2 / 16
2.その人となりについて
しおりを挟む
ペリクレスはあふれんばかりの人徳と純粋な弁舌の才のみで国政を縦横に動かし、いらぬ建前を説いてまわる必要がなかった。またクレオンは演壇でさまざまに冗談を飛ばし、アテナイ人は楽しんでいるうちに知らず彼の野心に引き込まれていることがあった。ニキアスは両者のような資質も機転も持ち合わせなかったため、豊かな財産を利用して大衆の歓心をかうことにした。
彼は演劇やスポーツ競技、あるいは立派な公共物でもってアテナイ人を悦ばせたが、それはまさに空前にして絶後といってよいほど豪壮華麗なものだった。彼が拵えた奉納品のなかで今日まで残っているのはアクロポリスにあるパラス・アテナの神像だが、これは金箔がずいぶん剥げ落ちてしまっている。またディオニュソス神殿の境内では、演劇の優勝者が捧げる三つ足台を載せた厨子堂を見ることができる。というのも彼は自ら催した演劇会にたびたび参加して、しかも負け知らずだったらしい。
伝えられるところによれば、ある時こうした劇の最中に、ニキアスの奴隷だったひとりの少年がディオニュソス神に扮装して現れたという。すらりとして姿うるわしく、まだ幼さの残る顔には髭すら生えていなかったから、アテナイの観衆はおおいに喜び、喝采はいつまでも鳴り止まなかった。ついにニキアスは立ち上がり、ひとたび神性を帯びた人間が奴隷のまま繋がれているのは美しくない、と言って若人に自由を与えたのだった。
なかでもデロス島で行なわれた美しい祭礼は、彼の神々への篤い信心の発露として記憶されている。それまでアテナイ市から送られた聖歌隊は、てんでバラバラな順番であらわれ、大勢の島民から求められると慌てて歌いはじめ、花冠をかぶりながら舟を降りて来て、桟橋でようやく衣装を着込むという無秩序ぶりだった。
ニキアスはこの聖なる一団を引率する任にあずかったとき、隣のレネイア島で犠牲の獣や聖具とともにいったん下船した。彼は金箔や花輪や極彩色の布、絨毯で飾った小舟――もちろんあらかじめアテナイで寸法を測って作らせたものだが――をいく隻も持ち込んでいた。そうして夜をまち、レネイアとデロスの間のさほど広くない海峡に、ひそかに舟橋を架けてみせたのである。
夜明けとともに美々しく着飾った聖歌隊の隊列は歌をささげながら橋をわたり、神域へとすすんだ。生贄、合唱競技、そして宴が終わると、ニキアスは真鍮でできた椰子の木を奉献した。また10000ドラクマで島の土地を買い、その場で神に寄進した。こうして出来た神殿領のあがりで島の住民は毎年祭礼を行ない、ニキアスの幸運を神々に祈ってくれる、という仕組みなのだった。この誉れと祭りの義務を記録して柱に刻んだものが、デロスに残っている。しかし真鍮の椰子はのちに大風が吹いたさいに折れ、ナクソスの人々が奉納した巨大な神像を地に倒してしまったという。
読者諸賢にはこうしたことを全部が全部、あからさまな虚栄心や、人気と喝采を求める下卑た欲望ゆえと見なさないでほしい。ニキアスという男の気質や性格をさぐってゆくと、多額の散財や興行は、たんに敬神の心のなせるわざと受け取ったほうが良いことも多いのだ。というのは、彼はわずかな予兆にも“神意”を見出さずにはいられない性質で、トゥキュディデスが語るように、「占いに熱中していた」のである。
パシフォンの対話集には、「彼は毎日かかさず神々に生贄をささげ、屋敷には占い師を住まわせて国家社稷の大事をつねに相談している、と公言していた。しかし大半は個人的なこと、特に所有する銀鉱山について占ってもらっていたのだ」と書かれている。彼はラウレイオンに多数の価値ある銀鉱を持っていたが、鉱山の運営には危険がつきものだったからである。
ニキアスはその地でたくさんの奴隷を働かせ、大量の銀を財産として保有した。それゆえ彼のゆくところ、金を無心してくる取り巻きが絶えず群がっていた。ニキアスは自分にとって害にしかならない者も、投資のしがいのある者も、みな平等に恵んでやっていた。つまるところ彼の臆病はならず者の、彼の人情は正しい者の財布がわりなのだった。
その証拠を、同時代の喜劇のなかに見つけてみせよう。テレクレイデスは、密告で金を稼ぐ破落戸に、こんなふうに語らせている。
――おいらは見たんだよ。カリクレスがそいつに1ムナにぎらせて口止めしたのさ、お袋さまの懐からひとりでに産まれた子供だってことを※1。
ニケラトスの息子のニキアスも口止め料を払ってたな、たしか4ムナだった。おいら、秘密の中身を知っちゃいるが、ニキアスは男のなかの男だから明かすわけにはいかないね――
つぎはエウポリスの手になる『マリカス』の作中、密告屋が純朴な貧乏人をはめようとするシーンである。
密告屋「あんたがニキアスに会ったのはいつ?」
貧乏人「ニキアスなんて知りません。ついさっき、そこの広場で見ただけですよ」
密告屋「それみたことか、やっぱり会ったんだ!あんた、清き一票をいくらで売りなすった?」
合唱団「おお皆の衆、何としたこと!ニキアスが現場を抑えられてしまった!」
貧乏人「馬鹿げたまねを!ああまで善良な人を、罪はどうあれ捕まえようとするなんて」
アリストファネスの描くクレオンは、こんな脅し文句をいう。
――雄弁家どもを残らず怒鳴りつけてやる!そしてニキアスを竦み上がらせてやる!――
またフリュニコスは自らの詩で、ニキアスの気弱さや情けない様子をこう表現する。
――私は知っている、あいつはまことに立派で堂々とした市民だった。ニキアスがやるみたいに身を縮こめて歩くことはしなかった――
※1:私生児である、という秘密を黙ってもらいたくて金(ムナは貨幣の単位)を渡したということ
彼は演劇やスポーツ競技、あるいは立派な公共物でもってアテナイ人を悦ばせたが、それはまさに空前にして絶後といってよいほど豪壮華麗なものだった。彼が拵えた奉納品のなかで今日まで残っているのはアクロポリスにあるパラス・アテナの神像だが、これは金箔がずいぶん剥げ落ちてしまっている。またディオニュソス神殿の境内では、演劇の優勝者が捧げる三つ足台を載せた厨子堂を見ることができる。というのも彼は自ら催した演劇会にたびたび参加して、しかも負け知らずだったらしい。
伝えられるところによれば、ある時こうした劇の最中に、ニキアスの奴隷だったひとりの少年がディオニュソス神に扮装して現れたという。すらりとして姿うるわしく、まだ幼さの残る顔には髭すら生えていなかったから、アテナイの観衆はおおいに喜び、喝采はいつまでも鳴り止まなかった。ついにニキアスは立ち上がり、ひとたび神性を帯びた人間が奴隷のまま繋がれているのは美しくない、と言って若人に自由を与えたのだった。
なかでもデロス島で行なわれた美しい祭礼は、彼の神々への篤い信心の発露として記憶されている。それまでアテナイ市から送られた聖歌隊は、てんでバラバラな順番であらわれ、大勢の島民から求められると慌てて歌いはじめ、花冠をかぶりながら舟を降りて来て、桟橋でようやく衣装を着込むという無秩序ぶりだった。
ニキアスはこの聖なる一団を引率する任にあずかったとき、隣のレネイア島で犠牲の獣や聖具とともにいったん下船した。彼は金箔や花輪や極彩色の布、絨毯で飾った小舟――もちろんあらかじめアテナイで寸法を測って作らせたものだが――をいく隻も持ち込んでいた。そうして夜をまち、レネイアとデロスの間のさほど広くない海峡に、ひそかに舟橋を架けてみせたのである。
夜明けとともに美々しく着飾った聖歌隊の隊列は歌をささげながら橋をわたり、神域へとすすんだ。生贄、合唱競技、そして宴が終わると、ニキアスは真鍮でできた椰子の木を奉献した。また10000ドラクマで島の土地を買い、その場で神に寄進した。こうして出来た神殿領のあがりで島の住民は毎年祭礼を行ない、ニキアスの幸運を神々に祈ってくれる、という仕組みなのだった。この誉れと祭りの義務を記録して柱に刻んだものが、デロスに残っている。しかし真鍮の椰子はのちに大風が吹いたさいに折れ、ナクソスの人々が奉納した巨大な神像を地に倒してしまったという。
読者諸賢にはこうしたことを全部が全部、あからさまな虚栄心や、人気と喝采を求める下卑た欲望ゆえと見なさないでほしい。ニキアスという男の気質や性格をさぐってゆくと、多額の散財や興行は、たんに敬神の心のなせるわざと受け取ったほうが良いことも多いのだ。というのは、彼はわずかな予兆にも“神意”を見出さずにはいられない性質で、トゥキュディデスが語るように、「占いに熱中していた」のである。
パシフォンの対話集には、「彼は毎日かかさず神々に生贄をささげ、屋敷には占い師を住まわせて国家社稷の大事をつねに相談している、と公言していた。しかし大半は個人的なこと、特に所有する銀鉱山について占ってもらっていたのだ」と書かれている。彼はラウレイオンに多数の価値ある銀鉱を持っていたが、鉱山の運営には危険がつきものだったからである。
ニキアスはその地でたくさんの奴隷を働かせ、大量の銀を財産として保有した。それゆえ彼のゆくところ、金を無心してくる取り巻きが絶えず群がっていた。ニキアスは自分にとって害にしかならない者も、投資のしがいのある者も、みな平等に恵んでやっていた。つまるところ彼の臆病はならず者の、彼の人情は正しい者の財布がわりなのだった。
その証拠を、同時代の喜劇のなかに見つけてみせよう。テレクレイデスは、密告で金を稼ぐ破落戸に、こんなふうに語らせている。
――おいらは見たんだよ。カリクレスがそいつに1ムナにぎらせて口止めしたのさ、お袋さまの懐からひとりでに産まれた子供だってことを※1。
ニケラトスの息子のニキアスも口止め料を払ってたな、たしか4ムナだった。おいら、秘密の中身を知っちゃいるが、ニキアスは男のなかの男だから明かすわけにはいかないね――
つぎはエウポリスの手になる『マリカス』の作中、密告屋が純朴な貧乏人をはめようとするシーンである。
密告屋「あんたがニキアスに会ったのはいつ?」
貧乏人「ニキアスなんて知りません。ついさっき、そこの広場で見ただけですよ」
密告屋「それみたことか、やっぱり会ったんだ!あんた、清き一票をいくらで売りなすった?」
合唱団「おお皆の衆、何としたこと!ニキアスが現場を抑えられてしまった!」
貧乏人「馬鹿げたまねを!ああまで善良な人を、罪はどうあれ捕まえようとするなんて」
アリストファネスの描くクレオンは、こんな脅し文句をいう。
――雄弁家どもを残らず怒鳴りつけてやる!そしてニキアスを竦み上がらせてやる!――
またフリュニコスは自らの詩で、ニキアスの気弱さや情けない様子をこう表現する。
――私は知っている、あいつはまことに立派で堂々とした市民だった。ニキアスがやるみたいに身を縮こめて歩くことはしなかった――
※1:私生児である、という秘密を黙ってもらいたくて金(ムナは貨幣の単位)を渡したということ
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助
蔵屋
歴史・時代
わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。
何故、甲斐国なのか?
それは、日本を象徴する富士山があるからだ。
さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。
そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。
なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。
それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。
読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。
影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる