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手紙~ラブレター~
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ソーマルガからヘスニルに戻ってきて2ヵ月が経った。
灼熱の砂漠地帯から、冬へと季節が移ろうとする寒風吹きすさぶ土地へと短時間の内に移動したことで、多少の体への負担は感じつつも、慣れてくると過ごしやすさも思い出してくる。
飛空艇でヘスニルに来たことで、ルドラマが飛空艇を欲しがって俺に直談判してくるという一幕も通過し終わると、今度は観光でもするつもりなのか、飛空艇を一目見ようとする人達の姿もチラホラと見られるようになった。
珍しい乗り物で、しかも白一色の見た目も美しいものであるため、ヘスニルへの入場待ちの列から見る飛空艇が一種の観光資源化しつつある。
未だ街の外の土地を間借りして飛空艇を停泊していたのだが、これだけの巨大な物体が街中で停められる土地を用意するというのはそう簡単ではなく、とりあえず現状のままでも困るとが無いため、相変わらずの場所にある飛空艇を俺達の家として使っている。
何度か大物風の商人や貴族なんかが飛空艇を寄越せと言ってきたこともあったが、いずれもルドラマからもらったメダルとソーマルガ国が認めた所有許可証をダブルで叩きつけると、忌々しげな顔はしつつも退けることができた。
中には力づくでどうにかしようという輩もいたが、そういう連中に手加減する必要もなく、俺とパーラによる容赦ない制裁で命を落とすか、盗賊としてヘスニルの衛兵に突き出されており、最近ではその手合いも現れなくなった。
ようやく落ち着いて穏やかな日常を送れるようになると、今度はローキス達の方で騒動が起きる。
以前ローキスが試作したケチャップinハンバーグを改良し、ケチャップと一緒に山羊のチーズを肉だねで包んだチーズinハンバーグがヘスニルで爆発的に流行り、大忙しとなった店を俺とパーラが手伝うというのが最近までの日常だった。
ハンバーグの中にチーズが入っているというのは比較的真似がしやすいため、他のハンバーグを提供している店でも同じようなものが出回り始めると、この忙しさも次第に落ち着いていくと、ほぼ無休状態からようやく一息つけるほどとなっていた。
やっと店の手伝いから解放された俺達だったが、冒険者としての活動を早々に再開したパーラとは違い、少しゆっくりとしたい俺は、連日バイクで出かけるパーラを見送ると、家事を済ませてからリビングでお茶を飲みつつ、ルドラマから借りた本を読んで過ごすという隠居じみた生活が続いている。
ソーマルガから運んできた交易品をヘスニルの商人ギルドに売ったおかげで、今の俺達は金銭的にかなり裕福だといえる。
もちろん一生遊んで暮らせるというほどではないが、慎ましい生活を心がければ向こう10年は暮らしていけるだけの蓄えが出来た。
こうなると冒険者としての仕事も生活のためというよりは、一定期間の活動がない冒険者に課される強制依頼が発生しない程度にこなせばいいという考えになる。
働くのがバカバカしいなどと言うつもりはないが、それでも生活に追われて依頼をこなすということはしなくていいという余裕が、今の状況を作り出していた。
ふと窓の外を見ると、小雪がちらついているのに気付く。
今年の冬は積雪がほとんどないヘスニルではあるが、こうして雪が降る程度に寒さも厳しく、去年とは違って雪かきの依頼もほとんどない冒険者たちは、今頃寒さに耐えながらどんな依頼をこなしているのだろうか。
「…カイロとか作ったら売れるかな」
何気なく口をついて出たのは、寒い季節には欠かせないあの道具への思いだ。
空調の利いた室内で過ごしていると忘れがちだが、この世界の寒さ対策は基本的に厚着するしかないわけで、そんな中で動きやすさも追求しなくてはならない冒険者や旅人なんかは極端な重ね着などできるわけがない。
そうなると、カイロというのはとてつもなくヒットしそうな気がする。
鉄の酸化の際に発生する熱を利用するカイロは火を使わずに暖が取れ、しかも持ち歩けるのだから旅をする人間にとっては画期的な商品だ。
カイロ自体の材料はそれほど珍しいものではない。
鉄粉と酸素供給用の活性炭、鉄粉の酸化を早めるための水と塩、水分を保持するためのバーミキュライトという鉱物、これらを不織布で包んだものがカイロとなる。
バーミキュライトはヒル石と呼ばれ、それ自体は前世で苗を作る際の苗土に使う機会があったため、石工あたりにでも特徴を話せば手配してもらえるかもしれない。
問題は不織布の方だ。
この世界での布と言えば基本的に編んだものがほとんどで、不織布はとんと見たことがない。
作り方もぼんやりとしか覚えていないため再現できそうになく、唯一近い素材として存在するフェルトで代用できないかを考えるしかない。
せめて接着樹脂となる物質があれば話は早いのだが、この世界にのみ存在する魔物素材でそれらしいものはないだろうか?
色々と考えはしてみるが、実際行動に移すにはこの世界だと制約が多い。
こんなことを考えているうちにまた今日も過ぎていくのかと思っていると、貨物室へと通じる扉が開かれ、そこからパーラが姿を現した。
「おかえり」
外套代わりのマントを脱ぎ、扉の傍にあるフックにかけると、パーラが俺の座るソファーの対面へと倒れこむようにして座る。
「ただいまー。あぁー寒かったー…。やっぱり飛空艇は暖かくていいねぇ。古代文明が生み出した文化の極みだよ」
蕩けそうな顔でそう言うパーラの頬が赤い様子から外との寒暖差を想像してしまい、大きく同意する頷きを返しつつ、パーラの分のお茶を素早く淹れて、テーブルの上に置く。
「今日は早かったな。いい依頼はなかったか?」
「まぁね。ここ最近は薪の調達依頼ばっかりだよ。まぁそれもそんなに報酬は悪くないんだけど、いつも同じなのって飽きちゃうじゃない?」
「そうか?俺は手間もかかる時間も分かってるぶん、同じ依頼を続けるのは楽でいいと思うけどな」
俺も退屈な日常を送りたいとは思わないが、報酬を得るのなら効率的な方を選ぶのが賢いやり方だと思っている。
「何言ってんの。変化のない日常なんて、死への道のりを行くが如しだよ」
「なんだそれ。随分それっぽい言葉だけど、ヤゼス教の教えか?」
「ううん。私のだよ」
だとしたら教訓に感じるが、言葉自体の説得力はさほどではないな。
「あ、そうだ。アンディに手紙来てたよ。ギルドで預かってきたんだ」
はいっと手渡された手紙は二通。
差出人は両方ともベスネー村のトマだ。
一通は毎年春先と秋口に送られてくる米の出来や発生した問題のレポート等がまとめられたものだ。
今までも何度か受けていたが、致命的なトラブルはこれまで起きておらず、何度か米作りの際に初心者が陥る問題もあったが、全て手紙による指示出しで解決していた。
今回も米の出来は問題ないということが書かれており、特に際立って目に留まるものもなく読み終えた。
そしてもう一通の方だが、こっちは少々困る内容のものだった。
さっきの手紙が業務連絡寄りのものだったのに対し、こちらの手紙は完全に個人的なものだ。
と言っても、俺個人にあてたものというわけではなく、どうやら間違って送ってしまったものだと推測する。
米作りの指導員として働くトマが先程の手紙を作っているのだが、その手紙とは別に、俺以外の誰かに宛てた手紙だというのは最初の書き出しで分かった。
これだけなら間違えて送ったとして送り返せばいいのだが、つい見てしまったその中身が問題だ。
非常に丁寧な言葉使いで書かれたその手紙は、どう見ても恋文にしか見えない。
流石に他人に宛てたラブレターをしげしげと見続けるのは忍びなく、手紙を折り畳んだのを確認してか、茶をすすりながらパーラが話しかけてくる。
「何の手紙だったの?」
「ん…。いつもの米の出来に関してのものだったよ」
「ふーん。でも二通あったよね。もう一通も米の出来に関してのもの?」
特に深く考えての言葉ではなく、何となくの世間話程度で聞いているのは分かるが、正直、トマが間違いで送ってきたたラブレターだということを年頃の少女であるパーラに告げていいのか迷う。
男である俺には分からないが、このぐらいの年の女の子は恋バナへの食いつきが半端なかった気がする。
ここは同じ男としてトマのラブレターは守ってやらねば。
「いや、どうも違う人に宛てた手紙が間違って俺の所に来たみたいだ。近いうちに向こうへ返しに行くよ」
モノがモノだけに、なるべくなら早くかつ確実に本人へと返してやった方がいいだろう。
「明後日あたりにでも飛空艇をベスネー村に向かわせようと思うが、パーラはどうする?」
「あ、私行けないよ。今日メルクスラさんが教えてくれたんだけど、明日ぐらいに昇格試験の依頼が私に指名で出されるかもしれないんだって」
ほぅ、とうとう来たか。
パーラ自身、まだ冒険者になって日は浅い方だが、本人の魔術師としての腕前と、斥候職としての能力の高さはギルド内では評価されているらしいし、ソーマルガでのドレイクモドキ討伐に参加した実績もあることから、少しペースは速いがランクアップは十分にあり得る話だ。
実際、俺なんかは異例づくめで白級まで上がった身ではあるが、パーラは商人としての経験もあるし、他のパーティの人達に斥候職として雇われる形で依頼をこなしてきたという実績もある。
俺と別れていた一ヵ月の間にパーラは黒一級に上がっていたため、白級へのランクアップは少しばかり間隔が短い気もするが、それだけ実力が認められているということだろう。
「昇格試験なら仕方ないな。ベスネー村には俺一人で行くよ。バイクは残してくから好きに使ってくれ」
「ありがと。村の人達によろしく言っておいてね」
