世界を調律する唄

takemiyu

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世界は、ただ一つの「唄」であった。

形なき混沌の中、万物の創造主が、その最初の息吹を一つの旋律へと変えた。喜び、悲しみ、怒り、そして愛…あらゆる感情が音色となり、無数の可能性が和音となって絡み合い、響き合い、一つの偉大なる調和を成した。それが、世界の理の源泉、「原初の魔法」。その唄から、星々は生まれ、命は芽吹き、海は満ち、風は渡った。世界は、無限の可能性に満ちた、美しい交響曲そのものであった。

この唄を色濃く受け継いだ者たちは、「調律師」と呼ばれた。彼らは、唄の心を聴き、その旋律を紡ぐことで、山を隆起させ、川の流れを描き、命と語り合ったという。
だが、光があれば、影が差すように。唄があれば、沈黙がある。

この世界の次元とは別に、ただ一つの法則だけが支配する世界があった。始まりも、終わりもなく、変化も、可能性もない、完全なる静寂。思考だけが、冷たい論理だけが、完璧な秩序として存在する次元。「沈黙の虚無」。

その完璧な静寂の世界にとって、隣接する次元から漏れ聞こえてくる、この世界の、あまりに不完全で、矛盾に満ちた、しかし生命力あふれる「唄」は、耐えがたいノイズであり、宇宙の「バグ」に他ならなかった。

そして、そのバグを駆除するために、「沈黙の虚無」は、自らの法則そのものを、一つの意志として、唄の世界へと送り込んだ。
それは、音もなく、形もなく、ただ、全ての調和を憎み、万物を沈黙に還さんと欲する、異次元の侵略者。後に、人々が絶望と共に「邪悪な王」と呼ぶことになる、不協和音の顕現であった。

王の「沈黙」が触れた場所は、その存在の理(ことわり)を失った。山は、その「山である」という概念を消し去られ、のっぺりとした無意味な平面と化した。川は流れを忘れ、人々は愛や悲しみといった感情を奪われ、ただ生きるだけの抜け殻となった。世界が、少しずつ「無」に上書きされていく、静かで、しかし絶対的な恐怖。

調律師たちは、立ち上がった。彼らは当初、王を滅ぼそうとはしなかった。彼らもまた、調和を愛する者。王という、あまりに異質で、孤独な不協和音すら、「調律」し、世界の交響曲の一部に迎え入れようとしたのだ。しかし、その試みは、絶望的な失敗に終わる。王に「調和」という概念はなかった。彼の目的は、対話ではない。ただ、存在する全てを、自らがいた完全なる「沈黙」に還すことだけ。

世界の終焉を前に、調律師たちは、最後の決断を下す。
王を、その法則ごと、この世界から「隔離」するしかない、と。
彼らは、最後の聖地に集い、最後の「唄」を紡ぎ始めた。それは、王を滅ぼすための攻撃の旋律ではない。彼らが愛した世界の、美しい記憶そのものを編み込んだ、巨大な結界を創るための、創造の旋律だった。

一人は、愛する我が子が初めて笑った、その記憶を。
一人は、灼熱の砂漠で飲んだ、一杯の水の感動を。
一人は、肌を撫でる、春の風の心地よさを。
彼らは、自らの命と、魂の全てを旋律に変え、それを世界の法則へと織り込んでいった。
それは、世界の理そのものを牢獄とする、悲しく、そして、あまりにも強力な「大封印」。王の「沈黙」を、世界の「唄」で、永遠に押し留め続けるための、巨大な子守唄であった。

仲間たちが、次々と光の粒子となって、その子守唄の一部と消えていく中、ただ一人、その全ての記憶と、全ての旋律を受け取り、永劫の時の中、封印が綻びないかを見守り続ける役目を負った者がいた。
彼女の名は、セラフィナ。仲間たちの命の唄が、いつか弱まる日を聴き続ける、「最後の守護者」である。

そして今、数千年の時を経て、子守唄は、弱まり始めている。
不協和音が、再び世界に、その冷たい指を伸ばし始めている。
だが、絶望の中、一つの新しい産声が上がろうとしていた。
世界を、再び調律する、新たな「始まりの唄」が。
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