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究極の選択
しおりを挟む祈るような気持ちで待っていると、白衣の男がゴム手袋をはめたまま出てきた。
僕は椅子から勢いよく立ち上がる。
「どうでしたか?」
「やはり奥様とお嬢様のどちらかを選んでいただくしかありません」
僕はその場に崩れ落ちた。
「もう猶予がありません。ご決断をお願いします」
彼が悪魔に見えた。もちろん彼にはなんの罪もない。むしろよくやってくれている。しかし、妻と娘のどちらかを選ぶなんて無理だ。
大きくため息を吐いて、そっと目を閉じた。
すると、頭の中でこれまでの思い出が再生され始める。
妻の志帆とは、もう10年以上も前に、大学のテニスサークルで出会った。
志帆はいわゆる幽霊部員で、あまり練習に顔を出さなかった。
だから、僕が初めて彼女を認識したのは、2年生への進級を目前に控えた3月のことだった。
「あの日の練習を最後に、サークルは辞めようと思ってたのよ」
後に彼女はそう語った。
あまり馴染めなかったため、最後の思い出づくりと思って、あの日練習に顔を出したらしい。
僕は心底、あのとき声をかけて良かったと思った。
ほとんど一目惚れで、半ば勢いで告白した僕に、彼女は応じてくれたのだった。
志帆の誕生日には毎回バラの花を送った。
僕は花なんて買うタイプではなかったけれど、一緒にテレビを見ているときに、バラの花が好きだと話していたのを忘れなかった。
毎年1本ずつ増えていくバラの花。
それが5本になる年に、僕は12本の花束をプレゼントした。
バラは渡す本数で花言葉が変わる。
「僕の妻になってください」
彼女は涙を流しながら頷いてくれた。
そんな愛する彼女との間に生まれた待望の子ども。それが娘の芽依だった。
僕と志帆は子どもを望んでいたけれど、なかなか恵まれなかった。
しかも、ようやく身籠った子どもを、一度流産で失っていた。
でも、落ち込んでいた僕らを励ますかのように、そのあとすぐに芽依が来てくれたのだ。
"これを読めば人生が変わる!"
書店に行くと、よくそんな謳い文句を目にする。
でも、僕の人生が一番大きく変わったのは間違いなく芽依が生まれたときだった。
芽依を初めて抱きかかえたとき、「あぁ、僕はこの子を幸せにするために生きてるんだ」と腑に落ちる感覚だった。
この子のためにより良い社会をつくっていかなければいけないと思った。
偶然にも芽依の誕生日は、志帆の誕生日の翌日だった。
「私がついでになっちゃいそう」
志帆はさみしげにそう語った。
「毎年ちゃんと2人のことをお祝いするよ。約束する」
芽依が生まれてから、僕は変わらない態度で志帆に接してきたつもりだった。
でも、彼女は時折寂しそうな顔をした。
「自分が一人の女から、母親に変わってしまったんだなって実感する」
彼女は最近になって、そんなことを口にするようになった。
馬鹿な僕は、そこでようやく気がついた。
芽依が生まれる前と変わらない態度では駄目なんだ。芽依が生まれたからこそ、志帆にも一層愛情表現をしよう。
そう誓って迎えた彼女の誕生日。
本当はみんなで楽しく過ごすはずだった。
まさかこんなことになってしまうなんて。
僕は「ごめんよ、志帆」と呟いた。
「娘を選びます」
「わかりました。お嬢様のために全力を尽くします。奥様もきっとわかってくれるでしょう」
白衣の男はそう言って、足早に私のもとから去っていった。
娘思い志帆のことだ。きっと彼女も、自分より芽依を優先してほしいと思っているだろう。
こんな僕を許してくれ。
あまりの不甲斐なさに、頬を涙が伝っていった。
「おまたせ。トイレ入ったら芽依が暴れちゃって大変だった」
「おかえり」
僕は涙を急いで拭うと、何でもない風を装って答える。
「パパ変な顔!」
僕の顔を指さしながら叫んだ芽依に、志帆が注意した。
「こら! 静かにしなさい。パパの顔はいつも変でしょ」
隣に座っていたカップルがクスクス笑っている。
そのとき、白衣のシェフが、例のものを手にして戻ってきた。
「失礼します。こちら当店人気No.1のメニュー、熟成チーズケーキでございます。芽依様、お誕生日おめでとうございます」
チーズケーキに刺さった花火が火花を散らせている。プレートには"芽依おめでとう"の文字。
「わぁー」
芽依が瞳を輝かせた。
「よかったわね、芽依」
志帆もうれしそうにしている。
彼女も同じものを食べられると思っているに違いない。
僕はこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。
「そしてこちらが……」
心なしかシェフの声が震えている。
彼は僕が誕生日用のチーズケーキを1つしか予約していなかったことを知っている。
彼女たちがトイレに行っている間にミスに気づいて相談したが、あいにくチーズケーキは作り置きがなかった。
悩んだ末に、娘に食べさせてあげることにしたのだ。
「さっぱりバニラアイスでございます」
さっぱりバニラアイスにも花火がついている。
なぜかこちらの花火のほうが大きく見える。シェフが気を利かせたのだろうか。
「さっぱりバニラアイス?」
妻の声が低くなった。
熟成チーズケーキが有名なレストランで、まさかのさっぱりバニラアイス。
僕のミスを察した妻が、プルプルと顔を震わせる。
花火の棒が彼女につながった導火線にしか見えない。3、2、1……
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