸によって国の注目が一心に集まる場所に変わっているのだ。
 雑に扱える土地ではなくなっていると判断した国も、キューラー伯爵という頭のおかしい権力者に任せようとはしないだろう。

「てことは、今のイアソー山は結構危ない感じ?」

「そうかもしれないわね。元々、あそこにはソーマルガとマクイルーパの軍も少ないながら滞在しているし、アシャドル王国からも兵力はいくらか出しているから戦力としては不足はなかったのよ。でも、魔物が暴れまわるのは何も一か所だけじゃないから、他の村にも防衛力を請われて戦力は結構分けてるらしいわ」

 イアソー山の辺りを含めたキューラー伯爵領には、当然ながらいくつか村もある。
 いずれも村というレベルから突出した防衛力は持たず、魔物がそちらにも出向くとなれば、アシャドルとしては見捨てることも出来ずに戦力を割いて守るぐらいはしよう。
 そういった戦力の一部として、イーリスも動いているのだろう。

「あぁ、そうそう。あなた達イアソー山に行くのはいいけど、向こうで取次してくれる人の当てはあるの?ただ行っただけじゃ、多分魔道具職人に会うのは難しいでしょうし」

「取次?そんなのが必要になるの?」

「それはそうでしょう。今あの辺りにいる魔道具職人は全員魔術協会の指揮下にあるのよ?色々と他所に漏らしてほしくないものも知ってるから、面会にも制限があるらしいわよ」

 考えてみれば、イアソー山麓にはアシャドルの魔道具治術の最先端を走る集団が集まっているのだから、機密保持のために外との接触を減らすぐらいはするだろう。

「そう言われると、確かに私らなんかがいきなり行っても、クレイルズさんに会えるかも怪しく思えてくるね」

 向こうには共に巨人と戦った縁で俺達のことを知っている人間もいるだろうが、それを当てにするには今のイアソー山は物々しい。
 行ったところで捕縛されるとまでは言わないが、追い返されることも可能性としてはあり得るため、パーラの言う通りクレイルズに会えるまでの道のりが遠く思えてしまう。

「よかったら私の方で何とかしてあげましょうか?」

「え、セインさん何とか出来るの?今のセインさんって巨人関連から遠ざけられてるんでしょ?言っちゃ悪いけど、そういうのに口挟めるなんて…」

「おいパーラ、失礼なことを言うな」

「だってぇ」

 悪気はないのだろうが、セインが今ここにいる理由を思うと、今の言葉にどれほど期待できるのか疑問を覚えるのもわからんでもない。

「いいのよ、アンディさん。パーラさんの言うことも間違ってないもの。でも安心してちょうだい。あっちには知り合いもまだ多くいるわ。私の方から手を回せば、その人達が上手くやってくれるはずよ」

 派閥同士のやり取りでイアソー山から戻されはしても、現地でほぼ全ての指揮を執っていたセインだけに、知り合いや部下といった人材はまだ向こうに残っているのだろう。
 現にあちらの情報をそれなりに手にしているし、影響力はまだまだあるようだ。

「一先ずあなた達には、イアソー山まで物資を運ぶ仕事を頼んだという形にしましょうか。バイクを使える人物になら、外部へ依頼するのもおかしくはないわ」

 大量の人と物資が動いているであろうイアソー山には、補給の名目でアシャドル王国が運び手を雇うのも不思議ではない。
 積載量と汎用性で言えばまだまだ馬車に軍配が上がるものの、急ぎの配達という名目でもあればバイクの速度と踏破性は優越している。

「それと紹介状も用意してあげるわ。向こうの事務官あたりに見せれば、荷物を降ろした後もある程度は自由に動けるでしょうし」

「そういうのはあると助かりますね。是非お願いします」

「ええ、任せてちょうだい。じゃあすぐに…いえ、昼過ぎにまたここに来てくれるかしら?それまでに用意しておくから。一旦街にでも行って、何か食べてらっしゃい」

 含み笑いをするように俺達を見るセインがあえて昼にまた来いと言ったのは、先程から音を立てている俺達の胃のことを案じてくれたからだ。
 実際、空腹を訴えてくる胃袋にそろそろ俺の理性が屈服しそうになっていた。
 俺の隣に座るパーラもまた、胃袋の猛獣が唸り始めているぐらいだ。

 折角配慮してくれたのだし、一旦ここを離れて腹を慰めに行くとしよう。

「分かりました、ではまた後で」

「またね、セインさん」

 パーラと共にセインにそう声をかけて、役所を後にする。
 話し込んだせいで朝食と言うのはもう大分遅い時間となったが、王都ほどともなれば時間に遅れて何かを食うのに困ることはない。

 何を食べるかは決めていないが、とりあえず食事ができる店が多くあるエリアへと足は向かう。
 隣を歩くパーラも先程から無言なのは、とにかく腹が減っているせいだ。

 昼までにまた役所に戻らなくてはならないが、時間には余裕がある。
 そう言えば昨日食べたあのハフムシャっとしたもの、またあれでもいいな。
 ただ、あれは夜の店っぽかったし、果たして今の時間でもいけるのか?

 それを狙って行って外した時のショックはきっとでかいだろうから、だったら確実に食べれるものを選ぶべきか…悩む。

 いや焦るな、俺達は今、何腹なんだ?
 そう自分の中に問いかけながら、空腹の獣が二匹、通りを進んでいった。
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