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1.ペリクレスの後釜として
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ニキアスとクラッススを比べること、とりわけシチリアとパルティアにおける両者の敗亡を比較することには意味があるだろう。
だが、ここでひとつ読者にお願いしたいことがある。私がトゥキュディデス※1の著した、のちの模倣作すべての追随を許さぬ痛切で生き生きとしたペロポネソス戦争の記録――ときにそれは彼自身の技量すら凌駕している奇跡の産物なのだが――と張り合おうとしているなどと思わないでほしい。
いっぽう、私が愚かにもティマイオスのような過ちを犯しているとも信じないでほしい。ティマイオスはトゥキュディデス以上の出来栄えの歴史書を残そうとし、フィリストスをつまらない凡人に見せようと望み、陸戦、海戦、はたまた演説とあらゆる場面を詳述してみせたが、その描写はトゥキュディデスに遠く及ばない。さしずめあのピンダロスの詩にいう、
「リディアの馬車のすぐ横を 素足でのろのろ追っかける※2」
奴にも劣るのではないか。ようは彼は生兵法を振り回す素人作家なのであって、ディフィロスの言葉を借りるなら、
「知恵はでっぷり肥え太り シチリア産の油まみれ」――といった処だろう。
さのみならず、ティマイオスは無意識にクセナルコスのようなまじない染みた学説を書くくせがある。たとえば、
「“勝利”の名を冠した将軍が遠征の指揮を執ろうとしなかったことはアテナイにとって不吉であった※3」とか、
「ヘルメス像が壊されたのは、ヘルモンの息子ヘルモクラテスと戦をすれば破滅がおとずれるとの神の啓示である」などなど。さらには、
「ヘラクレスは女神ペルセフォネのおかげでケルベロスを捕らえたのだから、恩返しにシラクサを助けるのはものの道理※4、むしろトロイア人の末裔を称するアイゲスタ人をかばったのはその怒りに触れる行為である。なぜならかつてヘラクレスはラオメドン王の不当な仕打ちに怒ってトロイアを一度滅ぼした因縁があるのだから」と、万事この調子である。
思うにティマイオスは彼なりの正しさを追求した結果フィリストスの語句を訂正し、その延長としてプラトンやアリストテレスさえ非難するようになったのだろう。しかし私は、他人の文章の区々たる細部に嫉妬ぶかく突っかかるのはまったく衒学的で、下品でさえある、と思う。また模倣の及ばぬほどの傑作あいてにそれをするのは愚かというしかない。
なんにせよトゥキュディデスとフィリストスが用意してくれた記述は、本伝の主人公ニキアスのあまたの苦難の下に隠された本質を垣間みせるものであって無視することはできない。それゆえ私は、怠惰だ不注意だという謗りを避けんがためにも、必要な箇所をかいつまんでこれら先行史料に簡単に触れることにした。
またほとんどの史家が触れていないもの、他人の著作のなかに何の気なく言及のあるもの、いにしえの奉納物や律法に記載されている事蹟などをつとめて収攬したつもりである。むろんいたずらに文献を寄せ集めるのが目的ではない。その人の性格や気質への理解を深めるのに役立つものを後の世に伝えたかったからである。
ニキアスについて語り起こすなら、まずはアリストテレスがのこした記述を検分したい。いわく、アテナイの広い世代からひと柄を慕われることに成功した、優秀な三人の市民があった。すなわちニケラトスの息子ニキアス、メレシアスの息子トゥキュディデス※5、ハグノンの息子テラメネスである。
しかし三人目の声望は、前の二人ほどではなかったとされる。テラメネスはキオス島出身という理由で、本国人ではない血統が非難を浴びていたからである。また政界でははっきりとした態度を示さず、常に対立する党派の双方から支持を得ようとしたため、“上げ底靴※6”という不名誉なあだ名をもらっていた。
