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第十一章 死の洞窟の案内人 嘘つき少女シエル

161-名もなき集落

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【聖王歴129年 白の月8日】

<名もなき集落>

 聖王都を出発して四日後。
 俺達は港町アクアリアを経由し、死の洞窟のある山間の集落へとやってきた。
 そびえ立つ岩山の向こうに魔王の支配する【常闇の大地】があるせいか、遠くの空が暗雲に覆われているのが印象的だけども、無論ここで暮らしている人達は、そんなことを知る由もない。

「ついにここまで来ましたね!」

 プリシア姫が馬車から優雅に降りた途端、麗しい姿を見た村人達がざわつきだした。
 そりゃまあ、人口百人ちょっとくらいの小さな集落に、世界最大国家のお姫様がやってきたのだから、皆が仰天するのも仕方あるまい。
 ライナス殿下が事前に使者を送って話を通してくれていたものの、それでも半信半疑だった村人達は、実際にプリシア姫の姿を目の当たりにして、半ばパニック状態である。

「よ、ようこそプリシア様。このような辺鄙へんぴな場所に……」

 集落の長と思われる老人が息を切らせて駆け寄ってくると、彼はプラテナの礼儀に合わせて深々と頭を下げた。

「お迎えありがとうございます。さて、早速ですが死の洞窟の案内人ガイドを呼んで頂けます? あっ、走って呼びに行かなくても良いですよ」

「はっ、はひいっ!!」

 姫が気を利かせたものの、男性は凄い勢いで駆けてゆく。

「走らなくて良いって言いましたのに……」

『押すなよ……押すなよ……ふふふ』

「?」

 フルルがまたよく分からないことを言ってるのはさておき、ガイドの皆様を引き連れて、老人は再び猛ダッシュで戻ってきた。

「ひ、姫様……ごふっ。つ、連れてまいりました……ぜえぜえ」

「あの、本当に無理しないでくださいね……」

 プリシア姫は若干、顔をひきつらせながらも俺の横に近づくと、コッソリと耳打ちする。

「カナタ様」

「ん?」

「あそこの後ろのほうで下を向いているのが、シエルさんですよね?」

 問いに対し、俺は無言で頷いて答える。
 ユピテルの時もだけど、最期を看取った子が生きている姿を見て思わず泣きそうになりながらも、俺はどうにかぐっとこらえながら彼女の方へと目を向けた。
 自身への蔑称べっしょうである【嘘つきシエル】という名のせいだろうか、どうせ誰にも指名されないであろうという様子で、退屈そうに突っ立っている。
 ところが、プリシア姫はつかつかと真っ直ぐにシエルに歩み寄ってゆくではないか!

「ちょっと宜しいですか?」

「ふへっ!?」

 どうして自分が話しかけられたのか理解できないシエルは、微笑むプリシア姫を見て目を白黒させるばかり。

「あなたがシエルさん、ですよね」

「どうして私の名前を……?」

 突然の出来事に他のガイドや村人達も騒然。
 名指しで呼ばれたシエル当人も、せわしなく目をキョロキョロとさせている。
 俺の記憶ではかなり落ち着いた印象の子だったはずなのだけど、さすがにこんな状況では取り乱すのは当然か。
 そして、プリシア姫は同集落における信頼の意思表示……ジェダイト帝国の兵士やドワーフに対する礼儀と同じように、シエルの手をぎゅっと握った。

「姫様……?」

「あなたのことは存じております。御両親も亡くなられて、大変苦労されたのでしょう」

「えええっ!?」

 どうしてプリシア姫が、こんな名もない集落で暮らす少女の素性を知っているのか!
 ……いや、そんなの俺の書記を読んだのが理由に決まっているのだけども。

「あなたにガイドをお願い出来ればと思っています。是非とも、お力添えをお願い出来ればと……」

「えっ、えっ……ひぇえええええええええーーーーっ!?!?」

 まるで悲鳴のような声を上げて飛び退いたシエルは、泣きそうな顔でオロオロし始めた。
 憤怒したシャロンに詰め寄られた時ですら無表情であしらっていたクールな面影は微塵もなく。
 周囲に助けを懇願するような目線を向けるものの、皆も困り果てている。

「う……う……」

「うう?」

「ウチには恐れ多くて無理やーーーーーーーーーっ!!!」

 シエルは脱兎のごとく駆け出し、あっという間に~……あっ、転んだ。
 けど、そのまま走り去ってしまった。
 それを呆然と見つめていたプリシア姫は、少ししてからハッと正気に戻る。

「どうしてですかっ!!」

「いや、どうしてじゃないって……」

 世界最大の大国のお姫様が自分の素性を調べ上げたうえ直接の指名とか、そりゃ普通の子なら怖じ気づいて逃げちゃうよ。
 俺も最初はプリシア姫相手に話す時は恐縮してたし。

「しゃーねえ、俺が交渉してみるか」

「うう、お手数をおかけします……」

 そんなわけで、申し訳なさそうに頭を下げるプリシア姫に見送られつつ、ひとり俺は集落のはずれにある小さな家へと向かっていった。
 他の皆を置いてきたのは……まあ、少しでもトラブルを避けるのが狙いなのだけど、少なくともサツキを連れていこうものなら、一体何をやらかすやら……。

◇◇

<集落東部 岩山沿いの小さな家>

「さて、どう伝えるものかな」

 実は、ここへ来るのは二度目・・・
 というのも、ライナス殿下が聖王都へと帰還するため、勇者一行は再び死の洞窟を抜けて集落へ戻ったのだが、その際に立ち寄ったことがあるのだ。
 立ち寄った理由はただひとつ……シエルの死を彼女の祖母へと伝えるためだった。

「はぁ……」

 孫娘の訃報に泣き崩れる姿を思い出すと、今もキリキリと胃が痛む。
 大丈夫、大丈夫だから……。
 そう自分に言い聞かせるように呟きながら家のドアをノックすると、木板の向こうでゆらりと人が動く気配を感じた。

「……どちら様で?」

 堅く閉じたドアの向こうから、老婆の声が聞こえてきた。
 思わず心臓がドキリと跳ねるものの、どうにか平静を装いながら声に応える。

「あの、プラテナ国王女プリシア様の従者なのですが、プリシア様がガイドをお願いしたところ、断られてしまいまして……」

「……はぁ、なるほど」

 するとあっさりとドアは開かれ、老婆は小さな部屋の片隅にあるベッドへとツカツカと歩いてゆく。
 そして、ベッドの上で不自然に膨らんだ麻袋を掴んで――床に向かって放り投げた!?

「どっせい!!」

「ぎゃあっ!?」

 ゴツンと鈍い音とともに袋から悲鳴が聞こえてきたかと思いきや、そこから涙目の女の子が這い出てきた。
 それは言わずと知れた当事者たるシエルだったのだけども、なんと老婆は彼女の首根っこを掴み上げた!

「泣きながら帰ってきたかと思いきや、姫様の依頼を断っただぁ? アンタなに考えてんだい!」

「そう言われても姫様だよ姫様ッ! そんなんウチにやれるわけないやん!!」

「そういう問題じゃねえってのさ! 王族の命令を断って逃げるなんざ、下手すりゃそれだけでもアンタ死刑だかんね!!」

「マジで……!?」

 祖母の言葉に、シエルはまるでこの世の終わりのような顔で麻袋に突っ伏した。
 ……いや、どちらかと言うと、俺の方こそ「マジで?」って言いたい気分なんですが。
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