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魔王公爵は昔から心配していた
しおりを挟む王城の人通りの少ない場所。建物の陰に隠れ、膝に顔を埋めて静かに泣いているストロベリーブロンドの少女。ルーシィが毎日丁寧に櫛を通し、可愛いリボンを着けてくれた髪も今はぐしゃぐしゃに乱れ綺麗とは程遠い。
決められた婚約が嫌なのじゃない。ひたむきに努力し、彼に相応しい女性になりたくて、泣き言すら許されない王妃教育が嫌なのじゃない。
王妃や周囲にお似合いの婚約者だと認められているのに、当の婚約者からは冷たい視線を注がれ、会話も最低限しかされない。お茶をする時だって、好物のスイーツを出しておけばいいという態度にはラフレーズも心折れ掛けた。
嬉しかった。初めてヒンメルが自分の好物を聞いてくれて。仲良くなる一歩になれると信じていたのに、いざお茶の席に着くと普段よりも冷たい空色の瞳に睨まれながらスイーツを食べた。いや、食べさせられた。
城の料理人が丹精込めて作った絶品のスイーツもジュースも――何も味がしなかった。
一体、何の為のお茶だったのか。何故ヒンメルは自分の好物を聞いたのか。嫌がらせが目的だったのか。
兎に角、今日のお茶の時間のせいで張り詰めていた物が決壊し、耐えられなくなったラフレーズは得意の魔術で気配を消して此処まで来た。早く戻らないと心配される。分かっていても顔を上げられない。足が立つことを拒絶している。
嫌いなら、嫌いだとハッキリ言えばいいのに。ヒンメルは睨んでくるだけで何も言わない。
もう――限界だ……。
その時だ。
「あーあ、そんなとこで泣いて可愛い姿が台無しだ」
後方から飛んできた声にラフレーズは泣き顔のまま、ゆっくりと膝から顔を上げて振り向いた。陽光は建物に遮られ、薄暗い場所でも流麗に光るプラチナブロンドが眩しい。1本だけ鼻頭まである前髪が特徴的な髪型は見覚えがあり過ぎた。ありとあらゆる美を詰め込んだ男性はラフレーズの側に来ると小さな体を抱き上げた。泣き止むよう撫でられる手の温もりが優しくて縋りたくなった。首に腕を回すとポンポン叩かれる。
「ひぐ……うわああああん…………くい、ん様ああぁ……」
「やれやれ。お前が泣いてるって聞いて来てみたが……どうせ、あのヒンメルが原因だろう。どうしてこう優しくしてやれないのか」
「くい、ん、様ああぁ……私、殿下のこと、嫌いに……なりそうです……」
「いいんじゃないのか。ベリーシュ伯爵もヒンメルのお前への態度を盾に最近国王に苦言を呈してるからな」
ラフレーズを抱いたまま、城内に戻ったクイーンは従者を連れて息を乱したヒンメルを捉えた。夜空を閉じ込めた深い紺色の瞳が青い顔をして足を踏み出そうとしたヒンメルを目で制した。近付くな、と。
ボソリと呪文を唱えたクイーンはゆったりとした足取りでヒンメルの前に立った。
「今更何をしに来た」
「あ……ら、ラフレーズを、探しに……」
「お前の為に毎日身形に気を遣うラフレーズがボロボロになっている原因を作ったお前が?」
「そ、れは……」
大の大人でさえ、威圧を込めたクイーンと真っ向から対立出来る者は極僅か。幼いヒンメルが耐えられる筈がなかった。口を震わせ、顔を更に青ざめながらも、王家が代々受け継ぐ空色の瞳は婚約者の少女を見上げていた。
「ヒンメル」
「っ、は、はいっ」
「ラフレーズが最初から気に食わないんだろう? 俺からリックに言っておいてやるよ」
「! ま、待ってください!!」
リックとは、国王リチャードの愛称。
大昔から生き続ける人外の魔術師・魔王公爵と名高いクイーンは何代か前の王弟。ある事が切欠で不老になってしまったクイーンは兄王から公爵家を賜り、今に至る。
歩き出そうとするとヒンメルが足にしがみついた。
従者が慌ててヒンメルを引き離そうとするが、思いの外力が強くヒンメルは離れない。
「何だよ」
「お願いです! 父上には何も言わないで、ラフレーズ、とは、これからちゃんと、頑張って向き合いますから、僕ちゃんとラフレーズに歩み寄りますから。だから……!!」
「2年だ。お前とラフレーズが婚約してから2年。その間、お前はラフレーズに一切歩み寄ろうとしなかったな」
「そ、れは……」
図星を突かれ、先程までの威勢が萎んでいく。足をヒンメルから離した。ハッとなったヒンメルがまたしがみついた。鬱陶しいと舌打ちをしたら更に慌てた声を発した。
「だって、だって! ラフレーズは僕といたって、いつも下を向いてばかりで、おじ上といる時と全然違ってっ」
「いつもいつも何もしてないのに、口も利かない睨んでくるだけの相手といて楽しいか?」
「……」
「覚えとけ。王族・貴族に生まれれば、政略結婚は免れない。人間、合う合わないはある。お互い、心底合わないなら表面上だけでも上手く振る舞って愛人を作るのが暗黙の了解だ。余程相手の人格に問題があるのなら、お前の気持ちもまだ分かった。だがお前は違うだろう。勝手に決められた婚約者が嫌なんだろう? そんなに嫌なら、我慢してラフレーズと会わなくていい。だから離せ、俺からリックに言っておいてやる」
