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第0章 エピローグ
王子稲荷と飛鳥山
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チンチンチンチン、チンチンチンチン。チンチンチンチン、チンチンチン。
もひとつ、おまけで、チンチンチン。
大きな声で口から出せば、なんだら条例違反で警察官から不審尋問を食らうようなセリフだけれど。
他人には、聞こえないような、小さな声で。
ブツブツと呟く、青年とも中年ともつかない男が、王子駅前の電停から道路へと降りて、目の前に見える王子駅のガード下を左に見ながら線路を渡って、そこで更に左へとガード下を潜り抜けて行こうとして。
いま降りてきた都電荒川線の電車が目の前を通り過ぎて行くのを、見送った。
あの車輛は、すぐ先の坂を上って飛鳥山を左に見ながらカーブして行くのだ。
その飛鳥山には、知る人ぞ知る「アスカルゴ」なる小型モノレールが設置されていて観光客の人気を呼んでいる、らしい。
余談ながら。
「アスカルゴ」の乗車場の手前左、国鉄(JR東日本)の王寺駅でもある土手の石垣と、向こう側の飛鳥山との間の隙間?には戦後の雰囲気を残す飲食店が数軒、挟まっていたが、いつだかの火災で取り壊されたという昔話もあるらしい。もう、覚えている人も少なくなりつつあるけれどな。
と、アタマに叩き込んである地図を思い浮かべながら飛鳥山をチラ見する、その男。
正体不明の、その男のデータと言えば。
氏名:田中鐵男。(以下、鐵男)
年齢:三十二歳。
独身。
身長:そこそこ
体重:そこそこ
霊能:(そこそこ)※未発現
職業:フリーカメラマン
趣味:運鉄。
いや、趣味については間違いでは無くて。撮り鉄のほうはカメラマンとしての「職業」の範疇だから、計算に入れてはならない。
ならば、趣味の「運鉄」とは何かと問われれば。
「あぁ~~あ。もっと、運転のし甲斐のあるシミュレーションアプリは、無いのかなぁ~~」
誰に向かって言うでもなく、己の独り言としては大きな不満が口から零れる。
そう。
鐵男の趣味は、電車や汽車の運転をすることなのだ。
とは言え、実際に電車や汽車の運転をすることは、ただのフリーカメラマンにとっては不可能に近い。
だから。
日本各地の、機関車などの動態保存をしている鉄道博物館は巡り尽くし、某所では長い順番待ちの末に、運転体験もさせてもらったことはあるものの、たかだか百メートルかそこらのものでしかなかった。
あとは、屋根が付いた建物の中に置かれているだけ!の展示物くらいか。
仕方なく、という言い訳の元に鐵男が挑むのは。
パソコンと連動する「運転台ユニット」と画像アプリから成る、シミュレーションゲームで遊ぶしかない。
最近は、大画面の液晶ディスプレイも普及して来たお陰で、3Dで目の前に広がるアプリの情景も現実感たっぷりの刺激を与えてくれている。
「でもなぁ、やっぱ実物の電車を運転したいよなぁ」
およそ、叶いそうに無い願いを口に、ガードを抜けた向こうを右へと曲がり、音無川に架かる小さな石橋を渡って細い通りを過ぎて行く。
いまでこそ、河岸はコンクリート打ちに飾りの路面が整備されている音無川。春先には岸辺の桜並木が人気を博しているらしい。
お江戸の昔には、両岸には茶屋とか小料理屋とかが建ち、昼間から怪しい声も漏れていたとかいないとか。
いやいや、鐵男が実際に見聞きした筈など無くて、それは時代小説か何かで読んだ記憶でしかない。
さて。
その先の道。
右手には、石組みの上に盛られた土手が続くが、これは国鉄の線路が乗っている?路盤の端っこだ。
細い通りを、ちょっと道なりに曲がりながら抜けて坂を上れば、王子稲荷までの一本道が延びている。
その辺り。
道の先に、王子稲荷が鎮座ましましておいでだと承知をしているからこその一本道と思えるのであって、ひとによっては、名主の滝公園へと続く一本道だと記憶しているかもしれない。
鐵男の目的地は、公園では無くて、お稲荷様のほうにある。
歩くこと、暫し。
鐵男は、王子稲荷の正門である神門へは向かわずに、敷地の囲いの手前を左へと折れる。
いや、精緻な彫刻で飾られた神門には見るだけの価値はあるけれど、閉じられていて通れないこともあるので、知っている人間は脇の通用門へと足先を向ける。
蛇足ではあるけれど、人間では無いモノたちは、鼻先を向けると言うほうが正しいか?
なにしろ。
大晦日の宵には関八州のキツネたちが、着物姿の人間どもに紛れて集うと言われているし、平日の昼間でも尻尾を隠したモノたちが界隈を歩いていると言われているとか、いないとか。
その見分け方は、日中に影と一緒に歩いているか?なのだと言われるが、ウソかホントかは試してみてのお楽しみだろう。
もしも、影の無いモノが歩いていたら?見て見ない振りをするのが、事情を知っている江戸っ子の作法だろうと鐵男は思う。間違っても、スッパ抜きで有名な写真週刊誌や、スレスレ路線が売りの週刊★★などへタレこむような無作法をしてはいけない。
昔は、と言っても昭和年代の話だが、大晦日の晩に参詣に行く人間達はいたけれど、着物姿で王寺駅辺りからの通りを歩いて行く人間達で雑踏騒ぎになるなんてこたぁ無かったなと、年寄りたちは呆れ顔で言っているというのは、道沿いにある飯屋で鐵男が聞いた噂話だ。
おまけに、SNSとやらが普及した今日。多くは十代から二十代くらいの若い娘たちだが、冬空なのに浴衣を着て、顔にはキツネのお面を被って歩くのが「お約束」らしい。まさか、尻尾が付いてはおるまいな?と、お尻に注目すれば、痴漢扱いされることは請け合っておこう。
もっとも、映え狙いの娘たちが尻尾を付けていることもあるので、ますますヒトとアヤカシとの境界が曖昧になりつつあるらしい。
のみならず。
コスプレイヤーとかが蔓延る昨今では、キツネのデザインからはみ出したバニーだの魔女だのまでもが浮かれて道を歩くとか。
お陰で、モノホンのキツネたちは言うまでも無く、タヌキにカワウソにモモンガや、時空の向こう側から紛れ込んだモノ達までもがドサクサに紛れて練り歩くという噂まで飛び交う始末だ。
フリーカメラマンとしては、そういう異界のモノ達の絵を押さえてマニア雑誌などに売り込みたいところだが、うっかりすると異界に招待されちゃうこともあるらしいので、どちらに秤を傾けようかと思案投げ首の状態でもある。
で。
坂道を登って、右手の石柱が向かい合う通用門を通り、左手に見える拝殿の前へと辿り着く。
二拝二拍手一拝をして、賽銭箱に千円札を落とし込む。
フリーカメラマンという職業は、いわば小さな商店みたいなものだから、自営業と言い換えることも強引な解釈だという事はあるまい。
商売繁盛。家内安全。エトセトラ。
願い事は特に無いので、御挨拶を済ませたら、来た道を戻って坂道を下り、左向こうに見える葛餅屋へと寄り道をして持ち帰り用のパックを買い込む。
「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」
どういうことかは知らないが、京の都と和泉国での出来事に掛けた噺が、武蔵国の葛餅屋の商売ネタに化けている辺りは、さすが、お狐様の神威であるかと鐵男はボンヤリ考えながら王寺駅へと向かって歩く。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「うむ、あの男かのう?」
鐵男の後ろ姿を鏡に映して、女官姿のモノが問うでもなしに口にする。
「どうぞ、良しなに」
こちらも女官姿のモノが床に手を突き、七本の尻尾を床まで垂らして頭を下げている。
「苦しゅうない」
尻尾の無いほうの女官姿のモノの確認を受けて、尻尾のあるほうの女官姿のモノが姿を消した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
帰り道に並ぶ商店の店先を見るでも無しに見ていた眼に、鉄道シミュレーションゲームのワゴンセール!という立て看板が飛び込んで来た。
「ん?。来る時に、こんな店があるのを見たっけか?」
まだ、記憶が曖昧になるような歳ではないよな、と思ったが、興味のほうが先に立つのは運鉄の習性だ。
ワゴンの向こう側に立っている女性店員に、ちょこっと頭を下げて並んだパッケージのタイトルを見て行く。
こういう時に、パッケージを手に取って触り倒す輩もいるが、そいつらはマニアの風上にも置けない外道だというのが運鉄たちの共通認識だ。
ベタベタに指紋を付けられたパッケージを手入れする店員も苦労だし、ましてや、指紋だらけの商品を買わされる身になれば、咒のひとつも唱えてやりたい心境になる。
「あっ、俺には霊能なんてなかったか!」
しょうもない事を、呟く鐵男。
目に付いたパッケージを摘まみ上げて、改めて店員の顔を見る。
「お!俺好みの、カッコいいちゃんじゃんか!」
と、生まれて此の方彼女無しの男は、口には出さずに、パッケージを胸の高さまで持ち上げる。
パッケージには「古都の市電の運転体験シミュレーション」云々とプリントされているが、値札は無い。
そんな製品が発売されたとは運鉄マニアとしての記憶に無いが、一路線の行って来いゲームでは無くて、古都を走る複数路線の運転体験が出来ると箱書きには記されている。
まぁ、のっけから買うぞと言わなければ、王子の商店街でボッタくりに遭う事もないだろう。
なんつってたって、コチトラお江戸の水道水を三十二年も飲んでいる身だ。
「値札が無いけど?」
と問う鐵男に向かって、店員の口角が上がったように見えたのは気のせいか?
「三千円です、コン」
あ?語尾に何か付いたようだが?と店員の顔を見直すと、カッコいいちゃんの笑顔の上にケモ耳が乗っかっているし、背中のほうでは尻尾がユラユラしているように見えて来た。
重ねて、言うが。
なんつってたって、コチトラお江戸の水道水を三十二年も飲んでいる身だ。
店員の美少女のアタマにケモ耳が乗っていようと、背中で尻尾が揺れていようと、んなモンに驚いていては。
生き馬の目を抜くと称される、お江戸の街を歩くことなんか、出来ねぇっつぅもんだ!
つっても、音無川の「こっち側」が、ご朱引の内からはみ出しているのは、知らない事にする。
さて。
こっちの台詞は口には出さず、懐に手を入れる。
「はい、三千円」
素直に千円札を三枚、財布から抜いて店員に差し出す。
「まいどありぃ!」
女の子が口にするには威勢が良すぎる、江戸弁の挨拶に感心させられる。
今度は、語尾に変な単語は付かなかったが、カッコいいちゃんの素敵な笑顔が付いてきた。
アタマの上のケモ耳がピコピコと揺れている。一緒に尻尾も揺れている。
買い込んだ製品の方は、何やら印刷がされているショッピングバッグに、カッコいいちゃんが入れてくれている。
そのショッピングバッグには、キツネの足跡をデザインした絵がプリントされているようだ。
「また、どうぞぉ~」
お決まりの台詞を背に数歩進んで、ふと振り返る。
カッコいいちゃんの姿は、そこに無かった。
当たり前なのか?は知らないが、ゲームを並べたワゴンの姿も消えていた。
やっぱ、俺もボケるような歳になったのか。
これからは。
懐にはトウガラシを入れて、アタマには草鞋を乗せて歩かなければならないか?
でも、手に下げたショッピングバッグを覗いて見れば、間違いなく製品が入っているから、キツネに化かされたということでもないようだ。
疑問では無く、確信を抱いて王子駅前の電停に辿り着くと、折よく三ノ輪橋停留場行きの車輛が、王寺駅のガードを潜ってからカーブを曲がってやって来た。
ホームから見ていると、国道122号から直角に曲がって来ているように見えるが、電車が直角には曲がれないのは鉄道マニアならずとも常識の範囲に入るだろう。
現場?を見れば、実に巧妙に?ポイントとの組み合わせによって、狭い範囲で曲がれるように造られているのが判る。
1日フリー切符を買ってあるので、早稲田まで往復して来ても良いのだが、今日は新しいゲームに取り組みたいと気が急いたので住処に帰ることにした。
意識は買い込んだばかりのゲームに囚われていたので、乗り込んだ車輛のデザインが古くて、いつもの車輛と異なることまでは判らなかった。
「ふん、釣り上げた、コン」
という声など、意識の外に置いていた鐵男は油断をしていたと思い返すことになる。
もひとつ、おまけで、チンチンチン。
大きな声で口から出せば、なんだら条例違反で警察官から不審尋問を食らうようなセリフだけれど。
他人には、聞こえないような、小さな声で。
ブツブツと呟く、青年とも中年ともつかない男が、王子駅前の電停から道路へと降りて、目の前に見える王子駅のガード下を左に見ながら線路を渡って、そこで更に左へとガード下を潜り抜けて行こうとして。
いま降りてきた都電荒川線の電車が目の前を通り過ぎて行くのを、見送った。
あの車輛は、すぐ先の坂を上って飛鳥山を左に見ながらカーブして行くのだ。
その飛鳥山には、知る人ぞ知る「アスカルゴ」なる小型モノレールが設置されていて観光客の人気を呼んでいる、らしい。
余談ながら。
「アスカルゴ」の乗車場の手前左、国鉄(JR東日本)の王寺駅でもある土手の石垣と、向こう側の飛鳥山との間の隙間?には戦後の雰囲気を残す飲食店が数軒、挟まっていたが、いつだかの火災で取り壊されたという昔話もあるらしい。もう、覚えている人も少なくなりつつあるけれどな。
と、アタマに叩き込んである地図を思い浮かべながら飛鳥山をチラ見する、その男。
正体不明の、その男のデータと言えば。
氏名:田中鐵男。(以下、鐵男)
年齢:三十二歳。
独身。
身長:そこそこ
体重:そこそこ
霊能:(そこそこ)※未発現
職業:フリーカメラマン
趣味:運鉄。
いや、趣味については間違いでは無くて。撮り鉄のほうはカメラマンとしての「職業」の範疇だから、計算に入れてはならない。
ならば、趣味の「運鉄」とは何かと問われれば。
「あぁ~~あ。もっと、運転のし甲斐のあるシミュレーションアプリは、無いのかなぁ~~」
誰に向かって言うでもなく、己の独り言としては大きな不満が口から零れる。
そう。
鐵男の趣味は、電車や汽車の運転をすることなのだ。
とは言え、実際に電車や汽車の運転をすることは、ただのフリーカメラマンにとっては不可能に近い。
だから。
日本各地の、機関車などの動態保存をしている鉄道博物館は巡り尽くし、某所では長い順番待ちの末に、運転体験もさせてもらったことはあるものの、たかだか百メートルかそこらのものでしかなかった。
あとは、屋根が付いた建物の中に置かれているだけ!の展示物くらいか。
仕方なく、という言い訳の元に鐵男が挑むのは。
パソコンと連動する「運転台ユニット」と画像アプリから成る、シミュレーションゲームで遊ぶしかない。
最近は、大画面の液晶ディスプレイも普及して来たお陰で、3Dで目の前に広がるアプリの情景も現実感たっぷりの刺激を与えてくれている。
「でもなぁ、やっぱ実物の電車を運転したいよなぁ」
およそ、叶いそうに無い願いを口に、ガードを抜けた向こうを右へと曲がり、音無川に架かる小さな石橋を渡って細い通りを過ぎて行く。
いまでこそ、河岸はコンクリート打ちに飾りの路面が整備されている音無川。春先には岸辺の桜並木が人気を博しているらしい。
お江戸の昔には、両岸には茶屋とか小料理屋とかが建ち、昼間から怪しい声も漏れていたとかいないとか。
いやいや、鐵男が実際に見聞きした筈など無くて、それは時代小説か何かで読んだ記憶でしかない。
さて。
その先の道。
右手には、石組みの上に盛られた土手が続くが、これは国鉄の線路が乗っている?路盤の端っこだ。
細い通りを、ちょっと道なりに曲がりながら抜けて坂を上れば、王子稲荷までの一本道が延びている。
その辺り。
道の先に、王子稲荷が鎮座ましましておいでだと承知をしているからこその一本道と思えるのであって、ひとによっては、名主の滝公園へと続く一本道だと記憶しているかもしれない。
鐵男の目的地は、公園では無くて、お稲荷様のほうにある。
歩くこと、暫し。
鐵男は、王子稲荷の正門である神門へは向かわずに、敷地の囲いの手前を左へと折れる。
いや、精緻な彫刻で飾られた神門には見るだけの価値はあるけれど、閉じられていて通れないこともあるので、知っている人間は脇の通用門へと足先を向ける。
蛇足ではあるけれど、人間では無いモノたちは、鼻先を向けると言うほうが正しいか?
なにしろ。
大晦日の宵には関八州のキツネたちが、着物姿の人間どもに紛れて集うと言われているし、平日の昼間でも尻尾を隠したモノたちが界隈を歩いていると言われているとか、いないとか。
その見分け方は、日中に影と一緒に歩いているか?なのだと言われるが、ウソかホントかは試してみてのお楽しみだろう。
もしも、影の無いモノが歩いていたら?見て見ない振りをするのが、事情を知っている江戸っ子の作法だろうと鐵男は思う。間違っても、スッパ抜きで有名な写真週刊誌や、スレスレ路線が売りの週刊★★などへタレこむような無作法をしてはいけない。
昔は、と言っても昭和年代の話だが、大晦日の晩に参詣に行く人間達はいたけれど、着物姿で王寺駅辺りからの通りを歩いて行く人間達で雑踏騒ぎになるなんてこたぁ無かったなと、年寄りたちは呆れ顔で言っているというのは、道沿いにある飯屋で鐵男が聞いた噂話だ。
おまけに、SNSとやらが普及した今日。多くは十代から二十代くらいの若い娘たちだが、冬空なのに浴衣を着て、顔にはキツネのお面を被って歩くのが「お約束」らしい。まさか、尻尾が付いてはおるまいな?と、お尻に注目すれば、痴漢扱いされることは請け合っておこう。
もっとも、映え狙いの娘たちが尻尾を付けていることもあるので、ますますヒトとアヤカシとの境界が曖昧になりつつあるらしい。
のみならず。
コスプレイヤーとかが蔓延る昨今では、キツネのデザインからはみ出したバニーだの魔女だのまでもが浮かれて道を歩くとか。
お陰で、モノホンのキツネたちは言うまでも無く、タヌキにカワウソにモモンガや、時空の向こう側から紛れ込んだモノ達までもがドサクサに紛れて練り歩くという噂まで飛び交う始末だ。
フリーカメラマンとしては、そういう異界のモノ達の絵を押さえてマニア雑誌などに売り込みたいところだが、うっかりすると異界に招待されちゃうこともあるらしいので、どちらに秤を傾けようかと思案投げ首の状態でもある。
で。
坂道を登って、右手の石柱が向かい合う通用門を通り、左手に見える拝殿の前へと辿り着く。
二拝二拍手一拝をして、賽銭箱に千円札を落とし込む。
フリーカメラマンという職業は、いわば小さな商店みたいなものだから、自営業と言い換えることも強引な解釈だという事はあるまい。
商売繁盛。家内安全。エトセトラ。
願い事は特に無いので、御挨拶を済ませたら、来た道を戻って坂道を下り、左向こうに見える葛餅屋へと寄り道をして持ち帰り用のパックを買い込む。
「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」
どういうことかは知らないが、京の都と和泉国での出来事に掛けた噺が、武蔵国の葛餅屋の商売ネタに化けている辺りは、さすが、お狐様の神威であるかと鐵男はボンヤリ考えながら王寺駅へと向かって歩く。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「うむ、あの男かのう?」
鐵男の後ろ姿を鏡に映して、女官姿のモノが問うでもなしに口にする。
「どうぞ、良しなに」
こちらも女官姿のモノが床に手を突き、七本の尻尾を床まで垂らして頭を下げている。
「苦しゅうない」
尻尾の無いほうの女官姿のモノの確認を受けて、尻尾のあるほうの女官姿のモノが姿を消した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
帰り道に並ぶ商店の店先を見るでも無しに見ていた眼に、鉄道シミュレーションゲームのワゴンセール!という立て看板が飛び込んで来た。
「ん?。来る時に、こんな店があるのを見たっけか?」
まだ、記憶が曖昧になるような歳ではないよな、と思ったが、興味のほうが先に立つのは運鉄の習性だ。
ワゴンの向こう側に立っている女性店員に、ちょこっと頭を下げて並んだパッケージのタイトルを見て行く。
こういう時に、パッケージを手に取って触り倒す輩もいるが、そいつらはマニアの風上にも置けない外道だというのが運鉄たちの共通認識だ。
ベタベタに指紋を付けられたパッケージを手入れする店員も苦労だし、ましてや、指紋だらけの商品を買わされる身になれば、咒のひとつも唱えてやりたい心境になる。
「あっ、俺には霊能なんてなかったか!」
しょうもない事を、呟く鐵男。
目に付いたパッケージを摘まみ上げて、改めて店員の顔を見る。
「お!俺好みの、カッコいいちゃんじゃんか!」
と、生まれて此の方彼女無しの男は、口には出さずに、パッケージを胸の高さまで持ち上げる。
パッケージには「古都の市電の運転体験シミュレーション」云々とプリントされているが、値札は無い。
そんな製品が発売されたとは運鉄マニアとしての記憶に無いが、一路線の行って来いゲームでは無くて、古都を走る複数路線の運転体験が出来ると箱書きには記されている。
まぁ、のっけから買うぞと言わなければ、王子の商店街でボッタくりに遭う事もないだろう。
なんつってたって、コチトラお江戸の水道水を三十二年も飲んでいる身だ。
「値札が無いけど?」
と問う鐵男に向かって、店員の口角が上がったように見えたのは気のせいか?
「三千円です、コン」
あ?語尾に何か付いたようだが?と店員の顔を見直すと、カッコいいちゃんの笑顔の上にケモ耳が乗っかっているし、背中のほうでは尻尾がユラユラしているように見えて来た。
重ねて、言うが。
なんつってたって、コチトラお江戸の水道水を三十二年も飲んでいる身だ。
店員の美少女のアタマにケモ耳が乗っていようと、背中で尻尾が揺れていようと、んなモンに驚いていては。
生き馬の目を抜くと称される、お江戸の街を歩くことなんか、出来ねぇっつぅもんだ!
つっても、音無川の「こっち側」が、ご朱引の内からはみ出しているのは、知らない事にする。
さて。
こっちの台詞は口には出さず、懐に手を入れる。
「はい、三千円」
素直に千円札を三枚、財布から抜いて店員に差し出す。
「まいどありぃ!」
女の子が口にするには威勢が良すぎる、江戸弁の挨拶に感心させられる。
今度は、語尾に変な単語は付かなかったが、カッコいいちゃんの素敵な笑顔が付いてきた。
アタマの上のケモ耳がピコピコと揺れている。一緒に尻尾も揺れている。
買い込んだ製品の方は、何やら印刷がされているショッピングバッグに、カッコいいちゃんが入れてくれている。
そのショッピングバッグには、キツネの足跡をデザインした絵がプリントされているようだ。
「また、どうぞぉ~」
お決まりの台詞を背に数歩進んで、ふと振り返る。
カッコいいちゃんの姿は、そこに無かった。
当たり前なのか?は知らないが、ゲームを並べたワゴンの姿も消えていた。
やっぱ、俺もボケるような歳になったのか。
これからは。
懐にはトウガラシを入れて、アタマには草鞋を乗せて歩かなければならないか?
でも、手に下げたショッピングバッグを覗いて見れば、間違いなく製品が入っているから、キツネに化かされたということでもないようだ。
疑問では無く、確信を抱いて王子駅前の電停に辿り着くと、折よく三ノ輪橋停留場行きの車輛が、王寺駅のガードを潜ってからカーブを曲がってやって来た。
ホームから見ていると、国道122号から直角に曲がって来ているように見えるが、電車が直角には曲がれないのは鉄道マニアならずとも常識の範囲に入るだろう。
現場?を見れば、実に巧妙に?ポイントとの組み合わせによって、狭い範囲で曲がれるように造られているのが判る。
1日フリー切符を買ってあるので、早稲田まで往復して来ても良いのだが、今日は新しいゲームに取り組みたいと気が急いたので住処に帰ることにした。
意識は買い込んだばかりのゲームに囚われていたので、乗り込んだ車輛のデザインが古くて、いつもの車輛と異なることまでは判らなかった。
「ふん、釣り上げた、コン」
という声など、意識の外に置いていた鐵男は油断をしていたと思い返すことになる。
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