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3話 フィービーの味方
しおりを挟む一人馬車に揺られ、友人の住む屋敷へ向かうフィービーは、何度もデートをキャンセルされるせいでミゲルと同じ馬車に乗ったのは何時だったかもう思い出せないでいた。帝国が主催する夜会や二人で参加する夜会等では同じ馬車に乗っていた筈だが、まともな会話一つ交わしていない為、乗っていようとカウントされない。胸がズキズキと痛い。素っ気ない態度を取ったってミゲルはフィービーに振り向かないのに。彼の視線が向くのは何時だってダイアナだけ。一度でも文句を言えば良かったのか……と考えた辺りで止めた。口にしたら溜りに溜まった鬱憤を晴らすかの如く言葉が止まらなくなってしまう。そして、父の耳に入ったら醜い嫉妬を起こすなと叱責され、無理矢理ミゲルに謝罪をさせられていた。
どんよりとした気持ちは、あっという間にフィービーを底なし沼へと突き落とした。手を伸ばして水面を這い上がる気力は消えている。このまま沈んでいってしまったら楽になれるのに、馬車が停車したのを感じ意識は現実に引き戻された。
馬車を降りると友人が待っていた。
アイ=アシュフォード。父方の親戚で幼い頃から遊ぶフィービーにとっての幼馴染。歳も同じで爵位は男爵家だが、豊富な財力と土地を持つ帝国でも屈指の大富豪。早足で側に来たアイの温かい両手がフィービーの冷たい両手を包んだ。
「まあ、冷たい手。良くない考え事をしていたの?」
誤魔化そうと笑ったら図星を突かれた為曖昧にしか笑えず、瞼を伏せたアイは何も言わず、フィービーの手を引いて邸内へ案内した。子供の頃はよくこうやってアイに手を繋がれアシュフォード家の中を探検した。純粋に楽しかったと思える時期は過ぎても、アイに手を繋がれるのは今も嫌じゃない。
アイが案内したのはサロン。今日二人でお茶をする為に用意されたサロンの壁紙や調度品、テーブルに並べられたスイーツや食器類に至るまでフィービーの好みに合わされていた。
ぼうっと見ていると「さあ、沢山お話をしましょう」とアイに促され席に着いた。
二人が座ったのを合図に使用人がお茶をカートに載せて運んだ。
「フィービーは紅茶? コーヒー?」
「紅茶で」
「だと思った。私はコーヒーを」
二人の前にそれぞれ紅茶とコーヒーが注がれたティーカップが置かれると使用人はカートを押して出て行き、サロンには二人だけとなった。
「フィービー」
「どうしたの」
「貴女、私に隠し事があるわね? 此処には今誰もいない。侯爵や私の両親にも言わない。私には教えて」
「……」
会ったのは久しぶりなのに、ずっとフィービーを見ていたかのようなアイの台詞は、疲れ切って感情だけが削られているフィービーの心を少しずつ溶かした。夕日の如く煌めく橙色の瞳を見つめ、軈て、目線を下に落としたフィービーは琥珀色の水面を見つめながらゆっくりと話した。
ミゲルと上手くいっていないこと、デートの約束をしてもいつも当日か前日にダイアナの体調不良を理由にキャンセルされること、父や兄はダイアナに嫉妬するなとフィービーを叱責するだけで義母には気を遣わせたくなくて家族には何も話せないこと。……こんな状況でもミゲルを嫌いになれないと話すとアイはコーヒーを飲みながら呆れた。
「アリアージュ公爵令息と上手くいってないのなら、きっぱり捨てちゃいなさいよ」
「そうね……出来たら苦労しない」
悔しいがずっとミゲル一筋で生きてきた。何時かミゲルもフィービーの努力に気付いて振り向いてくれると信じていた。結果は何も言わずとも分かり切っていたのに。
あっさりとしたアイの性格は羨ましい。一度不要と判断したら、未練を残さずきっぱりと捨てられる。フィービーにはまだ手の届かない場所だ。
