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薄青の散る 24
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―ヘキサ―
西棟に入ってすぐ、六花は違和感に気づいた。
先ほどから鳴っている警報は今も鳴り続けているが、もう一つ。何か別のサイレンが鳴っていたのだ。
西棟は殆どが研究室で構成されている。何がもとで事故が起きるか分からない。火災や毒ガスの発生など、それぞれの事態に合わせた警報音があるのかもしれないと六花は考えていた。
「いたぞ!B03通路だ。至急増援を!」
目の前に立ちはだかる警備は増援を呼びつつも、退くつもりはないらしい。大きな声で六花を威嚇する。
西棟は姿を隠す障害物こそあれど、殆どが一本道。迂回するルートはない。
〈六花サン……!〉
「わかってる。ここを通るならやるしかない」
六花は思考を巡らせる。
(残る煙玉は3つ。1つは万が一の時のために取っておきたい。となれば使えるのはあと2つ)
頭の中でいくつものパターンをシュミレーションする。
「――リコリスが戻るまでなら問題ない」
声をあげる警備に全速力で距離を詰める。警備はとてつもない速さで走り寄ってくる少女の姿に異様な気配を感じ身震いした。
咄嗟に盾を構え、足に力を込める。六花の突撃を耐えるか押し返すか、どちらか決めきれていない様子だ。
「――ッ!」
六花は数瞬という刹那の時に決断を迫られた。目の前の男を避けることは可能だ。全身に防具を着こみ、飛び道具の類も持っていない。
(全速力で走れば振り切れる!)
盾は全面が透明なわけではなく、上部に一箇所覗き穴のあるタイプだ。近寄れば盾のサイズが災いし、死角が出来る。そこをついてすり抜けることができる。
しかし、ここで戦闘を避けたとしてもすでに増援を呼ばれている。耳をすませばこちらに向かって駆け寄ってくる警備の床を蹴る音が徐々に大きくなっていることがわかる。
(もしまた対処できない数に囲まれたら)
m.a.p.l.eはスマホに入っている見取り図を使って、ルートをその都度指示してくれる。袋小路に迷い込む心配はないが、それでも数の力には勝てない。
今の六花の力量では自分の命を守りつつ“殺さず”を貫くことは難しい。ラーレは狙撃の直後から鳴りを潜めている。狙撃ポイントを変えるためにすでに移動を開始している頃だろう。
西棟に移るまでに数多くの警備を倒し、殺した。
六花は疲れこそ見せないものの、連戦に連戦を重ね今なお走り続けている。ギリギリの勝利を積み重ねているに過ぎない。
だが、側から見れば一人の少女相手に大の大人、それも戦闘の素人ではない、国の極秘プロジェクト完遂を支えるための戦闘のプロが翻弄されている状態だ。
あれだけの人数を返り討ちにした相手に勝てるはずがないと潔く諦めてくれれば良いものだが、いまだに警備の波は止まない。向かってくるとなれば六花も手段は選べない。
「やるしか……!」
痛む胸を抑え、震える手を制す。
スカートの下からナイフを抜き出し、盾に身を隠す警備の元へ駆け出す。タタタと床を蹴る軽い音が響き、マフラーがバサバサとたなびく。
(――今、動いた)
警備の視線が一瞬左に逸れた。ナイフを握る六花の右手を警戒して意識が傾いた。
六花はそれを見逃さない。
急接近し盾で六花の身体が完全に隠れたその一瞬。右手のナイフを右方向へ投げ放ち、左腕でもう一方のナイフを抜き取る。
警備は少女の姿が盾に隠れた時、その陰から飛び出してくるものすべてを警戒していた。
突如飛び出したナイフの軌跡を追い、警備は身体ごと盾を動かす。そのナイフが投げ放たれたものである事など考えることすらなく、まんまと暗殺者に背後を見せることになった。