雪の殆ど積もっていない今年のアシャドル王国内であればバイクでの走行も普通に可能なので、昇格試験がどんなものになるか分からないが使いどころがあれば役立つはずだ。
翌日、パーラにはやはり昇格試験が言い渡され、その日の内に依頼のためにバイクを駆って行った。
依頼内容は俺の時とは違い、冬にのみ採れる薬草を手に入れてくることらしく、その薬草の生息地自体はかなり遠くになるのだが、行きと帰りだけならバイクであればそう時間はかからないとのこと。
なら飛空艇で一緒に行こうかと誘ってみたのだが、昇格試験は自分一人でやり遂げたいというパーラの意思を尊重し、温かい目で送り出してやった。
一応明日までにパーラが帰ってこれたらベスネー村に一緒に行こうかと思っているが、メルクスラからの見立てだと、バイクの速さで移動時間は短縮できても、薬草を見つけるまでにかかる時間が読めないため、ベスネー村へは俺一人で行くことになりそうだ。
そして案の定、ベスネー村に行く日になってもパーラは帰って来ず、俺は一人飛空艇を飛ばしてベスネー村を目指した。
雪が少ないとはいえ、山地や森などには薄っすらと積もっていた雪も、ベスネー村へと近付くにつれてその姿を消していき、比較的温暖な気候であるベスネー村周辺は完全に冬の気配を無くしていく。
それと同時に、ベスネー村からまだ遠い場所にも限らず、眼下には田んぼの姿も見え始めていた。
前に来た時はこんなところまで田んぼは広がっていなかったはずだが、短期間でここまで田んぼが作られるとは、かなり大掛かりな計画が動いているように感じる。
高い高度を移動していた飛空艇だったが、流石に村の近くにいきなり降下するのは警戒されそうなので、まずは一度村から少し離れた場所に高度を落として滞空し、人目につくのをそれとなく確認したらゆっくりと村の門へと近付いていく。
田んぼで作業をしていた人も、村の中にいた人も飛空艇の姿に驚いているようで、どの顔もこちらを見上げて驚いているのが分かる。
なるべく村人達を刺激しないようにゆっくりと飛空艇を降ろしていき、村の外を流れる川の畔に飛空艇を着陸させた。
飛空艇を追いかけてきたのか、槍を持った村人が何人か遠巻きにこちらを見守る中、姿を現した俺を見て、一同があげる落胆のような安堵のようなため息が場を支配するのを感じた。
そんな中、村人たちの中から一人の影が飛び出してきて、俺の前へと躍り出ると間髪入れずに怒鳴り声をあげてきた。
「ごるぅあ!アンディ!テメェ、またおかしなもんで村に乗り付けやがって!新手の魔物かと思ってビビっちまったじゃねーか!」
「あ、トマさん。ちーっす」
口角泡を飛ばす勢いのトマが飛空艇の登場で驚いたことを非難してくるが、俺としても村に直接乗り入れたわけではなく、村の外にゆっくりと着陸させたのだから大目に見てほしい。
まぁ驚かせたのは確かに事実なので、トマの気が済むまで喋らせておこう。
「―のが大事な時期なんだからな。ったく…まぁ小言はこのへんでいいだろう。久しぶりだな、アンデイ。最後に来たのはいつだったか?」
一通り話し終えると気が済んだのか、軽くため息を吐きながら俺の肩へと手を置いたトマが笑顔で歓迎の意を伝えてきた。
「ええ、ご無沙汰していました。最後に来たのは一年前ぐらいですかね」
「そんなに前だったか。とりあえず村長の所に行こう。この辺りも色々と変わってな。話すことは山ほどあるぞ」
「そうみたいですね。来る途中に見えた田んぼもかなり広がってましたし」
「そういえば空を飛んできたんだな。お前は毎度変な乗り物を使いやがる。見てきたんならわかると思うが、大体倍近く田の枚数は増えた」
「倍ですか。短い期間に随分増えましたね」
「つっても今は全部で米をつくってるわけじゃない。3割ぐらいは休耕地にして、別の作物を育ててる。田んぼを持ってる人間に作るものを好きにさせてるが、豆とカブが多いな。珍しいのだと野イチゴなんか作ってるとこもあるぞ」
村長宅へと向かう道すがら、ベスネー村の近況をトマの口から教えてもらう。
手紙で知らされている事以外にも、こうして直接本人の口から教えてもらう方が生の情報という感じがして頭に入って来やすい。
道中、他の村人達からとも挨拶を交わしつつ、村長宅へと到着すると、やはりここでも飛空艇に関する小言をいただいてしまう。
一応トマが十分言っておいたことを申し添えてくれたので、すぐに小言は終わったのだが、今度は飛空艇に関しての質問が始まってしまい、入手の経緯からこれまでの冒険の日々を語っているうちにすっかり日が落ちてしまい、この日は村で一泊していくこととなった。
俺が村に来るのも久しぶりのことなので、村人も総出で歓迎会のようなものを開いてくれて、米をふんだんに使った料理をこの日は腹一杯食べることができた。
