ニキアス伝―プルターク英雄伝より―

N2

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5.ニキアスの和約

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その頃、アテナイではすでにアルキビアデスが衆望を集めはじめていた。クレオンのような混じり気なしの煽動屋デマゴーゴスではないが、彼もじつに面倒な人物だった。例えるなら昔からエジプトを評して言うではないか――

実り豊かな土地なれば 薬草もあまた 毒草もあまた

アルキビアデスの性格は善にも悪にも大きく振れて、巨大な変化の渦を巻き起こした。そのためようやくクレオンから解放された後も、ニキアスは街に元の静けさを与えてやることは出来なかった。和平により一時的に事態は収拾されたが、アルキビアデスからの横槍ですっかり台無しになり、かつてないほどの戦禍に引きずり込まれてしまったのだ。


とまれ我々は休戦がいかようにして成されたかを見よう。平和の障害になっていたのは、何と言ってもブラシダス※2とクレオンである。戦争は、前者の美点を輝かせ武名を高める絶好の機会となったが、後者にとっては逆に悪事を隠蔽した上さらに不正を重ねるための装置に過ぎなかった。

この二人がアンフィポリス近郊の一戦でそろって討ち死を遂げたとき、ニキアスはスパルタ人が長らく講和を望んでいること、アテナイ人が戦においてもう昔日せきじつの自信を持っていないことを見て取った。両勢力とも疲れ切って、みずから仕掛ける気力を失っていたようである。このタイミングを逃さず、彼は二国間の関係を修復し、ギリシア全体を流血の惨禍から救う手立てを模索した。そうすることで未来永劫、政治家としての名誉も幸福も不動のものになると信じたからである。

彼はアテナイの有力者層――素封家そほうかや長老、それに土地持ち――の大半が和平に傾いていることを知っていた。のこる庶民を辛抱づよく説得して、彼らが浮かれていた戦争への情熱を冷まさせたあと、ラケダイモン側に首尾を伝えて交渉のテーブルに着くよう働きかけた。

スパルタ人がニキアスに信を置いたのは、その人物が公正であったのも一因だが、ピュロスで捕らえた虜囚りょしゅうの苦しみを和らげようと彼が温情と気遣いをもって接したことを忘れていなかったためである。

アテナイとスパルタは、まず一年の期限をきって休戦することで妥結した。そのあいだに民間の往来を復活して、おたがい平和と安全の甘美さ、友人縁者との妨げのない交流を存分に味わうことで、もはや血みどろの日常に戻る気をせさせた。ひとびとは「平時にあってラッパは要らぬ とりの鳴くで目は覚める」ということわざを思い出し、合唱団はこんなうたをうたって祝った。

――わが槍はいつまでもそこに捨て置け 蜘蛛の巣の張るにまかせよ――

いぜん“戦は九三の年月としつき※2つづく定めにある”という出所でどころの知れぬ予言を信じる勢力はあったが、和平派はこれを非難して耳を貸さず、立ちふさがる諸問題に議論を尽くしたうえ、ついに講和が結ばれたのである。

ほとんどの人は忌まわしい戦禍はもはや消え去ったと喜んだ。なかでもニキアスは、神々を愛し、また神々に愛された者ゆえ、あらゆる祝福と賛辞をあびて、この出来事とともにとこしえに名を記憶されるべき人物となったと讃えられた。

じっさい開戦はペリクレスのお陰、講和はニキアスのお陰、と市民らは言い合った。ペリクレスはささいな面子のために全ギリシアを災厄のるつぼに陥れた一方、ニキアスは人々のあいだに残る怨念を忘れさせ、ふたたび友情をよみがえらせた、と見なしたからだった。そうして今日まで、これを“ニキアスの和約”と呼ぶならわしが出来たのである。


※1:スパルタの将軍。名采配でたびたびアテナイを苦しめた
※2:9×3、すなわり27年つづくことを暗示する。ちなみにこの時点でまだ開戦から10年ほど
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