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第七章 『狂人・壊れた天秤からの挑戦状』 短い制限時間の中で繰り広げられるオルゴールが関わる奇っ怪な密室殺人に白い羊と黒鉄の探偵が挑む!
7-5.困惑する更なる証言
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「山田鈴音刑事が連れて来るはずの工藤茂雄が丸谷英字の死体がある部屋に来たくないとごねたから、結局俺達の方から出向く事になってしまったな」
「別にいいのではありませんか。306号室に住むその工藤茂雄さんとか言う人の部屋の中も見たいと思っていましたからね。手間が省けましたわ」
山田鈴音刑事が工藤茂雄を305号室の部屋に連れてくることに失敗してしまった為、仕方なく工藤茂雄の部屋を訪れた勘太郎と羊野は、306号室のドアの前で立ち止まる。
もう既に夜が明けたのか日の光が遠くのビルや家々の狭間から見えた事で外の明るさを感じた勘太郎は少し安心感を感じていたが、それは同時にタイムリミットでもある時間が無情にも進んでしまった事を意味していた。
そんな勘太郎の不安を少しでも軽減するかのように川口大介警部は山田鈴音刑事と共にアパートの周辺を彷徨く不審者や怪しげな行動を取る部外者を人知れず見張るため外へと出て行く事にしたようだが、代わりに現場に一人残ることになった赤城文子刑事は、死体となっている丸谷英字のいる部屋で更なる証拠となる物を探しながら勘太郎と羊野が聞き込みから戻って来るのをただひたすらに待つ。
そんな特殊班の刑事達の切実な思いをその雰囲気から嫌でも感じていた勘太郎は、覚悟を決めたのか工藤茂雄の部屋のチャイムを鳴らす。
ピンポン! ピンポン! ピンポン!
「工藤茂雄さん、いらっしゃいますか。先ほどこちらに伺った刑事さんから事情はもう聞いているとは思いますが、申し訳ありませんがもう一度直に会ってお話を聞かせて貰ってもよろしいでしょうか。他にも聞きたいことが増えましたので、ご協力の程をお願いします!」
その勘太郎の言葉に重苦しい鉄のドアが直ぐに開く。部屋の中から出て来たのは白いワイシャツに青いジーンズを履いた好青年である。
その人物こそが工藤茂雄だと確信した勘太郎は挨拶もそこそこに直ぐにここを訪れた経緯を説明するが、隣の部屋で丸谷英字が死んでいた事に大分ショックを受けているのか工藤茂雄は複雑そうな顔をしながら、玄関先に現れた勘太郎と羊野をマジマジと見る。
「先ほど現れた刑事さんが言っていた探偵さんですね。立ち話もなんですから、どうぞ部屋に上がって下さい」
その工藤茂雄の思わぬ招きで難なく部屋の中に入る事が出来た勘太郎と羊野は、台所があるリビングルームやバストイレがある廊下を通りながら、その奥にある洋間の部屋へと案内される。そこで二人が見た物は(特殊班の刑事達が言っていたように)想像した通りの物だった。
洋間の部屋の中にはベースやエレキギターといったサイレント楽器が幾つも置かれ。真ん中の大きな机の上には音楽関係のいろんな書物がまるでちょっとした本の塔のように無造作に積み上げられている。
だが一番目に付くのはそんな書物と同じ机の上にある何かを書いた走り書きの原稿用紙の山だった。
恐らくは思いついた言葉をそのまま詩として書いているのか無数の文字が思いとなって紙に書き連ねられている。
勘太郎はそんな曲作りには欠かせない思いを綴った詩に目を向けながら、その苦労と曲作りの頑張りに素直に驚く。
「これが曲作りの為の元ネタですか。いや、凄いですね。特殊班の刑事さん達からは一通り話しを聞いてはいましたがこの部屋で自作の曲を作っているのですね。作詞も作曲も一人で作って、しかもその曲を携えて路上でソロのミュージシャン活動をしているだなんて、凄いと言うほかはありません。その夢や野望に純粋に邁進できる才能があって羨ましいですよ」
「いや、才能なんてありませんよ。二十代の頃から今に至るまで自作の歌でソロの音楽活動をしていますが、いろんなコンクールにも出場しても未だに受賞は取れずにいます。作詞作曲家としてもそうですが、歌い手としてもまだプロデビューは果たしてはいませんので、いつも歯がゆく悔しい思いをしている所です」
「そうでしたか。工藤茂雄さんの努力が実っていつかプロの作詞家か作曲家になれるといいですね」
「ええ、いつかそうなれるように日夜、曲作りを頑張っています」
「因みに工藤さんはどんな歌を作っているのですか。人の心を興奮と激しい衝動の渦に巻き込み思いを高揚させるロックミュージックですか。それとも人の心をしんみりとした音楽で包み静かに感動させるバラードミュジックですか。大衆向けで商業性があるポップミュージックと言う事も考えられますよね」
「ああ、今作っているのは情熱系のロックミュージックだよ。この世知が無い現代社会で懸命に生きる情熱の歌で、今の若者の愛に対する思いや理不尽な運命に諍い葛藤するそんな物語を歌にしたんだよ。やっぱり熱血系の熱い曲はそれなりに盛り上がりますからね!」
「なるほど、そうでしたか。でも聞いた話では、その音楽の作詞の事で丸谷英字と何やらもめていたようですが、一体なにを言われたのですか」
「え、あ、ああ、ごく普通の事ですよ。その歌で思いを伝える詩の部分が可笑しいとか、その言葉の表現はこの作詞には合ってはいないとか、いろいろですよ。でも作詞のプロからの指南や指摘もあって、かなり参考にはなりましたがね」
「でもその丸谷英字さんとはその作詞の事で最近大喧嘩をしたと回りから聞いているのですが、それは本当ですか」