中には村のオリジナルであろう見慣れない米料理も幾つか見受けられ、新しい料理に舌鼓を打ちつつも、このことをパーラに知られたらいじけてしまいかねないというのも考えてしまう。
まぁお土産としてそれなりの量の米を買って帰ってうまい飯でも作ってやるとしよう。
宴会じみた夕食を終え、集まっていた村人達もそれぞれの家へと戻っていく中にいたトマに声をかける。
「トマさん、ちょっといいですか?」
「おう、なんだ」
「ここじゃなんなんで、歩きながら話しましょう」
そう言ってトマの前に立ち、彼の家へと続く道を歩いていく。
俺の後に続くトマを確認し、周囲に人がいなくなったのを確認したところで話を始める。
「実は今日ここに来たのは俺に宛てられた手紙の件なんですけど」
「手紙?…ってーと随分前に出したやつだろ。なんだ、なんか問題でもあったか?」
「いえ、手紙自体に問題はありません。内容も分かりやすかったし、書かれていた対処法も的確でした」
「だろう?なんたって村の年寄り達の知恵も借りて作ってるからな。なんかあった時の対策はやっぱり年季がものを言うってもんだ」
米も麦もそれほど離れた種類の作物ではないし、農業で得た経験というのは作付け品種が変わったところで全く無駄になるものではない。
特にこの世界では農学というものが一般的ではないため、多くの知恵が先人達の試行錯誤、実学に寄り添っている。
村の老人たちは年齢と共に体が動かなくなっていくものだが、それでもその経験はこうしてトマ達若い世代を助けてくれていた。
近代農業を体験していた身としては、その知識に舌を巻くことも何度かあったほどだ。
なので、基本的にトマからの報告書もあまり細かい指示を出すことがないのは楽でよかった。
「それには俺も同意します。…話が少し逸れましたね。話を戻しますけど、俺がベスネー村に来たのはこの手紙を「うぉおおおおおっ!」―あっ」
トマの書いたと思われるラブレターを取り出したところ、雄叫びを上げながらトマに手紙を奪い取られてしまった。
まぁこの反応を見ると、どうやらトマのもので間違いないことは分かったが。
「おっぉお前、なんでこれを!」
「いや、なんでって、さっき言った手紙と一緒に俺の所に送られてきたんですよ」
「…まさか、中身は見てないだろうな?」
普段のトマよりもさらに低い声がこちらを向いている背中の向こうから聞こえてくる。
なんだか怖いからこっちを向いてもらえないだろうか。
「見てませんよ。…いえ最初の文章だけはどうしても見えてしまったのでそこは謝りますが、それ以上は読んでいないことは誓って言えます」
「くそが!見てんじゃねーかよ!こいつの最初の文章だけで手紙の内容は全部わかんだろ!はぁっ、ふぅ…他に見てる奴はいないな?パーラとか」
ひとしきり叫んで落ち着いたのか、大分普段の調子に近いトマの問いは、やはり手紙の内容の漏洩を心配するものだった。
「大丈夫です。手紙を見たのは俺だけですし、恋文だということはパーラには伝えてませんから」
「バカってめっ、恋文って言うな!こいつは…あれだ、ただ元気にしてるかを尋ねるだけの手紙なんだよ」
もじもじと照れるトマは、普段のいかつい姿からは随分かけ離れたもので、
「『会えない日々が辛い』って書くのは十分に恋文だと思いますけど―」
「記憶を失えっ!」
手紙に書かれていたある一文を口にした瞬間、俺の顔を目掛けて振るわれたトマの拳が襲い掛かる。
ラブレターの内容を一部とはいえ知られたうえに、こうして人の口から聞かされたトマの恥ずかしさは本人意外には計り知れない。
殴ってでも記憶を失わせようとするのはいささか短慮だとは思うが、それだけの行動に移させることを俺が口にしたと思えば一概にトマを責められない。
とは言え、そんな攻撃をむざむざ食らうのも癪なので、その場にしゃがみこんで頭上を拳が通り過ぎたのを気配で感じ取ったのと同時にすばやくその場から離れる。
人を殴り慣れていないトマは、空振りの拳に体を流されてしまったようで、俺を追いかけることができない。
「どうやら虫の居所が悪そうなので今日のところはここいらで失礼させてもらいますよ。ではまた明日」
「待てこら!おわっ!?」
まだ俺の記憶を消すことへの諦めを見せないトマに、その足元の土に魔術で干渉して緩くすることでさらに体勢を崩させ、俺を追撃することを難しくした上で早々に退散した。
図らずも人のラブレターを揶揄する形になったことは素直に謝りたいが、今のトマはちょっと頭に血が上っているようなので、明日改めて謝った上で、手紙を本来の届け先へと運ぶぐらいはしてやろうと思っている。
米作りにはトマの貢献が非常に大きいし、飛空艇を持つ俺であれば少々の距離など気にする事も無い。
お詫びと共に労う気持ちを込めて、トマの恋を応援してもいいかもしれない。
灼熱の砂漠地帯から、冬へと季節が移ろうとする寒風吹きすさぶ土地へと短時間の内に移動したことで、多少の体への負担は感じつつも、慣れてくると過ごしやすさも思い出してくる。
飛空艇でヘスニルに来たことで、ルドラマが飛空艇を欲しがって俺に直談判してくるという一幕も通過し終わると、今度は観光でもするつもりなのか、飛空艇を一目見ようとする人達の姿もチラホラと見られるようになった。
珍しい乗り物で、しかも白一色の見た目も美しいものであるため、ヘスニルへの入場待ちの列から見る飛空艇が一種の観光資源化しつつある。
未だ街の外の土地を間借りして飛空艇を停泊していたのだが、これだけの巨大な物体が街中で停められる土地を用意するというのはそう簡単ではなく、とりあえず現状のままでも困るとが無いため、相変わらずの場所にある飛空艇を俺達の家として使っている。
何度か大物風の商人や貴族なんかが飛空艇を寄越せと言ってきたこともあったが、いずれもルドラマからもらったメダルとソーマルガ国が認めた所有許可証をダブルで叩きつけると、忌々しげな顔はしつつも退けることができた。
中には力づくでどうにかしようという輩もいたが、そういう連中に手加減する必要もなく、俺とパーラによる容赦ない制裁で命を落とすか、盗賊としてヘスニルの衛兵に突き出されており、最近ではその手合いも現れなくなった。
ようやく落ち着いて穏やかな日常を送れるようになると、今度はローキス達の方で騒動が起きる。
以前ローキスが試作したケチャップinハンバーグを改良し、ケチャップと一緒に山羊のチーズを肉だねで包んだチーズinハンバーグがヘスニルで爆発的に流行り、大忙しとなった店を俺とパーラが手伝うというのが最近までの日常だった。
ハンバーグの中にチーズが入っているというのは比較的真似がしやすいため、他のハンバーグを提供している店でも同じようなものが出回り始めると、この忙しさも次第に落ち着いていくと、ほぼ無休状態からようやく一息つけるほどとなっていた。
やっと店の手伝いから解放された俺達だったが、冒険者としての活動を早々に再開したパーラとは違い、少しゆっくりとしたい俺は、連日バイクで出かけるパーラを見送ると、家事を済ませてからリビングでお茶を飲みつつ、ルドラマから借りた本を読んで過ごすという隠居じみた生活が続いている。
ソーマルガから運んできた交易品をヘスニルの商人ギルドに売ったおかげで、今の俺達は金銭的にかなり裕福だといえる。
もちろん一生遊んで暮らせるというほどではないが、慎ましい生活を心がければ向こう10年は暮らしていけるだけの蓄えが出来た。
こうなると冒険者としての仕事も生活のためというよりは、一定期間の活動がない冒険者に課される強制依頼が発生しない程度にこなせばいいという考えになる。
働くのがバカバカしいなどと言うつもりはないが、それでも生活に追われて依頼をこなすということはしなくていいという余裕が、今の状況を作り出していた。
ふと窓の外を見ると、小雪がちらついているのに気付く。
今年の冬は積雪がほとんどないヘスニルではあるが、こうして雪が降る程度に寒さも厳しく、去年とは違って雪かきの依頼もほとんどない冒険者たちは、今頃寒さに耐えながらどんな依頼をこなしているのだろうか。
「…カイロとか作ったら売れるかな」
何気なく口をついて出たのは、寒い季節には欠かせないあの道具への思いだ。
空調の利いた室内で過ごしていると忘れがちだが、この世界の寒さ対策は基本的に厚着するしかないわけで、そんな中で動きやすさも追求しなくてはならない冒険者や旅人なんかは極端な重ね着などできるわけがない。
そうなると、カイロというのはとてつもなくヒットしそうな気がする。
鉄の酸化の際に発生する熱を利用するカイロは火を使わずに暖が取れ、しかも持ち歩けるのだから旅をする人間にとっては画期的な商品だ。
カイロ自体の材料はそれほど珍しいものではない。
鉄粉と酸素供給用の活性炭、鉄粉の酸化を早めるための水と塩、水分を保持するためのバーミキュライトという鉱物、これらを不織布で包んだものがカイロとなる。
バーミキュライトはヒル石と呼ばれ、それ自体は前世で苗を作る際の苗土に使う機会があったため、石工あたりにでも特徴を話せば手配してもらえるかもしれない。
問題は不織布の方だ。
この世界での布と言えば基本的に編んだものがほとんどで、不織布はとんと見たことがない。
作り方もぼんやりとしか覚えていないため再現できそうになく、唯一近い素材として存在するフェルトで代用できないかを考えるしかない。
せめて接着樹脂となる物質があれば話は早いのだが、この世界にのみ存在する魔物素材でそれらしいものはないだろうか?
色々と考えはしてみるが、実際行動に移すにはこの世界だと制約が多い。
こんなことを考えているうちにまた今日も過ぎていくのかと思っていると、貨物室へと通じる扉が開かれ、そこからパーラが姿を現した。
「おかえり」
外套代わりのマントを脱ぎ、扉の傍にあるフックにかけると、パーラが俺の座るソファーの対面へと倒れこむようにして座る。
「ただいまー。あぁー寒かったー…。やっぱり飛空艇は暖かくていいねぇ。古代文明が生み出した文化の極みだよ」
蕩けそうな顔でそう言うパーラの頬が赤い様子から外との寒暖差を想像してしまい、大きく同意する頷きを返しつつ、パーラの分のお茶を素早く淹れて、テーブルの上に置く。
「今日は早かったな。いい依頼はなかったか?」
「まぁね。ここ最近は薪の調達依頼ばっかりだよ。まぁそれもそんなに報酬は悪くないんだけど、いつも同じなのって飽きちゃうじゃない?」
「そうか?俺は手間もかかる時間も分かってるぶん、同じ依頼を続けるのは楽でいいと思うけどな」
俺も退屈な日常を送りたいとは思わないが、報酬を得るのなら効率的な方を選ぶのが賢いやり方だと思っている。
「何言ってんの。変化のない日常なんて、死への道のりを行くが如しだよ」
「なんだそれ。随分それっぽい言葉だけど、ヤゼス教の教えか?」
「ううん。私のだよ」
だとしたら教訓に感じるが、言葉自体の説得力はさほどではないな。
「あ、そうだ。アンディに手紙来てたよ。ギルドで預かってきたんだ」
はいっと手渡された手紙は二通。
差出人は両方ともベスネー村のトマだ。
一通は毎年春先と秋口に送られてくる米の出来や発生した問題のレポート等がまとめられたものだ。
今までも何度か受けていたが、致命的なトラブルはこれまで起きておらず、何度か米作りの際に初心者が陥る問題もあったが、全て手紙による指示出しで解決していた。
今回も米の出来は問題ないということが書かれており、特に際立って目に留まるものもなく読み終えた。
そしてもう一通の方だが、こっちは少々困る内容のものだった。
さっきの手紙が業務連絡寄りのものだったのに対し、こちらの手紙は完全に個人的なものだ。
と言っても、俺個人にあてたものというわけではなく、どうやら間違って送ってしまったものだと推測する。
米作りの指導員として働くトマが先程の手紙を作っているのだが、その手紙とは別に、俺以外の誰かに宛てた手紙だというのは最初の書き出しで分かった。
これだけなら間違えて送ったとして送り返せばいいのだが、つい見てしまったその中身が問題だ。
非常に丁寧な言葉使いで書かれたその手紙は、どう見ても恋文にしか見えない。
流石に他人に宛てたラブレターをしげしげと見続けるのは忍びなく、手紙を折り畳んだのを確認してか、茶をすすりながらパーラが話しかけてくる。
「何の手紙だったの?」
「ん…。いつもの米の出来に関してのものだったよ」
「ふーん。でも二通あったよね。もう一通も米の出来に関してのもの?」
特に深く考えての言葉ではなく、何となくの世間話程度で聞いているのは分かるが、正直、トマが間違いで送ってきたたラブレターだということを年頃の少女であるパーラに告げていいのか迷う。
男である俺には分からないが、このぐらいの年の女の子は恋バナへの食いつきが半端なかった気がする。
ここは同じ男としてトマのラブレターは守ってやらねば。
「いや、どうも違う人に宛てた手紙が間違って俺の所に来たみたいだ。近いうちに向こうへ返しに行くよ」
モノがモノだけに、なるべくなら早くかつ確実に本人へと返してやった方がいいだろう。
「明後日あたりにでも飛空艇をベスネー村に向かわせようと思うが、パーラはどうする?」
「あ、私行けないよ。今日メルクスラさんが教えてくれたんだけど、明日ぐらいに昇格試験の依頼が私に指名で出されるかもしれないんだって」
ほぅ、とうとう来たか。
パーラ自身、まだ冒険者になって日は浅い方だが、本人の魔術師としての腕前と、斥候職としての能力の高さはギルド内では評価されているらしいし、ソーマルガでのドレイクモドキ討伐に参加した実績もあることから、少しペースは速いがランクアップは十分にあり得る話だ。
実際、俺なんかは異例づくめで白級まで上がった身ではあるが、パーラは商人としての経験もあるし、他のパーティの人達に斥候職として雇われる形で依頼をこなしてきたという実績もある。
俺と別れていた一ヵ月の間にパーラは黒一級に上がっていたため、白級へのランクアップは少しばかり間隔が短い気もするが、それだけ実力が認められているということだろう。
「昇格試験なら仕方ないな。ベスネー村には俺一人で行くよ。バイクは残してくから好きに使ってくれ」
「ありがと。村の人達によろしく言っておいてね」
