1 / 4
1話 婚約者が大事なのは私じゃない
しおりを挟む先程運ばれた淹れ立ての紅茶を頂こうとティーカップを持ち上げ、縁に口を付けるとティーカップを傾けてゆっくりと飲む。熱い紅茶が喉を通るとティーカップをソーサーに置いた。ピンクがかった銀の髪が視界の端に映り、耳に掛けて待ち人が何時来るかを待つフィービー。心の中にはある不安があった。その不安を早く消したい。消すには待ち人が来ないとならない。
フィービーが待っているのは婚約者のミゲル=アリアージュ。皇帝に絶大な信頼を寄せられる帝国の忠臣であり、現公爵は騎士の職に就いている為、ミゲルも幼い頃から剣の鍛錬を欠かさず行っている。一年前の剣術大会では惜しくも準優勝となった。
今日は月に一度のデートの日。予定している時間を過ぎてもミゲルは現れない。
心に居座る嫌な予感は当たってしまった。ショックを受けないのはもう慣れてしまったせいだ。
紅茶を飲み干したフィービーは代金をテーブルに置き席から立った。丁度その時、此方に向かって走って来る男性を捉えるがフィービーは気にせず歩き出した。
後ろから自分を呼ぶ声が聞こえてもフィービーは足を止めなかった。広場に待機させていた馬車に戻ると待っていた御者と車内にいた侍女ハンナがフィービーに気付いた。
「お嬢様……」
「ハンナ。今日は帰るわ。馬車を出してちょうだい」
痛ましげに見つめてくるハンナに苦笑し、馬車にフィービーが乗り込むと馬車は動き始めた。
向かいに座るハンナは主の代わりに涙を流した。
「またですかっ、あの男は! お嬢様のことを何だと思っているんでしょう!」
「ハンナ。怒らないで。……もういいのよ」
「お嬢様……」
「期待なんてしていなかった。ただ、決められていたから行っただけ」
怒りを感じなくなった代わりに、諦念を感じ始めたのは何時からだっただろう。
――フィービーを乗せた馬車は屋敷の正門ではなく、裏口に停められた。
「お嬢様。此処からなら、旦那様達に見つからず部屋に戻れます」
「ありがとう。ごめんなさい、気を遣わせて」
「お気になさらず! お嬢様の為ならお安い御用です」
気さくな言葉で励ましてくれた御者にお礼を述べ、ハンナと共に裏口から屋敷に戻ったフィービーは誰にも見つからないよう自身の部屋に戻った。
ベッドに飛び込み「暫く一人にして」と言うとハンナは静かに出て行った。
「……」
デートを当日にキャンセルされるのは今日に限った話じゃない。今まで何度もあった。
ミゲルには大切な幼馴染がいる。ダイアナ=ローウェル公爵令嬢だ。皇后の姪で幼い頃から病弱ということもあり、周囲にとても大切に育てられた。帝国に皇女はいない為、皇后や皇帝は姪のダイアナを実の娘のように可愛がっていると帝国では有名でミゲルとは相思相愛の男女と言われている。
フィービーという婚約者がいるのにも関わらず、だ。
フィービーがミゲルと婚約したのは亡き母が理由だった。
母はフィービーが八歳の時、病によって亡くなった。アリアージュ公爵夫人と母は友人でフィービーとミゲルの婚約を母親同士が強く望んだ為結ばれた。
夜を思わせる艶やかな黒髪、美しいが氷のように冷たいアイスブルーの瞳を持つミゲルが幼馴染に向けるような笑みを――フィービーに向けた回数は一度たりともない。初対面の頃から無表情で何を考えているかさっぱり分からない。会話もまた最低限。関係が良好かと聞かれても――何とも言えない。
本当ならダイアナがミゲルの婚約者になる筈だったのをフィービーが横取りしたと噂される始末なのも、病弱のダイアナを常に気遣い、体調が崩れたらフィービーと約束をしていてもダイアナ最優先で駆け付けるミゲルに原因があった。
今日のデートだってそう。来れなかったのはまたダイアナの体調が悪くなったせい。使者の弁解を聞かずとも理由なんてそれしかない。
近くにあったクッションに手を伸ばして顔を埋めた。誰もいなくても泣いている顔を隠したい。十年間培った恋心を簡単には捨てられない。ミゲルがダイアナが好きだと知っていても、フィービーはミゲルが好きだった。
沢山努力をした。公爵夫人になる努力、完璧な淑女と呼ばれる努力、ミゲルが好むダイアナのような儚げな雰囲気は無理でも婚約者の後ろを一歩下がって貴族の男性が好む女性になる努力を。どれもミゲルには届いていないけれど。
フィービーはこの後ハンナが様子を見に来る二時間後まで眠ってしまっていた。
目を覚ますと心配な面持ちをしたハンナと長く仕える執事の顔が映し出された。
「お嬢様……大丈夫ですか……?」
「ハンナ……それにダイソンさんも……」
ハンナの手を借りて上体を起こしたフィービーは時間を訊ね、あれから二時間経っていると伝えられた。
「ハンナから事情は聞いています。お嬢様がお戻りになる時間になったら、裏口に馬車を回しますので帰って来た風を装ってください」
「ありがとう」
「いえ」
「……ねえ、二人とも。私、やっぱりこの家を出るわ」
途端、二人の表情に緊張が走った。申し訳なさで一杯になってしまう。
ずっと、ずっと考えていた。
フィービーの居場所は、家にも、婚約者にも、何処にもないのだ。
八歳の頃に母を亡くして以降、父と兄との間に溝が出来てしまった。
亡き母そっくりなフィービーを二人とも視界に入れたくないのだ。家族仲が良く、深く愛していたからこそ、悲しんでしまう為。
母が亡くなった二年後に父は再婚した。後妻となった女性はとても良い人で、その二年後に産まれた異母妹ジゼルもとても良い子だ。よくフィービーの後ろを「ねえ様、ねえ様」と言って雛鳥のように付いて来る。甘えたで可愛いジゼルを愛さない筈がなかった。
ただ……父と兄がいる場所では、最低限にしか接しない。あの二人の前で笑っている姿を見せたくない。
家を出ると決めたのはもうずっと前から。口が堅く、信頼に値するハンナとダイソンに最初話した時は大反対されたが、全く変わらない状況を見続けている内二人は口では反対をしなくなった。
何も言えない二人に苦笑し、ベッドを降りたフィービーはベッド下に隠している鞄を引っ張り出した。
「準備をもう……?」
「うん。何時でも出て行けるようにしてる」
鞄は旅行鞄で表にピンク色のコサージュが着いた可愛いデザイン。大きさは女性一人で持てる物。中にはフィービーが大切にしている母の形見の首飾り、母が愛用していたハンカチ、お気に入りの本、路銀の足しにする宝石類、最低限の衣服。それから……一枚の栞だ。
青い鳥が木に留まっている光景が描かれた栞は、フィービーにとって大切な宝物の一つ。渡した人はきっと忘れているだろうが。
鞄を閉じたフィービーは二人に振り向いた。
「もう起きているわ。時間になったら、また呼びに来て」
「畏まりました」
家出を止めたい。でもフィービーの意思を尊重したい。顔にそう書いてあるダイソンとハンナは唯々フィービーが家を出るまで心穏やかに過ごせることを祈った。
181
あなたにおすすめの小説
私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません
藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は
愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。
夫が愛人を持つことも、
その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。
けれど――
跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。
その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。
私は悟ったのだ。
この家では、息子を守れないと。
元々、実家との間には
「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。
ならば話は簡単だ。
役目を終えた私は、離縁を選ぶ。
息子と共に、この家を去るだけ。
後悔しているようですが――
もう、私の知るところではありません。
嫌われたと思って離れたのに
ラム猫
恋愛
私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。
距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
婚約者チェンジ? 義理の妹は公爵令嬢の地位もチェンジされました』 ~三日で破談、家ごと褫奪の末路です~
ふわふわ
恋愛
「お姉様の婚約者、私がいただきますわ。だって“公爵令嬢”ですもの」
義理の妹コンキュはそう言って、王太子との婚約を奪いました。
父はそれを容認し、私は静かに受け入れます。
けれど――
公爵令嬢とは“地位”ではなく、“責任”の継承者。
王宮で礼儀も実務も拒み、「未来の王太子妃」を名乗った義妹は、わずか三日で婚約破棄。
さらに王家への不敬と統治能力の欠如が問題視され、父の監督責任が問われます。
そして下されたのは――家ごとの褫奪。
一方で私は、領地を守り、帳簿を整え、静かに家を支え続ける。
欲しがったのは肩書。
継いだのは責任。
正統は叫びません。
ただ、残るだけ。
これは、婚約を奪われた公爵令嬢が
“本当に継がれるべきもの”を証明する物語。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
王子様への置き手紙
あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯
小説家になろうにも掲載しています。
聖女の血を引いていたのは、義妹でなく私でしたね♪
睡蓮
恋愛
ロノレー伯爵の周りには、妹であるソフィアと婚約者であるキュラナーの二人の女性がいた。しかしソフィアはキュラナーの事を一方的に敵対視しており、ありもしない被害をでっちあげてはロノレーに泣きつき、その印象を悪いものにしていた。そんなある日、ソフィアにそそのかされる形でロノレーはキュラナーの事を婚約破棄してしまう。ソフィアの明るい顔を見て喜びを表現するロノレーであったものの、その後、キュラナーには聖女としての可能性があるという事を知ることとなり…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる