烙印に口付けを

ぬい。

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《1章》鐘の音

4話 聖なる名前

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 彼女は静かに立っている。幼いだろう体でじっとその場に立ち尽くす。無音の時間が続いていた。何も発さず俺は彼女を見つめている。今まで人間のように生活をしてきたとは思えないほどに、服も髪も汚れていた。

「汚れた体洗っておいで」

 不思議そうに俺の顔を見つめ始めている。何を言っているのかわからない、そんな風な表情でうつむいていた彼女の顔が少しこちらを向いている。

「洗う…?」

「お風呂、入っておいで」

「…?」

「もしかして、入ったことない?」

「わからないけど、ないと思う」

 そんなことがこの世の中にあり得るのだろうか。いささか不思議に感じながらも、先ほどから見ている彼女の体は、真実を語っていると理解はできた。

 俺も牧師ではあるが、立派な男という性別を保持してここまで生きてきた。ここで、まさか、子供とはいえ女という存在の彼女を連れて風呂場まで連れていくとは思いもしない。今まで生きてきた中で、こんなことが起こるとは想像もついていなかった。

 風呂場につき、彼女に服を脱ぐように伝える。布の内側は羽織っていた時よりも汚く見えた。急いで洗面台に放り込む。一時前の文明が作り上げた洗濯機というものでもここまでの汚れは落とせない。

 彼女を風呂場に案内する。俺は何も見ていない、そう心の中で呟きながら、着ているシャツの袖を限界までめくり、ズボンの裾を思いっきり持ち上げ落ちないように何とか固定した。彼女は不思議そうに眼の間へに広がる光景を見つめている。本当に初めてなのだろう。シャワーヘッドを触りお湯が出てきた瞬間におびえていた。

「これ髪の毛洗うやつ」

「…どうやるの?」

 来ると思った答えだった。

「目、閉じといて」

 お湯を髪全体にかけまくり、できるだけ優しく髪を洗う。彼女は言われた通りにすごい力で目を閉じていた。汚れが少しずつ落ちていく。一度では落ち切らないため、三回くらい繰り返した。白と判別できてはいたが黄色がかっていた髪の色が、自然体な白へと変わる。神の衣のような繊細な色をまとっていた。

 体の洗い方は、さすがに口頭で伝える。なんとかできることを見届けて洗面台に放置していた服を手でこすり合わせていた。こびりつきすぎて何度洗えばよいのか途方に暮れる。

「洗い終わった」

 風呂場から彼女の声が聞こえる。

「横に、お湯がたくさん入ってるところあるだろ?」

「うん」

「そこに入って、座ってゆっくりしてて」

 お湯が少し揺れる音とともに、先ほどまでのシャワーの音はしなくなっていた。少しだけ心配になる親心を押さえつけ、何とか目の前の服を洗い終わらせた。近くに俺のではあるが、着なくなったズボンとシャツを置いておく。下着に関しては、何とかドライヤーで乾かしておいた。少しの時間が過ぎたころ、ゆっくりと風呂場の扉が開いた。

「あつい」

「これで体拭いて、これ着て。リビングで涼もうか」

 静かにうなづき、素直に体を拭き始めている。よく考えてみると、彼女は悪魔なはずである。なのにもかかわらず、ここまで人間としてここに存在し、自我を持って動くことができ、こうして会話ができている。こういう事例は今までの人生の中で一回も遭遇したことがなかった。

 洗濯機を回している間に彼女はリビングでおにぎりをかじっている。何もかもが初めてなのだろう。口にするまでの時間が長かった。食べ始めてからはとてつもなく早く消えていく。食べ盛りというよりかは、今まで何も口にしていなかったのだろう。

「おいしかったかい?」

 大きくうなづいている。こういうしぐさを見ると、まだ子供なのだなと実感する。

「今日はゆっくり、横になってしっかり休むんだよ」

「うん」

「明日は、今日君が来た教会に一緒に行くからね」

「わかった」

「怖い人がいるかもだけれど、先にお話はしておくから、緊張しなくていいからね」

 彼女に話しかけながら、俺の上司に当たり働いている教会のトップに当たる司祭にメッセージを送信している。同内容を伝えるか悩んだ末に、会ったことすべてを書き込んだ。すぐに返信が来る。

『私が、その彼女を教会へ行けと伝えたのだから、安心して連れてこい』

 体すべてが止まった。短い文章なのにもかかわらず、理解が追い付かない。一度司祭は彼女と会っている。それすら頭の中で咀嚼するのに数秒はかかってしまった。確実に彼女を明日、教会に連れていかなければならない。

「そういえば」

 彼女は背もたれに体を預けてまどろんでいた。

「君の名前は?」

「わからない」

「わからないか…。君と呼ぶにも、少し厄介だしな。一時だけでも何か呼び名をつけてもいい?」

「うん」

 頭頂部が軽く痛くなる。浮かんできた名前は、

「メアリー」

 マリアという言葉だった。マリアでは少し強い気がし、愛情として呼ばれている名前に変換する。

「…なんか懐かしい」

 メアリーは天井を見つめてつぶやいていた。
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