雪の殆ど積もっていない今年のアシャドル王国内であればバイクでの走行も普通に可能なので、昇格試験がどんなものになるか分からないが使いどころがあれば役立つはずだ。
翌日、パーラにはやはり昇格試験が言い渡され、その日の内に依頼のためにバイクを駆って行った。
依頼内容は俺の時とは違い、冬にのみ採れる薬草を手に入れてくることらしく、その薬草の生息地自体はかなり遠くになるのだが、行きと帰りだけならバイクであればそう時間はかからないとのこと。
なら飛空艇で一緒に行こうかと誘ってみたのだが、昇格試験は自分一人でやり遂げたいというパーラの意思を尊重し、温かい目で送り出してやった。
一応明日までにパーラが帰ってこれたらベスネー村に一緒に行こうかと思っているが、メルクスラからの見立てだと、バイクの速さで移動時間は短縮できても、薬草を見つけるまでにかかる時間が読めないため、ベスネー村へは俺一人で行くことになりそうだ。
そして案の定、ベスネー村に行く日になってもパーラは帰って来ず、俺は一人飛空艇を飛ばしてベスネー村を目指した。
雪が少ないとはいえ、山地や森などには薄っすらと積もっていた雪も、ベスネー村へと近付くにつれてその姿を消していき、比較的温暖な気候であるベスネー村周辺は完全に冬の気配を無くしていく。
それと同時に、ベスネー村からまだ遠い場所にも限らず、眼下には田んぼの姿も見え始めていた。
前に来た時はこんなところまで田んぼは広がっていなかったはずだが、短期間でここまで田んぼが作られるとは、かなり大掛かりな計画が動いているように感じる。
高い高度を移動していた飛空艇だったが、流石に村の近くにいきなり降下するのは警戒されそうなので、まずは一度村から少し離れた場所に高度を落として滞空し、人目につくのをそれとなく確認したらゆっくりと村の門へと近付いていく。
田んぼで作業をしていた人も、村の中にいた人も飛空艇の姿に驚いているようで、どの顔もこちらを見上げて驚いているのが分かる。
なるべく村人達を刺激しないようにゆっくりと飛空艇を降ろしていき、村の外を流れる川の畔に飛空艇を着陸させた。
飛空艇を追いかけてきたのか、槍を持った村人が何人か遠巻きにこちらを見守る中、姿を現した俺を見て、一同があげる落胆のような安堵のようなため息が場を支配するのを感じた。
そんな中、村人たちの中から一人の影が飛び出してきて、俺の前へと躍り出ると間髪入れずに怒鳴り声をあげてきた。
「ごるぅあ!アンディ!テメェ、またおかしなもんで村に乗り付けやがって!新手の魔物かと思ってビビっちまったじゃねーか!」
「あ、トマさん。ちーっす」
口角泡を飛ばす勢いのトマが飛空艇の登場で驚いたことを非難してくるが、俺としても村に直接乗り入れたわけではなく、村の外にゆっくりと着陸させたのだから大目に見てほしい。
まぁ驚かせたのは確かに事実なので、トマの気が済むまで喋らせておこう。
「―のが大事な時期なんだからな。ったく…まぁ小言はこのへんでいいだろう。久しぶりだな、アンデイ。最後に来たのはいつだったか?」
一通り話し終えると気が済んだのか、軽くため息を吐きながら俺の肩へと手を置いたトマが笑顔で歓迎の意を伝えてきた。
「ええ、ご無沙汰していました。最後に来たのは一年前ぐらいですかね」
「そんなに前だったか。とりあえず村長の所に行こう。この辺りも色々と変わってな。話すことは山ほどあるぞ」
「そうみたいですね。来る途中に見えた田んぼもかなり広がってましたし」
「そういえば空を飛んできたんだな。お前は毎度変な乗り物を使いやがる。見てきたんならわかると思うが、大体倍近く田の枚数は増えた」
「倍ですか。短い期間に随分増えましたね」
「つっても今は全部で米をつくってるわけじゃない。3割ぐらいは休耕地にして、別の作物を育ててる。田んぼを持ってる人間に作るものを好きにさせてるが、豆とカブが多いな。珍しいのだと野イチゴなんか作ってるとこもあるぞ」
村長宅へと向かう道すがら、ベスネー村の近況をトマの口から教えてもらう。
手紙で知らされている事以外にも、こうして直接本人の口から教えてもらう方が生の情報という感じがして頭に入って来やすい。
道中、他の村人達からとも挨拶を交わしつつ、村長宅へと到着すると、やはりここでも飛空艇に関する小言をいただいてしまう。
一応トマが十分言っておいたことを申し添えてくれたので、すぐに小言は終わったのだが、今度は飛空艇に関しての質問が始まってしまい、入手の経緯からこれまでの冒険の日々を語っているうちにすっかり日が落ちてしまい、この日は村で一泊していくこととなった。
俺が村に来るのも久しぶりのことなので、村人も総出で歓迎会のようなものを開いてくれて、米をふんだんに使った料理をこの日は腹一杯食べることができた。
中には村のオリジナルであろう見慣れない米料理も幾つか見受けられ、新しい料理に舌鼓を打ちつつも、このことをパーラに知られたらいじけてしまいかねないというのも考えてしまう。
