5 / 13
序章
幼馴染
しおりを挟む
敗戦の報が届いてから、数日が過ぎた。
荒れ果てた沿岸の村に、静かに、そして途切れがちに、帝国の敗残兵が辿り着きはじめたのは、それから間もなくのことだった。
その姿は、戦を知る者ですら目を逸らしたくなるほどの無残なものであった。
深く裂かれた肉、失われた四肢、泥と血とにまみれた制服。うつろな目で虚空を見つめる者、痙攣しながら意味のない言葉を呟く者、夜ごと叫び声を上げてうなされる者。
中には、心も体も――何か決定的なものを喪ったと一目でわかる者たちもいた。
死にきれずに戻ってきた者たちの列。それは、勝者が持ち帰る凱旋とは程遠い、絶望と痛みの行軍だった。
レリアはそのすべてを、見て、触れて、抱擁した。
夜も昼も区別のない看護の日々。指が動かなくなるまで布を湿らせ、喉が潰れるまで呪文を唱え、体が倒れる寸前まで薬湯を運んだ。
癒しの魔法は無力だった。届いた兵士の多くは、既に手遅れだったからだ。魔力は傷を塞ぐよりも、苦痛を延ばす役目しか果たさなかった。
それでも、魔法はかけた。わずかでも、痛みを和らげたかった。もしそれが叶わぬとわかった時は――レリアの手が、代わりに兵士の喉元を斬った。
泣きながら剣を握り、祈るようにその命を終わらせた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……」
口から零れる謝罪は、兵士へか、自分自身へか、もはや分からなかった。
治療師として軍に加わったはずだった。命を救いたかった。癒したかった。けれど今、自分がやっているのは、命を終わらせることばかりだった。
幾度、兵士の最期に立ち会ったのか。
幾度、冷えた手を握りながら涙を流したのか。
もう、数えることすらできなかった。
戦の終わりと共に、帝国軍は撤退を始めた。
島に残されたのは、まだ息のある者と、埋葬すらされぬ屍ばかり。それでも、軍は規定通り動いた。
魔力の使い手であるレリアには、優先的に本土への帰還命令が出ていた。戦局が崩壊した今、貴重な治療師は前線に置いておけない――そう判断されるのは当然だった。
だが、彼女は頑なに命令を拒んだ。
島を離れようとはしなかった。
その理由のすべては、一人の男にあった。
まだ帰ってこない、まだ行方が分からない幼馴染の存在――第四軍団の一員、ダリオン。
消息は不明。前線で消息を絶った者の大半が、既に命を落としていることなど、誰よりもレリア自身が理解していた。
治療師として、現場にいた。兵士たちがどんな死に方をしているのか、嫌というほど見てきた。
それでも、信じるしかなかった。
「第四軍団? あそこは壊滅したらしい」
「生き残りはいなかったって」
そんな言葉を幾度聞いたことか。
聞くたびに、胸が冷たくなった。指先が震えた。
それでも、心だけは折れなかった。
「帰ってくる。きっと、帰ってくる」
それだけを、繰り返すように呟きながら、彼女は今日も包帯を巻き続けた。血と膿に染まる布に、希望を込めるように。
そして、それはある夕暮れのことだった。
砂埃を巻き上げて村に入ってきた一台の荷馬車。その背に、傷だらけの男が二人、もたれかかるように横たわっていた。
駆け寄ったレリアの瞳に、その姿が映った瞬間。
時間が止まったように思えた。
肩で荒く息をつき、意識もおぼつかない兵士のひとり。その傍らに、血に濡れ、痩せ細りながらも凛と座る男の姿があった。
軍服は破れ、肌に幾つもの傷が刻まれていた。
それでも、忘れるはずもなかった。
何度も、夢の中で見続けた顔。
「……ダリオン……!」
レリアは、声を上げたかどうかも覚えていなかった。
ただ、駆け寄り、彼の手を取り、指を絡めた。
その指が、微かに動いた。
返ってきた。彼は生きていた。どれだけの奇跡を超えて来たのか――それはわからない。
ただ、想いは、届いたのだ。
遠い戦場の地から、今この瞬間に至るまで。
すべてが報われたように、レリアは彼の手を握りしめ、静かに涙をこぼした。
荒れ果てた沿岸の村に、静かに、そして途切れがちに、帝国の敗残兵が辿り着きはじめたのは、それから間もなくのことだった。
その姿は、戦を知る者ですら目を逸らしたくなるほどの無残なものであった。
深く裂かれた肉、失われた四肢、泥と血とにまみれた制服。うつろな目で虚空を見つめる者、痙攣しながら意味のない言葉を呟く者、夜ごと叫び声を上げてうなされる者。
中には、心も体も――何か決定的なものを喪ったと一目でわかる者たちもいた。
死にきれずに戻ってきた者たちの列。それは、勝者が持ち帰る凱旋とは程遠い、絶望と痛みの行軍だった。
レリアはそのすべてを、見て、触れて、抱擁した。