「ええ、本当です。お恥ずかしい話ですが、つい最近できあがった新作の曲の作詞を見てくれと丸谷英字さんに頼んで見て貰ったのですが、いろいろと厳しい意見を言われましてね。つい向きになって反論してしまったんですよ。そしてそこからは激しい言い争いと醜い言葉の喧嘩です。僕も長年温めて来た自信曲を速攻でけなされたのでかなり頭にカチンと来ましてね、冷静さを失ってしまったんですよ。それだけ僕はこの曲作りに本気で人生を賭けていると言う事です。でもその次の日は僕も冷静になって謝りに行きましたからね。まあ、丸谷英字さんの方も少し言い過ぎたと言って謝ってくれたんで仲直りをしたんですけど、歌の詩を見てくれと頼んだのは僕の方ですから、本当は全て僕が悪いんですけどね」
勘太郎は喧嘩の経緯と工藤茂雄の反省の言葉を聞くと、今度は通常通りに工藤茂雄のアリバイの方を聞く。
「工藤茂雄さん、先ほどあなたが刑事さんに伝えた話では、深夜の一時から三時までの間はサイレント楽器のエレキギターを片手にまた新たな曲を作るために作詞の仕事をしていたそうですが、他に何か変わった事はありませんでしたか。隣の部屋の方で何か物音を聞いたとか……」
「僕は作詞の事で頭が一杯でしたからね、特に気付いたことはありませんよ」
「そうですか。では最後にあなたが、丸谷英字さんを殺した犯人かも知れないと疑う人物について教えて下さい。確か304号室に住む……名前は、阿部美香子さんでしたか。あなたはその彼女が犯人かも知れないと疑っているんですよね。なら彼女が丸谷英字さんを殺した犯人だと思う根拠はあるのですか」
「304号室に住む阿部美香子さんは、名曲・白鳥の湖を奏でる小箱型のシリンダーオルゴールを丸谷英字さんに取られたと言って騒いでいました」
「小箱型のシリンダーオルゴールを取られたからと言ってそんなに騒ぐ程の代物なのですか。失礼ですけどタダの小箱型のシリンダーオルゴールですし、曲も既に広く生産されている白鳥の湖はみんながよく聞くことの出来るポピュラーな音楽じゃないですか、その曲を奏でるオルゴールを阿部美香子さんはわざわざ取り戻そうとしていたと言う事ですよね。確かに丸谷英字さんにそのオルゴールを本当に取られたと言うのなら取り戻さないといけないのは解りますが、特にそこまでして取り戻す程の価値のある品物ではないはずです。でも、それが思い出のオルゴールだったり、年代物の価値のあるオルゴールだったのなら話は別ですけどね」
「僕も阿部美香子さんにその自慢のシリンダーオルゴールを見せて貰った時があったのですが、特に代わり映えのしないごく普通の小箱型のシリンダーオルゴールでした。ですが、その小箱の蓋を開けてみるとその裏側には、油絵で小さな町並みの絵が細かく繊細に書かれていました」
「小箱の蓋の裏に……町並みの絵ですか?」
「はい、オルゴールの小箱の蓋の裏に書かれてある、とても小さな絵です。ですが阿部美香子さんの話ではその絵はあの有名なゴッホがまだ若かりし頃に描いた町並みの絵だとの話です。ほら、ちゃんとオランダ語でゴッホのイニシャルが記入されているでしょ!」
その工藤茂雄の話を聞いていた勘太郎は思わず体の態勢を崩し、ビックリした顔をする。ゴッホと言ったら絵画の事を全く知らない勘太郎でもその名前くらいは知っている有名な画家だからだ。その世界的にも有名なゴッホの名前に勘太郎は思わず聞き返す。
「ゴッホって……あの画家のゴッホですか」
「はい、あのゴッホです。フィンセント・ファン・ゴッホはオランダのポスト印象派の画家で。主要作品の多くは1886年以降のフランス居住時代、特にアルル時代とサン・レミでの療養時代に制作された物が多いです。感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家です。そんなゴッホが若かりし頃に書いたと思われる絵が書かれたオルゴールを数年前にフランスの骨董市でたまたま見つけた阿部美香子さんは、そのオルゴールを知り合いの絵の知識のある友人に見せた所、どうやら本物のゴッホの絵だと言う事がわかったらしく、美術館への展示や大金で売ってくれとせがんで来る絵画のコレクター達にもお願いされたとの事ですが、その全てを断り。その後そのオルゴールは彼女の家宝として物凄い自慢の一品になったとの事です。なのでたまたまその場にいた僕も丸谷英字さんと一緒にその自慢のオルゴールを見せて貰う事になったのですが、あろう事かそのオルゴールを丸谷英字さんが行き成り欲しいと言い出しましてね。しつこく阿部美香子さんに売ってくれといいよっていたのを覚えています。それからしばらくしてです。阿部美香子さんはその大事にしていたオルゴールを丸谷英字さんに取られたと言って騒ぎ出し、まるで狂ったストーカーのように丸谷英字さんの部屋のドアの前で張り込むようになってしまいました」
「いつの間にか無くなっていたじゃなくて……丸谷英字さんにそのオルゴールを力尽くで取られたと、そう阿部美香子さんは主張しているのですか」
「はい、丸谷英字さんにゴッホの絵が描かれてあるオルゴールを取られたと、阿部美香子さんはそうハッキリと証言しています。阿部美香子さんの話では、もう一度だけあのオルゴールを見せてくれと言って余りにしつこかったので後日に見せた所、そのオルゴールを力ずくで取り上げた丸谷英字は、そそくさと自分の部屋へとそのオルゴールを持って帰ったとの事です。その後はいくらオルゴールを返してくれと呼びかけても、このオルゴールは最初から自分の物だと言って返してはくれず、その事で何度か警察沙汰にもなりましたからね」
「それで結局、そのオルゴールは返して貰ったのですか。警察が出てきたのなら無事にオルゴールを取り返してくれたと思うのですが」
「それが、いくら丸谷英字さんの部屋を探してもそのゴッホが書いたという絵のオルゴールは見つからなかったのですよ。なので証拠の物が無い以上その話は阿部美香子さんの被害妄想か、ただの作り話かも知れないと言う理由でこの件は有耶無耶になりました。ですが、このアパートに住む住人の何人かはそのオルゴールの絵を見ていますし、そのオルゴールは本当に丸谷英字さんが奪い取ったんじゃないかと皆が噂をしていました。そしてそんな丸谷英字さんの玄関前に毎日のように通う事になった阿部美香子さんが物凄い恨みを丸谷英字さんに抱いていたことはこのアパートに住む住人なら皆が知っている事です。なのでもしかしたら口論の末に誤って丸谷英字さんを殺してしまったんじゃないかと思いましてね。そう邪推したのですがその真実の程は解らないので、ここだけの話にして置いて下さい」