まぁお土産としてそれなりの量の米を買って帰ってうまい飯でも作ってやるとしよう。
宴会じみた夕食を終え、集まっていた村人達もそれぞれの家へと戻っていく中にいたトマに声をかける。
「トマさん、ちょっといいですか?」
「おう、なんだ」
「ここじゃなんなんで、歩きながら話しましょう」
そう言ってトマの前に立ち、彼の家へと続く道を歩いていく。
俺の後に続くトマを確認し、周囲に人がいなくなったのを確認したところで話を始める。
「実は今日ここに来たのは俺に宛てられた手紙の件なんですけど」
「手紙?…ってーと随分前に出したやつだろ。なんだ、なんか問題でもあったか?」
「いえ、手紙自体に問題はありません。内容も分かりやすかったし、書かれていた対処法も的確でした」
「だろう?なんたって村の年寄り達の知恵も借りて作ってるからな。なんかあった時の対策はやっぱり年季がものを言うってもんだ」
米も麦もそれほど離れた種類の作物ではないし、農業で得た経験というのは作付け品種が変わったところで全く無駄になるものではない。
特にこの世界では農学というものが一般的ではないため、多くの知恵が先人達の試行錯誤、実学に寄り添っている。
村の老人たちは年齢と共に体が動かなくなっていくものだが、それでもその経験はこうしてトマ達若い世代を助けてくれていた。
近代農業を体験していた身としては、その知識に舌を巻くことも何度かあったほどだ。
なので、基本的にトマからの報告書もあまり細かい指示を出すことがないのは楽でよかった。
「それには俺も同意します。…話が少し逸れましたね。話を戻しますけど、俺がベスネー村に来たのはこの手紙を「うぉおおおおおっ!」―あっ」
トマの書いたと思われるラブレターを取り出したところ、雄叫びを上げながらトマに手紙を奪い取られてしまった。
まぁこの反応を見ると、どうやらトマのもので間違いないことは分かったが。
「おっぉお前、なんでこれを!」
「いや、なんでって、さっき言った手紙と一緒に俺の所に送られてきたんですよ」
「…まさか、中身は見てないだろうな?」
普段のトマよりもさらに低い声がこちらを向いている背中の向こうから聞こえてくる。
なんだか怖いからこっちを向いてもらえないだろうか。
「見てませんよ。…いえ最初の文章だけはどうしても見えてしまったのでそこは謝りますが、それ以上は読んでいないことは誓って言えます」
「くそが!見てんじゃねーかよ!こいつの最初の文章だけで手紙の内容は全部わかんだろ!はぁっ、ふぅ…他に見てる奴はいないな?パーラとか」
ひとしきり叫んで落ち着いたのか、大分普段の調子に近いトマの問いは、やはり手紙の内容の漏洩を心配するものだった。
「大丈夫です。手紙を見たのは俺だけですし、恋文だということはパーラには伝えてませんから」
「バカってめっ、恋文って言うな!こいつは…あれだ、ただ元気にしてるかを尋ねるだけの手紙なんだよ」
もじもじと照れるトマは、普段のいかつい姿からは随分かけ離れたもので、
「『会えない日々が辛い』って書くのは十分に恋文だと思いますけど―」
「記憶を失えっ!」
手紙に書かれていたある一文を口にした瞬間、俺の顔を目掛けて振るわれたトマの拳が襲い掛かる。
ラブレターの内容を一部とはいえ知られたうえに、こうして人の口から聞かされたトマの恥ずかしさは本人意外には計り知れない。
殴ってでも記憶を失わせようとするのはいささか短慮だとは思うが、それだけの行動に移させることを俺が口にしたと思えば一概にトマを責められない。
とは言え、そんな攻撃をむざむざ食らうのも癪なので、その場にしゃがみこんで頭上を拳が通り過ぎたのを気配で感じ取ったのと同時にすばやくその場から離れる。
人を殴り慣れていないトマは、空振りの拳に体を流されてしまったようで、俺を追いかけることができない。
「どうやら虫の居所が悪そうなので今日のところはここいらで失礼させてもらいますよ。ではまた明日」
「待てこら!おわっ!?」
まだ俺の記憶を消すことへの諦めを見せないトマに、その足元の土に魔術で干渉して緩くすることでさらに体勢を崩させ、俺を追撃することを難しくした上で早々に退散した。
図らずも人のラブレターを揶揄する形になったことは素直に謝りたいが、今のトマはちょっと頭に血が上っているようなので、明日改めて謝った上で、手紙を本来の届け先へと運ぶぐらいはしてやろうと思っている。
米作りにはトマの貢献が非常に大きいし、飛空艇を持つ俺であれば少々の距離など気にする事も無い。
お詫びと共に労う気持ちを込めて、トマの恋を応援してもいいかもしれない。
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