ニキアス伝―プルターク英雄伝より―

N2

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11.スパルタ来襲

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ニキアスは病身に鞭打って采配を振るい、戦場に遅れをとることはほとんど無かった。ところがある日いよいよ病があつくなり、陣営内で何人かの従僕の看護を受けながら横になって休まざるを得ないことがあった。ラマコスが代わりに前線で指揮を執ったが、この時シラクサ兵はアテナイの塁壁が街を囲んでしまうのを防ぐため、相手の壁に対抗して直角に城壁を伸ばそうとしていた。

ラマコスは勝利の余勢をかって追撃戦を行なううちに部下とはぐれ、襲い来るシラクサ騎兵と単身わたり合う羽目になった。敵の先頭をゆくのは戦上手を知られた勇将カリクラテスである。挑戦を受けたラマコスは彼と一騎討ちに及んだ。先にひと太刀浴びせたのはカリクラテスだったが、ラマコスは深傷を負いながらもすぐに斬り返し、ふたりはともに倒れて相討ちとなった。

シラクサ勢は彼のがらと武具を奪い、速度をあげてアテナイの防塁へ殺到した。そこにはニキアスが身を守る手勢もないまま臥せっていたが、危急の一大事を悟った彼は左右に命じて壁の前に置いてある攻城兵器や、それを作るための材木に火をつけさせた。シラクサ兵は歩みを止め、塁壁を前にしながら燃えあがる炎を越えられず、退却していった。咄嗟とっさの機転がニキアス自身のみならずアテナイの防塁と財産を救ったのである。


とうとうニキアスは一人で兵を率いねばならなくなったが、それでも勝算は十分にあった。というのも、シチリアの諸都市がこぞってアテナイとの同盟を望んできて、味方の陣地には島じゅうから穀物を満載した船が着きはじめていたのである。戦況がアテナイに好転したことが、人を呼び寄せたと言っていい。

いっぽう防衛戦に希望を見い出せなくなったシラクサ人の間では、いよいよ講和が検討されようとしていた。事実、ラケダイモンの援軍として艦隊とともにシチリアへ航海していたギュリッポス※1は、その途上でアテナイの巨大城壁とシラクサ危うしの報に接して、島を解放するのはもう諦め、方針転換して可能なかぎりイタリア半島がわの都市を守ろうとしたほどだった。深謀、天運をふたつながら備えた大将を擁したアテナイがすべてを制するのは時間の問題である、という噂が方々まで広まっていたからである。

彼らしからぬことだが、ここに来てニキアスも成功裏に進んでいる現状に満足して、シラクサの使者から聞き出した情報をもとに、条件次第では敵はすぐにでも街を明け渡すだろうと考えた。それゆえギュリッポス率いる援軍などまるで意にとめず、その接近にも警戒ひとつしなかった。

無視され侮られたと知ったギュリッポスは、ニキアスに悟られぬよう小舟に乗り換えて街から遠く離れた地点に上陸し、大兵を集結させたが、当のシラクサ人さえ彼の到来をまったく予期していなかった。

それゆえ街ではニキアスとの交渉内容について会議が布告され、すでに何人かは議場に集まって、塁壁が完全に閉じ切ってしまうまえに、使節をみな向こうに送ってしまおうと言い合った。残りの工事区画はわずかであり、もう必要な資材は近くに置かれていたのである。


この危機と混乱のちょうどさなかに、コリントスから一隻の三段櫂船がやって来た。降りたったゴンギュロスから情報を得ようと黒山の人だかりが出来たのはご想像どおりである。ゴンギュロスはギュリッポスがすぐそばまで進軍していること、他の応援部隊もおっつけ来航するだろうことを伝えたが、シラクサの人々はにわかには信用し難い、という態度だった。

そうこうする間にギュリッポスから急使が到着して、迎えに出るよう要請してきた。そこで彼らは喜び勇んで武器を手に取ったのだが、ギュリッポスはさきに手勢を率いてアテナイ軍に対峙した。ニキアスも急ぎ布陣を整えたところ、ラケダイモン兵はアテナイ勢の目前で得物を大地に横たえた。軍使が告げるには、「このままシチリア島を立ち去るならば、我らもわざわざ邪魔だてはしない」との意思表示である。

ニキアスは何の返答もしなかったが、かたわらの兵のうち何人かは嘲笑しつつこう尋ねた。
「スパルタの連中の貧相な外套マントとあの棒切れ※2を見ただけで、突然シラクサの武運が開けるというのかね?諸君らの軽蔑するアテナイは、ギュリッポスなんぞより遥かに丈夫で髪も長い戦士たち300人を鎖で縛め、ラケダイモンへ送り返してやったこともあるのだぞ」

ギュリッポスの不人気については、ティマイオスがこう書き残している――味方のシラクサ人さえ初めは彼の外套マントすがたと長すぎる髪を馬鹿にし、後にはその貪婪どんらんさが非難の的になった――

しかし同じティマイオスは、ギュリッポスが姿を現したとき、あたかも“ふくろうを見出した鳥のように”男たちが自分も戦に加えてくれるよう彼の周りに群がった、と記すことも忘れない。こちらの言い分のほうがより真実に近いだろう。兵士らはギュリッポスの杖と外套マントにスパルタの権威と象徴を見、それに応じて集ったのだから。

ここからの救援劇がすべて彼ひとりの功に帰すべきことは、トゥキュディデスのみならず同時代の目撃者であるシラクサ人フィリストスも明言するところである。


※1:スパルタの将軍
※2:マントに杖、そして長髪はスパルタ人の風習である
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