逃がす気は更々ない

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 原作のラシュエルと今目の前にいるラシュエルは同じ人間なのに、何かが決定的に違う。涙を流し無実を訴えるリナリアの言葉を信じず、伸ばされた手を振り払ったラシュエル。ヘヴンズゲート侯爵やイデリーナに騙されている馬鹿な皇太子と憤ったが本当にそうなのだろうか。皇太子妃になって側にいてほしいと告げるラシュエルならば、万病を癒す黄金の花を咲かせたリナリアの言葉を信じるのではないか。


「ん、んんっ」


 皇太子妃になるとも、ならないとも言えないまま、お互い見つめ合っていると不意にラシュエルが動いた。身を硬くしたリナリアの頬に手を添え、指先でゆっくりと撫でられる。少しのくすぐったさを感じて顔を逸らそうとしてもラシュエルの手に阻まれ動かせず。聞くだけで蕩けてしまう甘い声色に呼ばれて吃驚したのも束の間、視界が急に暗くなり丸い黄金が間近に迫った。唇に当たる温かく柔らかいものがなにか理解するのに時間が掛かった。
 頬に当てていた手が上へ伸ばされ頭を撫で、もう片方の手は背中に回って強く引き寄せた。キスをされていると理解した途端、声を上げようと口を開いたのが間違いだった。すぐに入れられた舌が好き勝手口内を動き、逃げるリナリアの舌を絡め吸い付かれた。腰が抜けて座り込みそうになっても、背中に回っているラシュエルの手が支えている為そのままで。寧ろ、抱き締められる力が強まった。
 胸を押して退かしたくてもビクともしない。瞼を強く閉じて口付けが終わるのを待った。

 ――終わった頃には自力では立てなくなったリナリアを客室に運んだラシュエル。誰とも会わなくて良かった。ベッドに座らされると横に彼が座った。多分危機感を抱かないとならないのだろうが長く激しいキスをされ続けたせいで頭が上手く回らない。あんなキスをする人だっただろうか、原作ではイデリーナに対してもこうも激しい人じゃなかった。リナリアの涙の訴えを退けた時は冷酷な人間に見えたものの、その他で彼が激しく感情を露にする場面は無かった筈。ひょっとすると未読の番外編にヒントがあるのか。ただ、リナリアのその後なのでラシュエルが登場する可能性は低い。聖域に籠って祈りの花に祈りを捧げていたなら、聖域の管理者であるユナンの許へ行ったに違いない。
 ユナンの名前は無かったものの、聖域には管理者がいたとあった。


「リナリア」


 聞くだけで腰が抜けてしまう蕩けるような甘い声は今のリナリアには刺激が強く、聞いているだけで赤い顔に更に体温が集中してしまう。


「ヘヴンズゲート侯爵やイデリーナには、相応の罰を下す。皇太子妃になるのは君だ。誰にも文句は言わせない」
「陛下は……皇帝陛下は……お認めになりませんよ」
「認めさせる。侯爵達が嘘を言っていると知りながら、イデリーナを婚約者にしたんだ。嘘に塗れた聖女をそのままにするのは帝国も大教会も得をしない」
「どう、するのですか」
「後日の話し合いの時に知れるよ」


 額にキスを落とされてラシュエルを見上げた。声色と同じくらい瞳にも甘さが多分に含まれていて。目を逸らしたらいけない気がしたリナリアは真っ赤な顔のままラシュエルを見つめた。


「殿下は……」
「うん?」
「殿下は……私に手紙を、送って下さったのですよね」
「ああ」
「私は、殿下の手紙を一度も受け取ってなくて」
「だろうね」


 病に罹った当初は移るといけないからとラシュエルへのお見舞いは禁じられ、ラシュエルも体に走る黒い文様を見られたくなくてリナリアが来ていてもきっと追い返していた。せめて手紙のやり取りだけでもしたいと痛む体を動かし、人を使って送っていた手紙には一度も返事は来なかった。聖域に行く前からもラシュエルの手紙は届いていない。


「きっと、父や誰かが殿下の手紙を握り潰していたのでしょう。私を皇太子妃にしたいと言いながらも、結局イデリーナを皇太子妃にしたかったのです」
「前侯爵夫人の生家とは会っていないの?」


 公式の夜会や行事では顔を合わせるが接触を恐れている父がリナリアの側にイデリーナや後妻を置くので、顔を合わせても挨拶くらいしか出来なかった。


「手紙を送る事もままなりません。向こうから送られても誰かが握り潰すでしょうから」
「もしも、前侯爵夫人の生家の養子になれって言われたら、リナリアは受け入れてくれる?」
「それって……」


 話し合いが終わり、イデリーナや父の嘘を明らかにしてもリナリアがヘヴンズゲート侯爵令嬢なのは変わらない。皇太子妃を輩出したい父の願いを砕き、良い思い出がないヘヴンズゲート侯爵家の令嬢としてではなく、母方実家の侯爵家の養女になって婚約者になればリナリアの憂いは晴れる。イデリーナや後妻とも無関係となる。
 リナリアにとっては嬉しい話でも母方実家がどう思うかだ。


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