クイーンの言葉はどれも正しい。次期国王となるヒンメルの妻になるには相応の資格を持つ女性でないとならない。隣国の姫を母に持ち、王家の忠臣と名高いベリーシュ伯爵を父に持つラフレーズ。爵位こそ伯爵だが、長年王国に尽くした実績は爵位以上の価値がある。過去に何度か侯爵位を賜る話があったそうだが、歴代の当主達は皆断ってきたそうな。伯爵で十分だと。
何も言わなくなったヒンメルが手をクイーンの足から下ろした。力なく下ろされた手が震えている。
クイーンは従者に目をやった。
「部屋に戻せ」
「は、はいっ」
後はお任せ。
王城にある自身の部屋に向かい始める。ヒンメルがその場から動こうとしないのは、聞こえてくる従者の声で分かる。
抱っこしているラフレーズは眠っている。クイーンが魔術で眠らせた。
何も言えなくなったのはヒンメルにとって全て事実だからだろう。何れは婚約者が作られると王太子教育で習って知っていたくせに、歩み寄る努力もせず、相手に求めてばかりいて。そのくせ、自分の分が悪くなるとラフレーズのせいにする。
「リックにきっちりお灸を据えてもらわないとな」
自分はあくまで何代か前の王弟。今更政に首を突っ込むつもりは毛頭ない。公爵としての仕事はしても、である。
……だが、クイーンの耳には届いていた。
「…………ラフレーズは、僕とスイーツを食べるより、おじ上と食べていた時の方が、とても……楽しそうだったんだ……っ」
距離は遠くなっても魔術でヒンメルが何を言うか興味があって声を拾えるようにしていた。スイーツ? ああ、とクイーンはすぐに思い至った。何度か泣いているラフレーズを抱っこしてあやし、食べ物があれば気が紛れるだろうとラフレーズの好みを聞いてスイーツを用意した。2年前から始まった王妃教育からな上、今更なのでクイーンはそんな事でヒンメルが癇癪を起こす見当がつかなかった。
同年代の子供と比べたら、圧倒的に大人びているのは王太子教育の賜物。感情を殺し、王太子として振る舞えと周囲から常に言い聞かされているヒンメルが凄絶な努力をして今の自分を作り上げているのはクイーンも知っている。壊れかけるとそっと手を差し伸べていた。
肩の力を抜き、そっと寄り添える相手が必要だとは前々から抱いていた。ヒンメルとラフレーズはお似合いだと、周囲の認識同様クイーンも感じている。
ヒンメルに対し、他の令嬢みたいに強引に迫らず、かといって暗いだけの様子もなく。ヒンメルが自然と力を抜いて癒してくれる子供だと。
ヒンメルを慕う少女の中で1番強気なのがファーヴァティ公爵令嬢のメーラ。公爵の権力欲が強く、常々娘を王太子の婚約者にと国王に何度も打診していた。いざ婚約者がラフレーズと決まるとベリーシュ伯爵にあからさまな敵意を示していた。まあ、王家の忠臣と名高く、戦闘が起きると最前線に立って指揮を執る騎士を真っ向から相手にする度胸はないようだが。
この間あった集まりでもヒンメルに嫌われている娘よりも好かれている自分の娘の方が相応しいと自慢したら、殺さんばかりの眼力を食らい腰を抜かしていた。あの男は口だけは強気だ。
部屋に戻ったクイーンはぐっすりと寝ているラフレーズを昼寝でよく使用するクッションが沢山敷き詰められたソファーに寝かせた。背凭れに掛けていたブランケットを被せると自身は頭の上辺りに座った。
――過去の出来事を思い出していると閉ざしていた瞼を上げた。
丁度、時計の3を示していた。
「公爵閣下」
王城の侍女が頭を垂れて扉付近にいた。
「ベリーシュ伯爵令嬢が閣下にお会いしたいと」
「通せ」
「畏まりました」
ラフレーズの訪問理由はヒンメル絡みだろう。
侍女が立ち去る前に「スイーツの準備をしろ」と命じた。
侍女と入れ替わるように入ったラフレーズに向かいのソファーに座るよう目をやった。
緊張した面持ちで座ったラフレーズにヒンメルと話せたかと問うと――……落ち込んだ相貌を見せられた。どうやら、駄目だったらしい。
それどころか、あのヒンメルは国の為にラフレーズと婚約させられたから恋人と結ばれないのだとほざいたとか。小さく溜め息を吐いた。
ヒンメルなりにラフレーズに歩み寄ろうと努力しながらも、最初から通した態度のせいで全然ラフレーズに気持ちが届かず。挙句、自分よりやっぱりクイーンがいいのだと余計意固地になってラフレーズに冷たい態度を取り続けた。ヒンメルが恋人を作った動機を知らない。今までラフレーズ以外の女性には毛程の興味も示さなかったくせに。
メーラの魅力に当てられたか、と思うも違う気がする。リチャードにそれとなく言うと……難しい顔をされた。魔術で心を視ようとすると固く遮断された。ヒンメルの行動には訳があると悟るも、その内話してくるだろうと捨て置いた。
「クイーン様。私、クイーン様にお願いがあって」
「なんだ。言ってみろ」
ラフレーズから放たれた言葉を聞いた瞬間、何も飲んでいなくて良かったと思った。
「私と、私の――恋人になっていただけませんか!」
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