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10.アテナイの攻勢
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謀られたと知った敵兵は慌ててカタネから取って返しシラクサの城門前に布陣したが、ニキアス率いるアテナイ軍は息つく間を与えず襲いかかり、これを打ち破った。しかし騎兵の妨害を受け、敵を壊滅させることまではかなわなかった。ついで彼は近くの川にかかる橋を切り落としたが、これを見たヘルモクラテス※1はこう言ってシラクサ勢を勇気づけた――ニキアスというのはふざけた男よ、奴の頭には“どう戦すべきか”という発想がない、“どうすれば戦にならないか”そればかりではないか――
しかしこの敗北はシラクサ人の心胆を寒からしめるには十分だったようで、在任中の将軍は15人全員が免官され、あらたに市民から絶対的強権を約束された3名の将軍が任にあたることになった。
アテナイ勢がつぎに目をつけたのは街のそばに鎮座するゼウス・オリュンピオス神殿であった。兵士らは聖堂に納められた金銀財物を我がものにせんと手ぐすね引いていたが、ニキアスはわざと無為に過ごして機会を逃し、シラクサが守備部隊を送りこむ時間を与えてやった。兵隊どもに略奪を許しても国の懐は肥えず、そればかりかかえって自分が瀆神の罪に問われかねないと思ったからである。
知らぬ者の無いほどの成功を収めながら、ニキアスはその成功を僅かも生かすことがなかった。数日だけ駐留した後は、ナクソスの街に引いてそこで冬営の陣を張ることにしたが、なにぶん大軍ゆえ兵站管理には莫大な資金が溶けていった。その間成したことといえば、反旗を翻したシチリア島先住民との小規模ないざこざのみであった。時を得たシラクサ人は体勢を立て直し、カタネへ進軍すると大いに荒らし回ってアテナイの陣を焼き払った。
この時は誰もが、ニキアスの長考ぐせと用心のために行動が遅れ、いつも後手ばかり取ることをなじった。ただ、仕事の中身については彼を責める者はひとりもいなかった。一旦やると決めたときには彼は前線で活発に采配を振るうのだが、そもそもが鈍重な気質で、万全の確信を持てるまで梃子でも動こうとしないのである。
再度シラクサ攻めに及んだとき、ニキアスは迅速果断な用兵をみせた。密かにタプソスにまわって兵を陸にあげたため、敵は誰もアテナイ勢の接近に気づかなかった。さらにはいち早くエピポライを襲撃、占拠し、援けに駆けつけて来た精鋭軍を撃破すると300名を捕虜にしたうえ、無敵をほこる騎兵部隊さえ敗走させてしまった。
だがシラクサ人を最も驚かせ、ギリシア人にも空前絶後と称されたのは、アテナイに勝るとも劣らない広さを持ち、海も近ければ沼もあって軟弱地の多いシラクサの街を、きわめて短い月日のうちに長い塁壁で囲んでみせたことであろう。しかもこのような難工事に取り組める健康状態ではなかったはずの男が、瞬く間にやってのけたのである。あと少しのところで完成し切らなかったが、その責めは彼ではなく、彼の病が負うべきだろう。
私はこの将軍の根気強さと兵士らの勇気に感嘆する。のちにアテナイ勢が敗亡の憂き目に見舞われたのを知って、詩人エウリピデスは彼らのためにこんな哀悼歌を捧げている。
まだ 神のみ胸に 公平の宿りしころ
八度にわたり シラクサびとを打擲せし アテナイの男たち※2
事実、彼らがシラクサ人を破ったのは8回どころではない。確かにアテナイは優勢であり、それは諸神の導きかあるいは運命のいたずらか、彼らが登りつめた最高潮の頂きから転がり落ちるまで続いたのだった。
※1:シラクサの将軍
※2:運勢が公平なうちは一方的にシラクサに勝利していた、という意味
しかしこの敗北はシラクサ人の心胆を寒からしめるには十分だったようで、在任中の将軍は15人全員が免官され、あらたに市民から絶対的強権を約束された3名の将軍が任にあたることになった。
アテナイ勢がつぎに目をつけたのは街のそばに鎮座するゼウス・オリュンピオス神殿であった。兵士らは聖堂に納められた金銀財物を我がものにせんと手ぐすね引いていたが、ニキアスはわざと無為に過ごして機会を逃し、シラクサが守備部隊を送りこむ時間を与えてやった。兵隊どもに略奪を許しても国の懐は肥えず、そればかりかかえって自分が瀆神の罪に問われかねないと思ったからである。
知らぬ者の無いほどの成功を収めながら、ニキアスはその成功を僅かも生かすことがなかった。数日だけ駐留した後は、ナクソスの街に引いてそこで冬営の陣を張ることにしたが、なにぶん大軍ゆえ兵站管理には莫大な資金が溶けていった。その間成したことといえば、反旗を翻したシチリア島先住民との小規模ないざこざのみであった。時を得たシラクサ人は体勢を立て直し、カタネへ進軍すると大いに荒らし回ってアテナイの陣を焼き払った。
この時は誰もが、ニキアスの長考ぐせと用心のために行動が遅れ、いつも後手ばかり取ることをなじった。ただ、仕事の中身については彼を責める者はひとりもいなかった。一旦やると決めたときには彼は前線で活発に采配を振るうのだが、そもそもが鈍重な気質で、万全の確信を持てるまで梃子でも動こうとしないのである。
再度シラクサ攻めに及んだとき、ニキアスは迅速果断な用兵をみせた。密かにタプソスにまわって兵を陸にあげたため、敵は誰もアテナイ勢の接近に気づかなかった。さらにはいち早くエピポライを襲撃、占拠し、援けに駆けつけて来た精鋭軍を撃破すると300名を捕虜にしたうえ、無敵をほこる騎兵部隊さえ敗走させてしまった。
だがシラクサ人を最も驚かせ、ギリシア人にも空前絶後と称されたのは、アテナイに勝るとも劣らない広さを持ち、海も近ければ沼もあって軟弱地の多いシラクサの街を、きわめて短い月日のうちに長い塁壁で囲んでみせたことであろう。しかもこのような難工事に取り組める健康状態ではなかったはずの男が、瞬く間にやってのけたのである。あと少しのところで完成し切らなかったが、その責めは彼ではなく、彼の病が負うべきだろう。
私はこの将軍の根気強さと兵士らの勇気に感嘆する。のちにアテナイ勢が敗亡の憂き目に見舞われたのを知って、詩人エウリピデスは彼らのためにこんな哀悼歌を捧げている。
まだ 神のみ胸に 公平の宿りしころ
八度にわたり シラクサびとを打擲せし アテナイの男たち※2
事実、彼らがシラクサ人を破ったのは8回どころではない。確かにアテナイは優勢であり、それは諸神の導きかあるいは運命のいたずらか、彼らが登りつめた最高潮の頂きから転がり落ちるまで続いたのだった。
※1:シラクサの将軍
※2:運勢が公平なうちは一方的にシラクサに勝利していた、という意味
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