家出を決行した結果

文字の大きさ
1 / 31

1話 婚約者が大事なのは私じゃない



 先程運ばれた淹れ立ての紅茶を頂こうとティーカップを持ち上げ、縁に口を付けるとティーカップを傾けてゆっくりと飲む。熱い紅茶が喉を通るとティーカップをソーサーに置いた。ピンクがかった銀の髪が視界の端に映り、耳に掛けて待ち人が何時来るかを待つフィービー。心の中にはある不安があった。その不安を早く消したい。消すには待ち人が来ないとならない。
 フィービーが待っているのは婚約者のミゲル=アリアージュ。皇帝に絶大な信頼を寄せられる帝国の忠臣であり、現公爵は騎士の職に就いている為、ミゲルも幼い頃から剣の鍛錬を欠かさず行っている。一年前の剣術大会では惜しくも準優勝となった。

 今日は月に一度のデートの日。予定している時間を過ぎてもミゲルは現れない。
 心に居座る嫌な予感は当たってしまった。ショックを受けないのはもう慣れてしまったせいだ。
 紅茶を飲み干したフィービーは代金をテーブルに置き席から立った。丁度その時、此方に向かって走って来る男性を捉えるがフィービーは気にせず歩き出した。
 後ろから自分を呼ぶ声が聞こえてもフィービーは足を止めなかった。広場に待機させていた馬車に戻ると待っていた御者と車内にいた侍女ハンナがフィービーに気付いた。


「お嬢様……」
「ハンナ。今日は帰るわ。馬車を出してちょうだい」


 痛ましげに見つめてくるハンナに苦笑し、馬車にフィービーが乗り込むと馬車は動き始めた。
 向かいに座るハンナは主の代わりに涙を流した。


「またですかっ、あの男は! お嬢様のことを何だと思っているんでしょう!」
「ハンナ。怒らないで。……もういいのよ」
「お嬢様……」
「期待なんてしていなかった。ただ、決められていたから行っただけ」


 怒りを感じなくなった代わりに、諦念を感じ始めたのは何時からだっただろう。


 ――フィービーを乗せた馬車は屋敷の正門ではなく、裏口に停められた。


「お嬢様。此処からなら、旦那様達に見つからず部屋に戻れます」
「ありがとう。ごめんなさい、気を遣わせて」
「お気になさらず! お嬢様の為ならお安い御用です」


 気さくな言葉で励ましてくれた御者にお礼を述べ、ハンナと共に裏口から屋敷に戻ったフィービーは誰にも見つからないよう自身の部屋に戻った。
 ベッドに飛び込み「暫く一人にして」と言うとハンナは静かに出て行った。


「……」


 デートを当日にキャンセルされるのは今日に限った話じゃない。今まで何度もあった。
 ミゲルには大切な幼馴染がいる。ダイアナ=ローウェル公爵令嬢だ。皇后の姪で幼い頃から病弱ということもあり、周囲にとても大切に育てられた。帝国に皇女はいない為、皇后や皇帝は姪のダイアナを実の娘のように可愛がっていると帝国では有名でミゲルとは相思相愛の男女と言われている。
 フィービーという婚約者がいるのにも関わらず、だ。
 フィービーがミゲルと婚約したのは亡き母が理由だった。
 母はフィービーが八歳の時、病によって亡くなった。アリアージュ公爵夫人と母は友人でフィービーとミゲルの婚約を母親同士が強く望んだ為結ばれた。

 夜を思わせる艶やかな黒髪、美しいが氷のように冷たいアイスブルーの瞳を持つミゲルが幼馴染に向けるような笑みを――フィービーに向けた回数は一度たりともない。初対面の頃から無表情で何を考えているかさっぱり分からない。会話もまた最低限。関係が良好かと聞かれても――何とも言えない。

 本当ならダイアナがミゲルの婚約者になる筈だったのをフィービーが横取りしたと噂される始末なのも、病弱のダイアナを常に気遣い、体調が崩れたらフィービーと約束をしていてもダイアナ最優先で駆け付けるミゲルに原因があった。
 今日のデートだってそう。来れなかったのはまたダイアナの体調が悪くなったせい。使者の弁解を聞かずとも理由なんてそれしかない。
 近くにあったクッションに手を伸ばして顔を埋めた。誰もいなくても泣いている顔を隠したい。十年間培った恋心を簡単には捨てられない。ミゲルがダイアナが好きだと知っていても、フィービーはミゲルが好きだった。
 沢山努力をした。公爵夫人になる努力、完璧な淑女と呼ばれる努力、ミゲルが好むダイアナのような儚げな雰囲気は無理でも婚約者の後ろを一歩下がって貴族の男性が好む女性になる努力を。どれもミゲルには届いていないけれど。

 フィービーはこの後ハンナが様子を見に来る二時間後まで眠ってしまっていた。

 目を覚ますと心配な面持ちをしたハンナと長く仕える執事の顔が映し出された。


「お嬢様……大丈夫ですか……?」
「ハンナ……それにダイソンさんも……」


 ハンナの手を借りて上体を起こしたフィービーは時間を訊ね、あれから二時間経っていると伝えられた。


「ハンナから事情は聞いています。お嬢様がお戻りになる時間になったら、裏口に馬車を回しますので帰って来た風を装ってください」
「ありがとう」
「いえ」
「……ねえ、二人とも。私、やっぱりこの家を出るわ」


 途端、二人の表情に緊張が走った。申し訳なさで一杯になってしまう。
 ずっと、ずっと考えていた。
 フィービーの居場所は、家にも、婚約者にも、何処にもないのだ。

 八歳の頃に母を亡くして以降、父と兄との間に溝が出来てしまった。
 亡き母そっくりなフィービーを二人とも視界に入れたくないのだ。家族仲が良く、深く愛していたからこそ、悲しんでしまう為。
 母が亡くなった二年後に父は再婚した。後妻となった女性はとても良い人で、その二年後に産まれた異母妹ジゼルもとても良い子だ。よくフィービーの後ろを「ねえ様、ねえ様」と言って雛鳥のように付いて来る。甘えたで可愛いジゼルを愛さない筈がなかった。
 ただ……父と兄がいる場所では、最低限にしか接しない。あの二人の前で笑っている姿を見せたくない。

 家を出ると決めたのはもうずっと前から。口が堅く、信頼に値するハンナとダイソンに最初話した時は大反対されたが、全く変わらない状況を見続けている内二人は口では反対をしなくなった。
 何も言えない二人に苦笑し、ベッドを降りたフィービーはベッド下に隠している鞄を引っ張り出した。


「準備をもう……?」
「うん。何時でも出て行けるようにしてる」


 鞄は旅行鞄で表にピンク色のコサージュが着いた可愛いデザイン。大きさは女性一人で持てる物。中にはフィービーが大切にしている母の形見の首飾り、母が愛用していたハンカチ、お気に入りの本、路銀の足しにする宝石類、最低限の衣服。それから……一枚の栞だ。
 青い鳥が木に留まっている光景が描かれた栞は、フィービーにとって大切な宝物の一つ。渡した人はきっと忘れているだろうが。
 鞄を閉じたフィービーは二人に振り向いた。


「もう起きているわ。時間になったら、また呼びに来て」
「畏まりました」


 家出を止めたい。でもフィービーの意思を尊重したい。顔にそう書いてあるダイソンとハンナは唯々フィービーが家を出るまで心穏やかに過ごせることを祈った。



感想 20

あなたにおすすめの小説

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

【完結】あなたは、知らなくていいのです

楽歩
恋愛
無知は不幸なのか、全てを知っていたら幸せなのか  セレナ・ホフマン伯爵令嬢は3人いた王太子の婚約者候補の一人だった。しかし王太子が選んだのは、ミレーナ・アヴリル伯爵令嬢。婚約者候補ではなくなったセレナは、王太子の従弟である公爵令息の婚約者になる。誰にも関心を持たないこの令息はある日階段から落ち… え?転生者?私を非難している者たちに『ざまぁ』をする?この目がキラキラの人はいったい… でも、婚約者様。ふふ、少し『ざまぁ』とやらが、甘いのではなくて?きっと私の方が上手ですわ。 知らないからー幸せか、不幸かーそれは、セレナ・ホフマン伯爵令嬢のみぞ知る ※誤字脱字、勉強不足、名前間違いなどなど、どうか温かい目でm(_ _"m)

【完結】そんなに好きなら、そっちへ行けば?

雨雲レーダー
恋愛
侯爵令嬢クラリスは、王太子ユリウスから一方的に婚約破棄を告げられる。 理由は、平民の美少女リナリアに心を奪われたから。 クラリスはただ微笑み、こう返す。 「そんなに好きなら、そっちへ行けば?」 そうして物語は終わる……はずだった。 けれど、ここからすべてが狂い始める。 *完結まで予約投稿済みです。 *1日3回更新(7時・12時・18時)

夫の告白に衝撃「家を出て行け!」幼馴染と再婚するから子供も置いて出ていけと言われた。

佐藤 美奈
恋愛
伯爵家の長男レオナルド・フォックスと公爵令嬢の長女イリス・ミシュランは結婚した。 三人の子供に恵まれて平穏な生活を送っていた。 だがその日、夫のレオナルドの言葉で幸せな家庭は崩れてしまった。 レオナルドは幼馴染のエレナと再婚すると言い妻のイリスに家を出て行くように言う。 イリスは驚くべき告白に動揺したような表情になる。 「子供の親権も放棄しろ!」と言われてイリスは戸惑うことばかりで、どうすればいいのか分からなくて混乱した。

【完結】お飾りではなかった王妃の実力

鏑木 うりこ
恋愛
 王妃アイリーンは国王エルファードに離婚を告げられる。 「お前のような醜い女はいらん!今すぐに出て行け!」  しかしアイリーンは追い出していい人物ではなかった。アイリーンが去った国と迎え入れた国の明暗。    完結致しました(2022/06/28完結表記) GWだから見切り発車した作品ですが、完結まで辿り着きました。 ★お礼★  たくさんのご感想、お気に入り登録、しおり等ありがとうございます! 中々、感想にお返事を書くことが出来なくてとても心苦しく思っています(;´Д`)全部読ませていただいており、とても嬉しいです!!内容に反映したりしなかったりあると思います。ありがとうございます~!

教養が足りない、ですって

たくわん
恋愛
侯爵令嬢エリーゼは、公爵家の長男アレクシスとの婚約披露宴で突然婚約破棄される。理由は「教養が足りず、公爵夫人として恥ずかしい」。社交界の人々の嘲笑の中、エリーゼは静かに会場を去る。

年増令嬢と記憶喪失

くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」 そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。 ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。 「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。 年増か……仕方がない……。 なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。 次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。 なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……