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馬蹄橋の七灯篭――『四天王寺ロダンの挨拶』より
その10
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(10)
パズルは幾つものパーツを集めて完成されてゆくものだ。初めてそのパズルを組み立てようと試みる者は手にしたパーツの形を見て、もしかしたらそれを歪に思うかもしれないし、また完成形というものを最初から見通せるものなどは絶対居ない。
だから推理という知的作業もこうした完成形のパズルが崩された状態でさらされて、誰かの手によって完成されて初めてその結果と背景が如実に知見され、驚かされる。
佐竹は実際、彼女が言い放った言葉にそうした知的作業が必要になるのか、戸惑いを感じた。
それ程彼女が言い放った言葉はとても歪で、いやそう感じたのは彼女自身が放つ酷いほどの美しさ所以か、はたまたその先の完成形等、自分には皆目てんで見当がつかないが、唯、自分にできる精一杯の事、――つまり鸚鵡返しに聞くしかなかった。
昨日訪ねて来たあの老人、
――猪子部銀造ですか?と
暫しの沈黙が有った。
彼女の眼差しが帽子の鍔越しから覗いている。
今時計は何時を指しているだろう、と佐竹は思った。酷く長い時間が過ぎたように感じる。感じるままの時間は手に取るように押し丸めて捨ててしまいたいくらいの圧が在った。その圧は勿論、彼女が発している。
「…何も知らない?」
彼女の唇が動く。圧に押しつぶされそうな時間を押し込む様に。
佐竹は僅かに眉を動かす。
「…みたいね」
「ですね…」
佐竹は喉が渇くのを感じる。背一杯の返事に唾液が絡んだ。しかしあの老人が時折唇を濡らしていたようにはいかない。唯々、乾いている。日本で今一番輝いている女優西条未希の前で、自分の唇が。
「ですか…」
彼女が背を戻す。戻すが顎を手で引く。
「彼は私に昨日言ったんです。――あの『事件』の事は聞屋(ぶんや)に話したで、と」
ブンヤ、と言えば新聞屋の事だと言うのは佐竹には分かる。しかしながら彼女はこうも言った。
――私に昨日言った、と…
それは暗に彼女と老人がなんらかの繋がりがあるという事を示している。
「言わなかった?あいつ…アカシノタツ、『馬蹄橋』『東夜楼蘭』『七灯篭』とか…、いや大事なのは珠子さんの事…」
彼女が繰り出すワードを佐竹は頭の中で反芻する。
――『馬蹄橋』
――『東夜楼蘭』
――『七灯篭』
シャッフルする言葉と昨日の短期的記憶が交差する。交差すれば火花が弾ける。
弾けて言葉が口から飛び出した。
「…ああ、そう言えばそれらの事を言ってましたね。それから…」
彼女が身を乗り出す。
「何でしたかね、えっと…ちょっと待ってくださいね、ちょっと、えっとえっと…」
佐竹が手帳を出して、昨日の日付を捲る。捲れば昨日の自分筆跡が今日の自分を見つめ返している。
「ああ、そうそう――『根来動眼』、そして『動眼温泉』いやいや、それだけではないですね、えっと…あったあった…『田中陣右衛門、田中屋、上屋、下屋、それから、田中竜二、火野龍平、東珠子』…」
佐竹は自分でも不思議なくらい昨日老人が語った話の要点ともいうべき単語を全て話してしまった。記者としては話さなくてもいいくらいの内容かもしれないが心の内にひたひたと押し寄せる圧がそうさせてしまった。
話を聞き終えた彼女が一言言う。
「ちょっと佐竹さん、あなた全部聞いてるじゃない」
薄ら嗤う彼女。
しかしながら酷く美しい。
佐竹は手を出す。それを否定する為に。
「いや、すいません。まさかあなたがおっしゃるアカシノタツと言うのが昨日の老人の事だと思わなくて。それで突然あなたの口から出て来たから一瞬全てをド忘れてしまいました…、しかし、しかしですよ。実は話は全部聞いていないのですよ。何でも老人、いえ、猪子部さんがおっしゃろうとしたお話は今日これから、夕方ぐらいにこちらにお越しいただき、伺うことになっていたのです…西条さん」
彼女が一瞬ピクリと反応する。反応すると、目を細めて佐竹を見た。その動きで佐竹は確信する。
(間違いない)
だが失言という素振りで素知らぬまま話を続ける。
「実は、猪子部さん。当社の「東京オリンピックにまつわるエピソード」と言うのを見られてお越しになりましてね、それで僕が担当ですから、対応したのです。どうも何か面白い話…まぁ『事件』と言うのをお持ちの様でしたが、その日なんでも誰か待ち合わせがあって、帰られたのです。また明日来ると言って…」
佐竹は言ってから老人の言葉と姿を脳裏に浮かべた。――長年のツレとこれから飲むんや、と言って小指を立てた老人の姿。
その小指に先に彼女が見える。
彼女は帽子を被りなおした。佐竹の視線を避けるためか、それとも何か予想もつかない事態から目を背けるためか。
「アカシノタツは来ませんよ、佐竹さん」
彼女が言った。
「何故?」
佐竹が間髪入れず問い返す。
「知らないのですか?」
「…え、知らないとは??一体何をです???」
彼女が溜息を吐く。吐く溜息は誰日対する感情を込めているのか、佐竹は知りたくなった。
だが彼女の溜息は予想もつかない事態を示していることをまだこの時佐竹は知らない。
そう、知らないのだ。
まだ佐竹は或る事実を。
それは…
「あいつ、昨日死んだんですよ。難波の地下街で刺されてね」
突如、佐竹は背を仰け反らせて空白の中に落ちた。