(……ごめん)
暗殺者は瞬く間に背後を取り喉元を斬り裂いた。斬られた本人ですら斬られたことを理解出来ないほどの神業。痛みを感じて声をあげることもなく崩れ落ちた。
少女の手には命の感触があった。何年も前、この仕事を始めてからずっと消えることのない命を斬り裂く感触。しかし、それが徐々に薄れつつあることに気づいた。
初めてその異様な感触に触れた時、どうにかなってしまいそうだった。人の命を奪ってしまったという罪の意識と、言われた通りに仕事をこなせてしまった自分への恐怖に飲み込まれた。
「お前が背負い込むことはない。……自分の命を優先しろ」
「――っ」
はじめて人を斬った時だ。オクタから自分の命を優先しろと言われたことを思い出す。手に残る感触に震えていた六花にオクタからかけられた言葉だった。
今にして思えばオクタは口がうまい方ではない。何と声をかけたら良いか迷いながら、なんとか絞り出した言葉だったように思う。
六花はいち早くこんな感覚から逃れたいという一心でその言葉に耳を傾けた。こんな感触、すぐにでも消えてしまえば良いと思っていた。
今になって、この感覚が薄れてきていることが怖くなった。何か自分が“ヒト”ではない何かになってしまうようで。
そんな考えを振り払うように頭を横に振り、ワイヤーを操りナイフを回収した。
〈“リコリス”カラメッセージ!コドモ達ノ退避完了!逃走ヲ開始セヨ~〉
m.a.p.l.eから連絡が来たのはリコリスが離れてから数分のことだった。爆弾の設置を手早く終えた子ども達は施設の一階部分の壁を爆破し、各々一階に空いた壁の穴から森の中へ逃げ込んだ。
「了解!」
それは六花からしてみれば待ちに待った連絡だった。もう戦わなくていい。斬らなくていい。そういわれたのと同義だ。
敵から逃げ回る戦いの終わりが見えてきた。
〈ナビゲートヲ脱出ルートニ変更!――戻ッテ!目標、西棟一階エントランス!〉
西棟の一階。それが本作戦のゴール。エントランスの先には国道につながる細い道路と森が広がっている。森には組織の仲間が待機している。
森にさえ入れば一人で戦うこともない。
現在地は西棟二階の中央付近。時期にリコリスやエランティスが施設の制御を奪って合流する。そうすればより逃走は楽になる。
六花はエントランスを目指し、踵を返した。
西棟に入ってすぐ、六花は違和感に気づいた。
先ほどから鳴っている警報は今も鳴り続けているが、もう一つ。何か別のサイレンが鳴っていたのだ。
西棟は殆どが研究室で構成されている。何がもとで事故が起きるか分からない。火災や毒ガスの発生など、それぞれの事態に合わせた警報音があるのかもしれないと六花は考えていた。
「いたぞ!B03通路だ。至急増援を!」
目の前に立ちはだかる警備は増援を呼びつつも、退くつもりはないらしい。大きな声で六花を威嚇する。
西棟は姿を隠す障害物こそあれど、殆どが一本道。迂回するルートはない。
〈六花サン……!〉
「わかってる。ここを通るならやるしかない」
六花は思考を巡らせる。
(残る煙玉は3つ。1つは万が一の時のために取っておきたい。となれば使えるのはあと2つ)
頭の中でいくつものパターンをシュミレーションする。
「――リコリスが戻るまでなら問題ない」
声をあげる警備に全速力で距離を詰める。警備はとてつもない速さで走り寄ってくる少女の姿に異様な気配を感じ身震いした。
咄嗟に盾を構え、足に力を込める。六花の突撃を耐えるか押し返すか、どちらか決めきれていない様子だ。
「――ッ!」
六花は数瞬という刹那の時に決断を迫られた。目の前の男を避けることは可能だ。全身に防具を着こみ、飛び道具の類も持っていない。
(全速力で走れば振り切れる!)
盾は全面が透明なわけではなく、上部に一箇所覗き穴のあるタイプだ。近寄れば盾のサイズが災いし、死角が出来る。そこをついてすり抜けることができる。
しかし、ここで戦闘を避けたとしてもすでに増援を呼ばれている。耳をすませばこちらに向かって駆け寄ってくる警備の床を蹴る音が徐々に大きくなっていることがわかる。
(もしまた対処できない数に囲まれたら)
m.a.p.l.eはスマホに入っている見取り図を使って、ルートをその都度指示してくれる。袋小路に迷い込む心配はないが、それでも数の力には勝てない。
今の六花の力量では自分の命を守りつつ“殺さず”を貫くことは難しい。ラーレは狙撃の直後から鳴りを潜めている。狙撃ポイントを変えるためにすでに移動を開始している頃だろう。
西棟に移るまでに数多くの警備を倒し、殺した。
六花は疲れこそ見せないものの、連戦に連戦を重ね今なお走り続けている。ギリギリの勝利を積み重ねているに過ぎない。
だが、側から見れば一人の少女相手に大の大人、それも戦闘の素人ではない、国の極秘プロジェクト完遂を支えるための戦闘のプロが翻弄されている状態だ。
あれだけの人数を返り討ちにした相手に勝てるはずがないと潔く諦めてくれれば良いものだが、いまだに警備の波は止まない。向かってくるとなれば六花も手段は選べない。
「やるしか……!」
痛む胸を抑え、震える手を制す。
スカートの下からナイフを抜き出し、盾に身を隠す警備の元へ駆け出す。タタタと床を蹴る軽い音が響き、マフラーがバサバサとたなびく。
(――今、動いた)
警備の視線が一瞬左に逸れた。ナイフを握る六花の右手を警戒して意識が傾いた。
六花はそれを見逃さない。
急接近し盾で六花の身体が完全に隠れたその一瞬。右手のナイフを右方向へ投げ放ち、左腕でもう一方のナイフを抜き取る。
警備は少女の姿が盾に隠れた時、その陰から飛び出してくるものすべてを警戒していた。
突如飛び出したナイフの軌跡を追い、警備は身体ごと盾を動かす。そのナイフが投げ放たれたものである事など考えることすらなく、まんまと暗殺者に背後を見せることになった。
(……ごめん)
暗殺者は瞬く間に背後を取り喉元を斬り裂いた。斬られた本人ですら斬られたことを理解出来ないほどの神業。痛みを感じて声をあげることもなく崩れ落ちた。
少女の手には命の感触があった。何年も前、この仕事を始めてからずっと消えることのない命を斬り裂く感触。しかし、それが徐々に薄れつつあることに気づいた。
初めてその異様な感触に触れた時、どうにかなってしまいそうだった。人の命を奪ってしまったという罪の意識と、言われた通りに仕事をこなせてしまった自分への恐怖に飲み込まれた。
「お前が背負い込むことはない。……自分の命を優先しろ」
「――っ」
はじめて人を斬った時だ。オクタから自分の命を優先しろと言われたことを思い出す。手に残る感触に震えていた六花にオクタからかけられた言葉だった。
今にして思えばオクタは口がうまい方ではない。何と声をかけたら良いか迷いながら、なんとか絞り出した言葉だったように思う。
六花はいち早くこんな感覚から逃れたいという一心でその言葉に耳を傾けた。こんな感触、すぐにでも消えてしまえば良いと思っていた。
今になって、この感覚が薄れてきていることが怖くなった。何か自分が“ヒト”ではない何かになってしまうようで。
そんな考えを振り払うように頭を横に振り、ワイヤーを操りナイフを回収した。
〈“リコリス”カラメッセージ!コドモ達ノ退避完了!逃走ヲ開始セヨ~〉
m.a.p.l.eから連絡が来たのはリコリスが離れてから数分のことだった。爆弾の設置を手早く終えた子ども達は施設の一階部分の壁を爆破し、各々一階に空いた壁の穴から森の中へ逃げ込んだ。
「了解!」
それは六花からしてみれば待ちに待った連絡だった。もう戦わなくていい。斬らなくていい。そういわれたのと同義だ。
敵から逃げ回る戦いの終わりが見えてきた。
〈ナビゲートヲ脱出ルートニ変更!――戻ッテ!目標、西棟一階エントランス!〉
西棟の一階。それが本作戦のゴール。エントランスの先には国道につながる細い道路と森が広がっている。森には組織の仲間が待機している。
森にさえ入れば一人で戦うこともない。
現在地は西棟二階の中央付近。時期にリコリスやエランティスが施設の制御を奪って合流する。そうすればより逃走は楽になる。
六花はエントランスを目指し、踵を返した。
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