「なるほど、それが、阿部美香子さんが丸谷英字さんを殺した犯人かも知れないと思った理由ですか」
「はい、阿部美香子さんが犯人なら丸谷英字さんを殺す動機も充分にありますし、その殺意を受ける丸谷英字さんの身勝手なわがままぶりもこのアパートに住む住人なら皆が充分に知っていましたからね。まあ、丸谷英字さん自身が物凄いオルゴールコレクターでしたから、もしかしたら己の欲望に負けて大胆にも阿部美香子さんから直接オルゴールを奪い取ったとも考えられます。それだけあの小箱型のシリンダーオルゴールは価値のある品物でしたからね」
「価値のある品物ですか。過去に警察が丸谷英字の部屋の中を調べた際に、いくら探しても結局そのゴッホの絵の書かれてあるオルゴールが見つからなかったというのなら、そのシリンダーオルゴールは一体どこに消えたのでしょうか。もしかしたらまだ私達の知らない所にでも隠してあるのでしょうか。どうやらもう一度、最初から丸谷英字の部屋の中を調べ直さないといけないようですね」
その勘太郎の言葉を聞いた工藤茂雄は何かを思い出したのか、軽く手を叩きながらその事を勘太郎に告げる。
「ああ、それと……白鳥の湖と聞いて今思い出したのですが、深夜の二時から~二時四十五分ごろまでの時間にその白鳥の湖の音色が隣の丸谷英字の部屋から聞こえて来ました。あの白鳥の湖の音色はあのゴッホの絵のシリンダーオルゴールにある白鳥の湖の音色と一緒なので、もしかしたらそのオルゴールはまだ丸谷英字の部屋の中にあるかも知れませんよ」
「でも先ほどの話ではそんな事は一言も言ってはいなかったじゃないですか」
「だから今思い出したのですよ。丸谷英字さんの部屋からは深夜になると時々けっこうな高い音でオルゴールの音色が鳴り響いていましたからね。しかも僕の部屋はその隣にありましたから直に聞こえてくるのですよ」
「そのオルゴールの音色は周りの住人からは苦情が来るほどにうるさいはずなのに、あなたはその音の事を忘れていたのですか。ちょっと考えられないのですが……」
「忘れていたという事もありますが、もっと正確に言うと何も聞こえていなかったと言うのが正しいのでしょうか」
「何も聞こえていなかったとは一体どう言うことですか?」
「僕はさっきも言ったようにサイレント楽器のエレキギターを片手に作詞作りをしていましたからね。以前から丸谷英字さんの部屋から聞こえて来るオルゴールの音色はうるさいと思っていましたから、当然その音の対策はしているのですよ」
「その対策とは?」
「僕は自分の曲を確認しながら詩を作る為に絶えずヘットホーンを耳にしていましたからね、なので外からの音は一切聞こえなかったのですよ。でも一度だけ、二時十分くらいにトイレに行く際に、ヘットホーンを耳から外して行きましたから、その時に隣の部屋から聞こえてくる白鳥の湖の音色を聞いたのを覚えています。でもそのオルゴールの音色が聞こえて来る環境にすっかり慣れてしまっていたので、その音色のことは気にもしませんでした。なので白鳥の湖というキーワードを聞くまでは、今の今までその事を忘れていました。本当にすいませんでした!」
「いや、そう言うことならいいのですよ。なるほど、確かに、ヘットホーンをして別の音楽を聴いていたのなら回りからの音は一切聞こえないですよね。ならオルゴールの音色に気がつかなかったのもうなずけます。それにしても……小箱の蓋の裏に書かれたゴッホの絵に、そのオルゴールに内蔵されている白鳥の湖の音色か……」
「探偵さん?」
「二時から~二時四十五分ごろまで丸谷英字さんの部屋から聞こえて来るオルゴールの音色がうるさいと言う理由で他の住人達から苦情があった事は俺も聞いてはいましたが、その音色の曲名は白鳥の湖だったのか。誰もそのオルゴールが奏でる曲名までは言ってはいませんでしたからね。これは思わぬ収穫だぞ。なぜならこれでその奏でてあるオルゴールがかなり絞り込めるからな。ならこの事を早く赤城先輩にも知らせてやらないとな。今も丸谷英字の部屋で待機をして貰っている赤城先輩には白鳥の湖の音色を奏でるオルゴールを中心に探して貰う事にしよう。よし、なら俺達は次は阿部美香子さんの所に向かうぞ。もうこれ以上、工藤茂雄さんに聞く事はなにも無いからな。もう行くぞ、羊野!」
その勘太郎の言葉に羊野瞑子が待ったを掛ける。
「ちょっと待って下さい。黒鉄さん、まだここを離れるのは早いですわよ」
そう言うと羊野は工藤茂雄にその美しい赤い瞳ときめ細かい白い顔を向けながら、和やかに話しかける。
「工藤茂雄さん、あなたの主張は解りましたが、つまりあなたのアリバイを証明してくれる人は誰もいないと言う事ですよね。ならあなたが犯人である可能性も充分にあると言う事です」
「まあ、確かに僕はこのアパートに一人暮らしですし、アリバイを証明してくれる人は誰もいませんからね。でもそれはこの部屋に住む住人ならみんな同じなのではないでしょうか。このアパートに住む住人を何人かは知ってはいますが、皆殆どの人が一人暮らしですよ。それに丸谷英字さんを殺した犯人は部外者である可能性が最も高いんじゃないのですか。もしかしたら物取りか、何か恨みを持つ人の犯行だとも思うのですが」
「あれだけ丸谷英字さんのオルゴール好きや阿部美香子さんが持っていた小箱型のシリンダーオルゴールの事を話して置いて今更部外者による犯行説はないでしょ。丸谷英字さんを殺した犯人は絶対にこのアパートの中に住む住人だと私は考えています」
「先ほどの山田とか言う刑事さんの話では、丸谷英字さんの部屋からは物が取られた形跡は何も無いとの話ですし、少なくとも物取りの犯行ではないと言う事ですよね。まあ、軽はずみにも阿部美香子さんが犯人かも知れないとつい疑って置いてなんですが、やはり僕としては同じアパートに住む住人の事はなるべく疑いたくはないので、部外者による犯人説がもっとも高いと考えています。でもあくまでも白い羊の探偵さんはこのアパートに住む住人の中に丸谷英字さんを殺した犯人がいると考えているのですね。でもその根拠は一体なんですか?」
「そうですわね、この密室殺人事件には可笑しな所が三つあります」
「三つですか?」
「一つは、丸谷英字さんの部屋から聞こえて来たと言うオルゴールの音色のことです。先ほどの工藤茂雄さんの話ではそのオルゴールの音色は、あの白鳥の湖の音楽らしいですが、その白鳥の湖の音色がゼンマイ切れで音が鳴らなくなるにせよ。その部屋にあった全てのオルゴールの蓋が閉まってあるのは可笑しいですよね。シリンダーオルゴールの蓋が閉まっていると言う事は必然的にそのオルゴールの音は止まってしまう訳ですから、その白鳥の湖の音色は本来なら鳴る訳がないのですよ。その鳴るはずの無い音色が鳴っていたと言う事は、二時四十五分ごろまで丸谷英字さんは生きていたと言う事になります。二時四十五分にオルゴールの蓋を閉めて音を止めた直ぐ後に犯人に殺されたというのなら一応は辻褄が合いますし、丸谷英字さんの正確な死亡推定時刻もかなり絞られるのですが、もう一つの可能性としては丸谷英字さんを殺した犯人が部屋にいて、その犯人の手でオルゴールの蓋が閉められたという可能性です。そうなるとこの犯人は二時四十五分まで確実に丸谷英字さんの部屋の中にいたと言う事になります。その十五分後に大屋の戸田幸夫さんが来る事になるのですが、そんな時間になるまでこの犯人は丸谷英字さんの部屋の中で一体何をしていたのでしょうか。非常に気になりますわね」
「確かに気になりますが、それとこの部屋の住人が犯人かも知れないと言う事にはならないでしょ」
「疑問二つ目は、この事件は絶対に外から来た部外者による犯行ではないという点です。なぜならこのアパートの正面の入り口には防犯の為の自動ドアが付いていて、部外者は容易に中に入る事はできないですし。このアパートに住む入居者だけは暗証番号を打ち込む事によって外とアパートを自由に出入り出来る仕組みになっています。勿論、セールスでの訪問や怪しい不審者をシャットアウトする事ができますし、しかもその入り口の天井付近には防犯用に監視カメラが設置してありますのでその訪問者の証拠もバッチリと抑える事が出来るという訳です。そしてその監視カメラはアパートの裏口の天井にも当然設置してありますので、もしも不審者が二階にいる305号室に住む丸谷英字さんの部屋に通路を通って向かったと言うのなら、その姿は必ずその監視カメラに映るはずです。ですがこのアパートを管轄している警備会社に問い合わせた所、(昨日と今日の朝までに)このアパートを訪れた人物は、このアパートに住む住人以外に誰も来てはいないと言う事が解りました。なのでその情報も踏まえた上で、丸谷英字さんを殺した犯人は必ずこのアパートの中に澄む住人の誰かだという結論に至ったという訳です」
その羊野の言葉に今度は話を黙って聞いていた勘太郎がつい口を挟む。
「監視カメラか。確かに、このアパート内に入るには(自動ドアがある)表玄関か、或いは裏玄関のどちらかを通らないと中には入れないからな。しかも監視カメラのおまけ付きか。ならこの犯人は必然的にこのアパートに住む住人である可能性がかなり高まった訳だ」
「そして疑問の三つ目です。犯人の手により殺された丸谷英字さんの真の動機です」
「真の動機だって。いやいや、この流れで行ったらオルゴールの件で何らかの恨みを持つ阿部美香子さんがもっとも怪しいんじゃないのか」
「それはあくまでも阿部美香子さんが犯人だったらの話です。もしも殺された丸谷英字さんの裏に真の動機が隠されていると言うのなら、その犯人像も動機も大きく変わってくる物と思われます。あ、では最後に工藤茂雄さんには、丸谷英字さんに無下に酷評されたという曲の作詞を見せて欲しいのですが、工藤さん……工藤茂雄さん、よろしいでしょうか」
「え、ええ、別に構いませんよ。あのプロの作詞作曲家でもある丸谷英字さんにも酷く酷評された、酷く拙い作詞ではありますが、そんなんでいいのならね」
行き成り名前を言われた工藤茂雄は慌てて返事をする。それだけ羊野の言い回しは不気味で凄味のある声だったからだ。
「因みにこの曲の題名は、一体なんと言うのですか?」
「まだ見ぬ明日の軌跡です……それがこの曲の曲名です!」
そう言うと工藤茂雄は奥の棚の引き出しからB4原稿用の分厚い茶封筒を取り出すと、その大きな茶封筒を羊野瞑子に手渡すのだった。
「山田鈴音刑事が連れて来るはずの工藤茂雄が丸谷英字の死体がある部屋に来たくないとごねたから、結局俺達の方から出向く事になってしまったな」
「別にいいのではありませんか。306号室に住むその工藤茂雄さんとか言う人の部屋の中も見たいと思っていましたからね。手間が省けましたわ」
山田鈴音刑事が工藤茂雄を305号室の部屋に連れてくることに失敗してしまった為、仕方なく工藤茂雄の部屋を訪れた勘太郎と羊野は、306号室のドアの前で立ち止まる。
もう既に夜が明けたのか日の光が遠くのビルや家々の狭間から見えた事で外の明るさを感じた勘太郎は少し安心感を感じていたが、それは同時にタイムリミットでもある時間が無情にも進んでしまった事を意味していた。
そんな勘太郎の不安を少しでも軽減するかのように川口大介警部は山田鈴音刑事と共にアパートの周辺を彷徨く不審者や怪しげな行動を取る部外者を人知れず見張るため外へと出て行く事にしたようだが、代わりに現場に一人残ることになった赤城文子刑事は、死体となっている丸谷英字のいる部屋で更なる証拠となる物を探しながら勘太郎と羊野が聞き込みから戻って来るのをただひたすらに待つ。
そんな特殊班の刑事達の切実な思いをその雰囲気から嫌でも感じていた勘太郎は、覚悟を決めたのか工藤茂雄の部屋のチャイムを鳴らす。
ピンポン! ピンポン! ピンポン!