夜も昼も区別のない看護の日々。指が動かなくなるまで布を湿らせ、喉が潰れるまで呪文を唱え、体が倒れる寸前まで薬湯を運んだ。
癒しの魔法は無力だった。届いた兵士の多くは、既に手遅れだったからだ。魔力は傷を塞ぐよりも、苦痛を延ばす役目しか果たさなかった。
それでも、魔法はかけた。わずかでも、痛みを和らげたかった。もしそれが叶わぬとわかった時は――レリアの手が、代わりに兵士の喉元を斬った。
泣きながら剣を握り、祈るようにその命を終わらせた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……」
口から零れる謝罪は、兵士へか、自分自身へか、もはや分からなかった。
治療師として軍に加わったはずだった。命を救いたかった。癒したかった。けれど今、自分がやっているのは、命を終わらせることばかりだった。
幾度、兵士の最期に立ち会ったのか。
幾度、冷えた手を握りながら涙を流したのか。
もう、数えることすらできなかった。
戦の終わりと共に、帝国軍は撤退を始めた。
島に残されたのは、まだ息のある者と、埋葬すらされぬ屍ばかり。それでも、軍は規定通り動いた。
魔力の使い手であるレリアには、優先的に本土への帰還命令が出ていた。戦局が崩壊した今、貴重な治療師は前線に置いておけない――そう判断されるのは当然だった。
だが、彼女は頑なに命令を拒んだ。
島を離れようとはしなかった。
その理由のすべては、一人の男にあった。
まだ帰ってこない、まだ行方が分からない幼馴染の存在――第四軍団の一員、ダリオン。
消息は不明。前線で消息を絶った者の大半が、既に命を落としていることなど、誰よりもレリア自身が理解していた。
治療師として、現場にいた。兵士たちがどんな死に方をしているのか、嫌というほど見てきた。
それでも、信じるしかなかった。
「第四軍団? あそこは壊滅したらしい」
「生き残りはいなかったって」
そんな言葉を幾度聞いたことか。
聞くたびに、胸が冷たくなった。指先が震えた。
それでも、心だけは折れなかった。
「帰ってくる。きっと、帰ってくる」
それだけを、繰り返すように呟きながら、彼女は今日も包帯を巻き続けた。血と膿に染まる布に、希望を込めるように。
そして、それはある夕暮れのことだった。
砂埃を巻き上げて村に入ってきた一台の荷馬車。その背に、傷だらけの男が二人、もたれかかるように横たわっていた。
駆け寄ったレリアの瞳に、その姿が映った瞬間。
時間が止まったように思えた。
肩で荒く息をつき、意識もおぼつかない兵士のひとり。その傍らに、血に濡れ、痩せ細りながらも凛と座る男の姿があった。
軍服は破れ、肌に幾つもの傷が刻まれていた。
それでも、忘れるはずもなかった。
何度も、夢の中で見続けた顔。
「……ダリオン……!」
レリアは、声を上げたかどうかも覚えていなかった。
ただ、駆け寄り、彼の手を取り、指を絡めた。
その指が、微かに動いた。
返ってきた。彼は生きていた。どれだけの奇跡を超えて来たのか――それはわからない。
ただ、想いは、届いたのだ。
遠い戦場の地から、今この瞬間に至るまで。
すべてが報われたように、レリアは彼の手を握りしめ、静かに涙をこぼした。
0
あなたにおすすめの小説
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
没落ルートの悪役貴族に転生した俺が【鑑定】と【人心掌握】のWスキルで順風満帆な勝ち組ハーレムルートを歩むまで
六志麻あさ
ファンタジー
才能Sランクの逸材たちよ、俺のもとに集え――。
乙女ゲーム『花乙女の誓約』の悪役令息ディオンに転生した俺。
ゲーム内では必ず没落する運命のディオンだが、俺はゲーム知識に加え二つのスキル【鑑定】と【人心掌握】を駆使して領地改革に乗り出す。
有能な人材を発掘・登用し、ヒロインたちとの絆を深めてハーレムを築きつつ領主としても有能ムーブを連発して、領地をみるみる発展させていく。
前世ではロクな思い出がない俺だけど、これからは全てが報われる勝ち組人生が待っている――。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
神は激怒した
まる
ファンタジー
おのれえええぇえぇぇぇ……人間どもめぇ。
めっちゃ面倒な事ばっかりして余計な仕事を増やしてくる人間に神様がキレました。
ふわっとした設定ですのでご了承下さいm(_ _)m
世界の設定やら背景はふわふわですので、ん?と思う部分が出てくるかもしれませんがいい感じに個人で補完していただけると幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる