パラント戦記

小説もどき家

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序章

オルサとエミリ

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 父と母が暴漢に殺されたのは、秋が始まったばかりのある夜のことだった。

 空には星が瞬き、風は静かに森の匂いを運んでいた。だが、その夜、オルサとエミリの世界は、音もなく崩れ落ちた。

 オルサは八歳。エミリはまだ四つだった。
 
 辺境の地では、命の価値は軽かった。秩序は緩く、力なき者は、ただ運に身を任せるしかなかった。

 彼らの面倒を見ることになったのは、父の叔父――名ばかりの親族であり、実際は冷酷で欲深な男だった。彼は土地と遺産を全て自分の物とし、姉の忘れ形見を家から追い出した。

 追い出される時、エミリは高熱にうなされていた。小さな胸が苦しげに上下し、呼吸は浅く、意識は朦朧としていた。
 治療師を呼べるだけの金は、家にあったはずだった。だが叔父は、それを妹のために使うつもりなどさらさらなかった。

 家で死なれるより、外で野垂れ死にしてくれた方が都合が良い――そんな思惑すら透けて見えた。

 オルサは怒りと悲しみに声を震わせ、叫び出しそうになった。だが、腕の中で震える妹の小さな身体を見た時、涙を飲み込んだ。

 泣いてはいけない。弱音を吐けば、妹が不安になる。だからオルサは、無理やり笑顔を作って言った。

「大丈夫。お兄ちゃんが、ちゃんと助けるからね」

 嘘でも、希望を口にするしかなかった。

 それからの日々は、泥のように重く、冷たかった。

 通りに立ち、道行く人に金を乞う生活が続いた。
 人々は、幼い兄妹の姿に一時的な同情を抱き、いくばくかの銅貨を置いていった。だが、誰一人として、それ以上の責任を取ろうとはしなかった。

「妹が、病気なんです……どうか……」

 オルサが感謝の言葉と共に事情を説明すると、大人たちは顔を曇らせ、ある者は目を逸らし、ある者は「厚かましい」と吐き捨てて去って行った。

 言葉では「かわいそう」と言いながら、誰も手を差し伸べなかった。この世界で最も冷たいのは、冬の風ではなく、他人の無関心だとオルサは知った。

 ある日、宿屋の主人が声をかけてくれた。

「お前たち、ここで雨風を凌げ。地下室しか空いてないがな」

 その声はぶっきらぼうで、優しさなど微塵も感じさせなかったが、少年には救いだった。

 地下室は湿っていて、光も差し込まなかったが、雨に濡れることはなかった。冷たい石の床に布を敷き、エミリの身体を寝かせた。だが彼女は、もはや口もきけないほど衰弱していた。

 虫の息――まさにその表現がふさわしかった。
 彼女の呼吸は微かで、額は熱した鉄のように灼けていた。まるで、死神が耳元で吹く息だけで、その命が消えてしまいそうだった。

 オルサは、震える手で妹の頬を撫でながら、祈った。神に祈った。誰でもいい、妹を救ってくれる存在ならばと。

 翌朝、宿屋の主人から小さな金の袋を渡された。

「神殿に行ってこい。間に合うといいな」

 言葉は粗かったが、その中に込められた優しさを、オルサは感じ取っていた。

 神殿の門を荒々しく叩き、声を張り上げた。

「お願いします! 妹が……助けてください!」

 しばらくして現れた聖職者は、一見すると優しげな笑みを浮かべていた。だが話を聞き終えると、その笑みは別の色を帯びる。

「百セフォス銀貨で治してあげましょう」

 その言葉は、オルサの心を冷たく貫いた。

 宿屋の主人から預かった金は、たったの二セフォスとロティム銅貨百枚。平民の月収の数ヶ月分の治療費には到底及ばなかった。

「足りません……」

 オルサの懇願に、聖職者は淡々と答えた。

「では、仕方ありませんね。これはお布施としていただきます」

 そう言って金の入った袋を奪い取ると、門の奥へと消えていった。

 怒りが爆発した。オルサは門を叩き、怒鳴った。激しく叫び、罵声を浴びせた。

 だが、それは神殿にとって「不敬」でしかなかった。

 衛兵たちが現れ、少年を引きずり下ろし、木棒で打ち据えた。「不信者め」と罵られ、蹴られ、血まみれになって通りに放り出された。

 意識が遠のく中で、二つの影が現れた。
 太陽の光を鋼が反射する――板金鎧と鎖帷子に身を包んだ、男女の戦士だった。

「……かわいそうに」

 次の瞬間、オルサの身体は優しく抱き上げられた。男の腕は暖かく、確かだった。意識が完全に途切れるその瞬間まで、オルサはその感触を忘れまいと強く心に刻んだ。

 目を覚ますと、彼は天幕の中にいた。
 鎖帷子を着た女性が、冷たい布で額を拭っていた。板金鎧の男は、そばで静かに見守っていた。

「大丈夫?」

 女性の声は、今まで聞いたどんな言葉よりも優しかった。

 ここはどこかと問うと、「町の近くの野営地よ」と、彼女は微笑んだ。

 男が口を開いた。「何があったか、話してもらえるかな?」

 オルサは、堰を切ったように語った。両親を失った夜から、妹と過ごした苦難の日々、そして神殿での出来事まで。

 二人は、何一つ遮らず、最後まで黙って聞いてくれた。

 女性は言った。「僧侶どもは人でなしね。……妹は必ず助ける」と、それから「もうあそこに寄付はしない」とも。

 男は兵を呼び、何かを命じた。ほどなくして、宿屋の主人が現れ、その後に妹が兵士に抱かれて運ばれてきた。

「……カリア熱ね」

 女はその病名を口にした後、真剣な表情で手をエミリの額にかざした。

 その後の光景は、まるで夢のようだった。

 沈黙の中で、女は祈るように呪文を唱えた。何も起きないように見えた。だが、しばらくすると、エミリの呼吸が深くなり、熱が引き始めた。

 その小さな頬に、再び生気が戻った時、オルサは思わず涙を流した。

 奇跡だった。いや、本物の「救い」だった。

 妹が元気になり、二人に幾度も感謝を伝えたが、名前は聞けなかった。兄妹が男女の名前を知ることになるのは随分と後の事である。

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