のこる二人のうちトゥキュディデスはより年長で、貴族階層の生まれからペリクレスのおこなう大衆への人気取り政策にしばしば手厳しい反駁を加えた。いっぽう年少のニキアスはペリクレスの存命中からすでに一定の名声を得ており、ときにペリクレスとともに将軍に選ばれて協力しあい、ときに単独で兵士たちの指揮を執る経験もあった。
ペリクレスの死後ニキアスはすぐさま最高指導者に推され、特に富裕層や名士らの熱い支持を受けた。彼らはニキアスをクレオンの横柄なやり方に対する防波堤として期待していたのだが、彼はその役目を果たしながらも、なお一般庶民の好意を失うことがなかった。
というのも、クレオンはまるで“老人の面倒をみるように”民衆を甘やかし、たびたび実入りの良い仕事の世話をしてやることで大きな影響力を保っていたにもかかわらず、その票田となり得る者らの間でさえ彼の強欲さ、鼻持ちのならなさはよく知られていたので、結局のところみなニキアスに協力してしまうのだった。
ニキアスに“威厳”なるものがあるとすれば、けして烈しい攻撃的な類のものではない。それは極端に慎重な性格と分かち難く混じりあっており、彼が大衆の心の移ろいを恐れているというまさにそのこと自体が、大衆の心を満足させていたのである。
彼は生来の臆病者かつ心配症で、こういう気質はどだい戦争には向かないはずだが、ありあまる幸運が気弱さを隠してしまった。ニキアスは将軍として一貫して成功を収めつづけたのだ。
いっぽう政治の世界では、彼の小心ぶりと病的なまでに告発を恐れるすがたは、かえって彼を自由な民主政社会の人気者にし、市民らの好意をあつめることに繋がった。人々は自分たちを軽んずる者を恐れ、自分たちを恐れる者を高く評価するからである。群衆にとって、為政者から侮られないことほど大きな名誉はないのである。
※1:トゥキュディデス、ティマイオス、フィリストス、クセナルコスはいずれも古代の作家、歴史家
※2:だらだらぐずぐず、冗長にすぎる、という意味
※3:ニキアスという名前はギリシア語の勝利を由来とする
※4:古来よりシチリア島はペルセフォネに捧げられた島だとの伝説があった
※5:ややこしいことに先述の歴史家のトゥキュディデスとは別人
※6:足を両方とも伸ばそうとするのをいじった皮肉表現
だが、ここでひとつ読者にお願いしたいことがある。私がトゥキュディデス※1の著した、のちの模倣作すべての追随を許さぬ痛切で生き生きとしたペロポネソス戦争の記録――ときにそれは彼自身の技量すら凌駕している奇跡の産物なのだが――と張り合おうとしているなどと思わないでほしい。
いっぽう、私が愚かにもティマイオスのような過ちを犯しているとも信じないでほしい。ティマイオスはトゥキュディデス以上の出来栄えの歴史書を残そうとし、フィリストスをつまらない凡人に見せようと望み、陸戦、海戦、はたまた演説とあらゆる場面を詳述してみせたが、その描写はトゥキュディデスに遠く及ばない。さしずめあのピンダロスの詩にいう、
「リディアの馬車のすぐ横を 素足でのろのろ追っかける※2」
奴にも劣るのではないか。ようは彼は生兵法を振り回す素人作家なのであって、ディフィロスの言葉を借りるなら、
「知恵はでっぷり肥え太り シチリア産の油まみれ」――といった処だろう。
さのみならず、ティマイオスは無意識にクセナルコスのようなまじない染みた学説を書くくせがある。たとえば、
「“勝利”の名を冠した将軍が遠征の指揮を執ろうとしなかったことはアテナイにとって不吉であった※3」とか、
「ヘルメス像が壊されたのは、ヘルモンの息子ヘルモクラテスと戦をすれば破滅がおとずれるとの神の啓示である」などなど。さらには、
「ヘラクレスは女神ペルセフォネのおかげでケルベロスを捕らえたのだから、恩返しにシラクサを助けるのはものの道理※4、むしろトロイア人の末裔を称するアイゲスタ人をかばったのはその怒りに触れる行為である。なぜならかつてヘラクレスはラオメドン王の不当な仕打ちに怒ってトロイアを一度滅ぼした因縁があるのだから」と、万事この調子である。