「工藤茂雄さん、いらっしゃいますか。先ほどこちらに伺った刑事さんから事情はもう聞いているとは思いますが、申し訳ありませんがもう一度直に会ってお話を聞かせて貰ってもよろしいでしょうか。他にも聞きたいことが増えましたので、ご協力の程をお願いします!」
その勘太郎の言葉に重苦しい鉄のドアが直ぐに開く。部屋の中から出て来たのは白いワイシャツに青いジーンズを履いた好青年である。
その人物こそが工藤茂雄だと確信した勘太郎は挨拶もそこそこに直ぐにここを訪れた経緯を説明するが、隣の部屋で丸谷英字が死んでいた事に大分ショックを受けているのか工藤茂雄は複雑そうな顔をしながら、玄関先に現れた勘太郎と羊野をマジマジと見る。
「先ほど現れた刑事さんが言っていた探偵さんですね。立ち話もなんですから、どうぞ部屋に上がって下さい」
その工藤茂雄の思わぬ招きで難なく部屋の中に入る事が出来た勘太郎と羊野は、台所があるリビングルームやバストイレがある廊下を通りながら、その奥にある洋間の部屋へと案内される。そこで二人が見た物は(特殊班の刑事達が言っていたように)想像した通りの物だった。
洋間の部屋の中にはベースやエレキギターといったサイレント楽器が幾つも置かれ。真ん中の大きな机の上には音楽関係のいろんな書物がまるでちょっとした本の塔のように無造作に積み上げられている。
だが一番目に付くのはそんな書物と同じ机の上にある何かを書いた走り書きの原稿用紙の山だった。
恐らくは思いついた言葉をそのまま詩として書いているのか無数の文字が思いとなって紙に書き連ねられている。
勘太郎はそんな曲作りには欠かせない思いを綴った詩に目を向けながら、その苦労と曲作りの頑張りに素直に驚く。
「これが曲作りの為の元ネタですか。いや、凄いですね。特殊班の刑事さん達からは一通り話しを聞いてはいましたがこの部屋で自作の曲を作っているのですね。作詞も作曲も一人で作って、しかもその曲を携えて路上でソロのミュージシャン活動をしているだなんて、凄いと言うほかはありません。その夢や野望に純粋に邁進できる才能があって羨ましいですよ」
「いや、才能なんてありませんよ。二十代の頃から今に至るまで自作の歌でソロの音楽活動をしていますが、いろんなコンクールにも出場しても未だに受賞は取れずにいます。作詞作曲家としてもそうですが、歌い手としてもまだプロデビューは果たしてはいませんので、いつも歯がゆく悔しい思いをしている所です」
「そうでしたか。工藤茂雄さんの努力が実っていつかプロの作詞家か作曲家になれるといいですね」
「ええ、いつかそうなれるように日夜、曲作りを頑張っています」
「因みに工藤さんはどんな歌を作っているのですか。人の心を興奮と激しい衝動の渦に巻き込み思いを高揚させるロックミュージックですか。それとも人の心をしんみりとした音楽で包み静かに感動させるバラードミュジックですか。大衆向けで商業性があるポップミュージックと言う事も考えられますよね」
「ああ、今作っているのは情熱系のロックミュージックだよ。この世知が無い現代社会で懸命に生きる情熱の歌で、今の若者の愛に対する思いや理不尽な運命に諍い葛藤するそんな物語を歌にしたんだよ。やっぱり熱血系の熱い曲はそれなりに盛り上がりますからね!」
「なるほど、そうでしたか。でも聞いた話では、その音楽の作詞の事で丸谷英字と何やらもめていたようですが、一体なにを言われたのですか」
「え、あ、ああ、ごく普通の事ですよ。その歌で思いを伝える詩の部分が可笑しいとか、その言葉の表現はこの作詞には合ってはいないとか、いろいろですよ。でも作詞のプロからの指南や指摘もあって、かなり参考にはなりましたがね」
「でもその丸谷英字さんとはその作詞の事で最近大喧嘩をしたと回りから聞いているのですが、それは本当ですか」
「ええ、本当です。お恥ずかしい話ですが、つい最近できあがった新作の曲の作詞を見てくれと丸谷英字さんに頼んで見て貰ったのですが、いろいろと厳しい意見を言われましてね。つい向きになって反論してしまったんですよ。そしてそこからは激しい言い争いと醜い言葉の喧嘩です。僕も長年温めて来た自信曲を速攻でけなされたのでかなり頭にカチンと来ましてね、冷静さを失ってしまったんですよ。それだけ僕はこの曲作りに本気で人生を賭けていると言う事です。でもその次の日は僕も冷静になって謝りに行きましたからね。まあ、丸谷英字さんの方も少し言い過ぎたと言って謝ってくれたんで仲直りをしたんですけど、歌の詩を見てくれと頼んだのは僕の方ですから、本当は全て僕が悪いんですけどね」
勘太郎は喧嘩の経緯と工藤茂雄の反省の言葉を聞くと、今度は通常通りに工藤茂雄のアリバイの方を聞く。
「工藤茂雄さん、先ほどあなたが刑事さんに伝えた話では、深夜の一時から三時までの間はサイレント楽器のエレキギターを片手にまた新たな曲を作るために作詞の仕事をしていたそうですが、他に何か変わった事はありませんでしたか。隣の部屋の方で何か物音を聞いたとか……」
「僕は作詞の事で頭が一杯でしたからね、特に気付いたことはありませんよ」
「そうですか。では最後にあなたが、丸谷英字さんを殺した犯人かも知れないと疑う人物について教えて下さい。確か304号室に住む……名前は、阿部美香子さんでしたか。あなたはその彼女が犯人かも知れないと疑っているんですよね。なら彼女が丸谷英字さんを殺した犯人だと思う根拠はあるのですか」
「304号室に住む阿部美香子さんは、名曲・白鳥の湖を奏でる小箱型のシリンダーオルゴールを丸谷英字さんに取られたと言って騒いでいました」
「小箱型のシリンダーオルゴールを取られたからと言ってそんなに騒ぐ程の代物なのですか。失礼ですけどタダの小箱型のシリンダーオルゴールですし、曲も既に広く生産されている白鳥の湖はみんながよく聞くことの出来るポピュラーな音楽じゃないですか、その曲を奏でるオルゴールを阿部美香子さんはわざわざ取り戻そうとしていたと言う事ですよね。確かに丸谷英字さんにそのオルゴールを本当に取られたと言うのなら取り戻さないといけないのは解りますが、特にそこまでして取り戻す程の価値のある品物ではないはずです。でも、それが思い出のオルゴールだったり、年代物の価値のあるオルゴールだったのなら話は別ですけどね」
「僕も阿部美香子さんにその自慢のシリンダーオルゴールを見せて貰った時があったのですが、特に代わり映えのしないごく普通の小箱型のシリンダーオルゴールでした。ですが、その小箱の蓋を開けてみるとその裏側には、油絵で小さな町並みの絵が細かく繊細に書かれていました」
「小箱の蓋の裏に……町並みの絵ですか?」
「はい、オルゴールの小箱の蓋の裏に書かれてある、とても小さな絵です。ですが阿部美香子さんの話ではその絵はあの有名なゴッホがまだ若かりし頃に描いた町並みの絵だとの話です。ほら、ちゃんとオランダ語でゴッホのイニシャルが記入されているでしょ!」
その工藤茂雄の話を聞いていた勘太郎は思わず体の態勢を崩し、ビックリした顔をする。ゴッホと言ったら絵画の事を全く知らない勘太郎でもその名前くらいは知っている有名な画家だからだ。その世界的にも有名なゴッホの名前に勘太郎は思わず聞き返す。
「ゴッホって……あの画家のゴッホですか」
「はい、あのゴッホです。フィンセント・ファン・ゴッホはオランダのポスト印象派の画家で。主要作品の多くは1886年以降のフランス居住時代、特にアルル時代とサン・レミでの療養時代に制作された物が多いです。感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家です。そんなゴッホが若かりし頃に書いたと思われる絵が書かれたオルゴールを数年前にフランスの骨董市でたまたま見つけた阿部美香子さんは、そのオルゴールを知り合いの絵の知識のある友人に見せた所、どうやら本物のゴッホの絵だと言う事がわかったらしく、美術館への展示や大金で売ってくれとせがんで来る絵画のコレクター達にもお願いされたとの事ですが、その全てを断り。その後そのオルゴールは彼女の家宝として物凄い自慢の一品になったとの事です。なのでたまたまその場にいた僕も丸谷英字さんと一緒にその自慢のオルゴールを見せて貰う事になったのですが、あろう事かそのオルゴールを丸谷英字さんが行き成り欲しいと言い出しましてね。しつこく阿部美香子さんに売ってくれといいよっていたのを覚えています。それからしばらくしてです。阿部美香子さんはその大事にしていたオルゴールを丸谷英字さんに取られたと言って騒ぎ出し、まるで狂ったストーカーのように丸谷英字さんの部屋のドアの前で張り込むようになってしまいました」
「いつの間にか無くなっていたじゃなくて……丸谷英字さんにそのオルゴールを力尽くで取られたと、そう阿部美香子さんは主張しているのですか」
「はい、丸谷英字さんにゴッホの絵が描かれてあるオルゴールを取られたと、阿部美香子さんはそうハッキリと証言しています。阿部美香子さんの話では、もう一度だけあのオルゴールを見せてくれと言って余りにしつこかったので後日に見せた所、そのオルゴールを力ずくで取り上げた丸谷英字は、そそくさと自分の部屋へとそのオルゴールを持って帰ったとの事です。その後はいくらオルゴールを返してくれと呼びかけても、このオルゴールは最初から自分の物だと言って返してはくれず、その事で何度か警察沙汰にもなりましたからね」
「それで結局、そのオルゴールは返して貰ったのですか。警察が出てきたのなら無事にオルゴールを取り返してくれたと思うのですが」
「それが、いくら丸谷英字さんの部屋を探してもそのゴッホが書いたという絵のオルゴールは見つからなかったのですよ。なので証拠の物が無い以上その話は阿部美香子さんの被害妄想か、ただの作り話かも知れないと言う理由でこの件は有耶無耶になりました。ですが、このアパートに住む住人の何人かはそのオルゴールの絵を見ていますし、そのオルゴールは本当に丸谷英字さんが奪い取ったんじゃないかと皆が噂をしていました。そしてそんな丸谷英字さんの玄関前に毎日のように通う事になった阿部美香子さんが物凄い恨みを丸谷英字さんに抱いていたことはこのアパートに住む住人なら皆が知っている事です。なのでもしかしたら口論の末に誤って丸谷英字さんを殺してしまったんじゃないかと思いましてね。そう邪推したのですがその真実の程は解らないので、ここだけの話にして置いて下さい」
「なるほど、それが、阿部美香子さんが丸谷英字さんを殺した犯人かも知れないと思った理由ですか」
「はい、阿部美香子さんが犯人なら丸谷英字さんを殺す動機も充分にありますし、その殺意を受ける丸谷英字さんの身勝手なわがままぶりもこのアパートに住む住人なら皆が充分に知っていましたからね。まあ、丸谷英字さん自身が物凄いオルゴールコレクターでしたから、もしかしたら己の欲望に負けて大胆にも阿部美香子さんから直接オルゴールを奪い取ったとも考えられます。それだけあの小箱型のシリンダーオルゴールは価値のある品物でしたからね」
「価値のある品物ですか。過去に警察が丸谷英字の部屋の中を調べた際に、いくら探しても結局そのゴッホの絵の書かれてあるオルゴールが見つからなかったというのなら、そのシリンダーオルゴールは一体どこに消えたのでしょうか。もしかしたらまだ私達の知らない所にでも隠してあるのでしょうか。どうやらもう一度、最初から丸谷英字の部屋の中を調べ直さないといけないようですね」
その勘太郎の言葉を聞いた工藤茂雄は何かを思い出したのか、軽く手を叩きながらその事を勘太郎に告げる。
「ああ、それと……白鳥の湖と聞いて今思い出したのですが、深夜の二時から~二時四十五分ごろまでの時間にその白鳥の湖の音色が隣の丸谷英字の部屋から聞こえて来ました。あの白鳥の湖の音色はあのゴッホの絵のシリンダーオルゴールにある白鳥の湖の音色と一緒なので、もしかしたらそのオルゴールはまだ丸谷英字の部屋の中にあるかも知れませんよ」
「でも先ほどの話ではそんな事は一言も言ってはいなかったじゃないですか」
「だから今思い出したのですよ。丸谷英字さんの部屋からは深夜になると時々けっこうな高い音でオルゴールの音色が鳴り響いていましたからね。しかも僕の部屋はその隣にありましたから直に聞こえてくるのですよ」
「そのオルゴールの音色は周りの住人からは苦情が来るほどにうるさいはずなのに、あなたはその音の事を忘れていたのですか。ちょっと考えられないのですが……」
「忘れていたという事もありますが、もっと正確に言うと何も聞こえていなかったと言うのが正しいのでしょうか」
「何も聞こえていなかったとは一体どう言うことですか?」
「僕はさっきも言ったようにサイレント楽器のエレキギターを片手に作詞作りをしていましたからね。以前から丸谷英字さんの部屋から聞こえて来るオルゴールの音色はうるさいと思っていましたから、当然その音の対策はしているのですよ」
「その対策とは?」
「僕は自分の曲を確認しながら詩を作る為に絶えずヘットホーンを耳にしていましたからね、なので外からの音は一切聞こえなかったのですよ。でも一度だけ、二時十分くらいにトイレに行く際に、ヘットホーンを耳から外して行きましたから、その時に隣の部屋から聞こえてくる白鳥の湖の音色を聞いたのを覚えています。でもそのオルゴールの音色が聞こえて来る環境にすっかり慣れてしまっていたので、その音色のことは気にもしませんでした。なので白鳥の湖というキーワードを聞くまでは、今の今までその事を忘れていました。本当にすいませんでした!」
「いや、そう言うことならいいのですよ。なるほど、確かに、ヘットホーンをして別の音楽を聴いていたのなら回りからの音は一切聞こえないですよね。ならオルゴールの音色に気がつかなかったのもうなずけます。それにしても……小箱の蓋の裏に書かれたゴッホの絵に、そのオルゴールに内蔵されている白鳥の湖の音色か……」
「探偵さん?」
「二時から~二時四十五分ごろまで丸谷英字さんの部屋から聞こえて来るオルゴールの音色がうるさいと言う理由で他の住人達から苦情があった事は俺も聞いてはいましたが、その音色の曲名は白鳥の湖だったのか。誰もそのオルゴールが奏でる曲名までは言ってはいませんでしたからね。これは思わぬ収穫だぞ。なぜならこれでその奏でてあるオルゴールがかなり絞り込めるからな。ならこの事を早く赤城先輩にも知らせてやらないとな。今も丸谷英字の部屋で待機をして貰っている赤城先輩には白鳥の湖の音色を奏でるオルゴールを中心に探して貰う事にしよう。よし、なら俺達は次は阿部美香子さんの所に向かうぞ。もうこれ以上、工藤茂雄さんに聞く事はなにも無いからな。もう行くぞ、羊野!」
その勘太郎の言葉に羊野瞑子が待ったを掛ける。
「ちょっと待って下さい。黒鉄さん、まだここを離れるのは早いですわよ」
そう言うと羊野は工藤茂雄にその美しい赤い瞳ときめ細かい白い顔を向けながら、和やかに話しかける。
「工藤茂雄さん、あなたの主張は解りましたが、つまりあなたのアリバイを証明してくれる人は誰もいないと言う事ですよね。ならあなたが犯人である可能性も充分にあると言う事です」
「まあ、確かに僕はこのアパートに一人暮らしですし、アリバイを証明してくれる人は誰もいませんからね。でもそれはこの部屋に住む住人ならみんな同じなのではないでしょうか。このアパートに住む住人を何人かは知ってはいますが、皆殆どの人が一人暮らしですよ。それに丸谷英字さんを殺した犯人は部外者である可能性が最も高いんじゃないのですか。もしかしたら物取りか、何か恨みを持つ人の犯行だとも思うのですが」
「あれだけ丸谷英字さんのオルゴール好きや阿部美香子さんが持っていた小箱型のシリンダーオルゴールの事を話して置いて今更部外者による犯行説はないでしょ。丸谷英字さんを殺した犯人は絶対にこのアパートの中に住む住人だと私は考えています」
「先ほどの山田とか言う刑事さんの話では、丸谷英字さんの部屋からは物が取られた形跡は何も無いとの話ですし、少なくとも物取りの犯行ではないと言う事ですよね。まあ、軽はずみにも阿部美香子さんが犯人かも知れないとつい疑って置いてなんですが、やはり僕としては同じアパートに住む住人の事はなるべく疑いたくはないので、部外者による犯人説がもっとも高いと考えています。でもあくまでも白い羊の探偵さんはこのアパートに住む住人の中に丸谷英字さんを殺した犯人がいると考えているのですね。でもその根拠は一体なんですか?」
「そうですわね、この密室殺人事件には可笑しな所が三つあります」
「三つですか?」
「一つは、丸谷英字さんの部屋から聞こえて来たと言うオルゴールの音色のことです。先ほどの工藤茂雄さんの話ではそのオルゴールの音色は、あの白鳥の湖の音楽らしいですが、その白鳥の湖の音色がゼンマイ切れで音が鳴らなくなるにせよ。その部屋にあった全てのオルゴールの蓋が閉まってあるのは可笑しいですよね。シリンダーオルゴールの蓋が閉まっていると言う事は必然的にそのオルゴールの音は止まってしまう訳ですから、その白鳥の湖の音色は本来なら鳴る訳がないのですよ。その鳴るはずの無い音色が鳴っていたと言う事は、二時四十五分ごろまで丸谷英字さんは生きていたと言う事になります。二時四十五分にオルゴールの蓋を閉めて音を止めた直ぐ後に犯人に殺されたというのなら一応は辻褄が合いますし、丸谷英字さんの正確な死亡推定時刻もかなり絞られるのですが、もう一つの可能性としては丸谷英字さんを殺した犯人が部屋にいて、その犯人の手でオルゴールの蓋が閉められたという可能性です。そうなるとこの犯人は二時四十五分まで確実に丸谷英字さんの部屋の中にいたと言う事になります。その十五分後に大屋の戸田幸夫さんが来る事になるのですが、そんな時間になるまでこの犯人は丸谷英字さんの部屋の中で一体何をしていたのでしょうか。非常に気になりますわね」
「確かに気になりますが、それとこの部屋の住人が犯人かも知れないと言う事にはならないでしょ」
「疑問二つ目は、この事件は絶対に外から来た部外者による犯行ではないという点です。なぜならこのアパートの正面の入り口には防犯の為の自動ドアが付いていて、部外者は容易に中に入る事はできないですし。このアパートに住む入居者だけは暗証番号を打ち込む事によって外とアパートを自由に出入り出来る仕組みになっています。勿論、セールスでの訪問や怪しい不審者をシャットアウトする事ができますし、しかもその入り口の天井付近には防犯用に監視カメラが設置してありますのでその訪問者の証拠もバッチリと抑える事が出来るという訳です。そしてその監視カメラはアパートの裏口の天井にも当然設置してありますので、もしも不審者が二階にいる305号室に住む丸谷英字さんの部屋に通路を通って向かったと言うのなら、その姿は必ずその監視カメラに映るはずです。ですがこのアパートを管轄している警備会社に問い合わせた所、(昨日と今日の朝までに)このアパートを訪れた人物は、このアパートに住む住人以外に誰も来てはいないと言う事が解りました。なのでその情報も踏まえた上で、丸谷英字さんを殺した犯人は必ずこのアパートの中に澄む住人の誰かだという結論に至ったという訳です」
その羊野の言葉に今度は話を黙って聞いていた勘太郎がつい口を挟む。
「監視カメラか。確かに、このアパート内に入るには(自動ドアがある)表玄関か、或いは裏玄関のどちらかを通らないと中には入れないからな。しかも監視カメラのおまけ付きか。ならこの犯人は必然的にこのアパートに住む住人である可能性がかなり高まった訳だ」
「そして疑問の三つ目です。犯人の手により殺された丸谷英字さんの真の動機です」
「真の動機だって。いやいや、この流れで行ったらオルゴールの件で何らかの恨みを持つ阿部美香子さんがもっとも怪しいんじゃないのか」
「それはあくまでも阿部美香子さんが犯人だったらの話です。もしも殺された丸谷英字さんの裏に真の動機が隠されていると言うのなら、その犯人像も動機も大きく変わってくる物と思われます。あ、では最後に工藤茂雄さんには、丸谷英字さんに無下に酷評されたという曲の作詞を見せて欲しいのですが、工藤さん……工藤茂雄さん、よろしいでしょうか」
「え、ええ、別に構いませんよ。あのプロの作詞作曲家でもある丸谷英字さんにも酷く酷評された、酷く拙い作詞ではありますが、そんなんでいいのならね」
行き成り名前を言われた工藤茂雄は慌てて返事をする。それだけ羊野の言い回しは不気味で凄味のある声だったからだ。
「因みにこの曲の題名は、一体なんと言うのですか?」
「まだ見ぬ明日の軌跡です……それがこの曲の曲名です!」
そう言うと工藤茂雄は奥の棚の引き出しからB4原稿用の分厚い茶封筒を取り出すと、その大きな茶封筒を羊野瞑子に手渡すのだった。
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