悪女は可哀想な婚約者を解放してやりたい

文字の大きさ
24 / 30

それの名前は

しおりを挟む
 
  

  

 強い力をオーギュストに求め、『ドラゴンの心臓』と呼ばれる魔法石の取り込みに成功したノアン。五日も経つと体に慣れ始め、漸くまともに起き上がれるようになった。五日間ベッドに倒れていた体には、きちんとした食事が必要なのであって激しい運動はまだ早いと医師に止められたが一日でも早く魔力を完全に自分の物にしたくて鍛錬を始めた。
 体力が落ち、普段なら疲れない時間でも体は疲れを見せ始めた。額から流れる汗をタオルで拭い、再び魔力制御の鍛錬を開始しようとした矢先。従者がノアンに客が来ていると告げた。先触れもないということは、余程の相手。名前を聞き、オーギュストの名を出されると「すぐに向かう」と一旦鍛錬を中止した。

 素早く水で汗を流し、新しい服に着替えたノアンはオーギュストが待っている部屋に足を踏み入れた。


「サンチェス公爵、待たせたな」
「いえ。急な訪問にも関わらずありがとうございます」
「いや」


 オーギュストの訪問理由は何となく察している。
 彼の向かいに座ると早速体の調子について訊ねられた。


「今日やっと起き上がれるようになったところだ」
「本来であれば、しっかりと栄養を摂ってから鍛錬をしてほしいのですが」
「医師にも言われた。だが何時までものんびりしていられない。折角公爵から与えられたチャンスを無駄にしたくない」
「そうまでしてヒルデガルダに勝ちたいですか」


 無論だと強く頷く。危険を承知で『ドラゴンの心臓』を体内に埋め込んだのは、あの憎き婚約者を打ち負かす為。


「酷な話をしますが仮令殿下が魔力を完全に制御したとしてもヒルデガルダあいつには勝てません」
「……」
「私はヒルデガルダをよく知っています。殿下がヒルデガルダに勝ちたいと思う気持ちを否定する気はありませんが、勝負を仕掛けても殿下に勝てる見込みはありません」
「なら……公爵、ヒルデガルダに勝てる方法は何かないのか」


 命の危険を冒しながらも手に入れた魔力を持ってしてもヒルデガルダには勝てないと断言するオーギュストへ縋る紫水晶の瞳。苦い面立ちをし、重く口が開かれた。


「ヒルデガルダに勝てる人間は恐らくいないと断言していい。魔族すら太刀打ちは困難でしょう」
「ずっと気になっていたんだ。公爵は何処でヒルデガルダに会ったのだ?」
「私の古い伝手を頼って、とだけ言っておきます」
「……」


 幼い彼女の手を引いて登城したオーギュストが何処から強大な力を持つ彼女を連れて来たか誰も知らない。ヒルデガルダもサンチェス家に来る以前の話をしない。何気なく訊ねたことはあるがすぐに話を逸らされる。
 膝の上に置く拳を握り締めた。自分よりヒルデガルダを詳しく知るオーギュストすら方法はないと言うのだ、もう、本当にないのかもしれない。


「ヒルデガルダについては一旦置きましょう。殿下、マクレガー公爵令嬢と会わないのですか」
「ヒリスには新しい婚約者が決められたんだ。いくら、ヒルデガルダやランハイド侯爵令息が私やヒリスが秘密裏に会うことを許したと言っても」
「ふむ」


 人の上に立つ者として生まれた以上、誰よりも誠実であれと幼い頃より叩き込まれた。愛し合っていても、もう愛し合うことは許されない立場となってしまった。ヒリスとて公爵令嬢。個人の感情だけではどうにもならないことがあると何時か理解する。


「殿下、貴方は必要以上に誠実であろうとする。殿下の欠点でもあります」
「欠点?」
「今マクレガー公爵令嬢は、殿下との復縁だけを夢にしています。ランハイド侯爵令息が歩み寄ろうとしても彼女にその気がなければ、いずれ二人も両家の関係も破綻します。貴族ならば家を重視するのは誰もが分かっていること。ランハイド侯爵令息は、それが分っているから貴方とマクレガー公爵令嬢の逢引を見逃す方針にしたのです」


 彼自身、亡くなった婚約者を忘れられないと言え、次期ランハイド当主。新たな婚約者を決めて家を存続させなければならないのは承知済み。


「そこで殿下に頼みがあります。マクレガー公爵令嬢の説得を殿下に頼みたい」
「私が? だが、一度ヒリスとは話をつけた」
「殿下はそう思ってもご令嬢はそうじゃない。もう一度、話をしていただきたい」


 真摯に訴えるオーギュストの瞳に押し負けたノアンは了解した。

  

  

 ——屋敷にオーギュストが戻ったと執事から報せを受けたヒルデガルダは玄関ホールを訪れた。長い銀の髪を煩わし気に払い、疲れた溜め息を吐いたオーギュストに声を掛けた。


「戻ったのか」
「ああ」
「なんだか疲れているな。王子との話は困難したのか?」
「いや。そうでもない。殿下にマクレガー公爵令嬢の説得を頼んだ。ただなあ……」
「?」


 言葉切れの悪いオーギュストに詳しく聞くとノアンはヒリスに婚約者が決められた以上縒りを戻す気はないらしく、受け入れるように説得をすると語られた。オーギュストの望みとしては強大な魔力を手に入れた今、ヒリスと共に国王を説得する方向で話をしてもらいたかったらしい。
 そうなるとレイヴンの婚約者が再び不在となる訳だがオーギュストに当てがあった。


「当て?」
「ああ。隣国の公爵令嬢なんだが令嬢の家は魔道具の特許を幾つも持つ技術家系でな。無論、農具に関しても特許を持つ。ご令嬢の嫁入り先を探していると以前聞いていてな、まだ婚約者を見つけられていない筈だ。ランハイド家もその家の農具を欲していると聞く。どうにか上手く話をつけたいところなんだが」
「お前なら上手くやれるだろう。珍しいな」
「貴族の世界というのは、お前が思うより面倒でな」


 人間として生活して早十八年。サンチェス家はオーギュストがいる限り、オーギュストが当主であり続ける。政治に関して全く興味のないヒルデガルダは「そうだな」と笑う。
 強大な魔力を手にしたノアンとヒリスに既成事実を作らせるしか、やはり二人が再び婚約をする方法はない。ふむ、と思案したヒルデガルダは踵を返して部屋に戻った。丁度入って来たオシカケにレイヴン宛に先触れを出せと命じた。


「ランハイド侯爵令息に? またなんで」
「さっきオーギュストが言っていてな」


 先程の会話の内容を話すとオシカケは「上手くいくと良いですけど」と言い残し部屋を出て行った。ホットミルクをテーブルに置いて。
 出来立てのホットミルクが注がれたマグカップを手にしたヒルデガルダ。あくまで予想であるがレイヴンはヒルデガルダの先触れも提案も断るとは思えない。オーギュストの話が事実なら、前の婚約者ノアンを忘れられず歩み寄ろうとしない国内の公爵令嬢より、以前より欲していた特許を得ている農具を持つ隣国の公爵令嬢と婚約して縁を持つ方が利益がある。高貴な血を子孫に残したい侯爵もこの話に乗ると信じたい。
 ホットミルクを味わっていると扉をノックされる。返事をしたら、入ってきたのはアイゼン。ヒルデガルダの隣に座るとピンクがかった銀糸に触れた。


「ご機嫌かなヒルダ」
「分かるのか」
「分かるさ。良い事でもあったの?」
「これから次第だ」


 理由を話すと「へえ」とアイゼンは興味がある声を漏らす。


「利益に重きを置くなら、君の考えは通るんじゃないかな」
「そうだといいがな」


 残る問題は国王のみであるが、既成事実を作ってしまえば最早二人の再婚約を認めるしかない。醜聞は立つだろうがずっとヒリスが塞ぎこんで周りが頭を抱えるよりマシだろう。ノアンも心から愛する人と永遠に暮らせる道が出来上がるのだ。初めは怒るだろうが後になれば怒りも鎮まると予想する。
 アイゼンの手が髪から首に移り、肌を滑り腰に添えられる。ギュッと力を入られ、引き寄せられるとマグカップに口を付けたままアイゼンを見上げた。


「ヒルダは自分の婚約者が元の婚約者と結ばれてほしいの?」
「元々妾の楽しみの一つだったんだ、あの二人は。それを勝手になくされた挙句、妾の婚約者にされても困る。妾が見たいのは、あの二人の純愛だけ」


 人間になって最も見ていたかった二人の純愛を再び見られると言うのなら、幾らでも汚名を着せられても構わない。噂に振り回される性質ではないのがヒルデガルダ。誠実であろうとするノアンならば、既成事実を作ってしまえばヒリスの為に責任を取る。
 以前オーギュストの言っていた交流会は二日後に開催。人間界へ逃げたリュカの父親は交流会を終えた後始末する。今最も楽しみなのは交流会であってリュカの父親ではない。後回しにしようと問題はない。
 一応、王都で悪さをしないか見張りは付けてある。現在は下町の破落戸が集まる最下層におり、身分の高い自分が何故と屈辱を味わいながらも生活している。衣食住に困らず、死にはしなくても苦痛を強いられる生活と惨めで権力も金もない今どちらがマシか、リュカの父親は後悔に苛まれているがヒルデガルダには関係ない。

