通りすがりの日常。

花房山

文字の大きさ
上 下
5 / 9
君と僕の青い春

木陰の中で …ニートと警官

しおりを挟む
よく晴れた平日の午後。

予定なんて無い私はいつもの通りふらふらと外に出る。
今日は何処に行ってみようか。

私、狭山三葵(さやまみつき)26歳はニートである。
いい加減家に居るのも飽きてここ最近は近所を練り歩いている。

いつもは通らない道を入り、
鼻歌を歌いながら足取り軽く進んでいく。
住宅街を抜けると、自然豊かな公園が右手に見えた。
今時ここまで自然があるのは珍しい。
興味を惹かれ閑散としている広場に足を踏み入れる。

真ん中の広場には見慣れた遊具が整然と並んでおり、
その脇には手洗い場や公衆トイレ、自動販売機など中々に充実している。
更にその周りには沢山の木や花が植わっており、
看板によると散歩コースなるものや休憩所などが在るらしい。


一先ず看板の矢印に従って散歩コースを歩くことにした。


初夏に近づくにつれて威力を増してきている陽光は
ずっとあたっていると些か汗をかく。
その為、木の葉に遮られる中でのたまの木漏れ日が
丁度良く気持ちがいい。
道の途中、小さな川が脇を流れていた。
今どき珍しくゴミもなく、落ち葉なども溜まっていない。
傍に屈んで水場の冷たい空気に涼んでいると、話し声が聞こえてきた。

それは男の声で、言葉を聞く限り恐らく電話でもしているのだろう。
そっとあたりを伺っても人影は見えない。
よく聞いてみると川の奥の垣根の向こうあたりから聞こえる気がする。
中々荒々しい口調だが、何処かの不良さんだろうか。

あんまり関わり合いたくないなぁ。
盗み聞きしているわけじゃないけれども、
難癖つけられて絡まれたりするんだろうか。

気づいたら声は止んでいた。
何処かに去ったのだとほっとしたら、
なんとなく煙たい気がする。
これは、煙草の煙だろうか。
そう思った途端、胸がムカムカしてくる。
煙草は駄目だ。嫌いだ。

居てもたっても居られなくなり、
なるべく音をたてないように立ち上がり
散歩コースを更に進んでいく。
暫くすると大きい道から細い道が続いている。
足の進むままに細い道に入って行くと、
木々の中に小さな芝生が広がる場所があった。
何もないそこに座り込む。
何回か深く呼吸をすれば、次第に落ち着いてくる。
風がそよそよと吹き揺れる木々の間から陽が溢れる。
自分も吹かれるかのように芝生の上に横になった。

変な虫が居たら嫌だなぁとか、
髪の毛に土がついちゃうかなぁとか
考えては見るものの身体に力は入らず、
心地よい雰囲気にうつらうつらとしてしまう。

「大丈夫ですか?」

突然近くでかけられた声に一瞬息が止まり、
慌てて身を起こして声の相手を確認する。
それは警官だった。

「あの、大丈夫ですか?」

優しそうな顔に此方を思いやる声色。
早足で駆ける心臓を抑え、言葉を返す。

「え、はい、大丈夫です」
「こんな目立たない所で横になっているものですから、
なにか危ない目に合ったのかと思いましたよ」
「それは、すいません」

苦笑を滲ませるその表情に只々申し訳ない感情がこみ上げる。
やんわりと表現されたその言葉も心に刺さる。

「いくら明るいからといって、人目につかない場所は危ないですからね」
「はい、気をつけます…」
「えぇ、気をつけてくださいね。それでは。」

微笑み、立ち上がって去っていく警官。
ふんわりと香る煙の匂い。
咄嗟に顔をしかめてしまう。
その背中が見えなくなった頃、ため息をついた。

確かに自分の不注意さは認める。
見知らぬ女の心配をかけてしまったのも申し訳ない。
まぁ警官だからそういうものだろうけれど。
なんとなくこのまま外にいるのも嫌で自宅に戻った。


翌日。


今日もいい天気。
日差しを避けるように影を縫い歩く。
向かう先は昨日と同じ公園だ。
折角見つけた場所なのだから、隅々まで見てみようと思ったのだ。
広場を覗いてみると、子連れの家族が何組か居て、
「おや?」と思ったけれどなんてことはない。
今日から休日だ。
私は毎日こんな感じだから、曜日感覚が薄くなっている。
もうちょっとしっかりしようと思いながら、
昨日通った道を行く。

今日もさわさわと風が丁度良く吹き付ける。
これがもう少ししたら生ぬるく到底気持ちがいいなどと
言えなくなるんだろうなぁ。
それもそれで、四季折々の変化というやつだろうか。

ちらほらと見えていた人影も、
昨日よりも大分進んでいくと見えなくなってくる。
遠目に木々の切れ目が見え、微かに子供の声が聞こえてくる。
どうやら広場の周りをぐるりと一周したようだ。
少し戻って道端の木陰にあるベンチにて一息つくことにした。

一応昨日の事を反省して、視野の開けた、
人が近くにいる場所を選んだつもりだ。
失敗は成功の元。あれ、使い方違う?

それから暫く空を眺めたり、野花を愛でたりしていた。
自然に囲まれてゆったりとした時間の流れに身を任せているだけで
なんとなく自分も自然の一部のような気がしてくるから不思議である。

そしてそれはまたもや突然だった。

「あれ、君は昨日の、」
「はいっ?!」

驚いて声がひっくり返ってしまった。
慌てて声のした方へ顔を向けると、見覚えのある顔に警官服。

「あ、えと、昨日は、どうも…」

なんといっていいかわからずしどろもどろになりながら、
取り敢えず言葉を返す。

「いえ、何事もなくて良かったです」

そう言って微笑む。
男の人にしてはキレイな顔だなぁと今更ながらに思う。

「ここは丁度巡回ルートなんですよ」

そう言いながら何故か隣に座る警官。

「はぁ…」

特に意味もなく相槌を打つ。

「そういえば何故昨日はあんな所に居たのですか?」
「それは…、っ!」

大した理由でもないものを口にしよう顔を隣に向けた時、
ふわりと匂いが掠める。
それが何かを理解した瞬間に顔から血の気が引く。
昨日と同じように胸が苦しくてムカムカしてくる。
突然胸を抑えだした私に警官が慌てる。

「どうしました?!」

伸ばされる手を身を捩るようにして逃れ、
ふらつきながらも立つ。

「す、いません…ちょっと、調子が、うっ…よくなくて…」

帰りますとなんとか絞り出した声で答えて、背を向ける。
はやく新鮮な空気が吸いたい。息が、できない。
ふらふらと2、3歩進んだところで足から力が抜ける。
ぐらりと傾いた視界に、何のリアクションも取れずに、
地面が目の前に迫った時強い力に引き寄せられ、座り込む。
咄嗟に息を止める。

「あぶねぇだろ!」

さっきまで綺麗な微笑みが浮かべられていた顔は
今では釣り上がった眉に鋭い目で此方を見ている。
ハッとしたように今度は困ったような顔で此方を見る。

「具合悪いなら大人しくしていて下さい、水買ってきますから」

そういって駆け足で去っていく背中を目で追う。
その背中が完全に見えなくなって、ようやく息を吐き出した。
何度か深呼吸して、ムカムカを吐き出すように肺を空っぽにする。
…そういえばさっき何か雰囲気違ったような…

足音が聞こえて、自然と地面を見つけていた顔を挙げる。
警官が水のペットボトルを片手に走ってきていた。
近づくその距離に、咄嗟に声を挙げ手を前に突き出してしまう。

「っストップ…!」

ちゃんと止まってくれた警官の顔を伺う。
なんとも不可解そうな表情だ。
昨日に引き続き迷惑をかけてしまったし、
理由もなしにというのも、悪いし説明してしまおう。
別に隠すほどのことではないから別に構わないが、
単に、自分が情けなくなるのだ。

「あ、の…実はちょっとしたトラウマみたいなやつで…
 煙草の、匂いが駄目なんです…」
「…まさか」
「その、ほんの少しですけど、さっき、感じて…変に敏感になっちゃってて、その、…」

そういうと目を軽く見開き、罰が悪そうに眉間に皺を寄せて
頸に手をやる。

「そっか、それは悪いことをしたな…この距離なら、感じないんだね?」
「はい、」

申し訳無さから、目を合わせられずに居ると、
ほら、という声とともに水が投げ渡される。
咄嗟に受け取るが、なんか、雑だな…?
またもや感じた違和感。

「すいません、ありがとうございます…」

水のキャップを開け、一口、二口。
ふぅと一息ついてハッとする。

「あ、お金、」
「構わないよ、それくらい」

爽やかな笑顔で返される。
でも、二人で居るには不自然な距離に、微妙な空気に気まずくなって咄嗟に口から出る。

「あの!えっと、巡回中なんですよね?わたし、もう大丈夫なので…引き止めちゃってすいません…」
「…そうだね、君の看病をするにも、僕が近くにいたら良くならないもんね」
「う、すいまんせん…」
「ふふ、でもよかった、大事無くて」

優しさに溢れるその柔らかい声と言葉に、自然と表情が緩くなる。

「ありがとうございます、」

「…」
「え?」
「さて、じゃぁ僕はもういくね」

ぼそりと警察官の方が何かを言ったと思ったけれど、気のせいかな?
立ち上がったその人をぼんやりと見上げる。

「僕はヒロキ」
「え、」
「君の名前は?」
「えぇっと、狭山」
「下は?」
「…三葵」
「三葵ちゃんね」
「えっ」
「じゃぁまたね」

爽やかな笑顔で軽く手を振り、去っていく後ろ姿を呆然と見送る。
なんか、すごい強引だったな…。
手の中のペットボトルがなんとなく存在感を主張しているようで、ぎゅっと握りしめた。


これから色んな場所で出くわし、いつの間にか煙草の匂いは消え、
代わりに柑橘系の香りを漂わせたあの人が隣にいるようになるのはそう遠くない先の話。
しおりを挟む

処理中です...