空白の一点に落ちてゆく佐竹。彼は落ちながら開いた口で老人の言葉をなぞった。
それは、
長年のツレに…と。
パズルは幾つものパーツを集めて完成されてゆくものだ。初めてそのパズルを組み立てようと試みる者は手にしたパーツの形を見て、もしかしたらそれを歪に思うかもしれないし、また完成形というものを最初から見通せるものなどは絶対居ない。
だから推理という知的作業もこうした完成形のパズルが崩された状態でさらされて、誰かの手によって完成されて初めてその結果と背景が如実に知見され、驚かされる。
佐竹は実際、彼女が言い放った言葉にそうした知的作業が必要になるのか、戸惑いを感じた。
それ程彼女が言い放った言葉はとても歪で、いやそう感じたのは彼女自身が放つ酷いほどの美しさ所以か、はたまたその先の完成形等、自分には皆目てんで見当がつかないが、唯、自分にできる精一杯の事、――つまり鸚鵡返しに聞くしかなかった。
昨日訪ねて来たあの老人、
――猪子部銀造ですか?と
暫しの沈黙が有った。
彼女の眼差しが帽子の鍔越しから覗いている。
今時計は何時を指しているだろう、と佐竹は思った。酷く長い時間が過ぎたように感じる。感じるままの時間は手に取るように押し丸めて捨ててしまいたいくらいの圧が在った。その圧は勿論、彼女が発している。
「…何も知らない?」
彼女の唇が動く。圧に押しつぶされそうな時間を押し込む様に。
佐竹は僅かに眉を動かす。
「…みたいね」
「ですね…」
佐竹は喉が渇くのを感じる。背一杯の返事に唾液が絡んだ。しかしあの老人が時折唇を濡らしていたようにはいかない。唯々、乾いている。日本で今一番輝いている女優西条未希の前で、自分の唇が。
「ですか…」
彼女が背を戻す。戻すが顎を手で引く。
「彼は私に昨日言ったんです。――あの『事件』の事は聞屋(ぶんや)に話したで、と」
ブンヤ、と言えば新聞屋の事だと言うのは佐竹には分かる。しかしながら彼女はこうも言った。
――私に昨日言った、と…
それは暗に彼女と老人がなんらかの繋がりがあるという事を示している。
「言わなかった?あいつ…アカシノタツ、『馬蹄橋』『東夜楼蘭』『七灯篭』とか…、いや大事なのは珠子さんの事…」
彼女が繰り出すワードを佐竹は頭の中で反芻する。
――『馬蹄橋』
――『東夜楼蘭』
――『七灯篭』
シャッフルする言葉と昨日の短期的記憶が交差する。交差すれば火花が弾ける。
弾けて言葉が口から飛び出した。
「…ああ、そう言えばそれらの事を言ってましたね。それから…」
彼女が身を乗り出す。
「何でしたかね、えっと…ちょっと待ってくださいね、ちょっと、えっとえっと…」
佐竹が手帳を出して、昨日の日付を捲る。捲れば昨日の自分筆跡が今日の自分を見つめ返している。
「ああ、そうそう――『根来動眼』、そして『動眼温泉』いやいや、それだけではないですね、えっと…あったあった…『田中陣右衛門、田中屋、上屋、下屋、それから、田中竜二、火野龍平、東珠子』…」
佐竹は自分でも不思議なくらい昨日老人が語った話の要点ともいうべき単語を全て話してしまった。記者としては話さなくてもいいくらいの内容かもしれないが心の内にひたひたと押し寄せる圧がそうさせてしまった。
話を聞き終えた彼女が一言言う。
「ちょっと佐竹さん、あなた全部聞いてるじゃない」
薄ら嗤う彼女。
しかしながら酷く美しい。
佐竹は手を出す。それを否定する為に。
「いや、すいません。まさかあなたがおっしゃるアカシノタツと言うのが昨日の老人の事だと思わなくて。それで突然あなたの口から出て来たから一瞬全てをド忘れてしまいました…、しかし、しかしですよ。実は話は全部聞いていないのですよ。何でも老人、いえ、猪子部さんがおっしゃろうとしたお話は今日これから、夕方ぐらいにこちらにお越しいただき、伺うことになっていたのです…西条さん」
彼女が一瞬ピクリと反応する。反応すると、目を細めて佐竹を見た。その動きで佐竹は確信する。
(間違いない)
だが失言という素振りで素知らぬまま話を続ける。
「実は、猪子部さん。当社の「東京オリンピックにまつわるエピソード」と言うのを見られてお越しになりましてね、それで僕が担当ですから、対応したのです。どうも何か面白い話…まぁ『事件』と言うのをお持ちの様でしたが、その日なんでも誰か待ち合わせがあって、帰られたのです。また明日来ると言って…」
佐竹は言ってから老人の言葉と姿を脳裏に浮かべた。――長年のツレとこれから飲むんや、と言って小指を立てた老人の姿。
その小指に先に彼女が見える。
彼女は帽子を被りなおした。佐竹の視線を避けるためか、それとも何か予想もつかない事態から目を背けるためか。
「アカシノタツは来ませんよ、佐竹さん」
彼女が言った。
「何故?」
佐竹が間髪入れず問い返す。
「知らないのですか?」
「…え、知らないとは??一体何をです???」
彼女が溜息を吐く。吐く溜息は誰日対する感情を込めているのか、佐竹は知りたくなった。
だが彼女の溜息は予想もつかない事態を示していることをまだこの時佐竹は知らない。
そう、知らないのだ。
まだ佐竹は或る事実を。
それは…
「あいつ、昨日死んだんですよ。難波の地下街で刺されてね」
突如、佐竹は背を仰け反らせて空白の中に落ちた。
空白の一点に落ちてゆく佐竹。彼は落ちながら開いた口で老人の言葉をなぞった。
それは、
長年のツレに…と。
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