思うにティマイオスは彼なりの正しさを追求した結果フィリストスの語句を訂正し、その延長としてプラトンやアリストテレスさえ非難するようになったのだろう。しかし私は、他人の文章の区々たる細部に嫉妬ぶかく突っかかるのはまったく衒学的で、下品でさえある、と思う。また模倣の及ばぬほどの傑作あいてにそれをするのは愚かというしかない。
なんにせよトゥキュディデスとフィリストスが用意してくれた記述は、本伝の主人公ニキアスのあまたの苦難の下に隠された本質を垣間みせるものであって無視することはできない。それゆえ私は、怠惰だ不注意だという謗りを避けんがためにも、必要な箇所をかいつまんでこれら先行史料に簡単に触れることにした。
またほとんどの史家が触れていないもの、他人の著作のなかに何の気なく言及のあるもの、いにしえの奉納物や律法に記載されている事蹟などをつとめて収攬したつもりである。むろんいたずらに文献を寄せ集めるのが目的ではない。その人の性格や気質への理解を深めるのに役立つものを後の世に伝えたかったからである。
ニキアスについて語り起こすなら、まずはアリストテレスがのこした記述を検分したい。いわく、アテナイの広い世代からひと柄を慕われることに成功した、優秀な三人の市民があった。すなわちニケラトスの息子ニキアス、メレシアスの息子トゥキュディデス※5、ハグノンの息子テラメネスである。
しかし三人目の声望は、前の二人ほどではなかったとされる。テラメネスはキオス島出身という理由で、本国人ではない血統が非難を浴びていたからである。また政界でははっきりとした態度を示さず、常に対立する党派の双方から支持を得ようとしたため、“上げ底靴※6”という不名誉なあだ名をもらっていた。
のこる二人のうちトゥキュディデスはより年長で、貴族階層の生まれからペリクレスのおこなう大衆への人気取り政策にしばしば手厳しい反駁を加えた。いっぽう年少のニキアスはペリクレスの存命中からすでに一定の名声を得ており、ときにペリクレスとともに将軍に選ばれて協力しあい、ときに単独で兵士たちの指揮を執る経験もあった。
ペリクレスの死後ニキアスはすぐさま最高指導者に推され、特に富裕層や名士らの熱い支持を受けた。彼らはニキアスをクレオンの横柄なやり方に対する防波堤として期待していたのだが、彼はその役目を果たしながらも、なお一般庶民の好意を失うことがなかった。
というのも、クレオンはまるで“老人の面倒をみるように”民衆を甘やかし、たびたび実入りの良い仕事の世話をしてやることで大きな影響力を保っていたにもかかわらず、その票田となり得る者らの間でさえ彼の強欲さ、鼻持ちのならなさはよく知られていたので、結局のところみなニキアスに協力してしまうのだった。
ニキアスに“威厳”なるものがあるとすれば、けして烈しい攻撃的な類のものではない。それは極端に慎重な性格と分かち難く混じりあっており、彼が大衆の心の移ろいを恐れているというまさにそのこと自体が、大衆の心を満足させていたのである。
彼は生来の臆病者かつ心配症で、こういう気質はどだい戦争には向かないはずだが、ありあまる幸運が気弱さを隠してしまった。ニキアスは将軍として一貫して成功を収めつづけたのだ。
いっぽう政治の世界では、彼の小心ぶりと病的なまでに告発を恐れるすがたは、かえって彼を自由な民主政社会の人気者にし、市民らの好意をあつめることに繋がった。人々は自分たちを軽んずる者を恐れ、自分たちを恐れる者を高く評価するからである。群衆にとって、為政者から侮られないことほど大きな名誉はないのである。
※1:トゥキュディデス、ティマイオス、フィリストス、クセナルコスはいずれも古代の作家、歴史家
※2:だらだらぐずぐず、冗長にすぎる、という意味
※3:ニキアスという名前はギリシア語の勝利を由来とする
※4:古来よりシチリア島はペルセフォネに捧げられた島だとの伝説があった
※5:ややこしいことに先述の歴史家のトゥキュディデスとは別人
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