 リュカの方は日々マチルダに強制連行されるとは言え、徐々に勉学やマナー教育を意欲的に受けるようになり、元々飲み込みが早いのもあり成長を続けている。高位貴族の子供として生きていく知識をリュカなら問題なく覚えられる。心配するところとすればヒルデガルダに対し、他より甘える仕草を多々見せる。生まれた時から母親はおらず、異母や異母兄弟達に虐げられてきたせいか愛情に飢えており、サンチェス家に来てから世話焼きな人間達に挙ってお世話されて満たされていると思っていたが違う気がする。
 ヒルデガルダに母性でも感じている節がある。昔瀕死のオシカケを拾って全快するまで看病した名残がヒルデガルダにはまだあるらしい。


「ね、ヒルダ」
「うん?」
「オーギュストの言っていた交流会ってやつ僕も行くからね」
「人間の集まりに興味があったのか」
「ヒルダが行くなら僕も行きたいなってだけ。まあ、ヒルダの言うように人間の集まりに興味もある」
「お前も楽しんだらいい」


 既成事実作りは交流会当日。リスト侯爵邸で実行する。以前ヒリスの誘いの手紙を断ったら、しつこいくらいヒルデガルダを誘う手紙が届けられ、態々オーギュストを出向かせ手紙を止めさせた。その代わり、今度の交流会にはヒルデガルダも参加すると伝えさせた。無理に早く会わずとも会える日が必ず来る。


「僕から一つ言っていい?」
「どうした」
「ヒルダは懐に入れた相手以外興味を示さないだろう? だから、あの婚約者が元の婚約者と縒りを戻そうとしないのをヒルダは分からない」
「興味は持っているぞ」


 持っていなければ何故ノアンが頑なになるのかと考える素振りは見せない。


「持っていても僕やサンチェス家にいる人間と比べると小さい。元の婚約者を好きなのは変わらなくても、君に対してもきっと本人にも理解しきれない執着があるのさ」


 可能性があるとすれば、一度ヒルデガルダに屈辱を味わわされたからだろう。仕返しをしたいからこそ、命の危険を冒してでも強大な魔力を手に入れた。致命的な間違いはただ一つ。強大な魔力を手に入れたところでヒルデガルダには勝てない。


「いくら強い魔力を手に入れようと短い期間で完璧に扱えはしない。どんな天才だろうと天賦の才を持っていようと。王子が妾に勝てる可能性は万に一つもない」


 王国にとっては朗報だと言える。将来、臣籍に下り守護役を担うノアンの魔力が強い方が守護もまた強くなる。頭の固い人間は嫌いじゃないが度が過ぎれば呆れの感情が生じる。何事も程々が一番。ホットミルクを飲み干してしまい、マグカップを浮かせテーブルに置いた。腰に触れる手の力が込められアイゼンを見上げた。


「いまから……いい?」
「飽きないのか?」
「全然? ヒルダが飽きたならしないでおくよ」


 最初に肌を重ねて以降は毎夜行為をしており、オシカケに体力お化けと言われるヒルデガルダも朝起きるのが辛く、反対にアイゼンは朝も元気だ。嫌? と問われ、嫌じゃないと首を振った。
 アイゼンに抱き締められ、開けたシャツの間から見える肌に触れる。ノアンと違う男らしく筋肉のついた固い胸元と割れた腹筋。手の平で感触を確かめつつ、ふとこんな問いを投げかけた。


「人間も魔族も高位のやつほど体を動かしたがらないと思っていたが、お前やオーギュストを見ていると違うんだな」
「人による。僕の場合は……君にだらしない身体を見られたくない」
「お前をだらしないという目で見たことはないぞ」
「ありがとう」


 腰と背中を強く抱かれ、シーツの上に押し倒された。頬に何度もキスを落とすアイゼンの首に腕を回し、瞳を閉じたのだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。

しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。 友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。 『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。 取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。 彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。

今夜で忘れる。

豆狸
恋愛
「……今夜で忘れます」 そう言って、私はジョアキン殿下を見つめました。 黄金の髪に緑色の瞳、鼻筋の通った端正な顔を持つ、我がソアレス王国の第二王子。大陸最大の図書館がそびえる学術都市として名高いソアレスの王都にある大学を卒業するまでは、侯爵令嬢の私の婚約者だった方です。 今はお互いに別の方と婚約しています。 「忘れると誓います。ですから、幼いころからの想いに決着をつけるため、どうか私にジョアキン殿下との一夜をくださいませ」 なろう様でも公開中です。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

好きにしろ、とおっしゃられたので好きにしました。

豆狸
恋愛
「この恥晒しめ! 俺はお前との婚約を破棄する! 理由はわかるな?」 「第一王子殿下、私と殿下の婚約は破棄出来ませんわ」 「確かに俺達の婚約は政略的なものだ。しかし俺は国王になる男だ。ほかの男と睦み合っているような女を妃には出来ぬ! そちらの有責なのだから侯爵家にも責任を取ってもらうぞ!」

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

処理中です...