凌辱カキコ

島村春穂

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凌辱カキコ

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 夜の市営球場。黒いセドリックがその駐車場に乗り付けたのは一一時を少しほど回った頃である。外灯は淡い暖色のオレンジ色で、辺りに照らし出された車(主にコンパクトカー)が、四、五台ほど見受けられた。どれも無人である。


 道路沿いにも街路樹と同化するかのように乗り捨てられたバンがぽつらぽつらとある。ボンネットには露が落ち、だいぶ放置されたままあるようだ。警察がもし巡廻に来てナンバーを控えていくような車とは、こうした街路樹と同化するようなところへ停めてある車で、職質を受けやすいのもきまって駐車場の一隅に停めてあるような車である。


 蒼甫は四方の行き止まりを避け、駐車場の真ん中ら辺に堂々とセドリックを停めた。どのみち蒼甫が黒いセドリックに乗っていることをは知らない。ヘッドライトを消し、エンジンを切る。助手席にあるいつもの黒いリュックを持ち、外に出ると、セドリックの後ろへと回り、トランクから小型の脚立を出す。


 ドン! トランクを閉める音が近隣に響いた。それだけ辺りは静まりきっている。風はないが、六月の夜気がまだ肌寒かった。


 蒼甫の足は球場のほうに向かっている。一か所だけある球場入口には鉄柵が閉まっていて一応入れないようにはなっている。というか、無理に入ろうと思えば、外野からいくらでもグラウンドやスタンド席にも入れる訳なのだが。


 自動販売機が三台連なって設置してあるせいで、球場入口前はほどよく明るく夜の溜まり場にはもってこいだ。ただ、イマドキのガキがここを溜まり場に使っているかといえば、その気配はまるでない。


 舗装にたばこの吸い殻が落ちている訳ではないし、ごみ箱に薬の壜やその空箱、ビールやチューハイの空き缶、ボンドのチューブ、手ごろなサイズの袋、脱脂綿、アルミシートといったような処方箋の類や使用済みコンドームも捨てられてはいない。事実、蒼甫がここ数日か、この市営球場を深夜徘徊してみた結果、ガキが溜まっている気配どころか、駐車場を利用するといったような車持ちの成人カップルさえいないようだ。また、夜のウォーキングコースになっている様子でもなさそうだし、まさに蒼甫にとってここはうってつけの場所であった。


 一度、蒼甫は四方を窺った。今夜も普段と変わらないことを見届けてから、それとなく球場の管理ルームを窓越しに覗き込んだのち、その隣にあるトイレのドアノブを回す。――開いた。ここは公衆トイレではなく、あくまでも球場付属のトイレではあるのだが、管理不行き届きで鍵が掛かってはいない。


 入り口付近にある電気のスイッチを押す。二、三秒ほど遅れて、カチカチカチ、と何回か点滅してからようやく明かりが灯いた。蛍光灯がこのとおりの体たらくなのであるから、お世辞にもここは綺麗なトイレではない。モルタル壁は元の色が分からないくらいの灰緑色だし、湿気があるせいか空気がひどくどんよりとしている。蒼甫はいまこうして平気でいられるが、肝試しに使っても差し支えなさそうなくらい薄気味悪い。


 男子便器が五つと、和式の個室便所が三つある。男女共有のトイレである。蒼甫は、さっそく用意してきた貼り紙をリュックから引っ張り出すと、一番奥の個室便所のドアーに貼り付けてやる。貼り紙には、「故障中」と、マジックで手書きの黒文字で殴り書かれてある。ここを選んだ理由とは、。一応、それぞれの個室に汚物入れがないかチェックしてみる。あれば、その中身を検める必要がある。が、ない。手洗い場の下にもごみ箱はなかった。


「やっぱ明るいな……」
 蒼甫は、用意してきた懐中電灯をこれもリュックから引っ張り取って、天井を照らす形で下に置いた。それから、トイレ内の電気を消す。すると、天井に丸い輪っかがおおきく一つ浮かびあがる。


 天井の蛍光灯は二灯式で、これが三つ設置されてある。蒼甫は一緒に持ってきた小型の脚立に、よっと上がり、これを順次一本ずつ取り外したいのだが、老朽した蛍光灯の笠が揺れるたび、こうばしそうな色艶の塵埃がひどく舞い落ちてくるから、息をとめとめ、まみれ、まあ大変な思いをしながら格闘の末十分後、作業をやっと終え、もう一度トイレ内の電気を灯けた。


「おお、こいつぁいい感じじゃん」
 蒼甫がそう言ったとおり、手間を重ね苦労した甲斐があったというものだ。トイレ内がなんと様子のいい絶妙な暗がりとなる。



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