過霊なる日常

階段の幽霊編

１２

　私はとんでもないミスをしてしまった。視界には音無さんしかいなかったはずなのに、そのはずなのに、今この瞬間その光景は変化していた。

　そう、そこには音無さんの肩に手をおく学ラン幽霊の姿があった。なぜ、どうして、突然そこに現れ、さらには私がその姿を認識できたのかはわからない、だけど、とにかくそこにはあいつの姿があった。

　私はすぐにでも音無さんを助けに行かなければならないと思ったけど、血の気が引くとはよく言ったもので、頭の血が全て下半身に集まり、私は身体を思うように動かせずにその場で立ち尽くしてしまった。

　すると、私の様子を察したのか、音無さんは心配そうな顔で私を見つめ私のもとに駆け寄ろとしてきた。背後で、不気味に笑うあいつの姿に気づかぬまま。

　そして、音無さんの身体は私の目の前で学ラン幽霊の手によって背後から引っ張られた。音無さんの体は不自然な動きをしながら宙に浮いた。
　音無さんは体制を崩しながら闇の中へと消えていこうとしている。その姿を私はただ見てることしか出来なかった。

　まるで、音無さんは死ぬためにこの場所に来たかの様な状況の中、私の日常が急激に変化していることに頭が混乱した。そして、静かな校舎内で鈍い音がこだました。
　音がした方へと目を向けると、そこには音無さんの影がうっすら見えたような気がした。それを見つけてしまうと、私はもう完全にその場から動けなくなった。
　視界には音無さんの影らしきものがあり、音無さんを突き落とした張本人であろう学ラン姿の幽霊は見当たらなかった。

　まさか今ので死んだりしないよな音無さん。彼女とは最近あったばかりだけど、いつも元気で馬鹿みたいに騒がしい子だった。どうせ、また笑いながら起き上がろうとするんじゃないだろうか？

　しかし、そんな願いも虚しく暗闇の中うっすら見える音無さんの影は動くことはなかった。そうして、ただ呆然と立ち尽くす私の右頬に生暖かいものを感じ私は我に返った。

「やっと二人きりだねぇ」

「ひっ」

　両肩に手を乗せられた感触、私は目を閉じて必死に高鳴る心臓を落ち着けようとした。

「もう誰も僕達を邪魔するものはいない、さぁ、僕と一緒に永遠を手に入れよう」

　わけのわからない状況と言葉の数々に、もう私は何も言い返すことができなかった。

「さぁ行こう、あいつと一緒にはなれないけど僕は君と一緒になれる」

　身体に力が入らない、おまけにあのヘビがいないから今私がこの幽霊にできることは何もない。

　私はこのまま音無さんのように階段から突き落とされてしまうのだろうかと諦めかけたその時、私の身体が勝手に動き出した。
　正確には、動いたというより動かされているという表現のほうが正しいだろうか。とにかく、私は階段の方へと一歩一歩向かっていた。

　それは、まるで私の身体じゃないように動いていて、階段の段差の所で立ち止まった。

「さぁ、行こう君もこれで僕の仲間だ」

　私は学ラン幽霊によって背後から押され、そして徐々に身体が前に倒されていく感覚を覚えた。

　あぁ、だめだこのまま倒れたら私は絶対に死ぬ、今後ろにいるこいつに殺される。徐々に前のめりになっていく中で視線の先には音無らしき影と何やらもぞもぞとうごめくものがうっすらと見えた。

　なんだろうあれ、もしかして音無さんは大丈夫だったのだろうか？そんな事を思っていると、ふと、頭の中で音無さんが屋上階段に現れた時の事が思い出された。

　そうか、これが走馬灯というやつなのだろうか？

　音無さんに出会い、更科先生に出会い学ラン幽霊に出会って、そして喋るヘビに出会ってそれからそれから、あぁ、もうこの先はないのかもしれない。

　そう思い、すべてをあきらめかけていた瞬間、私の首元に痛みが走った。そして、その衝撃のせいで私は階段から落ちる一歩手前で尻もちをついた。すぐさま首元に手を当てると２つほど、くぼみのようなものがあるのを感じると、すぐに男の叫び声が聞こえてきた。

「ぎゃあっ」

　私はライトで声をする方を照らした。すると、光の先にいたのは今のいままで行方不明になっていたヘビと、のたうち回る学ラン姿の幽霊があった。
　ヘビは幽霊の首にからみついている様子であり、幽霊は必死に振り払おうとしていた。幽霊はうめき声を上げ床に這いつくばって悶えている。私は息を切らしながらすぐに幽霊から距離を取った。

「ヘビちゃん・・・・・・」

「すまん、うちがやらかしてしもうたせいでこないな事になってしもた」

　流ちょうに喋るヘビは私の事を気にかけながらそう言った。

「この、クソヘビ野郎っ」

　突如として怒声を上げる学ラン姿の幽霊に思わず体がはねた。

　だが、その言葉を聞いてヘビは更に締め上げた、見ただけでもわかるほどの締め上げについには首の骨が折れてしまうんじゃないかのようになっていた。
　目をそむけたくなるようなそんな光景だったが、なぜか目を離すことが出来ない私はそのままその光景を眺めていた。

　すると、学ラン幽霊に巻き付くヘビは私を見つめてきた。そして、舌をちょろちょろと何回か出した後学ラン幽霊から離れ、私の身体に巻き付いてきた。
　すると、学ラン幽霊は苦しそうなうめき声をあげながら首元を抑える様子を見せていたかと思うと、どういうわけか彼は勢い良く何かを吐き出した。

　それはキラキラと光る球のようなものだった。

「ええか零、あのキラキラしたやつの踏み潰すんや」

　ヘビは当然のように喋りだすと、そんな事をつぶやいた。

「え、何、あれ何なの？」

「あの玉を三回で踏みつぶせ、いいな、三回やで」

　私は言われるがまま床に転がっている小さな光る玉を踏むと『メキッ』という音と共に幽霊は悲鳴を上げた。そして、自ら吐き出したものを取り戻そうと言わんばかりに、歪んだ表情で私の元へと近寄ってきた。

「早よやらんと面倒なことになるで、零」

「わ、わかってるっ」

　急かすヘビの気持ちはわかるし、私もそうすべきだと思っているのだが、どうしてもこの幽霊に聞いてみたいことがあった。

「あぁ、身体が痛い、さっきとは比べ物にならないくらい身体が痛い、なんだこれは」

「ねぇ」

　私は這いつくばる幽霊に話しかけると、気持ち悪い笑顔を見せながら私を見つめてきた。

「な、なにかな、へへっ」

「何でこんなことをしたの？」

「そ、そんなことより僕の大切なものを返してくれないかなぁ？」

　そんなことをいう幽霊に対し私は光る玉を踏んだ。これで二度目だあと一回。

「あぁっ、わかった、言うから少し待ってくれ」

「早く言って」

「わ、わかったわかった、理由なんてない、ただ階段にいる人を見ると突き落としていた、それだけだよ、はは」

「何が面白いの？」

「それは僕にもわからない、けど、人を突き落とした時の快感が忘れられないんだ。だって背中を少し押しただけで、みんなばかみたいに転げ落ちて動けなくなるんだよ、あの情けない姿が僕は好きで好きで・・・・・・」

　まるで罪の意識がないような口ぶりに、私はもうこの光る玉を踏みつぶそうと思った。しかし、力をこめると学ラン幽霊の悲痛な叫びが響き渡り、思わず踏みとどまってしまった。

「あぁっ、待ってくれっ、友達を突き落とした事は謝るから踏み潰さないでくれっ」

「謝る？」

「あぁ、きみの友達には悪いことをした、謝る、すまなかった」

　そう言って幽霊はヘコヘコと頭を動した。こんな奴に音無さんは。そう思うと、やはり私は今ここでこいつを消し去るべきだと思った。

「もういい、これで終わり、私がこれをふみつぶせば明日から今までどおりの日常が戻ってくる、あなたの事なんてどうでもいい最高の日々を取り戻せる」

「ま、待ってくれ僕にはあの場所を守るという使命があるんだ、だから許してくれ」

　あの場所というのが気になるがそんな事はどうでもいい、こいつに守るべきがあるとしても、人を傷つけることで守るなんて許されない、何より音無さんを傷つけた罪がある。

「一体どこの事を言ってるのか知らないけど、私の大好きな階段は私のもの、だからとっとと消えて」

「違うっ、あそこはっ」

　そう言った学ラン姿の幽霊の表情は真剣そのものであり、今までのへらへらとした雰囲気は一切見られなかった。一体どんな心変わりか、はたまた私を欺こうとしているのだろうか。とにかく何もかもが気に入らない。

「あの場所だけは絶対に譲らない、僕達だけのものだっ」

　突然声を張り上げてそんな事を言う幽霊は、何やら自分の姿を確かめるかのようにして困惑している、そんな姿に私は違和感を感じた。

「一体、何なの？」

「へ？」

　学ラン姿の幽霊はまるで別人といった風な様子で私を見上げた。それはまるで自我が戻ったかのよな様子であり、今までの邪悪な気配が消えている様に思えた。

「なんで、なんでそんなに強い気持ちを持っていながら、あなたは自殺という選択をしたの？」

「自殺・・・・・・？」

「聞いた話だと、あなたは不良に嫌がらせをされて挙句自殺してしまった、あなたがそうなんでしょ？」

　私がそう伝えると、幽霊は先程までの苦痛の表情は無くなっており、とても安らかな顔をして小さくほくそ笑んでいた。

「あぁ、そういえばそんなこともあった、詳しいね」

「別に」

「そうだよ、その通り僕は自殺したんだ。そして、僕が目をさますとこんな体になっていた。僕の思惑通り好きだった場所に人が寄り付かなくなったし、すべてがうまくいっていたそう思っていた。でも、それは僕が勝手にそう思い込んでいただけで、実際はそうじゃなかったんだ」

「どういうこと？」

「この体は生きていた頃の僕とは全く違う、知らぬ間に僕は人を突き落としたり、変な笑い方をするようになってたみたいだ。大好きな場所を、階段を僕はたくさん汚してしまったみたいだ」

　乾いた笑いを見せる幽霊からは、もう先ほどまでの狂気は感じられなかった。

「あなたの選択は何もかもが間違っていた、それだけだよ」

　逆上されてまた厄介なことになるかもしれない、そう思ったけど、私の言葉に学ラン幽霊は小さくほくそ笑んだ。

「そうだね、なんとなくわかってるよ、わかってるけど・・・・・・」

　そうして、幽霊との会話を聞いていたであろうヘビが突然私に話しかけてきた。

「零、もうええやろ」

「あっ、うん、わかった」

　不覚にも学ラン姿の幽霊と似てる部分を感じた私は、どうしても彼と話し込んでみたい気持ちがあった。

　しかし、いつまでも幽霊などという不思議なものを相手にするわけにもいかない。私は玉を完全に踏み潰す体制をとった、学ラン姿の幽霊はもう抗う様子は無く静かに呻き声を上げた。

「なんだろうこの気持ち、今までなくしていたものが戻ってきたようなこの安心する気持ち、自分がこんなことになる前に君に会えたらよかった」

　まるで、私を優しい女神か何かのような目で見てきている様子だった。本当に気味が悪い。

「気持ち悪い」

「あはは、そうだね」

　もう先ほどまでの学ラン幽霊のおもかげは見られず、むしろ好青年にも思えてしまうほど潔く爽やかだった。これほどまでに幽霊というやつは不安定な存在なのだろうか。

「さよなら」

「極楽に行けるといいな」

「無理でしょ」

「そうだね、じゃああの場所を大切にね」

　その言葉を聞いた後、私は玉を思い切り踏みつぶした。三度かけて踏みつぶした玉は私の足の下で粉々に砕けており、その様子を確認していると、学ラン姿の幽霊はその透けた身体が燃え上がり、そして完全に姿を消していった。