【完結】忘却令嬢と忘れられたい男

雫まりも

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エピローグ

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 エリーセは大きな喪失感と共に目を覚ました。
 そして、見覚えのない天井が目に入ってきた。
 自分に違和感を覚えつつも、ベッド横に自分の字の書き置きとノートがあるのに気づいた。

 “私は昨日までの記憶を忘れている。私の記憶は1日しか持たない”

 書き置きにはそんなことが書かれていて、エリーセは不安を覚えつつもノートを開いた。
 ノートには昨日までの大まかな出来事が書かれているようだった。

 “私はマリウス・ホルデイク様と結婚し、一緒に暮らしている。彼は不器用だけど、優しくて信頼できる人。そして、忘れられたいと言ってくれる人。まずは朝食に行き、続きはその後に読むように”

 要約するとそのようなことがノートの最初のページに書かれていたので、エリーセは身支度を始めた。
 記憶がなくて知らないところにいるという状況に普通は混乱しそうなものだが、エリーセ自身に何かを忘れているという自覚があるので、割とすんなりと今の状況を受け入れることができていた。
 不安が全くないと言えば嘘になるが。
 目が覚めた時にあった喪失感は記憶がないことによるものなのだなと考えていた。

 ……いや、記憶の喪失と共に、何かが足りない、何か心に埋まらないものがあるような感覚がした。
 これは何なのだろうか。
 だが、考えても答えは見つからず、エリーセはひとまずは準備を進めることにした。
 準備を終えたエリーセは旦那様はどんな人なんだろうか、忘れられたいとはどういうことなんだろうかと思いながら、朝食へと向かった。

 食堂までの廊下には分かりやすいように道順が示されていた。
 毎朝エリーセにとっては初めての道になるので有り難い工夫だ。
 そして、その廊下には色々なものが飾ってあった。
 珍しい形の壺、大きな赤い花の描かれた絵画、その花がブリザード処理された花束。
 およそ統一性のないもの達が大切そうに飾られていた。
 なんだろうと思い眺めながら歩いていると、途中の廊下の窓からは庭に故郷の丘に咲いていた黄色い花が咲き誇っているのが見えた。

 綺麗だなと思っていると、いつの間にか食堂の前に着いていた。
 この先にはきっと自分の旦那様がいるのだろう。
 エリーセは少し緊張しながら食堂の扉を開けた。

「おはよう、エリーセ。はじめまして。俺は君と結婚しているマリウス・ホルデイクと言います。目が覚めていきなり夫がいて一緒に暮らしているなんて驚いただろうけど、話は朝食を取りながらなんてどうですか?」

 食堂の席には一人の男性が座っていた。
 エリーセと目が合うと立ち上がり、そんな風に話しかけた。
 エリーセは自分に笑いかけてくれる彼を目にした瞬間、心の穴が一気に埋まるような感覚がした。

 声をかける彼に、エリーセはすぐには何も返せずに入口で立ち止まっていたので、彼が心配そうに近づいてきた。
 エリーセはそんな彼に挨拶を返すのではなく、「あなただったんですね……」と溢した。

「え……?」

 エリーセの言葉に不思議そうにする彼に、彼女は自分の中の感覚を言葉にした。

「今日、目が覚めた時、自分の中に大きな喪失感があったんです。さっきまではそれは記憶を忘れてしまったからだと思っていました。でも、あなたの姿を見て、その喪失感は無くなりました。胸の中にはあなたがいて、でも記憶からは抜けていたからそんな感覚がしたんだと思います。あなたに会って今は、胸に空いた穴がしっかり埋まっているように感じますから」

「そうか。それなら良か……」

 唐突にそんなことを話し始めたエリーセの言葉を、目の前の彼は頷いて聞いてくれていた。
 彼はエリーセに優しい声でそう返そうとしたが、途中で言葉に詰まった。
 そして、誠実そうなその瞳から、大粒の涙が一つ、また一つと溢れ出したのだった。

「ごめん。違う……違うんだ。俺は君に忘れられてもいい、忘れられたいとそう思っているのは本当だ……でも、君の心の中に俺が残っていることが、どうしようもなく嬉しいと思ってしまったんだ」

 そう言って涙をこぼしながら、彼は満面の笑みを向けた。
 その表情を見て、彼と一緒にいることを自覚して、エリーセは自分の胸がさらにあたたかくなっているのを感じた。

「マリウス様。私はまだあなたのことを知りません。でも、私はあなたのことを愛しているみたいです。好きだったという記憶はないけれど、私の心がそう言っています」

「ありがとう。愛……か。愛は育むものだから。君の心の中に記憶とは別の部分で残ってくれていたんだな」

 そう言ってまだ涙を流し続けるマリウスがエリーセは愛しくて、もう好きになり始めていた。

「さあ、マリウス様。そろそろ朝食にしましょう。私の心に聞いても知らないマリウス様のことを、ぜひ私に教えて下さい」

「うん、そうだな。何から話そうか……」

 泣いてしまったことを少し恥ずかしそうに、でも取り繕ったりもせずに、少しはにかみながらマリウスは席に着いた。
 頼りなさげな一面を朝から見せた旦那様。

 それでも、エリーセはマリウスと一緒に入れるなら、今日も明日も明後日も、きっとその先だって不安なく幸せでいれるのだろうなと感じていた。

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