「……さっき、家を出ると言ったけれど当てはあるの? 何だったら、私が両親にお願いしてフィービーをお母様の実家に逃がしてもらう?」
「ありがとう、アイ。心配しないで。当てはあるわ」
随分前から考えていた家出を相談していたのはハンナやダイソンだけではない、手助けをしてくれる人に相談はしている。
「アシュフォード家を出たら、家出を決行するって伝えに行く」
「絶対に口を割らないから、フィービーが頼りにしている人が誰か教えて」
断わろうと首を振りかけたフィービーは待ったを掛けられた。
「おば様が亡くなってからも会っているからフィービーとおじ様達の距離を感じているし、理由もフィービーに聞いて知ってる。フィービーがいなくなったら、おじ様達は必ずフィービーを探しに此処に来る。私はフィービーの居場所を知っていたい。知っている余裕の態度でその時が来たらおじ様達を追い返してやりたいわ」
「アイ」
亡くなった母にそっくりなフィービーを冷遇しだした父や兄に憤慨している。柳眉を逆立てる様は恐ろしくも見え、頼もしくも見えた。
「大教会の司祭様よ」
「司祭様か……そうね……確かに安全ね」
帝国が崇拝する神を祀る教会の大本山が帝都にある大教会。多数いる神官達を纏め上げるのが司祭。代々、皇族が担う司祭は現在先帝の弟が務めている。
「お母様が亡くなって、お父様達に心無い言葉を向けられた私が逃げた場所が司祭様のところだった」
来る者拒まずな司祭も大泣きしてやって来たフィービーに驚いただろう。泣き止み、落ち着きだして理由を話したら司祭はフィービーを抱き締め慰めた。それから時折フィービーは司祭に会いに大教会へ足を運んだ。
家族の相談、ミゲルとの関係や不満、将来の不安何でも話した。
このままミゲルと結婚してアリアージュ公爵夫人になってしまったら、幼馴染を優先するミゲルをより近くで見ないといけない羽目になり、婚約者時代より苦しい生活が始まる。最悪、白い結婚を申し込まれる可能性もあった。
「今時、白い結婚なんて流行らないわよ」
「世間はそうでも、私とミゲルは案外有り得そうでしょう?」
「そう言われると……」
反論の言葉が出ないアイに苦笑しつつ、フィービーは司祭とのやり取りを思い出していた。
未来について悩むフィービーは一つの提案を出された。
『フィービー。君に覚悟があるなら地方の教会で職員になって働いてみないかい?』
『私がですか?』
『うん。地方では、身寄りのない子供達に職員が文字の読み書きや計算、マナーを教えている。どうかな? 侯爵令嬢の君なら、より子供達に洗練されたマナーを教えられると思うんだ』
貴族出身の職員はいるにはいるが男爵家止まりで、平民に近い生活を送る者が多く、上位貴族の作法は教えられない。平民が貴族の礼儀作法を身に付けているだけで将来の選択肢は大きく変わる。刺繍も公爵夫人の役割の一つだと言われ、練習を重ねたお陰で上手な部類に入る。フィービーはよく考えて答えを出したらいいと最後に締めくくった司祭の提案をずっと考え――受け入れると決めた。
「教会支部のある地方なら、アシュフォード家が関われる」
アイ曰く、アシュフォード家は教会支部に多額の資金援助をしている為、もしもフィービーが行くなら融通を利かせると話す。
「何時家を出るの?」
「具体的な日日はまだよ。でも、そう遠くない」
「それなら、決行前日に手紙を出して」
「分かったわ」
「絶対よ?」
「ええ、絶対。私の信頼する人に届けさせる」
「待ってる」
こうしてアイと秘密の話は終わり、次はお茶を楽しみましょうと雰囲気をガラリと変えてフィービーは美味しい紅茶とスイーツに頬を綻ばせた。
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